日記
我々の願いはただひとつ「生きること」
今日は春らしい陽気の一日で、
「冬来たりならば春遠からじ」
という私の大好きな言葉が思わず口をつきます。
トランプ大統領がプーチン大統領への信頼を明確にし
ウクライナとロシアの戦局が新たな局面を迎えている今、
そして、
オウム真理教による地下鉄サリン事件発生から30年を迎えようとしている今、
NHKの「映像の世紀バタフライエフェクト」で
第二次世界大戦中の独ソ戦を扱い
「プロジェクトX」では地下鉄サリン事件を扱っていて
NHKの気概を感じました。
本来のジャーナリズムとは、
こうやって私達に問いかけるものであると私は思っています。
独ソ戦でソ連が勝利しましたが
この戦争での死者はドイツ700万人、ソ連2700万人。
ソ連では国民の10%以上が亡くなったそうです。
独ソ戦はナチスドイツの攻撃から始まった理不尽きわまりないもので
当初劣勢だったソ連が多くの犠牲を出しながらの決死の戦いで勝利し
最後にはベルリンを一斉攻撃し勝利しますが
その際に兵士たちが叫んだ「ベルリンへ!ベルリンへ!」と
勝利後国会議事堂に書き残した
「覚えておけ、忘れるな。我々はもう一度同じことがやれる」
という80年前のこれらの言葉が 今ロシアで復活し、
独ソ戦の勝利は「国家の誇りを取り戻した」象徴的な戦いとして
再評価され戦争の記憶が美化されているそうです。
「映像の世紀」の番組の中では
2020年これらの言葉について語るプーチンの映像も流れ
「我々はまたできるのでしょうか?」という問いに対し
「見方による」という前置きをおきながらも
「私達は2700万人を失った。同じような損失を被った国は他にはありません。
誰かが同じような事をする勇気があるなら、我々は再びそれを実行するでしょう」と言う。
番組の最後にソ連軍の捕虜となり、今ベルリンのカイザー・ビィル・ヘルム協会に展示されている
「塹壕のマドンナ」(スタンリングラードの聖母)の作者、
ドイツ軍医、クルト・ロイバーが
収容所で病死する前に家族に送った最後の手紙が紹介されていました。
「我々はみな平和を願い平和に憧れているが
実際には何を望んでいるのだろうか。
今なお武器をとって敵を倒すことだけが
自分の主張を貫くための手段だと考えている人ばかりだ。
もう次の戦争のことを考えてでもいるのだろうか。
我々はみな、将来は良心の声に従って生きるのだろうか。
もし、前と変わらぬまま
心の奥底に何の変化もないままなら
我々はこれほどまで深刻な体験をしたにもかかわらず
もはや人として生きるのは値しないだろう」
クルト・ロイバーが塹壕から家族に送った手紙の中に書かれた言葉
「我々の願いは1つだけ。「生きること」、生き延びることだけだ」
彼は父であり、夫であり、そして息子であり、
誰かを愛する、そして誰かに愛される人だったのです。
私達の国は今戦下にありませんが、
様々な理不尽なこと、様々な暴力、
言葉の暴力や嫌がらせやいじめで
生きることを諦めてしまう人がいる。
「助けて」と言えずに諦める人がいる。
人が生きることを「奪う」人がいる。
だからこそ忘れてはいけないと思うのです。
「我々の願いは1つだけ。「生きること」、生き延びることだけだ」
ということを。
その願いのために私達は頑張ってきたのだということを。
私達の親たちは私達を生かすために頑張ってきたということを。
だからこそ、誰も、貴方自身も
貴方の「生きる権利」を奪ってはならないということを。
私達の強み
うかうかしている間に1月も末。
今週も色々なことがありましたね。
土曜日、泣きながら朝ごはんを食べる羽目になりまして。
なんで泣いたのか?
自分でもなんでこんなに泣けるのかと不思議でした。
たまたまつけていたテレビでNHKの「プロジェクトX」が流れており。
2011年10月にタイを襲った大洪水では日系400社以上の工場が生産設備ごと水没し、
そこから如何にして日系企業や現地のタイ従業員たちが立ち向かっていったかという内容でした。
「緊急派遣5千人 日本メーカーの総力戦~タイ大洪水との闘い~」というタイトルがついており、
主に
タイ工場で生産していた半導体や電子部品などの供給が止まることによる日本の物づくりが止まる事を阻止するため
そして何より働く場を失ったタイの優秀な技術者達を救済するために
当時観光でさえなかなか入国が難しかった時代に
企業の垣根を越えて総力戦で日本政府に5千人もの技術者の受け入れ交渉を粘り強く続け遂に実現する姿と
その後現地工場の再建がかなった企業と叶わず現地従業員を解雇せざるを得なかった企業の姿が
映し出されていました。
私が涙したシーンは
ラピタセミコンダクタアユタヤの現地女性技術者のインタビューで
二人の年老いた姉を支えるため懸命に働いてきた彼女が
洪水により一瞬にして働く場を奪われながらも
日本の経営陣の前では笑顔を見せていたと語っていた時で、
語る彼女の姿は、
苦難を受け入れながらも懸命に生きてきた人なんだなあと
なんとも神々しくさえ思えるものでした。
「この先どうなるのか」と自宅ではおいおい泣きながらも、
当時の社長山田さんが私達を家族のように大切に思ってくれている事、
なんとか復旧させようと、私達の職場をなくさないように
奮闘してくれていることがわかっているから、
皆の前では笑顔でいなければいけないと。
スタジオにいらしたニコンタイランド当時の村山社長が
涙したのは
水没した工場の状況を伝えるために送られた写真に映し出された現地の従業員が
「皆笑顔だったんです」と。
ニコンは再建できましたがラピタセミコンダクタアユタヤの再建は叶わず。
山田社長が従業員を集めそのことを告げ謝罪した時の映像が流れていましたが
奮闘していた山田社長の姿を見ていた従業員たちは
誰一人経営陣を責めず、逆に今までの感謝の言葉を口にしている姿がありました。
この山田社長が最後に
「再建は叶わなかったが、なんとか復旧させようと
皆で一生懸命考え意見を出し合って歩んだ過程はその後彼らが生きていく上で力になった事は間違いない」
といようなこと(うる覚えなので正しくないかもしれません。ご容赦ください)を語られ、
私の心にとても響いたのでございます。
タイの工場をたたんだのちも山田社長は現地に残り、希望者の再就職先を全員手配し、
自分も現地で再就職し年に一度当時の仲間で集まるのだとか。
困難をともに闘った者同士は経営者と従業員という主従関係を超えて、
仲間になり、家族になるんだなあ。
家族的な経営。
グローバルな経済市場において、日本の影響力がどんどん薄れていると言われていく中、
欧米にはないこの「家族的な経営」風土が、
「強み」なのだと、
語られていた当時の現地リーダーたちの言葉に
勇気づけられながらも、
日本が成長してきた理由を今こそ再認識すべき時なのだと
とても思います。
底力
1月10日は十日戎で、
用事を済ませランチをどこで食べようかと
心斎橋から難波まで歩いてると、熊手や福笹を持ったスーツ姿の人がちらほらと。
「そうかあ。今日はえべっさんかあ」
御堂筋沿いを歩いていると、
Diorが大規模工事を行っていたり、エルメスやルイ・ビィトンは行列ができているし、
至る所でスマホで写真を撮っている観光客で溢れており、
思わず「商売繁盛!笹もってこい!」と叫びたくなる活気でした。
(叫びませんけど)
高島屋前まで近づくと、ちょうど「宝恵駕籠」(ほえかご)の行列が始まり、
始まった時に何故か見物客としてはなかなかのベストポジションに立っており、
もうこれは写真を撮るしかない!
今宮戎の福娘、「おむすび」出演中の松井玲奈さん、松竹芸能の海原かなたさん、
松竹新喜劇の曾我廼家いろはさん他皆さん笑顔で手を振って下さり
サービス精神旺盛!
(MBSの河西アナウンサーも満面の笑顔で素敵でしたが上手く撮れず残念!)
ベストポジションに拘わらず写真の才能がなく
芸妓衆もそれはそれは華やかで圧巻だったのですが伝えきれず申し訳ございません。
(そして上の写真の微妙な位置に見物客に配っていただいたポチ袋を貼り付けておりますが、
丁度福娘を撮った瞬間、おじさまが私の前に出てこられて
いがぐり頭の後頭部がどアップになったのでその上に貼り付けさせていただきました)
ずっと威勢のよい掛け声がかけられていて何を言っているのか聞き取れなかったのですが
「ほーえかご!ほーえかご!」と叫ばれているそうな..。
長年大阪に居ながら、この「宝恵駕籠」行列を初めて見ることができて、
そして恥ずかしながら「宝恵駕籠」なるものを初めて知った私。
「宝恵駕籠」は今宮戎神社の十日戎に合わせ
商売繁盛や家運隆昌を願う大阪ミナミの伝統行事らしく、
コロナで一時中断したものの、250年以上の歴史があって
大阪の商人がお気に入りの芸妓を駕籠に乗せ、今宮戎まで参拝させていたとか。
粋ですなあ!
こんな有難い行列を特等席で見ることが出来、新年早々有難き幸せでございます。
誇れる伝統と文化を持ちながらも、商人のしたたかさを持ち合わせたフレンドリーな大都会大阪。
ええ街やなあ。
今年は万博の年!
大阪の底力、いえ、日本の底力を
世界に大いに見せてやりましょう!
私達の未来は明るい!
虹とスニーカーの頃
先日TVをつけながら家事をしていたらチューリップのライブが始まり、
なんと懐かしかったことかっ!
「チューリップ?」とご存じない方もいらっしゃるかも知れませんが、
「心の旅」や「サボテンの花」など、数々のヒット曲を飛ばした音楽バンドでございます。
高校時代、よく聴いていたなあ..。(遠い目)
「青春の影」、よく歌っていたなあ..。(遠い目)
当時はまだCDもなかったような..。
友達にレコードを借りて、
指紋をつけたりジャケットを汚さないように細心の注意を払いながら
カセットテープに録音して。
勿論今のように音源から簡単にプレイリストを作るなんてことは
考えもしない時代だったので、
好きな曲を手作業で組み合わせて自分だけのカセットテープを作って
ダビングして友達と交換したりしてたっけ..。(遠い目←もうそろそろやめます)
何故私がチューリップに嵌ったかと言いますと、
当時仲の良かった地元の友達と一緒に電車通学していたのですが、
その友達が
同じ電車に乗る大学生に一目ぼれしまして、
勇気をふり絞って二人で声をかけて
そこからその方と交流するようになり。
(交流といっても、今思うとその方は大学卒業とともに警察官になったほどの
正義感溢れる良い方でとても健全なお付き合いでした。)
今思うと友達にとっては私、完全なおじゃま虫だったよなあ..。
(その時はまったく悪気がなかったような。。いや、あったのかも)
その大学生の方がよく聴いていたのがチューリップだったわけです。
くうーっ甘ずっぱい!
プレイリストを作る作業は、
今と比較すると異常に時間がかかる作業だけど、
わくわく、楽しかったなあ。
今はダウンロードした音源から簡単に自分好みのプレイリストが作れるし、
そもそも「運動する時」とか「仕事する時」とか
自分の状況や気分によって既成のプレイリストを選択できるし
遥か昔に流行った曲も音源さえ残っていれば
時代を超えて簡単に入手できるしで
手に入れるまでわざわざレコード店を巡る必要もなし。
随分と「効率的に」「簡単に」自分の欲しいものが手に入る時代になりました。
でも今の若者はレコードやカセットテープの独特の音質に惹かれ
あの無駄で愛おしい時間を過ごしている人もいるとか。
また退社後のいわゆる「飲みにケーション」も、
一時は敬遠されていたし、実際に今も敬遠している社会人は多いと思うけれども
「上司の思いや人となりを深く知ることにもなるし、もっと気軽に上司や同僚と話したい」
と希望する新入社員が増えてきているとか。
多様性が認められ選択肢が広がる今、
私達が感じていた蟠りはもはや存在しないのかも知れません。
乾く前のセメントに落とされるもの
今日公園の前を通ったら、小学生低学年と少年たち数人が遊んでいて、
そのうちの一人が一人の少年に向かって
「〇〇がおらんとおもしろないわ!」
と嬉しそうに話している場面に偶然遭遇しました。
〇〇君と思われる少年はそれを聞いて嬉しそうににっこり。
どんな状況だったのかはわかりませんが、
久しぶりに一緒に遊んだのかな?
「〇〇がおらんとおもしろないわ!」と言える少年、
良い育ち方をしているなあと思います。
私の愛読書でドラマ化された「ミステリと言う勿れ」の主人公久能整君の名台詞
「子供って乾く前のセメントみたいなものなんですって。
落としたものの形がそのまま跡になって残るんですよ」
をふと思い出しました。
「〇〇がおらんとおもしろないわ!」と言われた少年は、
自分の居場所がちゃんとあることを刻みましたね、きっと。
今回の韓国非常戒厳令から解除までの市民の動きで
韓国がかつては軍事独裁国家で、民主化宣言がなされたのは1987年。
つい最近のことだったことを忘れていたことに驚きます。
発令後国会前にどんどん市民が集まり「戒厳令を解除せよ」と叫ぶ姿に
「民主主義は自分達で守る」という確固たる意志に私は心震える思いでした。
非常戒厳令で軍が軍の兵士が国会に入ろうとした際、
市民は鎖になって銃を持っている兵士達の前に立ち塞がり阻んだと言います。
まさに命がけです。
1980年の光州事件のように市民や学生が多くの犠牲を出しながらも民主化のために戦ってきた歴史を見てきた国民一人一人に
「自分たちが人権や民主主義を守らなくて誰が守るのか」という強い意思が根づいているということに
冷水を浴びせられたような思いがします。
国会に向かう親や家族、大人達の背中を見て韓国の子供達は何を思い、
乾く前のセメントにどんなものが落とされ、どんな形になるのか。
これからの韓国の未来で証明されるのだと思います。
そして私達大人の生き様を見て
日本の子供達は何を思い、
乾く前のセメントにどんなものが落とされ、どんな形になるのか。
これからの日本の未来のために、
私達は私達の信じる正義を全うするしかないのではないかと思います。
子供達のセメントに修復できない歪な形の傷をつけないために。