日記
リスタート
なんともう4月(このフレーズ毎月言っているような..)
なんともう年の4分の1は過ぎてしまいました..。
この週末ちょっとだけ大阪城公園の桜を観てきました。
トップページ1枚目はその時撮った写真です。
大阪城公園まで来ると、西の丸庭園まで行って桜の中の天守閣を撮るのが常だったのですが、
今年はあまりにも人が多く諦めました。
写真では人少なそうに見えますが、
顔が分かる人達はAIで削除しているのでございます。
消したところはそれらしい画像に自動修復してくれるのでAIほんま恐ろしく便利...。
ざっと見渡したところ、8割はインバウンドの方々ではなかったかと思われ、
人種も多種多様で、まさに「人種のるつぼ」化していた大阪城公園。
歩きながら「さくらぁさくらぁ」と歌いだす人もいて
皆さん楽しそうで何よりでした。
屋台を写真に撮っている人多かったのですが、
確かに色とりどりの看板の平仮名や漢字の混じったPOPは
「日本」らしいのかも。
4月は年度替わりで、
ピカピカの一年生になった人も多く
3月から4月にかけては
別れと出会いに季節でもあり、
気持ちが追いつかない人もいらっしゃるのではないかと思います。
新しい環境に慣れるまでは毎日がほんと大変。
「最初が肝心」と肩に力入りますしね、
でも張りつめすぎると、
空気がパンパンに入ったボールのように
押されたらすぐ跳ね返してしまうし、
跳ね返すのに疲れてしまうと
空気が抜けて跳ね返す力もなくなってしまい、
押されっぱなしになってしまいます。
もし空気が抜けそうになったら、
「助けて!」と声を出せる人になってほしいし
声が出せる環境であってほしい。
(それは仕事の場でも。学校でも。家庭でも)
そのお手伝いをすることが私の仕事です。
4月はリスタートできるチャンスの月でもあります。
「キャリア」とは仕事だけのことを言うのではなく
もともとは「轍」を意味するラテン語「carraria」から端を発した言葉で、
人が辿る経路や足跡を意味するところから、
人生の中の様々な役割(学生、仕事人、親、子供等々)を含めたもの
仕事を含めた人生全般と捉えることができます。
折角なので
貴方らしい轍を
是非作っていってください。
そのための応援が必要なら
馳せ参じますで!
受け入れる力
連休如何お過ごしですか?
私はお陰様で確定申告無事完了いたしました!
年々eTaxの機能が向上していっており、助かります。
ほっとした途端、何故か自宅トイレのウォシュレットのノズルが故障して、
とほほ..。
ウォシュレットの発売は1980年で、
私が勤め始めたころはまだまだ普及しておらず、子供のころは影も形もなかったから
まさか温水で洗うことが出来る時代が来るなんて思いもよらなかったのに
今や温水が出ないトイレに遭遇しようものならどれだけブルーになることかっ!
そんな話を今日20代女子としていたら
「ウォシュレットがない時代があったんですねえ」と。
...。
そんなウォシュレットがない時代を知っているおばさん、
先日疲れた心と体を引き摺って仕事から帰宅したら郵便受けに1通の封書が入っており、
それはなんと昔お世話になったお客様のご子息が開業されるとのお知らせでした。
実はこのご子息が赤ちゃんのころ抱かせていただいたことがあり、
あの赤ちゃんが立派に開業されたと知り感無量で、疲れも一気に吹き飛びました。
思えばシステムエンジニアなりたての頃、
人手が足りず担当したシステムのことを充分に理解しないうちに
毎日のようにかかるお客様からの電話対応に追われ
針の筵に座らせているような日々の中、
なんとかやっていけたのは
そんな未熟な私を
寛大なお心で担当SEとして受け入れて下さったお客様方がいらっしゃったからで。
こうやって独立してから早7年近くたった今でも
忘れずにいてくださることが本当に有難い。
今回お便りを下さったお客様のみならず、
節目となる出来事がある度に知らせて下さるお客様がいらっしゃったり、
毎年の年賀状で気遣いの言葉を贈って下さるお客様がいらっしゃったりで
なんと私はお客様に恵まれてきたのかと思います。
そうやって恵まれてきたのに
在職中は感謝しつつも
「わかっていなかった」なあと思います。
「受け入れる」ことの難しさを。
今キャリアコンサルタントとしてクライアントとして接するとき、
なんと私は今まで人を「受け入れる」事をしてこなかったのかと思います。
全ては私自身の価値観で人を勝手に「評価」し、
「受け入れる」ことを拒否してきた過去の自分に愕然とします。
なんと傲慢だったことか。
今思うと未だに気にかけて下さるお客様は
将来を見据え次の世代にどうやって繋いでいけばよいものか
これから生き残っていくためにどうすればよいのか
常に考えていらっしゃる方々のように思います。
だからこそ、いち早く現実をバイアスをかけずそのまま「受け入れる」
だからこそ色々な困難を克服できてこられたのかなと思います。
だからこそ人を寛大な心で受け入れる度量があるのかなと。
貴方が成長することを願う。
だからこそ「受け入れる」
そこから始まるから。
専門性
今週末はとある研修に参加していました。
講師として「師匠」と仰ぐ方が講師の研修で、
約1年ぶりの受講でしたが、
益々ブラッシュアップされていて、
学びの多いとても有意義な時間を過ごすことが出来たと同時に
講師としての自分の専門性をあらためて問い続けた時間でもありました。
専門性。
かつて勤務していた企業では
自分の専門性を追求して高度なスキルを身につけていくスペシャリストか
さまざまな事に対応できる管理職を目指すジェネラリスト
どちらの方向性でキャリアアップしていくのか
選択する機会が与えられていました。
当時はかつてヒラリークリントンが言った「ガラスの天井」を痛感する日々で
管理職へのハードルが高すぎて
自ずとスペシャリストを目指して黙々と突き進んでいたのですが、
有難いことにその専門性が退職後の今の私を救ってくれております。
ただ、「私は○○の分野で専門性を追求していくんだ!」と
言ったところで、○○の分野で高度な専門知識やスキルを身につけていって
それなりの成果をあげていかないと評価されないわけで、
それよりは「幅広い分野で多様な知識や経験を積んでいきマネジメントスキルを高めて管理職を目指す方が性に合っている」
という方もいらっしゃいますよね。
自分自身の特性や持っているスキルに応じたキャリアップを目指す事は
自分自身が幸せでいるためにとても大切なことだと、
過去を振り返ると私自身痛感しております。
貴方はいかがでしょうか?
大抵の企業や組織の場合、
特性に応じたスペシャリストとジェネラリスト両方の人材が必要であり、
それらの人材を適所に配置する「適材適所」が機能している組織は上手く行くのでしょうが、
いずれにしても常に自分がスキルアップしていかないことには
組織にとって必要な人材、なくてはならない人材にはなり得ないことを
また、頑張って身につけたスキルがいずれ自分の身を助けることを
忘れたらあかんですね。
日々の業務や生活に忙殺されて、諦めたらあかんですね。
明日、笑っているために。
「もやもや」の行方
キャリアカウンセリングを受けたことがありますか?
受けた方は何故受けたのでしょう?
大きく分けて
何か相談事があってカウンセリングを受けようとする積極的理由、
会社のセルフキャリアドッグ等の制度によりカウンセリングを受ける消極的理由
があるかと思います。
消極的理由でカウンセリングを受けると
まず
「最近、もやもやしていることはありますか?」と聴かれることが多くありませんか?
「もやもや」を聴くこと、とても大切なんです。
「得意先担当者や上長、同僚と反りが合わない」
「上長や同僚の仕事の進め方に違和感がある」
「問題が発生したが、どう解決してよいかわからない」
「誰に相談してよいかわからない」
だけど、どうしてほしいかわからない。
あるいは、どうしようもないことと諦めている。
等々。
あるいは、
「何に悩んでいるかわからない。だけどもやもやしている。」
ということもあるかもしれません。
そして、
解決しなければ忽ち業務に支障がでるほどの問題ではないから、
問題を先送りにするケースが多く目先の仕事、「やる事」を優先し、
結果「もやもや」は放置され、
1人で抱えているうちに問題が大きくなって取り返しがつかなくなったり、
メンタル不調にもつながります。
その過程で悩んでいる本人の内省が促せるし、
明確にした結果、組織として改善すべき点が浮き彫りになると
組織の成長、熟成に繋がります。
が、「もやもや」を言語化していかないと、貴方の「もやもや」は誰にも理解してもらえず、
あるいは本人にも認識できないまま
モチベーションがどんどん下がりパフォーマンスにも影響がでるという負のスパイラルに陥ります。
だから「最近私なんかもやもやしているんですよね」が言える空気感が属している組織にあるかどうかが、
企業の離職率に大きく影響することを実証を基づき進言し、是非問いたい。
あなたの属している組織は弱音も吐ける組織ですか?
「戸惑う」貴方の話を聴かせて
27日の金曜、しっかり自民党総裁選の中継を見てしまいました。
1回目の投票で高市早苗さんが1位になったとき
もしかしてもしかして!
女性初の総理誕生かっ!
と丁度「虎に翼」の感動の最終回の余韻に浸っていた私、
正に歴史が動く瞬間をこの目に焼きつけようと
食い気味に決選投票を見守っておりました。
結果は石破さんに決まりましたが、
3位の小泉さん支持票がどこに行ったのかと考えると
改革派の小泉さん支持票が保守派の高市さんに流れることはないか..。
裏金問題に甘いから高市さんでは選挙に勝てないと言われてたしなあ
と考える私にびっくり。
そこにはジェンダーについての懸念はなく、
そういう思考が自然とできる時代になったんやなあとひたすら感動しておりました。
国にかかわらず、自治体や企業、組織のトップに立つ人は
権力を持ちながらもそれに伴う大きな責任を背負っており、
私が組織のトップである人達にお会いして共通して感じる言葉は
「信念」です。
下衆な言い方で恐縮ですが、
その確固たる信念で「腹括っているなあ」と思います。
その「信念」がビジョンや組織が向かう方向性の指標となり、
それを組織のメンバーが理解しどう受け止め、
どう行動していくかで、「組織の文化」や「風土」が出来上がっていくものだなあと
つくづく思います。
出来上がっている組織の文化の中に新しく飛び込んだ人は
まず「馴染もう」と思いながらも、戸惑うのは当然で、
中に居る人にはない視点で組織を捉えているからこその「戸惑い」を感じて
それをきちんと言葉にすることが出来る人がいたら
それは組織にとってとても幸いな事!
勿論、「自分勝手な論理を繰り広げる」幼い思考からの「戸惑い」 もあるでしょうが、
むしろそうした場合の対応がとても大切で、
頭ごなしに否定して相手が委縮することのないようにしたいものです。
否定しているつもりはなくても
長く社会にいると、いつの間にか「権力のある方」になっていて、
知らず知らずのうちに「言いたいことも言えない」対象になっていることに
なかなか気付けないもので、
かく言う私、「私に言いたいことが言えない」同僚がその不満を愚痴っている場面にたまたま遭遇し
衝撃を受けたことがあります。
私の前ではいつもにこにこ感じよく接してくれる人だったので
かなりの衝撃でした。
たまたまそういう場面の遭遇しただけで、
結構色々言われているんだろうなあと思うと
しばらくは人と接するのが怖く殻に閉じこもっていましたっけ。
今振り返ってみると
そこから私視野が広がり人として成長できた(おそらく)ので
私の契機となったとてもよい経験でした。
今の私はどうかな?ともしその同僚に会えたら聞いてみたいなあ。
「「戸惑う」貴方は何故戸惑うのか語っていいんだよ。
だって私は是非貴方の話を聞きたいもの」
が当たり前になっている組織は
今まで大切にしてきた文化(組織人にとっては価値観)が
否定されるのではなく
また、新しい視点からの意見も
「何もわかっていない」と軽んじられることなく
お互い向き合うことが出来て
守るべきレガシーは残し、
陳腐化されているものは切り捨てることができるので
新陳代謝が進み、
どんな風が吹いても生き残っていけるしなやかな組織
ではないでしょうか。