日記
居心地の良い場所
3連休如何お過ごしでしたか?
以前話題にした「自分を表現することが苦手」な青年は
この4月に入社した会社を先週末に退職し
キャリアトランプを通じて色々楽しくお話して下さった素敵な女性も
別の道に進むべく今居られる場所から離れようとされています。
今までのように会えなくなるのは寂しい限りですが、
前に進むための決意です。
これからのお二人の幸せを願ってやみません。
かく言う私も数年前長年勤めていた会社を退職して
今の仕事を始めたのですが、
何故なのか?を改めて考えると
「私にとって居心地の良い場所」を常に探しているのではないか?
と思います。
同じ場所に居ても
ある人にとっては居心地はよく、ある人にとってはとても居心地が悪い。
あるいは、
今の場所はそこそこ居心地は良いのだけれども
もっと居心地がよい場所があるのではないかと思う。
だって人生は一度きりで、
「ああ、いい人生だったな」と思って終わりたいですもんね。
でも毎日のように不平不満を口にしながらその場所に留まる人も沢山いらっしゃる。
企業に勤めていると、
辞めてしまうとたちまち収入を、安定を失うわけですから、
それ程簡単にはいかないですよね。
私も被扶養者が居るうちは思いきれませんでした。
その場に留まるのは何故か?
少し考えてみてください。
もし貴方が企業にお勤めになっていて
「仕方なく」留まっているのだとしたら
何故「仕方なく」なのかを考えてみてください。
「別の場所に行きたいけれども、会社が私の事を必要としているしなあ。
今居なくなったら色々な人が困るからなあ、仕方ないなあ」
「完全に閑職に追いやられた。会社は辞めてほしいと思うけれど、ここで辞めたら行くところ無いしなあ。
8時間我慢したらお金貰えるし、仕方ないなあ」云々云々。
経営者側から見るとどうでしょうか?
「あいつはもまともに仕事できないのに文句ばっかり言って。
辞めてほしいけど人手不足で人材確保できるかどうか不安やし仕方ないなあ。」
「なんであいつはあんなに高圧的なんやろうか。大きな声で同僚に文句言うから職場の雰囲気悪いなあ。
でも仕事はできて貴重な労働力だから仕方ないなあ」云々云々。
「仕方なく」居るのは勿体ない。
「居心地が良いから」居る方が絶対良い。
「仕方なく」留まっているのなら
今居る場所を「居心地が良い」場所に変えることを考えてみるのも良いかと思います。
自分にとって居心地が良い場所とはどんな場所なのか?
私にとって居心地が良い場所は
「人として成長できる場所」で、
私にとって「人として成長できる場所」とは
「この人と接していると色々な良い刺激を受ける」人が居る場所で
「この仕事をしていると色々なことが学べる」仕事がある場所で
私にとって「良い刺激を受ける」とは。。
というように考えていくと、そのために私は今何をすればよいのか?
が見えてくるのではないかと思います。
そうして見えてきたものを実行するか否かは
貴方の価値観次第だと思います。
「実行するのは果てしない労力がいるし、上手く行くかどうかわからない。
費用対効果、いえ、労力対効果を考えると
それよりは違う居場所を探したほうが良いもあり」だと思うし、
「今の砂を噛むような生活から抜け出せるのなら試す価値はある。」もあり。
貴方のとっての正解は私にとっての正解とは限らない。
貴方が幸せだったらそれでいい。
「自分を表現することが苦手」な青年は、
私に手書きの手紙を残してくれました。
拙いながらも一生懸命考えて書いてくれたのが伝わる手紙で
寂しいながらもとても有難い気持ちになりました。
青年、家宝にするよ。
ありがとう。
仕事の捉え方
トップページの写真を変えました。
長居公園の最近の様子です。
すっかり秋ですね。
「あなたにとって仕事とは何ですか?」と聞かれたら貴方はどう答えますか?
以前参加したセミナーで
「ゲームのようなもの」という発言がでてびっくりしたことを覚えています。
それも一人からではなく数人の人から出た言葉で
その発言をした人達はいずれも有名企業に勤めている若者だったことも印象的でした。
「「依頼された仕事」というラスボスに向かって冒険の旅にでた私は
途中色々な敵と戦いながら進みラスボスを倒し頭の中でエンドロールが流れたらてコンプリート」
という感じでしょうか。
最初聞いたときはびっくりしましたが、
考えてみるとメンタルへルス的にはよいかもしれないなあなんて今は思います。
どんな仕事も自分が受けた仕事は責任をもってやり遂げるからこそ、それに対し報酬を得ることが出来るわけで、
そこから信用が生まれていくと思うのですが
色々な方にカウンセリングをしていく中で、
この「自分が受けた仕事は責任をもってやり遂げる」ことに重きを置かない人が結構いるなあと感じます。
「仕事を依頼される」→
「依頼された仕事の内容にわからないところがあるが聞くと恥ずかしいしどう聞けばいいかわからない。」
となりそのまま放置し結局期限までに間に合わず、
あるいは自分の間違った解釈で仕事をすすめ
依頼した上司や同僚が慌ててフォローする。
なんてことを日常的に起こしている人が少なからずいるということを
私は最近知りました。
困り果てた事業主の方から相談を受けカウンセリングをするのですが、
本人は「自分は一生懸命仕事をしており」
「きちんと仕事の内容を説明してくれたらちゃんとできるのに」
とローパフォーマー扱いされることに対し憤りを感じている人がほとんどです。
認められないことへの承認欲求が高じて他責に転じているというところでしょうか。
どのようにカウンセリングを進めようか?
と悩むことしきりです。
ですが、どうすれば会社も本人も良い方向に向かうのか
ひたすら考えて向きあっています。
最近接客業でお客様から店員の態度についてクレームが来ても
そのことで辞められたら人材が確保できないから
注意しないという話を聞きます。
この人材不足の世の中、
私は何をすればよいのか。
ひたすら考えたいと思います。
生き方間違ったかなと思う時
有難いことにご縁があって終活セミナーのご依頼があり、
今週は資料作りをしておりました。
最後に過ごしたい場所や
会っておきたい人や
自分らしい人生の締めくくり方を考えることは
今までの自分の生き様と向き合う事に他ならず
これが私にとってはとてもきつい作業で。
「ああ、私の生き方間違ってたかな」と
何度となく思う事しきりです。
ではなぜ私が終活に拘るかというと
「いざ」という時に
自分の意思をしっかり伝えられる手段がなかったら
自分らしい締めくくり方は望めないのだなと
思う機会があったことと
自分の望む締めくくり方をするためには
今何をするべきか?
と考えることはこれからの私の人生にとってとても重要な事だからです。
「For the rest of my life.」
今何をするべきか?です。
資料作りをしながら、
自ら命を絶つ人たちのことや
ウクライナのことや
中東のことや
色々な「命」についつい思いを馳せてしまいます。
「命」の重みを実感することが難しい世の中だなあと思います。
数年前他界した母は厳しい人で
実は私はあまり可愛がられた記憶がありません。
笑顔もあまり見せませんでした。
ですが、
幼いとき、夜中に高熱を出した私を負ぶって病院まで一生懸命走ってくれた母の背中や
仕事で残業続きだった私がとうとう過労で寝込んだときに
心配して電話をくださった会社の先輩に泣きながら「このままだったら娘が死んでしまいます」と何度も訴えたという話を
先輩から聞いたときのことや
そんな記憶はしっかり残っていて
私の「命」をそんなふうに紡いでくれた母の事を思うと
今までの生き方間違ったかも知れないけれども
なんとか修正しながらこれからは私の望む生き方を貫いて
天寿を全うしないと申し訳ないと思うのです。
そんな「根っこ」があるうちはこの世界の片隅で
なんとか前を向いて生きていける気がします。
間違いに気づいたら、そこからやり直せばええんや。
時間はまだ充分あるで。
と母に言われている気がします。
小さなことからコツコツと
秋ですね。
有難いことに酢橘を沢山頂いたので
酢橘を絞ってめんつゆで割って即席自家製ポン酢を作ったのですが、
これがほんま美味しいっ!
頂いたときは「こんなにいっぱいどうすればええねん!」と実は心の中で困っていた私。
(ごっごめんなさい)
で、「酢橘 大量消費」でネット検索して悩んだ挙句ポン酢を作ったのですが
(ただ酢橘を絞って市販のめんつゆで割っただけなんですけどさ)
頂かなかったらこの感動的な味に出会わなかったわけで、
些細な事ですがこういうことって尊いなあと思います。
口下手でなかなか自分の意見をきちんと伝えることができない事を悩んでいる青年と
向き合う機会が最近あるのですが、ある時こんなことを言いました。
「このあいだ空を見あげた時「空青いなあ」とつい言ったんですよ。
なんで空を見て「空は青い」と言えたのかって考えた時に
僕は空という言葉や青いという言葉を知っているからこそ自分の気持ちを正しく伝えることが出来ることに気づいたんですよ!
僕は言葉を知らなさすぎるからなかなか自分の意見がきちんと言えないことに気づいたんですっ!」
と目をキラキラさせて言うわけです。
「おお!そのことに気づいた○○君におばちゃん感動したわっ!
そういう君のことを一般的に「語彙力がない」と言うけれども、
語彙力をつけるにはどうすればいいと思う?」
と聴くと
「うーん。。そこなんですよねーっ」
...。そこかあ。
「せっかく仕事の勉強するために何冊か本買ったということなので、
しっかり読み込んでみるところから始めてみるのはどうだ?」
と言うと、
「僕本読むと頭痛なってあかんのですわーっ」
お、おまえ。。
「最初は1行だけ読んで内容を理解したら次の行を読んでというように進めたらいいと思うよ。
最初はしんどくても内容がわかってくるとだんだん楽しくなってくるよ、きっと!
小さなことからコツコツと!やで!西川きよしやでっ!」
と大阪のおばちゃん丸出しで「ええこと」言ったわけですが、
「え?西川きよしがなんで「小さなことからコツコツと」なんすか?」と青年。
あ、そこ?
なかなか道のりは遠いけどまずは1歩、「なりたい」自分に近づくために
自分の意見をきちんと伝えられる自分に近づくために
踏み出そうよ、青年。
おばちゃんも君の力になれるようにコツコツと頑張るからさ。
呪文なのか
3連休ですが、大阪は雨。
金曜日にコロナワクチンを接種した私。今回は結構熱も出て倦怠感もあり土曜はほぼ1日臥せっておりました。
今日も少し怠くファイザー製のワクチンでしたが今までで一番副反応が強く出ているような。
先日「ミステリーと言う勿れ」という映画を観てきました。
私は原作本からのファンで、主人公久能整君が紡ぎだす言葉の数々に心が救われることもしばしばです。
今回も胸を打つ言葉の数々に溢れていました。
まだご覧になる方もいらっしゃると思うので内容については敢えて触れませんが、
この映画に限らず日々色々な事に接する中で最近強く思っていることがあります。
まだ固まっていない子供は、絶対的な力を持つ大人次第で簡単に傷つきます。
抱きしめてもらえず傷けることしかされてこなかった子供は
傷けることしか知らないから傷つけることでしか人とつながることが出来ない。
それが正しいと信じているので、自分が間違っているとも思わない。
あるいは、これではいけないと頭では分かっていても、自分ではどうしようもない。
傷つける事でしか自分を守る術を知らないのです。
もしまわりにまだ固まっていない子供が居たら
人は刺すものではなく抱きしめるものなんだよと
どうか、抱きしめてほしいと切に思います。
映画の中で少し引っかかったのが
「(家庭に入り子育てするのが)女の幸せ」を言い出したのは多分おじさんで
女の人から出た言葉じゃきっとない。女性をある型にはめるための呪文です」
というセリフがあり、「世の中に残っている言葉はおじさんが言った言葉がほとんどで
そこには趣味と都合が隠されている」
「自分の中から出た言葉を使ってください」と続きます。
私が小さなころは両親共働きで日中子供だけしない家は珍しい時代で、
「お母さんが家に居て子供の面倒を見る」のが当たり前の時代で
学校を卒業したら花嫁修業をする人は「家事手伝い」という肩書を持ち
「就職したとしても2,3年のうちにいい人を見つけて結婚すること」というのが
既定路線でした。
この路線から外れると
「みっともない」ことになり、
「早く嫁に行って幸せになってほしい」とやいやい言っていたのは
父親ではなくむしろ母親でした。
皆さんの御家庭ではどうでしたか?
勿論そういうふうに「良妻賢母」と言われることがそれこそ「女の幸せ」だと
小さいころから言い聞かされてきて(教育されてきて→洗脳されてきて)いたのでしょうが、
そしてその価値観はおじさんたちが作ってきたものなのかも知れないのですが
そのように言ってきた女性たちは
自身の経験から「自分の中から出た言葉」で語っていたのではないでしょうか?
ここにその時代の教育がもたらす価値観の怖さがあると思うのです。
どう思われますか?
機会があれば是非ご意見を聞かせてください。