日記
ありがとうございます。
1週間のご無沙汰でした。玉置宏です(違います)。
(このフレーズで懐かしいと思われている貴方、同世代ですね)
このHPの来訪者が延べ1万人を超えましたっ
ありがとうございます!
こんな拙いページにお付き合いくださり、
感謝感謝でございます。
日記を始めた時に、
「来訪カウントが延べ1万人になるまで週に1回は更新する」というささやかな目標を作りました。
なんとか達成できて密かに喜んでおります!
実は小さなころから、私は「コツコツ何かを継続する」
という事が苦手ですぐに飽きてしまい、
習字やピアノやそろばん(その頃のはやり習い事ベスト3です。懐かしいっ)、習い事という習い事はなったく続かずで、
幼心に「これじゃ私、ろくな大人にならんのではなかろうか。頑張らなきゃっ。」
と思いながらも、目の前にある楽しい出来事の魅力に抗えず、
優先順位がどんどん下がっていきやがてやめてしまう
という感じでしたでしょうか。。
ですがある時から、「コツコツ何かを継続する」ことが私にとってとても重要なことになりました。
それは早逝したある先輩の姿を目の当たりにしてきたことが大きいのだと
今振り返ると思います。
その方は有名女子大卒業後銀行に就職されていたものの、
研究者の道に進むためすぱっと銀行をお辞めになり
大学院から私の通っていた大学に入学され、
私が3回生になり卒業論文のためとある研究室のお世話になった時に助手としていらした方です。
毎日夜遅くまで研究室でご自身の研究に没頭されていらっしゃいました。
どんな人にも平等に笑顔で接して下さるので、
毎日の実験は研究室に何度か泊まるようなハードなものでしたが
学ぶことが多く充実した日々でした。
怠け者でなんとか楽に生きたいと思っていた私は
毎日精いっぱいご自分の出来る限りを尽くし研究に没頭されているその先輩の凛とした姿に「私もこんな方になりたい」と憧れ、
少しずつ変わっていったような気がします。
大学を卒業して数年たったころでしたか。
就職後疎遠になっていましたが、突然その先輩から「最近どう?」とお電話をいただきました。
その頃の私は日々仕事に忙殺されており、その時は転寝をしていて電話の音で目が覚め、
寝ぼけてきちんとした会話が出来なかったことを覚えています。
それから間もなく(ご病気で)他界されたので、最後の挨拶をされるためにお電話くださったのだと後でわかり、
ただただ後悔しました。今も後悔しております。
短い研究者生活の中で何本も論文をお書きになり、それは今もしっかり残っていて
幸運にも近くで彼女の生き様を見ることが出来た私の心の中に
今も白衣をきている彼女が居ます。
「毎日諦めずに続けたら、きっとええことあるで、ゆかさん」
そう言ってくれた彼女に恥しくないよう、
愚直にコツコツ頑張ろうと思うのです。
これからもお付き合いいただければ
とても嬉しいです。
宜しくお願いいたします。
あなたのためなのか?
あ、暑い。。
お元気でお過ごしですか?
最近若者と話す機会が多く、彼らの親御さん(あ、いや、祖父母世代?)と同世代の私は色々考えさせられることが多いです。
人生、これが正解だ!はなく子育てにも正解はない。
でも以前書きましたが、
「この世界は誰かにとっては辛く、誰かにとっては素晴らしく美しいと言う。
でもその世界は誰でもない、あなた自身が作っていくんだよ」
とお子さんやお孫さんに正しく伝えることが出来たら、そのお子さんやお孫さんはどんなに豊かな人生を送れるのかと思います。
「自分で考え、自分で選択し、自分で道を切り開いていく」ことは難しいことだけれども
雨風に打たれながらも、嵐にあっても、自分の進みたい道なら頑張って進もうと思いますもん。
キャリアオフィス YBTYのYBTYは
You Belong to you.で、「あなたの人生はあなたのもの」。
これには色々な思いが込められていて
貴方の人生は貴方が築いていくものだから、あなた自身が切り開くしかない。
誰も貴方の代わりにはなれない。
という思いもあります。
ある有名私立高校に通うお嬢さんがいらっしゃるお父さんの話を聴く機会があったのですが
彼の悩みごとは「娘と上手くいっていない」ということでした。
お嬢さんはとても頭の良い人で、医学部を目指すコースに在学されているとのことで、
もし彼女が医者になったら、親戚中から始めて医者が誕生することとなり、
皆がとても期待しているとのことでした。
でも、彼女自身は文学が好きで、そちらのほうに進みたいとずっと言い続けているそうで、
進路をめぐって毎日のように喧嘩をしているというのです。
「このあいだはとうとう手が出てしまった」と涙ながらにおっしゃるのです。
「娘にとって医者になることが一番の幸せなのに気づいていない」
「だから今私はどんなに憎まれてもいいから正しい道にすすませる」
「辛いけれども、娘のためだ。」
といって泣かれるのです。
(数年前の話で、カウンセリングでもなかったので書かせていただいております。)
いやあ、絵にかいたような親ハラ。
親のこうした価値観の押しつけは、子供が抵抗し難い分最強のハラスメントですやん。
勿論苦労して育てた大切なお嬢さん。
お気持ちはわからんでもない。
でもお父さん、それお嬢さんの為?
親戚や世間に自慢できるお父さん自身の見栄のためではなく?
医者が最高の職業だと思っているのは誰?
それきりそのお父さんとはお会いしておりませんので、お嬢さんのその後はわかりませんが、
ご自分の進みたい道に進んでおられるますよう、祈ってやみません。
「あなたのためを思って言ってあげてるんやで。」
子育てに限らず、新入社員に接する時にこの言葉を口にすることはありませんか?
あるいは言葉に出さなくとも態度にでていませんか?
今私は自分の価値観を押し付けていないか。
子供や後輩や部下が自分で考え選択する機会を奪っていないか。
常に自分に問いかけながら接する事が人を育てる上でとても重要な事だと、最近とても思います。
手遅れになる前に。
(自分自身の戒めも込めて書いております)
アサーションその3
一週間のうちに、色々な出来事があるものです。
特に力のない子供が犠牲者になる事件はたまらない。
先週に引き続きアサーションです。
なぜ、私達は自分も他人も尊重するアサーションというコミュ二ケーションが必要なのか。
それは、自分も他人も、全ての人が等しく尊重されるべき存在だからです。
貴方を尊重する人を蔑ろにすることはないでしょう?
それは相手も同じです。
ここで、アサーティブな表現方法をご紹介します。
アサーションはDESC法という表現方法を活用します。
D(Describe)描写:
状況や対応する相手の言動を客観的に描写する。事実を描写するのであり、相手の意図、動機、態度を述べるのではない。
E (express,explan,empathize)表現する・説明する・共感する:
状況に対して自分が感じていることを表現する。自分の主観的な気落ちを表現したり、他者の気持ちへの共感を伝える。「私」を主語に、自分の感情や気持ちを明確に、ただしあまり感情的にならずに述べる。
S(Specify)特定の提案をする:
相手、または自分の特定の言動の変化について提案する。他者に望む行動、妥協案、解決案なども含まれ、具体的で現実的に、命令や支持ではなく提案として言語化する。
C(choose)選択する:
提案した言動が実行されたとき、あるいは実行されない時の療法の結果を考え、想像し、それに対してどういう行動をするのか、具体的で現実的な選択肢を示す。
例えばこんな感じです。
これ、「当たり前のようにやってるわ!」という人もいらっしゃるでしょうが、
たとえば高圧的に有無を言わさず当たり前のように命令する上司に対しては
怖くてなかなか言えなかったりするわけです。
特にあまり自分が評価されていないなあと思っている人は
ついつい「はいっよろこんでっ!」と受けてしまい、結果どちらの仕事も上手くいかず、余計に評価をさげるという負のスパイラルに陥ってしまうわけです。
でも上司から見ると、自分の置かれている状況を客観的に的確に説明でき、意見が言えて相談できる部下は有難いですよね。
なぜ私達は常にアサーティブに人に接することが出来ないか?
については色々原因がありますが、
まず、私達は等しく尊重されるべき存在であるということ(貴方も私も上司も部下も親も子供も)を忘れてしまう、あるいは理解していない。
そのため、物事の見方や考え方がアサーティブになっていない。
「アサーティブな表現方法や伝え方を、スキルとして習得していない。」
ということは勿論大きいですが、
まずは自分自身の考えや気持ちを明確にすること、
「ありのままの自分」がどんな自分なのかを知り、
自分自身を承認していくことが第一歩だと思います。
笑顔でいるために是非、まずは最初の第一歩を歩みだしてください。
そのお手伝いをしますよっ!
どうかお気軽に相談してください!
アサーションその2
自分の気持ちや考えを表現しなかったり(できなかったり)、
あいまいな言い方になったり、言い訳がましくなったり、消極的な態度をとったり。
特に上司や自分より社会的地位の高い人に対してはノンアサーティブになりがちではないでしょうか?
これらは、一見、相手に配慮しているように見えるかもしれません。
しかし実際には、自分を大切にしていないし、
自分の気持ちには不正直になっているので、ノンアサーティブに人と接したときは
なんだか卑屈な気持ちになったりもやっとしませんか?
だからこそ、その結果、自分の中に劣等感や諦めの気持ち、相手に対する恨みがましい気持ちやわかってもらえなかったといった、傷ついた感情も残ります。
では相手はどうでしょう?
貴方がノンアサーティブな対応をされた場合、どういう気持ちになりますか?
なんだかへんな優越感がわきませんか?
あるいはもしかすると、憐みや罪悪感や、「なんでそんな風に卑屈に接するの?自分が嫌にならない?」と苛立ちすら感じるかもしれません。
両者にとってあまり後味の良いものではないですよね。
では「攻撃的(アグレッシブ)」な対応をしてしまう場合はどうでしょう?
ノンアサーティブとは逆に、後輩や部下、自分より立場の弱い人、それこそノンアサーティブな人に対しつい高圧的になってしまっていませんか?
アグレッシブな対応をするとしっかり自己主張できる反面、
相手の言い分や気持ちを無視・軽視して、大声で相手を責めたり怒鳴ったりするだけではなく、自分勝手な行動をたり、不当に非難や侮辱をしたり。
結果的に相手の気持ちを害したり、相手を不当に見下したり支配したりすることにもつながります。
ハラスメントの臭いがぷんぷんしますね。
ただ、こうした言動は、実際には空威張りや防衛的であることが多く、後になって行った本人も後悔をすることがあります。
攻撃的な対応をされた相手は傷つき、恐れや怒りといった感情が残ります。
どうして私達は状況や相手によって攻撃的になったり、非主張的になったりするのでしょうか?
全ての人が相互尊重や対等な関係性(アサーティブ)の中で生きていけたら、争うこともなく、いじめの問題もおこらず生きやすくなるのに!と思いませんか?。
でもね、これ、本当に難しい。
「だってさあ。私一人がアサーティブに接しようと頑張っても、周りの人がそうじゃなければだめじゃん!」
と思われた方。
そう思いますよね?
でもね、職場や家庭、自分の置かれている環境の中で 貴方1人が根気よくアサーティブに接することを続けていると、
まわりはどんどん変わっていきます。
これ、間違いなく本当です。
1人の力がダイナミックに組織を生返らせることは色々なシーンで見て来ました。
例えば新入社員や配置異動で新しい人が入ってくると少し組織に変化が生まれませんか?
私達はお互いの影響をしっかり受けています。
貴方が部下や後輩をもつ立場にある人なら効果は覿面です。
是非、貴方から始めてみてください。
次回はアサーティブな接し方を掘り下げていきます。
また是非お付き合いください。
アサーションその1
前々回、ちらっと書きましたアサーション。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
アサーションとは「相手の立場や権利を侵すことなく、自分の意見、感情、権利を抑圧せずに適切に表現する行動」
であり、自己と他者を公平に尊重することが前途となるものなので
「角が立たないように自分の意見を伝えたいけれどもどう言えばいいの?」
「部下に注意したいけれど、どう言えばいいだろう」
等々、対人関係に悩んでいる方、ぜひ一読ください。
Assertionを直訳すると「主張」「断言」を意味する名詞で、
「アサーション権」なるものがしっかり定義されています。
「アサーション権」は誰しもが持っている権利です。
多岐にわたるのでいくつか抜粋します。
•「アサーション権」抜粋
うん?「責任を持つ権利」?
そうです。アサーションは責任を持つ権利を伴うのです。