日記

2023-11-26 18:34:00

ヘアドネーション

なんと11月もそろそろ終わります。

焦る焦る。

やらんとあかん事は山のようにあるというのに。

このあいだ「おめでとう」言うてたのに

あっという間に年末ですわ。

 

昨日若者達と話していたら、

「このあいだこの子ヘアドネーションしたんですよ!」

と一人の若者が後輩の男子のことを語り。

「あ、そうなの?」と私。

すると、「あ、知ってます?ヘアドネーション」

と若者。

「いやあ、なんのことやら!バレたかっ!はははっ(//∇//)」と私。

「失礼ながら知らんやろなというリアクションでしたで!」

ははははっ!恥ずかしい(//∇//)

ヘアドネーションて病気等でウィッグな人の為に役立てる為に髪の毛を寄付する事らしいですね。

31cm以上無いと寄付出来ないらしく、

寄付した男子は高校1年の時になんとなく長髪にしたく伸ばしはじめたらしいのですが、

ヘアドネーションを知って、

「こんな僕にも少しでも人の役に立てる事がある」と知り、それから5年間頑張って伸ばしたそうです。

 

きゃーっおばちゃん感動したわーっ

だって髪の毛伸ばした事のある方なら誰しも経験するとてもとても面倒な事の数々。

特に夏に髪の毛乾かす時の辛い事辛い事。

更に男子と女子では髪質が違うから、余計大変やったと思います。

実はその男子、横は刈り上げて耳にはピアスと如何にも「やんちゃしてます」ふうな見た目なのですが、話してみるとしっかり敬語が話せるナイスガイ。

 

おかげさまで仕事や日常で色々な若者と話す機会があるのですが、話していると純粋だからこそ一つ間違えるととんでもない方向に進んでいくであろう危うさを感じつつ、彼らがありたい方向が見えた時に現れる輝くような笑顔を見ることが出来た時になんとも言えない幸せを感じます。

 

日本はまだまだ捨てたものではない。

そうしていく為には、私達大人かやるべき事がいっぱいあると思います。

焦る焦る。

 

昨日は若者に教えてもらう機会に恵まれたよい日でした。

 

 

 

 

 

 

2023-11-19 22:30:00

伝わるもの

母の命日には毎年高野山参りをしますので、今年も行って参りました。

トップページのスライドショー最初の数枚を高野山の写真にしました。

最初の2枚は奥の院、

次の2枚は霊宝館近辺の写真です。

紅葉が終わりかけでしたが、

冬の訪れを感じる高野山はとても空気が澄んでいて、とてもよい時期でした。

 

開業したときに「どんな屋号にしようか?」

考えた時にふと頭に浮かんだのが「I blong to me.」という言葉でした。

これは実はミュージカル「エリザベート」の中の1つの楽曲の題名です。

日本では和訳されて「私だけに」という題名がつき、英語圏では「I blong to me.」となります。

 

私がこの曲に出会ったのは同僚が貸してくれた宝塚歌劇雪組公演「エリザベート」のビデオで

今やミュージカル界の大スター花総まりさん扮するエリザベートが

ハプスブルク家に嫁ぎオーストリア王妃となり

今までのように自由に生きられなくなった事を身をもって知ったときに

この「私だけに」を歌い上げるのですが、

「たとえ王家に嫁いだ身でも

命だけは預けはしない

私が命委ねる それは 私だけに 私に」と歌い上げたときに

熱い感情がこみ上げてきて号泣してしまったのでした。

 

英語の歌詞ではこの部分は

I'm here when you need me.
I live and I die with you.
I'll share all your troubles.
I'll laugh and I'll cry with you.
You can blame me and bless me.
But you cannot possess me.
'Cause I belong to me.
To me.
あなたが必要とするとき、わたしはここにいましょう。
あなたと共に生き、そして死にましょう。
あなたが抱えている問題を分かちあいましょう。
あなたと共に笑い、そして泣きましょう。
わたしをとがめたっていい。あがめたっていい。
でもあなたは私を所有することはできない。
わたしはわたしのものだから。
わたしの。

となり、あとでこの歌詞を知りより深く私の心に沁みたのでした。

 

この雪組公演は世界のいたるところで上演されている「エリザベート」が

初めて日本のキャスト、演出で上演されたもので

初演に対するプレッシャーは相当のものだったようでしたが、

初演を観た友達の話によると

上演後あまりの感動で「拍手が鳴りやまなかった」そうで、

宝塚歌劇で何度も再演されているものの

未だに「初演は超えられない」と今では伝説になってしまいました。

 

それから何度となく宝塚大劇場に通い、

束の間現実の世界から離れ、美しい夢の世界へ誘っていただきました。

 

特に初舞台生のラインダンスは

 親戚でも家族でもないのに泣けてくるのでした。

疲れた心と体に沁みるのです。

 

舞台を見終わった後、

「ああ、明日も頑張ろうっ!」と何度と思ったことか。

宝塚は荒んだ私の心を何度となく癒してくれました。

 

この感動的な舞台を見せるために

どれだけの練習を重ね、努力しているのかと思います。

 

 

 最近の宝塚歌劇団の報道にふれる度、

 胸が痛みます。

 

 実際に劇団の中で何が起こっていたのか

無責任な想像で語ることはできません。

 

これから先は長らく組織の一員として働いていたものとして

今感じていることを書きます。

 

組織の一員として「世間」の期待を裏切らないよう「見せる」姿

「見せる」姿を保つために、「見せる」姿になるために

努力は必要だし、

 乗り越えないと見えない世界もある。

 

ですが、その「見せないといけない姿」のために

「私が頑張るしかない」

「私が頑張らないとまわりに迷惑がかかる」

と無理を重ねてしまう

何もかも自分で引き受けてしまう社員に「甘え」

「好意の搾取」をしていることが

当たり前すぎて気づきもしない組織は

「事が起こらない」とどれだけ今の組織が危うい状況にあるのか気づかない。

「事が起こってしまった」時にはもう遅いのに。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023-11-11 23:03:00

もって生まれたもの

先日高校生のお嬢さんをもつお母さんと色々話をしたときに

お嬢さんが小さかった頃の話になり。

お嬢さんには物心ついたときから同じように成長してきた同い年の仲良しさんが居て。

その仲良しさんのご一家はお母さんが京大を出たりと優秀な方々なのだそうです。

同じように育ってきたはずが、「何もやっても」お嬢さんはその仲良しさんに「敵わず」

お母さんはなんとも辛かったそうです。

 

小学生になったお嬢さんは不登校となり、暫く学校にいけない日が続いたのだそうです。

(暫くして乗り越え登校するようになり、今は元気に高校生ライフを楽しんでいるようです)

その頃お母さんは悩み苦しんだのですが、

でも心の中には「これで〇〇ちゃんと比べられなくて済む」

というほっとした気持ちが正直あったと、

当時のことを思い涙ぐまれるのでした。

 

その頃のお嬢さんはどんな感じだったのか?

とお聴きすると

「あまり気にしていないように見えた」そうで、

仲良く一緒に遊んでいたそうです。

 

お母さんが感じていたコンプレックスは

お嬢さんはそれ程感じておらず

それよりも〇〇ちゃんと一緒に遊んだり、笑ったりすることが

楽しかったのかも知れません。

 

ですが、成長していく中で

「頑張っているのに選ばれるのは〇〇ちゃんばかり。なんで??」

と泣くこともあるかも知れません。

 

そうやって

悔しさを憶え

色々なコンプレックスを抱え

痛みを知っていくわけで。

 

ああ、この子もこれから私が経験してきたような痛みを抱えて生きていくのかと。

不憫に思うかもしれません。

 

でもね、「痛み」を知ることは

生きていく上でとても重要なことだということを

私達は知っていますよね。

 

そうやって作っていくお子さんの世界はお子さんのものであって

親のものではない。

 

 

「もって生まれたもの」は人それぞれ違うわけで、

自分が「もって生まれたもの」で勝負するしかないし、

その時その時にやるべきことをやっていくしかない。

 

そうやって「気づき」を増やしていくことが

人生の醍醐味ではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023-11-05 17:30:00

居心地の良い場所

3連休如何お過ごしでしたか?

 

以前話題にした「自分を表現することが苦手」な青年は

この4月に入社した会社を先週末に退職し

キャリアトランプを通じて色々楽しくお話して下さった素敵な女性も

別の道に進むべく今居られる場所から離れようとされています。

 

今までのように会えなくなるのは寂しい限りですが、

前に進むための決意です。

これからのお二人の幸せを願ってやみません。

 

かく言う私も数年前長年勤めていた会社を退職して

今の仕事を始めたのですが、

何故なのか?を改めて考えると

「私にとって居心地の良い場所」を常に探しているのではないか?

と思います。

 

 

同じ場所に居ても

ある人にとっては居心地はよく、ある人にとってはとても居心地が悪い。

あるいは、

今の場所はそこそこ居心地は良いのだけれども

もっと居心地がよい場所があるのではないかと思う。

だって人生は一度きりで、

「ああ、いい人生だったな」と思って終わりたいですもんね。

 

でも毎日のように不平不満を口にしながらその場所に留まる人も沢山いらっしゃる。

企業に勤めていると、

辞めてしまうとたちまち収入を、安定を失うわけですから、

それ程簡単にはいかないですよね。

私も被扶養者が居るうちは思いきれませんでした。

 

その場に留まるのは何故か?

少し考えてみてください。

もし貴方が企業にお勤めになっていて

「仕方なく」留まっているのだとしたら

何故「仕方なく」なのかを考えてみてください。

「別の場所に行きたいけれども、会社が私の事を必要としているしなあ。

今居なくなったら色々な人が困るからなあ、仕方ないなあ」

「完全に閑職に追いやられた。会社は辞めてほしいと思うけれど、ここで辞めたら行くところ無いしなあ。

8時間我慢したらお金貰えるし、仕方ないなあ」云々云々。

 

経営者側から見るとどうでしょうか?

「あいつはもまともに仕事できないのに文句ばっかり言って。

辞めてほしいけど人手不足で人材確保できるかどうか不安やし仕方ないなあ。」

「なんであいつはあんなに高圧的なんやろうか。大きな声で同僚に文句言うから職場の雰囲気悪いなあ。

でも仕事はできて貴重な労働力だから仕方ないなあ」云々云々。

 

「仕方なく」居るのは勿体ない。

「居心地が良いから」居る方が絶対良い。

 

「仕方なく」留まっているのなら

今居る場所を「居心地が良い」場所に変えることを考えてみるのも良いかと思います。

 

自分にとって居心地が良い場所とはどんな場所なのか?

私にとって居心地が良い場所は

「人として成長できる場所」で、

私にとって「人として成長できる場所」とは

「この人と接していると色々な良い刺激を受ける」人が居る場所で

「この仕事をしていると色々なことが学べる」仕事がある場所で

私にとって「良い刺激を受ける」とは。。

というように考えていくと、そのために私は今何をすればよいのか?

が見えてくるのではないかと思います。

 

そうして見えてきたものを実行するか否かは

貴方の価値観次第だと思います。

「実行するのは果てしない労力がいるし、上手く行くかどうかわからない。

費用対効果、いえ、労力対効果を考えると

それよりは違う居場所を探したほうが良いもあり」だと思うし、

「今の砂を噛むような生活から抜け出せるのなら試す価値はある。」もあり。

 

貴方のとっての正解は私にとっての正解とは限らない。

 

貴方が幸せだったらそれでいい。

 

「自分を表現することが苦手」な青年は、

私に手書きの手紙を残してくれました。

 

拙いながらも一生懸命考えて書いてくれたのが伝わる手紙で

寂しいながらもとても有難い気持ちになりました。

 

青年、家宝にするよ。

 

ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023-10-29 22:00:00

仕事の捉え方

トップページの写真を変えました。

長居公園の最近の様子です。

すっかり秋ですね。

 

「あなたにとって仕事とは何ですか?」と聞かれたら貴方はどう答えますか?

以前参加したセミナーで

「ゲームのようなもの」という発言がでてびっくりしたことを覚えています。

それも一人からではなく数人の人から出た言葉で

その発言をした人達はいずれも有名企業に勤めている若者だったことも印象的でした。

 

「「依頼された仕事」というラスボスに向かって冒険の旅にでた私は

途中色々な敵と戦いながら進みラスボスを倒し頭の中でエンドロールが流れたらてコンプリート」

という感じでしょうか。

最初聞いたときはびっくりしましたが、

考えてみるとメンタルへルス的にはよいかもしれないなあなんて今は思います。

  

どんな仕事も自分が受けた仕事は責任をもってやり遂げるからこそ、それに対し報酬を得ることが出来るわけで、

そこから信用が生まれていくと思うのですが

色々な方にカウンセリングをしていく中で、

この「自分が受けた仕事は責任をもってやり遂げる」ことに重きを置かない人が結構いるなあと感じます。

 

「仕事を依頼される」→

「依頼された仕事の内容にわからないところがあるが聞くと恥ずかしいしどう聞けばいいかわからない。」

となりそのまま放置し結局期限までに間に合わず、

あるいは自分の間違った解釈で仕事をすすめ

 依頼した上司や同僚が慌ててフォローする。

なんてことを日常的に起こしている人が少なからずいるということを

私は最近知りました。

 

困り果てた事業主の方から相談を受けカウンセリングをするのですが、

本人は「自分は一生懸命仕事をしており」

「きちんと仕事の内容を説明してくれたらちゃんとできるのに」

とローパフォーマー扱いされることに対し憤りを感じている人がほとんどです。

認められないことへの承認欲求が高じて他責に転じているというところでしょうか。

 

どのようにカウンセリングを進めようか?

と悩むことしきりです。

ですが、どうすれば会社も本人も良い方向に向かうのか

ひたすら考えて向きあっています。

 

最近接客業でお客様から店員の態度についてクレームが来ても

そのことで辞められたら人材が確保できないから

注意しないという話を聞きます。

 

 この人材不足の世の中、

私は何をすればよいのか。

 

ひたすら考えたいと思います。