日記
私達は危うい世界に生きている
今日は14日で、地震から早半月近く経ちますが、
なかなか復興は進まず
災害関連死も増えていますね。
どうか
かけがえのない命がこれ以上失われませんようにと
願うばかりです。
避難場所によっては食料がやっと届いても日々パンやおにぎりだけになってしまい
ある高齢者の方が「こんなもん食えんわ!」と投げつけたとか。
避難されている方のために毎日おにぎりを握っている市役所勤めの若者が
「私はおにぎり握るために公務員になったんじゃない!」とおにぎりを投げつけたとか。
これだけ聞いていると投げつけた二人に良い印象をもつ事は難しいですね。
ですが、高齢者の方は物を飲み込めない嚥下障害者で、
下手をすると窒息死する危険があり
毎日おにぎりを握っている若者の手は熱いごはんを握り続け
真っ赤になり火傷を負っていたそうです。
二人とも、もう心身共に極限状態だったのでしょう。
もしごはんを投げつけている場面だけ映し出されていたら
知るべきことを知らぬ間に私達は受け止めてしまう。
そして心無い中傷にさらされてしまうかもしれません。
背景を知っても、自分の価値観からは「到底許せない」と思い
やはり非難する人もいるかもしれません。
そんな世界に私達は生きているのだなあと思います。
SNSだけではなく、私達の日常は
こういう誤解や偏見や思い込みに溢れていて
そして各々の信じる正義のもとに
争い事が無くなることはないですね。
ともすると、自己防衛のために他責に走ってしまう。
あるいは自責に走り、「自分なんか生きていても仕方ない」なんて思ってしまう。
ですが。
この嚥下障害者の方の話がきっかけで
どうすれば流動食を提供できるか
そういう支援の動きが広まっているとお聞きしました。
(きっかけはこの方の話だけではないとは思いますが)
ちゃんと伝わる人には伝わる、
困っている人が居ればとなんとか救おうと努力する人が居る
私達はそんな世界にも生きています。
どの世界に生きるのか。
捉え方ひとつで世界は変わる。
そのことが今深く沁みます。
見えない境界線
能登半島震災で被害に遭われた全ての方々に
謹んでお見舞い申し上げます。
お正月、ましてや一月一日は
穏やかな晴れの日で
たとえ前日とんでもない嵐でも
一月一日は穏やかに晴れている。
日本はそんな国だと、それが当たり前だと思っていました。
未だ先の見えない不安の中で
「自分たちに出来る事」を探して
川やプールの水を浄化して何度でも繰り返し使えるお風呂のシステムを引っ提げて
被災地に向かった大阪のあんちゃん達や
野菜や肉を持ち寄って暖かい豚汁を作る有志の方々が居る一方、
避難所の自販機を壊して飲み物と金銭を奪ったり
偽の情報で救護の邪魔をしたりSNSで悪意のある偽情報をたれ流したりと
その境界線はどこにあるのかと思います。
地震の衝撃も冷めやらぬ中、羽田空港でのJAL機と海上保安機が衝突しての両機炎上。
衝突から炎上する機体から18分間で全員避難できたことは「奇跡」だと
特に海外メディアが称賛されていますが、
JALの乗組員の皆様のプロフェッショナルな対応と
荷物を持とうとした乗客に「荷物を持たないで!」と叫びCAに協力する乗客。
パニックコントロールは1つ間違えると大惨事になる中、
よくぞ成し遂げてくださった。
日本人としてとても誇りに思うし、自身の襟を正す契機も与えてくれました。
機長は全ての乗客が避難した後機体をまわり取り残された人は居ないか確認後
最後に機体を後にしたとの事。
「奇跡ではなく日頃の保安要員としての訓練からして必然だった」
とおっしゃっているJALの元CAの方のインタビューを拝見しながら
今までのJALの苦難の歴史を思い起こしていました。
JALもANAも創業以来
多くの人命が失われる事故を何度か経験してきました。
特にJALは2010年に経営破綻し、
コロナ禍の中では航空業界も非常に厳しい状態でしたね。
その中でも
過去苦い事故を経験し悔しい思いを経てきたからこそ
空の安全を守るための機体整備や訓練は決して蔑ろにせず
粛々と行われていたからこその
当事者から見ると「当たり前」、でも外から見ると「奇跡」のような今回の全員救出に繋がったのだと思います。
事故当時、付近にいたANAのスタッフも
避難誘導や近くにいたANA小型機のトイレを貸したりと乗客のケアに努めていたとの事。
こういうことがあると
航空業界に勤務している方々のプライドを感じずにはいられません。
いざという時、人の真価が問われるのはそういう時。
見えない境界線のどちらにいるかは
それまでどんな環境で、どんな経験をしてきたかですよね。
震災前に和菓子の本を読んでいて、
丁度金沢の伝統菓子「五色生菓子」がでてきたところだったので
驚きました。
「五色生菓子」は
赤(=太陽、日の出)、白(=月)、黄(=稲穂で豊穣、里を表す)、緑(=あお、海を表す)、茶(=大地、山を表す)
で天地の恵みを表す5つで構成された祝菓子で慶事には太陽に対して陰となす月(白)を外して贈ることもあるそうです。
北陸に根づいた豊かな文化。
和菓子の世界で秋冬に使う「緑」は松や竹など、冬中ずっと緑色をしている植物の表現になり
寒さに負けない永遠を寿ぐモチーフなのだそうです。
もっと季節が進めば白と合わせて雪の中から顔を出す新芽のイメージになるのだとか。
自然は私達に豊かな恵みを齎してくれるけれども、時に容赦なく残酷に襲いかかる。
どうか皆様、ご無事で。
未
今年の漢字は「税」いうことですが、貴方の今年の漢字は何ですか?
私は「未」です。
今年ぼんやり目標にしていたことが「未達」でしたし
「未熟」だと思う瞬間もいっぱいありました。
まだまだ。
未だ未だ。
と思うことが沢山あった一年でした。
来年は。。
おっと!
来年も事を言うと鬼が笑うので
来年の抱負は来年にしましょう。
(ベタ過ぎてあいすみません)
未は未来の未でもあり、
まだ来ぬ明日は
必ず来る明日です。
2023年お付き合いくださりありがとうございました。
2024年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年を!
戦場のメリークリスマス
メリークリスマス!
クリスマスイブ、如何お過ごしでしょうか?
昨日グランフロント大阪界隈をうろうろしておりましたが、
歩くのも大変な人手でした。
そしてJR切符売り場では帰省するための乗車券を求めてでしょうか。
長蛇の列。
が、
ほんま待ちに待った時がやっと来たぜっ
といわんばかりの弾けた笑顔笑顔笑顔!
の人が多かったような。
色々な文化を柔軟に取り入れていく日本。
クリスマスツリーを飾り、ケーキやチキンを食べてキリスト生誕を祝う。
(教会に行くわけでもなく)
敬虔なキリスト教徒からすると「なんと節操のない」クレイジーな国民性となるでしょうが、
この国民性があるからこそ、
賢く上手く柔軟に受け入れて発展させてきた先達がいらっしゃったからこそ
今こうやって暖かい部屋で美味しいケーキを頬張ることが出来るのだということを
私達は忘れてはいけないし、
継いでいかなくてはならないと思います。
間違ってはいけない。
イエスキリスト生誕の地ベツレヘムでは今年のクリスマス行事が中止になり、
パレスチナ自治区にあるベツレヘムの教会では
クリスマスツリーではなく積み重なった瓦礫の上に、
パレスチナのスカーフを身につけた幼いキリストの人形があり、
周囲では聖母マリア達が瓦礫の中でキリストを探している。
そんな展示をされているそうです。
「ガザでは毎日何百人もが殺されている。
ガザの教会では避難者で溢れ空爆にもあった。
キリスト生誕を祝うことはできない」
今日は「高島屋のケーキが相次いで崩れた状態で届いている」ことがニュースになっていますが、
これからもこんなことがニュースになる日本であってほしいと切に望みます。
正しく恐れる
今年は忘年会に参加する機会も増えたのではないでしょうか。
私も久しぶりに忘年会や女子会やらで、外で飲むことが多くなりました。
嬉しくてついつい弾けてしまい、色々やらかしている私。
...。
この場をお借りして被害者の方々に謹んでお詫び申し上げます。
新型コロナが5類になって久しいですが、
マスクされていますか?
私は5類になってもコロナが終息したわけでもないし、
今インフルエンザが大流行しているので
(コロナ流行中は感染対策の強化によりインフルエンザの流行が抑えられたため子供を中心に免疫力が落ちているとのことで)
5類になる前と同じように過ごしております。
映画やドラマの世界でしかなかった「パンデミック」が現実になった頃のことを憶えていらっしゃいますか?
不要不急の外出は控えるよう通達があった頃の日曜日の朝10時位だったか。
用事で梅田に行った時のことを鮮明に覚えています。
商業施設も閉まっているので歩く場所によっては誰も居なくて。
「梅田独り占め」しているのかという錯覚に陥る程でした。
その後ワクチンも開発され「どのように感染するのか」がわかり、そのため「どのようにしたら感染のリスクが抑えられるのか」がわかり、
だから感染対策を立てることが出来、インフルエンザと同じ5類となり。
今や梅田はインバウンドの影響もあり毎日が「祭りかっ!」と思うほど人が溢れています。
なにか問題が起こった時に、その問題の本質を正しく理解すると、
正しい判断が出来、
正しく恐れることが出来るわけですが、
その問題の本質を間違って捉えてしまい
必要以上に恐れたり、
恐れないといけない事に気付かず
(リスク管理が出来ず)
取り返しのつかないことになったり
命取りにもなるかもしれません。
ではどうするのか?
私はひたすら学び、正しい判断が出せるように
自分自身の見識を深めていくしかないかと思っています。
正しい知識をもたないと正しく恐れることができない。
「恐れを知らない」ことはとても恐ろしい。
貴方はどう思われますか?