日記
ブランドの価値
はるか昔私が若かったころ、
ブランドのバッグや時計や欲しくて、
背伸びして頑張って買っていました。
先日若い女性と話した時に「ブランドのバッグがほしいです」
というので何故?と聞くと
「だって、まわりの同級生はどんどん結婚して、私は全く予定がなくて。
だから「私はこんなに高いものが買えるほどの仕事をしてるんだ」と言いたいじゃないですか!」と。
..。わかる。わかるで!
振り返ってみるとかつて私も似たような動機だったような(←はるか昔のことなので覚えてないという。。ははっ)
でも確かに自分のステータスを高く見られたいが故に頑張っていたような。。
実は先日、
もう30年近く愛用しているエルメスのクリッパー(一世を風靡しました!ご存知の方も多いはず!)が動かなくなり、
エルメスのアフターセールスカウンターに行ってきたのでございます。
幸い電池交換だけで済んだのですが、
時計を預けて1時間ほどで返ってきた時計はピカピカになっていて新品のようで。
「うわっ!ピカピカですね!」と思わず言うとにっこりして
「洗っておきました」とのこと。
時計と同時にウォッチクイックサービスカードを渡されたのですが、
そこには時計のモデル名やシリアルナンバーや修理日が書かれているので
(それもフランス語と英語で)世界のどこのエルメスでもこのカードさえ見せれば
スムースに修理してくださるのでございます(はずです)。
実は修理前に「どこかのエルメスに登録されていますか?」とおっしゃるので
辛うじて数年前に高島屋のエルメスブティックで針の修理をしてもらっていたので
その話をすると、
PCで名前と電話番号のみで過去の修理履歴を検索され、
「部品交換と内部洗浄も行われていますね?」と。
こんな風に正規のエルメスでメンテナンスを行っているとスムースに修理されるのですが、
一度でも正規店以外で修理をすると取り扱わないのだとか。
(修理状態を見ればすぐにわかるのだそう)
私の前にいらっしゃった方はバッグの持ち手近くの金具が外れてしまったようで
「数年前から気になっていたのだけれどもなかなか機会がなくて」とのこと。
とスタッフの方が奥に入り、
各々の専門の職人さんが常駐されているようで、
数分で出てこられ「元に戻りましたよ」と。
とても喜ばれて「あのう、修理代は?」と恐る恐る聞かれていましたが、
「費用は結構でございます」とのこと。
「ええ!?いいんですかっ!」とおっしゃると同時に思わず「ええ!?」と心の中で叫び振り向く私。
そうするとスタッフの方が
「はい、結構でございます」とにっこり。
私がこの時計を買ったのは、
ブレスレットがエルメスのHのマークになっていて、文字盤が丸くて黒くてかっこいいからという理由からだったのですが、
つまり、見た目に惹かれて買ったわけですが、
30年経ってもなお新品のように輝き続ける我が左手の相棒。
エルメスのというブランドのこだわり、愛情や情熱がようやくわかるようになってきたかなあ。
やっと身につけるに相応しくなってきたのかななんて、勝手に思っています。
だから、ブランドの価値はその人にとって、年代によって、様々で、違ってていいんだなあと思います。
どこに価値をおくのか
どう付き合っていくのか
歳とともに変わっていくのも乙なものです。
「企業努力」に思う
今年の春闘ではほとんど満額回答で、大手は大幅な賃金UPが見込まれますね。
日銀もマイナス金利を解除しそうだし、
日経平均は至上最高値をたたき出し
日本は今好機に向かっているように見えますね。
ですがこれはデフレからの脱却の前触れであり、
物価は上昇していくのでしょうね。
何故大手が賃金UPに踏み切ったのか。
勿論、コロナ明けで確実に業績がUPし大幅な利益増が見込まれるという健全な背景もあるでしょうが、
円高による物価高を背景に賃金UPしないことには人材の確保が難しいという背景もあると言われてますね。
最近報道されているだけでも日産(納入代金の不当減額)やコストコ(不当減額と返品)、
ビッグモーター(草むしり強要他諸々)と下請法違反をしている会社は後を絶たず、
下請法違反等とは無縁な会社の下請企業であっても、
社員の賃金UPのために商品の値上げをしようにも
今やグローバルな競争の中で大手も膨らむ人件費を抱えながら勝ち残っていかなければならないので
一円でも安く原価を抑えかつ品質の良い製品を仕入れたいわけですので、
仕入価格の交渉においての厳しさは想像に難くなく
日本で7割を占める中小企業の経営者は
人材確保のためには、自分たちの身を削ってでも従業員の生活を支えるために賃金UPせざるを得ない
というのが現状であろうと思います。
もう15、6年前ですが、
大手電機メーカーで空調技術の研究をしていた先輩が
中国の下請工場に技術指導のため暫く滞在されたことがあり。
「みんな勤勉でとても親切」ととても居心地がよいとSNS(当時はMIXIでした)でつぶやき。
「そうやってどんどん技術が盗まれているのがわからないのかっ!」
「お人よし過ぎる!」とたたかれながらも
「来たらわかるよ!」とまったく意に介さなかった先輩。
私が勤めていた企業もその頃
プログラミングについては中国の企業に優先的に発注していました。
私も一度一緒に仕事をしたことがありましたが、
日本語が堪能で、私達に対し低姿勢でいながらも
「何でも吸収してやろう」という意気込みが凄かったことを憶えています。
その頃日本のGDPは世界2位で、
中国は高度成長期のかつての日本のように一人一人が躍起だった時代だったころでした。
今や中国が2位で18兆5600億、日本は今年ドイツに抜かれ4位で4兆2862億弱。
先週にも言及したギャラップ社の従業員エンゲージメント(やる気のある従業員)の2022年の平均は世界全体で過去最高の23%だったそうで、
最下位日本の5%に対し今回躍進したドイツは16%、中国は18%。
「やる気」が生産性の向上につながることは皆さんが実感されているのではないかと思います。
今回躍進したドイツと日本の共通点のひとつに「ものづくり」があると思います。
1年位前に、20年近く使っていた炊飯器を象印の圧力IH炊飯器に買い替えたのですが。
これがっ!ごはんが美味しく炊けることは勿論のこと
先日炊飯の途中に電子レンジやらトースターやら同時に電気を使いすぎブレーカーが落ちたのですが
ブレーカーを戻し通電した途端、何事もなかったかのように炊飯は続き、
見事に炊き上げてくれたんです!
なんでも内臓電池がしっかり動いて炊飯の状態をキープしてくれるとのこと。
こんなこと、日本のメーカーでないとなかなか気が回らないと思うのです。
TOTOのウォシュレットしかり。
日本のメーカーだからこそできた製品です。
世界に誇れる「Made in Japan.」はこうした「企業努力」の結晶なのです。
そして、「企業努力」とは決して賃金を削って、サービス残業をして商品価格を抑えることではなく
グローバルなニーズに応えることのできる製品を作っていくことだと思います。
だって良い製品は多少高くても買っちゃいますもの。
だから親会社、大企業にとって下請業者や仕入れ先は
日本を成長させるためにともに戦い「同じ釜の飯を食い」「共に生きていく」仲間であってほしいと
願います。
雇用される力
前回お話したアメリカのギャラップ社の調査では
仕事への熱意や職場への愛着を示す社員が一番多い国は
アメリカでした。
アメリカがトップである背景には
やる気を見せない社員はレイオフされることがあるようです。
なるほどですね。
同調査で仕事への熱意や職場への愛着を示す社員が一番少ない国日本。
厚労省調査による会社を辞める一番の理由は「給与・報酬が少なかったから」で、40.7%。
2位は事業または会社の将来に不安を感じたから(31.7%)
3位は労働時間が長かった、休暇が少なかったから(30.9%)と続きます。
よく相談される「人間関係」での退職は7位で13.8%で、
体感的にはもっと上位にあるかと思ったのですが
「明日の米」の前では「人間関係」は「耐えるに値するもの」という方が多いということでしょうか。
ちなみに
2023年の日本の完全失業率は2.6%、
有効求人倍率(一人当たりの求人件数)は1.31倍で
アメリカの失業率は3.7%、
2023年の有効求人倍率を見つけられなかったのですが
2022年10月の有効求人倍率は1倍で
この数字だけで判断すると日本よりアメリカの労働環境は厳しく
「レイオフ」を前にしては
ワークエンゲージメント(活力、熱意、没頭によって特徴づけられる仕事に関連するポジティブで充実した心理状態)は死活問題なのかもしれません。
ところで
エンプロイアビリティ(働き手が雇用され得る能力)という言葉をご存知でしょうか。
他国と比べると日本はまだまだ1社に留まる(終身雇用される)方が多いように思いますが、
それでも仕事や会社を変える事は珍しくなくなりつつあります。
即ち、1社のみで通用する能力だけでなく、企業を超えて適用する能力を身に着けることが、
今後のキャリア形成において重要になるということです。
もし貴方が消極的な理由でその場に留まっているのであれば
そしてそんな自分が嫌だと思っているならば
前へ進むための1つの手段として
一度厚生労働省の「エンプロイアビリティチェックシート(総合版)」
で自分のエンプロイアビリティを知ることから始めてみてはいかがでしょうか。
後悔しないために。
耐えるに値するもの
大谷選手のご結婚、びっくりしましたなあ。
お相手とされている(巷の記事を信じるならば)のお写真などを拝見すると、
なるほど!と妙に納得した私。
WBCでの名言「憧れるのはやめましょう」や、
今回の結婚会見にしても
彼の言動に触れる度、
なんてまっとうに生きている人なんだと思います。
大谷翔平、かっこいいが過ぎます!
(て日本中が思ってるか)
はるか昔の話ですが、
大学でとある研究室の助手をしていた知り合いが、
しばらくアメリカの有名な大学教授のもとで1年ほど留学したことがあったのですが、
帰国したときにポツンと話したことが印象的で今でも覚えています。
「優秀な人が人格者だとは限らない」
その教授は周囲の人に対し、かなり独裁的で感情的だったようで
極東からきたアジア人である彼に対してはもはや「人間として」扱ってはくれず、
かなり屈辱的な日々だったようです。
それでも留学生活を全うしたのは、
自分ではどうしようもない事で理不尽な扱いを受けてもなお、
耐えて留まるに値する何かがあったのでしょう。
その何かは
「自分が情熱を注いできた研究にとって確実にプラスになる」事だったのかもしれないし
「ここで成果を出さなければ研究者としてのキャリアアップは望めない」という思いだったのかもしれない。
何より「そんなつまらない奴に負けるような自分ではない」というプライドだったのかもしれない。
あるいはその全てが、
留まった理由だったのかもしれません。
「1年なんとか頑張ればよい」と先が見えていたことも大きいですよね。
留学中その教授に対してどんな気持ちでいたのか聞くと
「可哀そうな人だなあと思っていた」と涼しい顔で一言。
勿論腹の立つこともあったでしょうし、色々な思いをしてきたでしょうが、
その一言でやり過ごした彼に痺れました。
そして「成功する人はこういう人なんだ」
とも思っていました。
何でも日本の従業員は「世界一やる気がなく」
また年々「やる気度」が下がっていると最近いくつかのメディアで取り上げられていて
実際、アメリカのギャラップ社の調査では
仕事への熱意や職場への愛着を示す社員の割合は2022年で5%で、
調査した145ヵ国の中でイタリアと並び最低だったそうです。
テレビのインタビューでは
「実際の仕事量に見合った賃金を貰っていない」
「部下の作成した提案書を自分の名前に書きかえて
報告した上司が評価されているのを目の当たりにして「こういう人が出世する会社なんだ」と思ったとたんやる気が失せた」
「高卒で8年一生懸命やってきて課長補佐になったが、自分の給料が大卒の入社したての初任給と変わらないことを知った時に愕然とした」
等々、様々な理由が語られていましたが、
私には全ての人が言っている事は同じで
「頑張っても報われない」から「頑張っても仕方がない」のだと聞こえました。
だけど「留まっている」理由はなんでしょうか?
「会社を辞めた途端安定した収入がなくなり
次に安定した収入を得ることができるのか分からず不安。」
多くの方の一番の理由はこれに尽きるかと思います。
(次週につづく)
前を向くために(その4)
前回私の新人時代のお話をしましたが、
何故おかしいと思ったことを言えなかったかというと
一番大きく心を占めていたのは
「どうせ言っても無駄」という気持ちだったと思います。
「電話をとるのは女の子の仕事」で
お昼休みは自席でお弁当を食べている「女の子」がとるのが当たり前という風土の会社で
(同じ所属で同じ職種であっても男性社員の社外の人に対する同僚の女性の固有名詞が「うちの女の子」という時代でもありました)
言ったところで「仕方がない」と思っていたわけです。
言ったところでまわりの共感を得られなければ仕方がない。
それからは違和感を感じつつも、日々の仕事に忙殺され、
いえ、仕事をしていると余計な事を考えずに済むのでむしろ仕事に没頭し、
「考える」ことを止めていったように思います。
もし私が遠慮なく自分の考えを「主張」していたらまわりの先輩はどう見たでしょう?
「仕事もろくに覚えていないくせに権利ばっかり主張して。」
「扱いづらそう。こんな女苦手。」
「仕事ができるようになってから言え!」
なんて思う人もいるかも知れません。
もし貴方が当時の私の先輩や上司だったらどうでしょうか?
どう接しますか?
私の話を聴いて下さいますか?
今回の事例とは関係なく(時代も違いますし)
話を聴いてご自分の価値観と合わない場合、どうされますか?
ご自分の価値観は今まで貴方が生きてきた環境、時代や今まで経験したこと、
その中で色々感じてきた思いから培われたもので
私は私の価値観を持っていて、
例えば私の考え方や行動が
自分の価値観からは到底許し難いことや、理解しがたいことであった場合、
不快に思うし認めることはとても難しいですよね。
多様性の理解と言うけれども
人との違いを受け入れることは本当に難しいです。
ですが、「人は違って当たり前」なのだから
「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をやみくもに否定せずしっかり聴くことが出来る人、
まわりに居ませんか?
そういう人の存在に気づくことができたら、
その人に自分の考えを話してみたら、その考えに率直に向き合ってくださるかもしれません。
そうして、どんどん息がしやすくなるかも。
そういう人がまわりに居ないと思うなら、
もう自分がやるっきゃない。
もう既に貴方自身が、そういう方なのかも知れません。
そうであれば、きっと周りの方は幸せだろうなあ。
自分の話を聴いてくれる人が居るだけで、
どれだけ救われる事か。
そのことに、会社を辞めて独立して色々な人と接する中で
やっと気づくようになり、遅ればせながらようやく
「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をしっかり聴くことが
少しずつできるようになりました。
そうすると、私を取り巻く環境が少しずつ変化して、
世間が私に優しくなってきて、だんだんと息をするのが楽になってきましたもの。
遅すぎるって?
そうかもしれませんが、でも気づけてよかったと思います。