日記

2023-10-01 15:00:00

なりたい自分とありのままの自分と見せている自分

まだまだ油断できませんが朝夕は過ごしやすくなり、しっかり秋の足音を感じるようになりましたが、

夏のお疲れはありませんか?

最近南瓜やさつま芋がとても美味しく、

今日は久しぶりの休みなのでさつま芋ご飯や

最近嵌っている5分ほどレンジでチン→少しのお砂糖とごま塩で味付けするしてバターで炒める南瓜のソテー(これほんま一生食べ続けられる)をはじめ

 沢山沢山作りおきをしました。

やっぱり私食欲の秋なんですよねー。。

やっぱりねー。

つい昨日「太ったね」としみじみ言われたばっかりで

人生何度目かのダイエット宣言したばかりなのに。。

...。

やっぱりね。。やっぱりね。。

 

今の自分は好きですか?

まだ固まっていない頃は不安定だけれども、可能性がいっぱいあって

吸収することもいっぱいあるのですが、

「なりたい自分」と今の自分とのギャップに圧し潰そうで

不安でいっぱいだったなあと今振り返ると思います。

 

なりたい自分と見せたい自分と見せている自分。

自分自身の姿はどうやって見るか?というと

姿に関しては鏡に映したり、写真や動画を見たりでしょうか。

それにしても鏡に映る自分と写真に写る自分はどうしてあんなにギャップがあるのか??

玄関の鏡の中の自分を見て「お!今日はまんざらでもないかも!」とご機嫌で外出しても、

ふとショーウィンドウに映る自分を見て

「なに?!!このもっちゃりしたダサいおばさんっあ、私かっ!」となり

なんとも切ない気持ちになることがしばしばございます。

 

何故なのかっ!

玄関の鏡には私しかおらず、比較するものがないので自己満足の世界に留まって居られるのですが、

外の世界に出ると私よりセンスのいい人、スタイルのいい人、綺麗な人がいっぱい溢れていて

嫌でも自分の現実と向き合うことになるわけです。

そして人と話をしたり仕事をしたり遊んだりすると

「世の中にはなんて自分より優秀な人がいっぱいいるんだ!」

ことを知り何とも切ない気持ちになるわけでございます。

 

でもかの心理学者アドラーが言っているように

人は「こうなりたい自分」があり、今の自分はそこに到達していないからこそ劣等感をもつわけで、

むしろ劣等感を持つことは人としてはとても健全だし必要な事だと思います。

 

と、これは私の価値観で言っていることで

だから自分の価値観と合わない(コンプレックスなんて微塵もないわ。私の言うことは絶対正しい。だから教えてあげないと!)という人と接するとものすごーく嫌な気持ちになります。

だからその人を敬遠するようになり

「あの人が居るから会社に行くのが嫌っ!」の「あの人」になってしまうわけですが。

そして「あの人」は人によって違うわけです。

 

でも「あの人」が「見せている自分」は本当に「あの人」が見せたい自分なのか。

もしかするとずっと認めらたいのに認めて貰えてこなかったから

あんな風に虚勢を張ってしまうのか。

と考えて「あの人」を見るようになると

「ついつい自分の意見を押し付けてしまう」のは親切心から言っており

その表現の仕方が下手なだけなのかもしれない

なんて気づき

「まあ鼻につくけど許したるか!」

と思えるようになるかも知れません。

 

「なりたい自分」と「ありのままの自分」と「見せている自分」

そしてもしかすると「見せたい自分」

 

ギャップがありますか?

 

「そもそもなりたい自分もありのままの自分も見せたい自分も見せている自分もよくわからない!」

という方、是非キャリアトランプ🄬でまずは「自分さがし」から始めてみませんか?

(私はキャリアトランプ🄬で人生が変わったので突き詰めたいと思い講師になりましたの)

 

興味のある方是非ご一報ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023-09-24 21:36:00

スタバを選ぶ理由

昨日大阪駅周辺で色々用事を済ませていたら、「祭りかっ!」と思うほど人が溢れていて

どうも阪神の優勝で百貨店や商業施設が優勝セールやらポイント5倍デーやらで

いつもよりかなりの人出だったようで。

帰りに阿倍野ハルカスに寄ったらオリックス優勝セールで色々なお店で行列が出来ており。

電車に乗ろうとしたらB’Zのコンサートがヤンマースタジアム長居であるらしくかなり混んでおり。

...。

 

大阪はなにやらとても活気づいております!

 

街中で一息つきたいとき、私はスターバックスに入ります。

今や街中に溢れているということもありますが、

スタバを選ぶ最大の理由は「どの店に入っても嫌な思いはしない」ことにあります。

よほど接客に対する教育が行き届いていないと、

なかなかここまでできないだろうなあといつも感心します。

(あくまでも個人的感想です)

 

例えばこれから年老いて、どこかの施設に入らないといけなくなったとき

例えばお子さんを保育園などどこかの施設に預ける必要ができたとき

何を基準に選びますか?

需要と供給の問題で選択は限られてくるかもしれませんが、

もし自由に選ぶことが出来たら

私は属人によるものではなくシステムがしっかりしていて

どの介護福祉士や保育士が担当してくださっても同じようなサービスを提供してくれるところを選びます。

 

ただ、カフェやレストランのように「どの店に行っても誰が接客しても均一のサービスが受けられる」かどうかは見分けがつきやすいですが、

介護施設や保育園はなかなか難しいですね。

 

色々な施設を見学し、しっかりと自分の目で判断することがとても大切ですが、

色々な人の話を聴いて違った視点で考える事も重要な選択をするためには必要な事だと思います。

 

そのためには話しやすい人でなければなかなか難しい。

「この人と話してよかった」と思う人でなければ、なかなか本音の話はできませんもの。

 

賢く生きていくためにもコミュニケーションスキル、

本当に重要!

とにこやかに「今朝は過ごしやすくていい朝ですね!」とコーヒーを出してくれるスタバのイケメンスタッフにぼーっとしながらしみじみ思う秋の始まりでございます。

 

よろしければこんな私と是非コミュケーション技法、一緒に学びませんか?

興味のある方、是非ご一報くださいませ!

 

2023-09-17 21:00:00

敬う

ジャニーズ事務所の一連の報道を見てきて

ずっともやもやが続いていますが、

ネスレ日本元社長の対応に少し心が晴れました。

「20年以上前から噂としてジャニー喜多川氏の性加害については知っていたので社長在任中は一度もCMにジャニーズ事務所のタレントを起用しなかった」

これに尽きるのではないかと思います。

 「たられば」はありませんが、

ジャニーズ事務所に関連する全てのステークホルダーが、同じような姿勢であれば、状況は大きく変わっていたと思います。

 

明日は敬老の日ですね。

私が長く居たビジネスの世界、そして今お付き合いいただいている方々の世界では

「敬語」を使うことは当たり前で、

そういう世界に生きてこられたことは幸せな事だとつくづく思います。

 

 

 なにもわからない子供のころは

自分の知っていることが話題に出ると自分の知識を衒らかし得意になるのですが、

いつしかそれを黙って聞いている人たちのほうがずっとよくわかっていてレベルが高いことを知り、

恥しい思いをして「自分はなんて愚かなのだ」ということを思い知る。

 

自分の愚かさを知り、世の中には自分より優れている人はいっぱいいることを知ると

おいそれと「ため口」で人に接することの愚かさを身をもって知ることになる。

 だからこそ敬語を使うことは自分のリスク管理の上でもとても重要な事だと思い知る。

そういう世界に生きてこられたことは幸せな事だと思うのです。

 

 

歳をとると心身ともに衰えていき

見た目「弱者」として映り、

だからこそ「子供な」人は自分より何十年も色々なことを経験してきた敬うべき人達に「不遜」に接しがちですが、

 自分より一日でも先に生まれた人はその分「一日之長」があるということを

 

 やはり歳を経て色々なことを経験すると分かってくる。

 

人生の先輩を敬う事を当たり前と思う自分は幸いだと思います。

2023-09-10 06:00:00

Life Go On

前回

 素振りをしている少年を見て

「あの時きつい練習を頑張ったから今があるんだ」

と思う元野球少年の話をしましたが

「あの時頑張ったから今があるんだ」

と思える人は「今」がよい状態にあるからこそ

そう思えるわけで、

 「あの頃一生懸命練習したのに、結局レギュラーにもなれなかった。

頑張っても所詮私はその程度なんだ。」

と自分を責める人もいれば

「あの時親の言う事なんて聞かず自分のやりたいことをやっとけば、

今の砂を噛むような生活はなかったよなあ。」

  「こんなに頑張っているのになんでまわりは評価してくれないのか。」

と恨む人もいます。

 

「今」で過去も変わり、「今」で未来も変わる。

 

だから「今」を大切にと言われても

「今」の苦しみが自分でコントロールできないもの

到底乗り越えられると思えないものであったとき

 「助けて」ほしいのに「助けて」と言う方法を知らないとき

「助けて」と言っているのに誰も助けてくれないとき

「生きているだけで精いっぱいなのに「今を大切にしなさい」と言われても」

です。

 

そういう「今」は「無い」に越したことはないのです。

でもそういう「今」がいっぱいあるあるの人生を送ってきて

それでもなんとか生きてきた人は

乗り越えた分人の痛みがわかり、だから人を助けたいと思う。

 

 

そういう人を「大人」というのだと思います。

そして

「助けて」と言えない人に

「助けて」と言う方法と「助けてもらっていいんだよ」 ということを

知らない人が居なくなるような世界を作っていくことが

「大人」の役目だと思います。

 

 

2023-09-03 19:07:00

夢見る頃を過ぎても

とある会社の新人研修を実施し、演習問題をいくつか宿題にしたのですが、

先日演習問題未提出の新人に「演習問題やけどさ」と声をかけたら、

「え?円周率?」

と返ってきて、

「なんで3.14て答えてもらわなあかんねん!」

とつい叫んでしまった私。

そして「え?円周率って3.14やったかな。3.16違うよな。」

と心の中で慌ててこっそりスマホで検索した私。

..。

頑張れ、私。

それにしても、円周率。遠くなったなあ。

 

円周率が身近にあった頃、自分が何者でもなかった頃。

その頃に好きな事ややりたい事を見つけることが出来たら

なんて幸せな事かと思いますが、

例えば野球が好きでプロ野球選手を目指し

野球部に入って一生懸命練習するものの

まわりには上手い人がいっぱいいて

「自分はどう頑張ってもプロ野球選手になれない」

と思った時。

「でも野球好きだから自分なりに頑張って野球を楽しもう。」

 と思っても

「そんなに頑張っても素質ないのになんで頑張るねん。

それより勉強頑張っていい大学に入ったほうがあんたのためやで。」

と言われ続けたら。

「親が喜ぶから」

野球を諦め塾に通い、頑張って「いい大学」に入って「いい会社」に入って

いつも間にか「野球選手になりたかった」自分は日々の生活に追われて

遠い彼方にいってしまい、いつのまにか忘れてしまうかも知れません。

 

ですが、仕事に疲れてへとへとになって家路に急ぐ帰り道に

1人一心不乱に素振りをしている少年を見かけたら

その頃の自分が蘇り、懐かしいような、切ないような何とも言えない気持ちになるのではないでしょうか。

  

私達には忘れている経験はいっぱいあり。

そのことも含め全ての経験が今を作っている。

私達は何物にも代え難い宝物のような経験を沢山してきたけれども

 ただただ日々の出来事に追われて忘れているだけ。

だからふとした時に思い出して

「あのきつい練習を耐えてきたから今頑張れているんだ」

と思えたら

人生まんざらでもない。

 

歳を重ねるということは

そういうことで。

 

だから明日も生きていたいと思います。