日記
価値あるもの
最近お米の誘惑に勝てません。
偶然テレビでご飯の美味しい研ぎ方を見た私。
その通りやってみたら同じ炊飯器で同じ水加減で炊いているのになんとご飯が美味しくなった事かっ!
今の時期は新米が出回っているのでほんと美味しいっ!
この美味しいご飯の研ぎ方に行き着くまでに
恐らく何度も試行錯誤を繰り返し、研究したんやろうなあ。
こういう方、ほんと凄いと思います。
故坂本龍一さんがとあるインタビューで
「世界のどこかで、坂本龍一なんて知らないところで生活しているおばさんが、
偶然僕の音楽を聴いて「あら、良い曲ね」と耳を傾けてくれる、そんな音楽を作りたい」
みたいなことをおっしゃっていて、本当に凄い人だと思いました。
「自分にとって」価値あるものは何でしょうか?
これ、歳をとって経験を重ねていくうちにどんどん変わっていきますよね。
今の自分にとって必要なもの、価値のあるもの。
それに気づくこと。
これタイミングがありますよね。
「あの時ああしとけばよかった」と後から思っても
時期を逸するとどうしようもないことが
悲しいかなあります。
自分にとって「価値あるもの」は
やるべき時にやるべき事をやってこなければ
手にすることは難しい。
と、つくづく思います。
おお。
なんだか悲しくなってきた。
後悔する事てんこ盛りです、私。
でも後悔しても何も変わらないので
今更ながらですが、過去は今を作り、今は未来を作る。
その当たり前を思いながら、
「自分にとって価値あるもの」を見失わないように
大切にできるように
今の私がやるべきことを粛々とやっていくしかないなあ。
今の自分にとって価値あるものが「炊き立てのご飯」というのも
悪くないなあとも思います。
炊き立てのご飯にお味噌汁に卵焼き。
食べ終わった食器には家族分の梅干しの種。
これを幸せと言わずして何が幸せでしょう。
泣ける
とうとう12月です。
先生も走る師走です。
先日19時ごろ自宅マンションのエレベーターを待っていると
荷物をいっぱい積んだ台車を押しながら宅配便の女性ドライバーがやってきて
同乗しました。
「時間指定があるから大変やね」
というと、
「そうなんですよ、今日は荷物が多くて実は間に合っていないんですよ」
と笑顔を見せながらも焦っている様子。
私のほうが先に降りることになったので
降りる瞬間「がんばりや!」と自分でもびっくりするくらい大きな声でいってしまい。
そうすると彼女も大きな声で「はい!ありがとうございます!」
と元気いっぱい答えてくれたのですが、
そのあと顔をくしゃくしゃにして泣き笑いの顔になって。
私も泣けてきて、お互いくしゃくしゃの泣き笑い顔になってエレベーターのドア越しにお別れしたのでした。
そしてさきほど。
同じく自宅マンションのエレベーターでたまたま同乗した高齢の女性。
「寒くなりましたねえ」とお声がけすると
「ほんとにねえ」とその方。
「同じ階の方?」とおっしゃるので軽く自己紹介をすると
「あ、そうなの!私あなたのおかあさんと仲良かったのよ!」とおっしゃる。
「母と仲良くしてくださっていたのですね。ありがとうございます。」
と言いながらもだんだん涙声になってしまい。
私は親不孝で、母の生前どんな方と仲良して頂いていたのか
何を考え、どんな風に過ごしていたのか
何もわからず。
こんな風に母を知って下さり、覚えてくださる方にお会いすると
「ああよかった」と思うのです。
母はちゃんと母の人生を生きていたと。
ありがたい。
今週はなんだか泣ける週でした。
ヘアドネーション
なんと11月もそろそろ終わります。
焦る焦る。
やらんとあかん事は山のようにあるというのに。
このあいだ「おめでとう」言うてたのに
あっという間に年末ですわ。
昨日若者達と話していたら、
「このあいだこの子ヘアドネーションしたんですよ!」
と一人の若者が後輩の男子のことを語り。
「あ、そうなの?」と私。
すると、「あ、知ってます?ヘアドネーション」
と若者。
「いやあ、なんのことやら!バレたかっ!はははっ(//∇//)」と私。
「失礼ながら知らんやろなというリアクションでしたで!」
ははははっ!恥ずかしい(//∇//)
ヘアドネーションて病気等でウィッグな人の為に役立てる為に髪の毛を寄付する事らしいですね。
31cm以上無いと寄付出来ないらしく、
寄付した男子は高校1年の時になんとなく長髪にしたく伸ばしはじめたらしいのですが、
ヘアドネーションを知って、
「こんな僕にも少しでも人の役に立てる事がある」と知り、それから5年間頑張って伸ばしたそうです。
きゃーっおばちゃん感動したわーっ
だって髪の毛伸ばした事のある方なら誰しも経験するとてもとても面倒な事の数々。
特に夏に髪の毛乾かす時の辛い事辛い事。
更に男子と女子では髪質が違うから、余計大変やったと思います。
実はその男子、横は刈り上げて耳にはピアスと如何にも「やんちゃしてます」ふうな見た目なのですが、話してみるとしっかり敬語が話せるナイスガイ。
おかげさまで仕事や日常で色々な若者と話す機会があるのですが、話していると純粋だからこそ一つ間違えるととんでもない方向に進んでいくであろう危うさを感じつつ、彼らがありたい方向が見えた時に現れる輝くような笑顔を見ることが出来た時になんとも言えない幸せを感じます。
日本はまだまだ捨てたものではない。
そうしていく為には、私達大人かやるべき事がいっぱいあると思います。
焦る焦る。
昨日は若者に教えてもらう機会に恵まれたよい日でした。
伝わるもの
母の命日には毎年高野山参りをしますので、今年も行って参りました。
トップページのスライドショー最初の数枚を高野山の写真にしました。
最初の2枚は奥の院、
次の2枚は霊宝館近辺の写真です。
紅葉が終わりかけでしたが、
冬の訪れを感じる高野山はとても空気が澄んでいて、とてもよい時期でした。
開業したときに「どんな屋号にしようか?」
考えた時にふと頭に浮かんだのが「I blong to me.」という言葉でした。
これは実はミュージカル「エリザベート」の中の1つの楽曲の題名です。
日本では和訳されて「私だけに」という題名がつき、英語圏では「I blong to me.」となります。
私がこの曲に出会ったのは同僚が貸してくれた宝塚歌劇雪組公演「エリザベート」のビデオで
今やミュージカル界の大スター花総まりさん扮するエリザベートが
ハプスブルク家に嫁ぎオーストリア王妃となり
今までのように自由に生きられなくなった事を身をもって知ったときに
この「私だけに」を歌い上げるのですが、
「たとえ王家に嫁いだ身でも
命だけは預けはしない
私が命委ねる それは 私だけに 私に」と歌い上げたときに
熱い感情がこみ上げてきて号泣してしまったのでした。
英語の歌詞ではこの部分は
I'm here when you need me.
I live and I die with you.
I'll share all your troubles.
I'll laugh and I'll cry with you.
You can blame me and bless me.
But you cannot possess me.
'Cause I belong to me.
To me.
あなたが必要とするとき、わたしはここにいましょう。
あなたと共に生き、そして死にましょう。
あなたが抱えている問題を分かちあいましょう。
あなたと共に笑い、そして泣きましょう。
わたしをとがめたっていい。あがめたっていい。
でもあなたは私を所有することはできない。
わたしはわたしのものだから。
わたしの。
となり、あとでこの歌詞を知りより深く私の心に沁みたのでした。
この雪組公演は世界のいたるところで上演されている「エリザベート」が
初めて日本のキャスト、演出で上演されたもので
初演に対するプレッシャーは相当のものだったようでしたが、
初演を観た友達の話によると
上演後あまりの感動で「拍手が鳴りやまなかった」そうで、
宝塚歌劇で何度も再演されているものの
未だに「初演は超えられない」と今では伝説になってしまいました。
それから何度となく宝塚大劇場に通い、
束の間現実の世界から離れ、美しい夢の世界へ誘っていただきました。
特に初舞台生のラインダンスは
親戚でも家族でもないのに泣けてくるのでした。
疲れた心と体に沁みるのです。
舞台を見終わった後、
「ああ、明日も頑張ろうっ!」と何度と思ったことか。
宝塚は荒んだ私の心を何度となく癒してくれました。
この感動的な舞台を見せるために
どれだけの練習を重ね、努力しているのかと思います。
最近の宝塚歌劇団の報道にふれる度、
胸が痛みます。
実際に劇団の中で何が起こっていたのか
無責任な想像で語ることはできません。
これから先は長らく組織の一員として働いていたものとして
今感じていることを書きます。
組織の一員として「世間」の期待を裏切らないよう「見せる」姿
「見せる」姿を保つために、「見せる」姿になるために
努力は必要だし、
乗り越えないと見えない世界もある。
ですが、その「見せないといけない姿」のために
「私が頑張るしかない」
「私が頑張らないとまわりに迷惑がかかる」
と無理を重ねてしまう
何もかも自分で引き受けてしまう社員に「甘え」
「好意の搾取」をしていることが
当たり前すぎて気づきもしない組織は
「事が起こらない」とどれだけ今の組織が危うい状況にあるのか気づかない。
「事が起こってしまった」時にはもう遅いのに。
もって生まれたもの
先日高校生のお嬢さんをもつお母さんと色々話をしたときに
お嬢さんが小さかった頃の話になり。
お嬢さんには物心ついたときから同じように成長してきた同い年の仲良しさんが居て。
その仲良しさんのご一家はお母さんが京大を出たりと優秀な方々なのだそうです。
同じように育ってきたはずが、「何もやっても」お嬢さんはその仲良しさんに「敵わず」
お母さんはなんとも辛かったそうです。
小学生になったお嬢さんは不登校となり、暫く学校にいけない日が続いたのだそうです。
(暫くして乗り越え登校するようになり、今は元気に高校生ライフを楽しんでいるようです)
その頃お母さんは悩み苦しんだのですが、
でも心の中には「これで〇〇ちゃんと比べられなくて済む」
というほっとした気持ちが正直あったと、
当時のことを思い涙ぐまれるのでした。
その頃のお嬢さんはどんな感じだったのか?
とお聴きすると
「あまり気にしていないように見えた」そうで、
仲良く一緒に遊んでいたそうです。
お母さんが感じていたコンプレックスは
お嬢さんはそれ程感じておらず
それよりも〇〇ちゃんと一緒に遊んだり、笑ったりすることが
楽しかったのかも知れません。
ですが、成長していく中で
「頑張っているのに選ばれるのは〇〇ちゃんばかり。なんで??」
と泣くこともあるかも知れません。
そうやって
悔しさを憶え
色々なコンプレックスを抱え
痛みを知っていくわけで。
ああ、この子もこれから私が経験してきたような痛みを抱えて生きていくのかと。
不憫に思うかもしれません。
でもね、「痛み」を知ることは
生きていく上でとても重要なことだということを
私達は知っていますよね。
そうやって作っていくお子さんの世界はお子さんのものであって
親のものではない。
「もって生まれたもの」は人それぞれ違うわけで、
自分が「もって生まれたもの」で勝負するしかないし、
その時その時にやるべきことをやっていくしかない。
そうやって「気づき」を増やしていくことが
人生の醍醐味ではないかと思います。