日記
正常と異常の境目
ミャンマーの地震で今現在の死者数は1000名を遥かに超えて、
大惨事となっていますね。
最近神戸の老舗の洋食屋さんとお寿司屋さんでごはんを食べたのですが、
2店ともミャンマー出身の若い女性がスタッフとして働いておられ、
老舗の洋食屋さんでは
インド系の華奢な女性が丁寧な日本語で一生懸命給仕してくれて、
会計の時にお店の人に「日本語が上手いあの方はインドの方?」と伺うと、
「もともとはインドらしいのですが、
ミャンマーからだそうです。」
とのこと。
たまたまかも知れませんが、
多くのミャンマー難民が祖国を離れ、
日本が今「第三国定住ミャンマー難民支援」として受け入れている人たちなのかも知れない
とふと思ったりしていました。
その矢先だったので、地震のニュースを目にしたとき
一生懸命な彼女たちの顔が浮かびました。
彼女たちのご家族や友人、そして家は大丈夫だったのだろうか?
難民として避難してきているのだったら大丈夫なのか。
それがそもそも残酷なことじゃないか。
などとやるせない気持ちで色々思いを巡らせてしまいます。
今ミャンマーは国軍と民主派勢力、そして少数民族との間で戦闘が続いており、
地震後も国軍は空爆を続けているとか。
軍によるクーデター後の死者は6000人以上に上るという報道もあり、
今回の地震により本当に支援が必要な人に内外からの支援物資が届かない可能性は充分想定できます。
「人道支援」という言葉が虚しく思える現状です。
ヒトラーは晩年、コカイン中毒だったことをご存知でしょうか。
(私はつい最近知りました)
ホルモン剤から始まり鎮痛剤から覚せい剤、
そして第2次世界大戦勃発後1944年のヒトラー暗殺未遂事件で
ヒトラーは耳を負傷し、その痛み止めのために
コカインを常用していたとか。
そのせいなのかどうなのか。
誇大妄想にとりつかれ、現実逃避が目につくようになっていったとか。
ヒトラーが薬物中毒でなければこの世界は変わっていたのか。
正常と異常の境目は何処にあるのかと考えます。
「正常な世界」と「異常な世界」
「正常な権力者」と「異常な権力者」
「正常な心」と「異常な心」
誰にとって正常で、誰にとって異常なのか。
「異常な世界」の真ん中にいても
気づかず生涯を終えてしまう人もいて
気づいても「異常な世界だ」と声をあげる手段を知らず
朽ちていく人もいて
声をあげてもかき消されてしまい、
やがて諦める人もいる。
そもそも
私自身は正常なのだろうか。異常なのだろうか。
ここまで考えふと彼女たちに思いを馳せた時
現状が異常であっても正常であっても
関係なく
彼女たちの未来は祖国の希望になるのだということに
気づきました。
この世界の片隅で
祖国を離れ、遠い異国の地で、一生懸命言葉を覚え懸命に働く彼女たちは
生きることに必死な彼女たちは
確実に生き抜くための力をつけていっているし、
今の経験はこれから生きていく上での肥やしになるのは間違いありません。
彼女たちが明日のアウンサンスー・チーになるかもしれません。
そしてそんな彼女たちに
祖国が今正常か異常かなんて聴くことがどんなに愚かなことなのかと
同じ場所に居ながら全く違う世界に居ることに
愕然とします。