日記
スタバを選ぶ理由
昨日大阪駅周辺で色々用事を済ませていたら、「祭りかっ!」と思うほど人が溢れていて
どうも阪神の優勝で百貨店や商業施設が優勝セールやらポイント5倍デーやらで
いつもよりかなりの人出だったようで。
帰りに阿倍野ハルカスに寄ったらオリックス優勝セールで色々なお店で行列が出来ており。
電車に乗ろうとしたらB’Zのコンサートがヤンマースタジアム長居であるらしくかなり混んでおり。
...。
大阪はなにやらとても活気づいております!
街中で一息つきたいとき、私はスターバックスに入ります。
今や街中に溢れているということもありますが、
スタバを選ぶ最大の理由は「どの店に入っても嫌な思いはしない」ことにあります。
よほど接客に対する教育が行き届いていないと、
なかなかここまでできないだろうなあといつも感心します。
(あくまでも個人的感想です)
例えばこれから年老いて、どこかの施設に入らないといけなくなったとき
例えばお子さんを保育園などどこかの施設に預ける必要ができたとき
何を基準に選びますか?
需要と供給の問題で選択は限られてくるかもしれませんが、
もし自由に選ぶことが出来たら
私は属人によるものではなくシステムがしっかりしていて
どの介護福祉士や保育士が担当してくださっても同じようなサービスを提供してくれるところを選びます。
ただ、カフェやレストランのように「どの店に行っても誰が接客しても均一のサービスが受けられる」かどうかは見分けがつきやすいですが、
介護施設や保育園はなかなか難しいですね。
色々な施設を見学し、しっかりと自分の目で判断することがとても大切ですが、
色々な人の話を聴いて違った視点で考える事も重要な選択をするためには必要な事だと思います。
そのためには話しやすい人でなければなかなか難しい。
「この人と話してよかった」と思う人でなければ、なかなか本音の話はできませんもの。
賢く生きていくためにもコミュニケーションスキル、
本当に重要!
とにこやかに「今朝は過ごしやすくていい朝ですね!」とコーヒーを出してくれるスタバのイケメンスタッフにぼーっとしながらしみじみ思う秋の始まりでございます。
よろしければこんな私と是非コミュケーション技法、一緒に学びませんか?
興味のある方、是非ご一報くださいませ!
敬う
ジャニーズ事務所の一連の報道を見てきて
ずっともやもやが続いていますが、
ネスレ日本元社長の対応に少し心が晴れました。
「20年以上前から噂としてジャニー喜多川氏の性加害については知っていたので社長在任中は一度もCMにジャニーズ事務所のタレントを起用しなかった」
これに尽きるのではないかと思います。
「たられば」はありませんが、
ジャニーズ事務所に関連する全てのステークホルダーが、同じような姿勢であれば、状況は大きく変わっていたと思います。
明日は敬老の日ですね。
私が長く居たビジネスの世界、そして今お付き合いいただいている方々の世界では
「敬語」を使うことは当たり前で、
そういう世界に生きてこられたことは幸せな事だとつくづく思います。
なにもわからない子供のころは
自分の知っていることが話題に出ると自分の知識を衒らかし得意になるのですが、
いつしかそれを黙って聞いている人たちのほうがずっとよくわかっていてレベルが高いことを知り、
恥しい思いをして「自分はなんて愚かなのだ」ということを思い知る。
自分の愚かさを知り、世の中には自分より優れている人はいっぱいいることを知ると
おいそれと「ため口」で人に接することの愚かさを身をもって知ることになる。
だからこそ敬語を使うことは自分のリスク管理の上でもとても重要な事だと思い知る。
そういう世界に生きてこられたことは幸せな事だと思うのです。
歳をとると心身ともに衰えていき
見た目「弱者」として映り、
だからこそ「子供な」人は自分より何十年も色々なことを経験してきた敬うべき人達に「不遜」に接しがちですが、
自分より一日でも先に生まれた人はその分「一日之長」があるということを
やはり歳を経て色々なことを経験すると分かってくる。
人生の先輩を敬う事を当たり前と思う自分は幸いだと思います。
Life Go On
前回
素振りをしている少年を見て
「あの時きつい練習を頑張ったから今があるんだ」
と思う元野球少年の話をしましたが
「あの時頑張ったから今があるんだ」
と思える人は「今」がよい状態にあるからこそ
そう思えるわけで、
「あの頃一生懸命練習したのに、結局レギュラーにもなれなかった。
頑張っても所詮私はその程度なんだ。」
と自分を責める人もいれば
「あの時親の言う事なんて聞かず自分のやりたいことをやっとけば、
今の砂を噛むような生活はなかったよなあ。」
「こんなに頑張っているのになんでまわりは評価してくれないのか。」
と恨む人もいます。
「今」で過去も変わり、「今」で未来も変わる。
だから「今」を大切にと言われても
「今」の苦しみが自分でコントロールできないもの
到底乗り越えられると思えないものであったとき
「助けて」ほしいのに「助けて」と言う方法を知らないとき
「助けて」と言っているのに誰も助けてくれないとき
「生きているだけで精いっぱいなのに「今を大切にしなさい」と言われても」
です。
そういう「今」は「無い」に越したことはないのです。
でもそういう「今」がいっぱいあるあるの人生を送ってきて
それでもなんとか生きてきた人は
乗り越えた分人の痛みがわかり、だから人を助けたいと思う。
そういう人を「大人」というのだと思います。
そして
「助けて」と言えない人に
「助けて」と言う方法と「助けてもらっていいんだよ」 ということを
知らない人が居なくなるような世界を作っていくことが
「大人」の役目だと思います。
夢見る頃を過ぎても
とある会社の新人研修を実施し、演習問題をいくつか宿題にしたのですが、
先日演習問題未提出の新人に「演習問題やけどさ」と声をかけたら、
「え?円周率?」
と返ってきて、
「なんで3.14て答えてもらわなあかんねん!」
とつい叫んでしまった私。
そして「え?円周率って3.14やったかな。3.16違うよな。」
と心の中で慌ててこっそりスマホで検索した私。
..。
頑張れ、私。
それにしても、円周率。遠くなったなあ。
円周率が身近にあった頃、自分が何者でもなかった頃。
その頃に好きな事ややりたい事を見つけることが出来たら
なんて幸せな事かと思いますが、
例えば野球が好きでプロ野球選手を目指し
野球部に入って一生懸命練習するものの
まわりには上手い人がいっぱいいて
「自分はどう頑張ってもプロ野球選手になれない」
と思った時。
「でも野球好きだから自分なりに頑張って野球を楽しもう。」
と思っても
「そんなに頑張っても素質ないのになんで頑張るねん。
それより勉強頑張っていい大学に入ったほうがあんたのためやで。」
と言われ続けたら。
「親が喜ぶから」
野球を諦め塾に通い、頑張って「いい大学」に入って「いい会社」に入って
いつも間にか「野球選手になりたかった」自分は日々の生活に追われて
遠い彼方にいってしまい、いつのまにか忘れてしまうかも知れません。
ですが、仕事に疲れてへとへとになって家路に急ぐ帰り道に
1人一心不乱に素振りをしている少年を見かけたら
その頃の自分が蘇り、懐かしいような、切ないような何とも言えない気持ちになるのではないでしょうか。
私達には忘れている経験はいっぱいあり。
そのことも含め全ての経験が今を作っている。
私達は何物にも代え難い宝物のような経験を沢山してきたけれども
ただただ日々の出来事に追われて忘れているだけ。
だからふとした時に思い出して
「あのきつい練習を耐えてきたから今頑張れているんだ」
と思えたら
人生まんざらでもない。
歳を重ねるということは
そういうことで。
だから明日も生きていたいと思います。
物心両面の幸福を追求する
昨日外出の支度をしながらテレビをつけていると、偶然京セラ創業者稲盛和夫氏のインタビュー番組が放送されていて、急いで録画して外出。帰宅後いそいそと録画を再生しようとしたら、どうも録画開始10分ほどでもともと予約していた「ブリティッシュベイクオフ」という番組の録画が始まり敢え無くインタビュー番組の録画が中止されており..。とほほ。
(「ブリティッシュベイクオフ」は腕に自信のあるアマチュアベイカーが(人種も年齢も性別も関係なく)オーブンで焼くお菓子やケーキやパン作りの腕だけで競うイギリスの番組です。)
ですが、その10分の間に話されていたのが「物心両面の幸福を追求し」についてで、
とても濃い内容でした。
「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という言葉は京セラの経営理念で、またのちにJALの経営理念にも盛り込まれますが、この言葉が生まれた背景や思いについては色々なところでご自身が語っておられあまりにも有名ですので特に経営者の方はよくご存じかと思います。
「全従業員の物心両面の幸福を追求する」
この言葉だけ聞くと、とても崇高な精神のもと会社を牽引されてこられたのだなと思いますが、
実際には「全従業員の物心両面の幸福を追求する」と決めたことで発足時は「稲盛和夫氏の技術を問う場」であった京セラが、「俺だけの会社じゃない。お前らの会社やからな。ええ加減な働きやったら承知せんぞ」と言えるようになって「経営するのが楽になった」とある講演で語られていた内容です。
「私のためだけなら従業員に働いてもらうためにおべんちゃらを言ったりおだてたりしなければならないですが
「みんなの会社やないか。何で俺だけが頑張らなきゃならんのや、お前もちっとは頑張れよ。」
「文句がある?文句があるなら辞めい。何でそんな奴の一生の面倒を俺が見なきゃならんのだ」となる。
「僕が嫌うのはなく、社員に集まってもらって「こんなんどうや?」「辞めてもらいましょう」となる。」と。
私達は何のために来る日も来る日も朝早く起きて満員電車に揺られて怒られながらも落ち込みながらも頑張るのか。
何のために仕事をするのか。
それは「物心ともに」満たされ「幸せになるためなんだ」と実感して頑張ることが出来る環境にいらっしゃるのだとしたら、それはなんと幸せな事かと思います。
ところでこの経営理念を生み出した時、稲盛氏は29歳。
つくづく凄い方です。