日記
自分の身は自分で守る
全国的にはまだ梅雨明けしていない地方があるようですが、
近畿地方は梅雨明けして、
いやもう暑い暑い!
お互い熱中症に気を付けましょう!
「最近よく足がつるんですよね」という話を知人にしたら、
「私もよくつるの」とかばんから
「芍薬甘草湯」なる漢方薬を出して
「これ飲むといいわよ」と2袋下さり。
実際に足がつったときに飲むと即効性があったし、
調べてみたら熱中症による筋肉の硬直や痛み(熱痙攣)にも有効とのことです。
熱中症には五苓散という水分循環を改善させる漢方薬も有効で
脱水の時には尿量を抑え、また吐き気を抑えて飲んだ水分の胃腸からの吸収を促進してくれるとか。
どちらも市販されているようなので、
いざというときのために常備しようと思います。
海外に行くと
「日本では絶対に柵を作って安全を確保する」 であろう
一つ間違えば落ちて間違いなく即死ですけどね!
という危険極まりないポイントに遭遇することがありませんか?
そういうポイントとはちょっと違いますが、
昔々同僚と行ったアメリカの本場ディズニーランドで何かの乗り物に乗った時、
セーフティーバーが甘く(欧米人の体格に合わせているのか)、
へたをすると体が抜けないか心配に思った私の目に飛び込んできた英文を
(確かセーフティバーの近くに貼ってあったような。実際なんて書いてあったのかはわかりません)
何故か私「自分の身は自分で守れ」と書いてあると信じて疑わず、
「さすが自由の国アメリカ、夢の国でも自分の身は自分で守らなあかんのやねえ。
私達もそれに応えないとあかんね!」
と説得力のあるようなないような話を同僚に諭す様に話し、私の勢いに飲まれ深くうなずく同僚二人。
意を決してそのアトラクションに臨んだというとてもとても楽しい思い出があります。
日々の生活の中で私たちは常に危険と隣合わせであり、
そのことを突然の災害や事件や事故でたびたび思い出しますが、
それは自分とは遠いところにあると思いがちですが、
例えばこの猛暑の中、
室内にいてもちょっと油断して水分を取らなかったり温度調整を怠ると
たちまち熱中症で命を落とすかもしれず。
水分を取らないのも温度調整しないのもあなたの自由。
会社を辞めるのも諦めるのもあなたの自由。
でも自由は責任を伴います、ほかでもない自分自身に対して。
自分自身のこれからに対して。
このことを忘れずに生きていれば、
貴方が本当にやりたいことを思い存分楽しめるのではないかと思います。
そんなこと充分わかってるし、
身に染みているけれども
駄目だと思っていてもやめられないし、
そのことを誰かに言える勇気もない
のだとしても、助けを求めないと
声を出さないと
たちまちセーフティバーから滑り落ちてしまいます。
そういう世界に私たちは生きています。
Take care of yourself.
ジェンダーレス
6月12日にジェンダー・ギャップ指数の順位が公表され、
日本は148か国中118位で、
教育と健康の値はトッププラスですが、
政治、経済参画の値が低く、特に政治参画値は圧倒的に低いため
この順位となっているようです。
折しも最近女性の経営者、
そして企業の要職にある女性と(別々に)話す機会がありました。
お二人とも私とは旧知の仲ですが
共通している印象は
物腰は柔らかいながらも
強靭なコアがあり信念があって、
そこを侵されそうになると
攻撃の手を緩めないこと。
お二人にどんな印象を持たれるでしょうか?
「すごいなあ」「頼もしい」
「おっかないなあ」
でしょうか?
あるいは「可愛げがない」かもしれません。
そしてその言葉の頭には「女性なのに」がつきますか?
つきませんか?
お二人が男性だったらどうでしょうか?
「物腰は柔らかいながらも
強靭なコアがあり信念があって、
そこを侵されそうになると攻撃の手を緩めない」
人は
経営者や企業の意思決定をもつ重役に求められる資質を持つ人
として違和感なく受け入れられるのではないかと思います。
以前書きましたがアメリカの俳優ウィルスミスが
アカデミー授賞式で
脱毛症に悩んでいる妻ジェイダをからかった司会者を平手うちにした事件で
(何よりも暴力事件を起こしたことでアカデミー協会から退会しましたが)
日本では「奥様を守ったジェントルマン」とウィルスミスに肯定的な意見が多かったですが、
(私もそう思っていました)
アメリカでは
「ジェイダは自分で自分の面倒を見られる人で、夫に守ってもらう必要なない。
ウィルが事件を起こしたために自分で自分の名誉のために発言するチャンスが奪われてしまった」
という意見が増えていったそうです。
この背景には
「女性は弱いから守ってあげないといけない」
という好意的差別についての問題提起があり、
勿論そう思って行動を起こしている人は相手を思いやっているのですが、
実際にはその人の能力や可能性を勝手に決めつけてしまっていて、
そのことは相手の自己肯定感をさげたり
行動を制限することに繋がり、
やがて見えないガラスの天井になるのではないでしょうか。
怖いのは好意的差別は本人も無意識のうちに気づかずやっていて、
もしかするとそのことで相手を傷つけているかも知れないことです。
そしてその根底にあるのは優位性。
「この人は私より優れていると思っている」事が透けて見え、屈辱感をも伴います。
そのことを気づかせてくれる象徴的な事例だったので
あえてまた書きました。
ウイル・スミスは愛する家族が侮辱されて、
守ってあげないといけないなんて意識はなくただただ憤慨し咄嗟に手が出てしまったのだと思います。
そしてジェイダは傷つくというよりは逆に彼の愛情を感じ幸せな気持ちになったのかもしれません。
ジェイダの痛みを間近で見たウィル・スミスのとった行動に対し
「好意的差別というよりは愛する人を傷つけたことに対する当然の行動」と捉える人も多いのではないでしょうか。
(暴力を振るったことは決して容認できませんが)
ただ、こういう議論が起こったことの背景にあるのが好意的差別であり、
ジェンダーレスな世界にはまだまだ至っていないということに気づくことが非常に大切なのだと思います。
私の心の中にも固定概念や偏見、アンコンシャスバイアスがあり、
貴方の心の中にもきっとある。
そのことを認めて、
今やろうとしている行為が差別につながらないか
その人のためになっているのか見極めることが、
今とても大切なのだと思います。
正常と異常の境目
ミャンマーの地震で今現在の死者数は1000名を遥かに超えて、
大惨事となっていますね。
最近神戸の老舗の洋食屋さんとお寿司屋さんでごはんを食べたのですが、
2店ともミャンマー出身の若い女性がスタッフとして働いておられ、
老舗の洋食屋さんでは
インド系の華奢な女性が丁寧な日本語で一生懸命給仕してくれて、
会計の時にお店の人に「日本語が上手いあの方はインドの方?」と伺うと、
「もともとはインドらしいのですが、
ミャンマーからだそうです。」
とのこと。
たまたまかも知れませんが、
多くのミャンマー難民が祖国を離れ、
日本が今「第三国定住ミャンマー難民支援」として受け入れている人たちなのかも知れない
とふと思ったりしていました。
その矢先だったので、地震のニュースを目にしたとき
一生懸命な彼女たちの顔が浮かびました。
彼女たちのご家族や友人、そして家は大丈夫だったのだろうか?
難民として避難してきているのだったら大丈夫なのか。
それがそもそも残酷なことじゃないか。
などとやるせない気持ちで色々思いを巡らせてしまいます。
今ミャンマーは国軍と民主派勢力、そして少数民族との間で戦闘が続いており、
地震後も国軍は空爆を続けているとか。
軍によるクーデター後の死者は6000人以上に上るという報道もあり、
今回の地震により本当に支援が必要な人に内外からの支援物資が届かない可能性は充分想定できます。
「人道支援」という言葉が虚しく思える現状です。
ヒトラーは晩年、コカイン中毒だったことをご存知でしょうか。
(私はつい最近知りました)
ホルモン剤から始まり鎮痛剤から覚せい剤、
そして第2次世界大戦勃発後1944年のヒトラー暗殺未遂事件で
ヒトラーは耳を負傷し、その痛み止めのために
コカインを常用していたとか。
そのせいなのかどうなのか。
誇大妄想にとりつかれ、現実逃避が目につくようになっていったとか。
ヒトラーが薬物中毒でなければこの世界は変わっていたのか。
正常と異常の境目は何処にあるのかと考えます。
「正常な世界」と「異常な世界」
「正常な権力者」と「異常な権力者」
「正常な心」と「異常な心」
誰にとって正常で、誰にとって異常なのか。
「異常な世界」の真ん中にいても
気づかず生涯を終えてしまう人もいて
気づいても「異常な世界だ」と声をあげる手段を知らず
朽ちていく人もいて
声をあげてもかき消されてしまい、
やがて諦める人もいる。
そもそも
私自身は正常なのだろうか。異常なのだろうか。
ここまで考えふと彼女たちに思いを馳せた時
現状が異常であっても正常であっても
関係なく
彼女たちの未来は祖国の希望になるのだということに
気づきました。
この世界の片隅で
祖国を離れ、遠い異国の地で、一生懸命言葉を覚え懸命に働く彼女たちは
生きることに必死な彼女たちは
確実に生き抜くための力をつけていっているし、
今の経験はこれから生きていく上での肥やしになるのは間違いありません。
彼女たちが明日のアウンサンスー・チーになるかもしれません。
そしてそんな彼女たちに
祖国が今正常か異常かなんて聴くことがどんなに愚かなことなのかと
同じ場所に居ながら全く違う世界に居ることに
愕然とします。