日記
鬼が来る
若い頃筒井康隆の小説が好きでよく読んでいましたが
折に触れ、時々思い出します。
今「死にかた」という小説を思い出しています。
ある日突然とあるオフィスに金棒をもった鬼が
次々と人を殺していくという話で
何が怖いかというと、鬼に感情がないのです。
ターゲットになった人達は様々な反応をします。
冗談だと思って無視する人
鬼を非難して正義を語る人
茶化してごまかそうとする人
逃げようとする人
色仕掛けで命乞いする人
面白がって見ている人
鬼に殺されるくらいならと自殺する人
自分を後回しにしてくれと頼む人
ですが、 鬼は
怒っていない
憎んでもいない
理由を言わない
誰を選ぶわけでもない
ただ 順番に殺していくだけです。
そこに存在するのは
人間の感情から切り離された暴力です。
今私が思い出したのは
中東等で起こっている戦争では
個人的な憎しみとは関係なく
命令によって
人が死んでいく
その「人間の感情から切り離された感じ」が、この鬼と重なるからだと思います。
そしてこの小説の舞台は特別な場所ではなく
普通のオフィスであることがとても怖い。
普通の日常
普通の仕事
普通の人たち
の中に、突然「鬼=死」が入ってきます。
日常が突然壊されるわけです。
悲しいことに世界は理由なく人を殺すことがあります。
鬼が淡々としているからこそ、私達は考えないといけない。
もし自分がその部屋にいたら
どう生きようとするのか。
この鬼には
-
交渉も通じない
-
理屈も通じない
-
お金も通じない
つまり 人間の社会のルールが一切効きません。
ですが、戦争は天災ではなく人災。
この鬼のように
「人間がどう頑張っても止められないもの」
ではないはず。
どうか世界の指導者達が
鬼ではなく人でありますように。
そう祈るしかないのかも知れません。
パワーバランス
衆議院総選挙、自民党圧勝でしたね。
実は私、レアアースの南鳥島における発掘事業の推進は
高市内閣が推し進めている積極財政ありきだと思っているし
今の国際情勢で日本が戦争に巻き込まれないためにも
高市内閣が掲げる国家安全保障対策は是非推し進めてほしいと思っています。
(あくまでも今の私の価値観に基づく私の私見であいすみません)
でも、テレビでコメンテーター達も同じようなことを言っていましたが
色々な角度から政策のメリットデメリットを真摯に議論し
これからの日本にとって最良の策を講じるのが国会議員の役目であり、
野党だからこその各々の信念で政策を吟味し与党と論戦を重ねることが
今の日本にとってとても大切なことだと思うのに
重要な法案が数の論理で充分に審議されないまま通ってしまうのでは
という懸念が頭を擡げてもいませんか?
補正予算委員会での答弁を見ている限りこれからの高市内閣は
消費税減税にあたり国民会議で議論を加速する方針ということを見ても
そういう懸念も払拭してくれそうですが
どうかこれからの日本が強く揺るぎない国でありますように。
最近見た韓国のドラマで、1987年の世相をよく表しているなあと思ったのが
当時の半導体事業をめぐって
財閥の会長がアメリカと日本をクジラに例え
「クジラの争いでとばっちりを受けた海老はクジラに勝てる方法はあるのか?」と主人公である孫に問いかける場面です。
星条旗と日の丸の間に挟まれた小さな太極旗が描かれた雑誌の表紙も印象的でした。
主人公が出した答えは「海老が大きくなればいい」でしたが、
この年アメリカは100%の報復関税を発動し
日本の圧倒的なシェア拡大に危機感を抱いたアメリカが徹底的に日本を叩き、
この時の摩擦とバブルの崩壊などによりリストラが始まった半導体の技術者が
サムスンなどの韓国の半導体メーカーにヘッドハンティングされ
特に日本からサムスンへの技術の移転が急速に進み、
1992年にはサムスン電子がDRAM市場でシェアNo1になっています。
今振り返るとこの日米半導体摩擦に対する圧力に防戦一方で有効な手を打てなかった日本の対応が
半導体技術の頂点にいた日本から韓国や台湾へと世代交代に進んだ大きなターニングポイントであり、
「失われた30年」の原因の一つであったことは否めないと思います。
時代は変わり
今私が思い浮かべるのは星条旗と五星紅旗に挟まれないように踏ん張っている日の丸。
まわりを見渡すと、日の丸以外にも踏ん張っていたり挟まっている色々な旗が見えます。
日本は今海老でしょうか。
クジラでしょうか。
少なくともある局面においては
今の世界のパワーバランスの中では海老に見えるかもしれません。
海老であるなら
飲み込まれないためには大きくなるしかないのだとしたら
今の政権下でしかできないのかもしれないとも思います。
ただ、大きくなることが今の日本にとって最良の方法なのか
後戻り出来るうちに色々な角度から検討し熟慮する事も必要なんですよね。
もしあなたが組織に属しているなら
日本をあなたの組織と置き換えてみると
見え方が違ってくるかもしれませんし
行動も変わってくるかもしれません。
私たちの生活や命が理不尽に奪われないために。
GIAPPONE
選挙ですね。
先程投票から戻り一息ついております。
会場には7時過ぎに到着し早朝でしたが
結構混んでいて、
なんだかいい街に住んでいるなあと嬉しくなりました。
ミラノ・コルティナオリンピック、
日本はイタリア語では「GIAPPONE」で
発音は「ジャッポーネ」だそうで、
入場の際、日本チームでは開催国に敬意を表し
日の丸と一緒にイタリアの国旗も掲げていて
「これがジャッポーネだ!」と現地のメディアで称賛されたとか。
ビッグエア木村葵来選手の金メダルをはじめ既にに3個のメダル獲得と何とも頼もしい!
今とても危惧されているレアアース、南鳥島EEZ(排他的経済水域)で試堀に成功したとか!
頼もしいぜ、日本!
YouTubeなどで
今回の選挙戦での各党首の演説を視聴していると
演説がすすむにつれ
同じ壇上にいる関係者が思わず涙ぐんだり
どんどん真摯な顔つきになったりと
心が震えるような感動的な演説を見ることができたり
他党を声高に批判するものの政策に説得力のない党首が浮き彫りがなったりと
百聞は一見にしかず。
選挙結果はまだわかりませんが
SNSなどで真剣に政治について語り合う若者たちの投稿を見て思います。
日本の今は厳しいけれど日本の未来は明るい!
正解はなくて、勿論誰も教えてくれない。
でも今の日本の状況を見ているとその先を信じたくなります。
と平井堅の「Life is..」のようなことを思う私。
平井堅さん、どうしてはるんやろか。
こうでなくっちゃ!
仕事や家事が一段落して、ついつい見てしまうYouTube。
癒されたりほっこりする動画を見てささくれ立った心を穏やかにしてから
眠りにつくようにしています。
なるべくストレスを溜め込まないようにするための
いわゆるストレスコーピング
(感じているストレスを軽減したり上手に対処したりするための行動や考え方の工夫)
として利用しています。
ストレスは避けられないものなので、自分なりの対象方法を工夫して
ストレスを「上手に扱う」ことが
自分の心の健康、メンタルヘルスにとってとても大切なこと!
ということで、私は毎夜毎夜YouTubeを見ているわけですが
最近よく観るのが国会中継の動画です。
こんなに政治を身近に感じる日がくるなんて、
つい数か月前までは思いも寄りませんでした。
だって私達の生活をなんとかよくしようと
与党が国を守ろうと練りに練った政策に対し
野党がしっかりと異論を唱え、
その異論に真摯に答え
修正すべきあるいは足らない部分を論議し
政策をより良いものにしようとする意欲を
私は感じますもの。
勿論、質問の立つ各党各議員は様々で
旧態然と政策に関係ないこと等や
筋違いの論点で貴重な時間を無駄にしているなあ
と思われる方もいらっしゃいますが(失礼)
こんなにも優秀な方だったのかと見方が変わった議員の多いこと!
そして皆様活き活きされていらっしゃる。
総理大臣(リーダー)が変わるとこんなにも変わるものなんですね。
こうでなくっちゃ!
何故国会中継が私のストレスコーピングになっているのか?
日頃の社会生活の中で抱えている言葉に明確にはできないけれど
色々な人に感じる「もやもや」する出来事に対して
「そうやないやろ!!」と理路整然と論破したいのにそれができない
もどかしさを払拭してくれているからのように思います。
私が思っている政治家の「あるべき姿」がそこにはあって、
職場や家庭や学校や地域社会や各々の環境での役割を
「上司はこうでなくっちゃ!」
「社長はこうでなくっちゃ!」
と思わせる位に担うことは本当はすごく難しいけれども
それを平然とやってのける人に対し
どう思いどう行動し
さらには未来の自分にどう活かしていくか。
「あの人についていけば大丈夫」と
過度の期待をし頼る前に、
「あの人のようになるにはどうすればよいのか」
とロールモデルにして
「私はこうでなくっちゃ!」と
自分が思うあるべき姿になるために何を今するのかを考えることが
未来の自分のために必要なことだと思います。
ここまで書いて思い浮かんだ言葉が
昔感銘を受けたアメリカのケネディ大統領就任演説の一文です。
Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.
この countryをcompany(会社だけはなく、仲間や組織、団体等の集まり)に
置き換えてみるとより身近な言葉として響くかと思います。
今の時代敬遠されるかもしれませんね。
勿論companyのために過労になるほど、あるいは死に至るほど
自分を犠牲にするなんて本末転倒ですが、
companyのために自分が何ができるのか問い行動を起こすことは
companyの成長に通じ結果的には自分が潤うことになり
ちゃんと自分に返ってくるはずです。
ただ、自分がいくら頑張っても響かないcompanyも
頑張る価値のないcompanyも
間違いなくあることも事実で
いずれそういうcompanyは衰退していきます。
それを見極めることも大切です。
お互いしっかり目を見開いて見極めていきましょう。
我々の願いはただひとつ「生きること」
今日は春らしい陽気の一日で、
「冬来たりならば春遠からじ」
という私の大好きな言葉が思わず口をつきます。
トランプ大統領がプーチン大統領への信頼を明確にし
ウクライナとロシアの戦局が新たな局面を迎えている今、
そして、
オウム真理教による地下鉄サリン事件発生から30年を迎えようとしている今、
NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」で
第二次世界大戦中の独ソ戦を扱い
「プロジェクトX」では地下鉄サリン事件を扱っていて
NHKの気概を感じました。
本来のジャーナリズムとは、
こうやって私達に問いかけるものであると私は思っています。
独ソ戦でソ連が勝利しましたが
この戦争での死者はドイツ700万人、ソ連2700万人。
ソ連では国民の10%以上が亡くなったそうです。
独ソ戦はナチスドイツの攻撃から始まった理不尽きわまりないもので
当初劣勢だったソ連が多くの犠牲を出しながらの決死の戦いで勝利し
最後にはベルリンを一斉攻撃し勝利しますが
その際に兵士たちが叫んだ「ベルリンへ!ベルリンへ!」と
勝利後国会議事堂に書き残した
「覚えておけ、忘れるな。我々はもう一度同じことがやれる」
という80年前のこれらの言葉が 今ロシアで復活し、
独ソ戦の勝利は「国家の誇りを取り戻した」象徴的な戦いとして
再評価され戦争の記憶が美化されているそうです。
「映像の世紀」の番組の中では
2020年これらの言葉について語るプーチンの映像も流れ
「我々はまたできるのでしょうか?」という問いに対し
「見方による」という前置きをおきながらも
「私達は2700万人を失った。同じような損失を被った国は他にはありません。
誰かが同じような事をする勇気があるなら、我々は再びそれを実行するでしょう」と言う。
番組の最後にソ連軍の捕虜となり、今ベルリンのカイザー・ビィル・ヘルム協会に展示されている
「塹壕のマドンナ」(スタンリングラードの聖母)の作者、
ドイツ軍医、クルト・ロイバーが
収容所で病死する前に家族に送った最後の手紙が紹介されていました。
「我々はみな平和を願い平和に憧れているが
実際には何を望んでいるのだろうか。
今なお武器をとって敵を倒すことだけが
自分の主張を貫くための手段だと考えている人ばかりだ。
もう次の戦争のことを考えてでもいるのだろうか。
我々はみな、将来は良心の声に従って生きるのだろうか。
もし、前と変わらぬまま
心の奥底に何の変化もないままなら
我々はこれほどまで深刻な体験をしたにもかかわらず
もはや人として生きるのは値しないだろう」
クルト・ロイバーが塹壕から家族に送った手紙の中に書かれた言葉
「我々の願いは1つだけ。「生きること」、生き延びることだけだ」
彼は父であり、夫であり、そして息子であり、
誰かを愛する、そして誰かに愛される人だったのです。
私達の国は今戦下にありませんが、
様々な理不尽なこと、様々な暴力、
言葉の暴力や嫌がらせやいじめで
生きることを諦めてしまう人がいる。
「助けて」と言えずに諦める人がいる。
人が生きることを「奪う」人がいる。
だからこそ忘れてはいけないと思うのです。
「我々の願いは1つだけ。「生きること」、生き延びることだけだ」
ということを。
その願いのために私達は頑張ってきたのだということを。
私達の親たちは私達を生かすために頑張ってきたということを。
だからこそ、誰も、貴方自身も
貴方の「生きる権利」を奪ってはならないということを。
