日記
「前を向く」ために(その1)
以前お話したように
「キャリアオフィス YBTY」のYBTYは
You Blong To You.
の頭文字で
貴方の人生は貴方自身のもの、他の誰のものでもないんだよ。
という思いを込めてこの屋号を決めました。
そこには「ありたい自分」のまま生きてほしい。
貴方らしく生きてほしい。
という願いがあり、私自身にも問いかけている言葉です。
でも自分らしく「ありたい自分」のまま生きる事はとても難しいと思います。
だからこそ敢えて、です。
家庭の中で、学校で、職場で、地域活動の中で、ご近所づきあいの中で
「不本意ながら従わざるを得ない」という状況に陥ること、ありますよね。
特に会社勤めをしていると
大小の違いはあるものの
「不本意ながら従わざるを得ない」状況は常にあり、
でも「生活のため、家族のため、お金のため」我慢されている方は多くいらっしゃると思います。
もしかするとそのために「会社を守る」ことが最優先事項であり、使命であり、
そのためには「自分らしく」生きる事なんて二の次だと考えている方もいらっしゃるかと思います。
なぜかこの1週間、
アメリカの心理学者マズローの欲求5段階説を取り上げるメディアに触れる機会が多かったので
ここでちょっとご紹介します。
①~④までが欠乏欲求、⑤が成長欲求で、低階層の欲求がある程度満たされると、より高度な欲求を求めるとマズローは提唱しています。
マズローはのちに自己超越欲求を加え、利他的で精神的なものへの欲求を最も高次な欲求と提唱しています。
ただ、個人や社会や文化によって何が優先されるかは異なり、絶対的ではないという説明も添えられています。
堅苦しくなってしまいましたが、「ありたい自分」でいることは⑤の「自己実現」の欲求であり、
安全に生活でき、社会に参加できかつ承認欲求がある程度満たされてこそ求められる欲求と考えると
「そりゃ難しいわな」と実感できるのではないかと思います。
だって、水がなく食料もなくお金もなく家もなく、明日生き延びられるかどうかわからない
という状況の中では「まず生きていくこと」で精いっぱいで、
「ありたい自分とはどんな自分だろう」と内省する余裕はなく
就職先がなく食べることが出来ない時には
「「ありたい自分」が活かされる職場で働きたい」
ではなく
「どんな職場でも働けて収入を得られるだけで有難い」
になりますよね。
だから企業に雇用されている人は
「ここを辞めたらここより良い職場に就職できる保証はないし、たちまち安定を失うのは怖い」
が常に頭にあるのは当たり前です。
ですが、どんな環境でも自分を見失わない人はいらっしゃるし、自分を見失わない人は
「前を向いて」生きられますよね。
ということで、
次回は特に組織の中で自分を見失わないとはどういうことなのか?
を考えたいと思います。
しつらえ
最近読み終えた本の中で、金沢の「鈴木大拙館」の話が出てきて
そちらの「水鏡の庭」の「思索空間」に主人公が座って物思うシーンがあるのですが、
その佇まいに惹かれて「鈴木大拙館」のHPを覗いてみました。
今は修繕工事の為3月中旬まで閉館されているようですが、
落ち着いたら是非訪ねようと思っています。
「鈴木大拙館」は展示されているものが少なく、館内はものが少ないのだそうです。
わざとそうしているとのこと。
物が少なければ、入ってくる情報量も少ないので、
来訪者が余計な事で頭をいっぱいにするのではなく、
より考えを深められるようにそうされているのだとか。
本の中では「鈴木大拙館」の佇まいから「しつらえ」の話になります。
「しつらえ」とは「空間や部屋の演出方法」
ネットで調べたら出てきました。
ちなみに余談ですが。
ChatGPTで調べると
「しつらえ」は「整える」や「配置する」などの意味を持つ言葉で、
一般的には物事を整理したり、配置を調えたりする行為をさすことがある
とのこと。
...。
なるほど。
ChatGPTは便利だけれども、
知っている言葉について聞いてみるとおいそれと鵜呑みにしてはいけないことがよくわかります。
(どんどん成長していきますが)
私達日本人が大切にしている「しつらえ」は
例えばお客様をおもてなしするときに
お客様が心地よく過ごされるよう
空間や部屋を演出することではないでしょうか。
そして「しつらえ」は
しつらえた人ののセンスを問われますわね。
そこにはその人が今まで培ってきた教養やものの見方や思考、
色々なものが写しだされるわけで。
怖くもありますが、
その背景にあるのは
日本人が大切にしている「おもてなし」の心であり、
誇れる日本の文化なのだから
「しつらえ」
大切にしていきたい。
そう思うと知りたいこと、学びたいことが山のようにあり。
私の興味のあることは茶の湯に通じる事が多いので
茶の湯の世界をもっと探求したいし。
ほんま世界はまだまだ知らないことで溢れていて
知りたいことで溢れていて
そしてそれらは私次第でいずれ知ることが出来る。
かも知れない。
この有難い世界が無くならないようにと切に願います。
走る
早いもので1月も後半になりました。
10日は10日戎で、西宮のえべっさん西宮神社では今年の福男さん決まりましたね。
知り合いのSさんが昨年から挑み続けていらっしゃり、
これがもう、なかなかのドラマなんですわ。
まず、9日22時からくじを引くための受付が始まるらしく、
これが人数制限があり先着1500名までがくじを引けるらしいです。
そしてなんとっ!
Sさん間に合わず今年は無念の中帰ったそうです。
なぜ、間に合わなかったのかっ!
昨年は電車で向かったSさん。
受付に間に合い1500名の中に入ったものの
くじ引きが始まるのが10日0時で、
近所に暖をとるようなお店もなく
それまで寒い中待機しなければならず、
あまりにも昨年寒すぎた上に
くじ引きが0時からで外れたので家に帰るにも
その頃は終電もなくなっているので始発まで待ったらしく。
とほほな有様だったそうです。
今年は車の中で待機しようと、かなり遠くの駐車場でもええわ!
と覚悟を決めて車で結構早くに神社近くに着いたらしいのですが、
結構遠くの駐車場までも満車で、
ようやく見つけて急いで駆けつけたけれども時既に遅くだったらしく。
「やっぱりみんな考えることは一緒ですわーっ。
来年はやっぱり寒い中耐えることにしますわーっ」
とのこと。
もし受付に間に合ってくじを引けても走れる人は
赤いくじに当たった108名、青いくじに当たった108名だけで、
門の前にまず赤いくじ1番を引いた人から順番に並び、
その後ろに青いくじの108名が並ぶとか。
「まずは赤!赤をひくことが目標ですわ!」とSさん。
うんうん!
「でも赤の一番くじを引いたからと言って門の端から並ぶので1番優位かというとそうでもなく、
やっぱり真ん中位がベストポジションみたいですわ。未知の世界やから知らんけど」とSさん溜息。
..うんうん。
ちなみに赤いくじに当たった人はその後注意事項など説明を受け解散後4時に集合、
青いくじに当たった人は3時に集合、で、実際の福男選びは午前6時から始まります。
..。
走るまで長っ!
「でも知ってます?一番福になった人ってその年結構不幸なめに遭うことが多いらしいですわ。
振られたり、不倫がばれたり、離婚したり、バイク盗まれたり、新車傷つけられたり。。」
なるほどっ。
なんだかわかる気がする。
だって一番福に到達するまでにどれほどの運を使ったことかっ!
「でも福男は自分が幸せになるのではなく周りに幸せをもたらすんだそうです!」
ほっほー!
「それでも走りますか?来年」と私。
「勿論走りますとも!」とすかさずSさん。
「不幸になるかもしれませんよ?」と言うと
「ええんですっ!まわりに福がくるなら!」とにっこり。
眩しいぜっ!その笑顔!
ちなみにSさん大阪マラソンにも挑んでいるらしく
今まで1回も当選したことがないそうです。
「今年も挑戦しますでーっ!」
おーっ!!
日本はまだまだ大丈夫。
貴方のような人がいる限り。
私達は危うい世界に生きている
今日は14日で、地震から早半月近く経ちますが、
なかなか復興は進まず
災害関連死も増えていますね。
どうか
かけがえのない命がこれ以上失われませんようにと
願うばかりです。
避難場所によっては食料がやっと届いても日々パンやおにぎりだけになってしまい
ある高齢者の方が「こんなもん食えんわ!」と投げつけたとか。
避難されている方のために毎日おにぎりを握っている市役所勤めの若者が
「私はおにぎり握るために公務員になったんじゃない!」とおにぎりを投げつけたとか。
これだけ聞いていると投げつけた二人に良い印象をもつ事は難しいですね。
ですが、高齢者の方は物を飲み込めない嚥下障害者で、
下手をすると窒息死する危険があり
毎日おにぎりを握っている若者の手は熱いごはんを握り続け
真っ赤になり火傷を負っていたそうです。
二人とも、もう心身共に極限状態だったのでしょう。
もしごはんを投げつけている場面だけ映し出されていたら
知るべきことを知らぬ間に私達は受け止めてしまう。
そして心無い中傷にさらされてしまうかもしれません。
背景を知っても、自分の価値観からは「到底許せない」と思い
やはり非難する人もいるかもしれません。
そんな世界に私達は生きているのだなあと思います。
SNSだけではなく、私達の日常は
こういう誤解や偏見や思い込みに溢れていて
そして各々の信じる正義のもとに
争い事が無くなることはないですね。
ともすると、自己防衛のために他責に走ってしまう。
あるいは自責に走り、「自分なんか生きていても仕方ない」なんて思ってしまう。
ですが。
この嚥下障害者の方の話がきっかけで
どうすれば流動食を提供できるか
そういう支援の動きが広まっているとお聞きしました。
(きっかけはこの方の話だけではないとは思いますが)
ちゃんと伝わる人には伝わる、
困っている人が居ればとなんとか救おうと努力する人が居る
私達はそんな世界にも生きています。
どの世界に生きるのか。
捉え方ひとつで世界は変わる。
そのことが今深く沁みます。
見えない境界線
能登半島震災で被害に遭われた全ての方々に
謹んでお見舞い申し上げます。
お正月、ましてや一月一日は
穏やかな晴れの日で
たとえ前日とんでもない嵐でも
一月一日は穏やかに晴れている。
日本はそんな国だと、それが当たり前だと思っていました。
未だ先の見えない不安の中で
「自分たちに出来る事」を探して
川やプールの水を浄化して何度でも繰り返し使えるお風呂のシステムを引っ提げて
被災地に向かった大阪のあんちゃん達や
野菜や肉を持ち寄って暖かい豚汁を作る有志の方々が居る一方、
避難所の自販機を壊して飲み物と金銭を奪ったり
偽の情報で救護の邪魔をしたりSNSで悪意のある偽情報をたれ流したりと
その境界線はどこにあるのかと思います。
地震の衝撃も冷めやらぬ中、羽田空港でのJAL機と海上保安機が衝突しての両機炎上。
衝突から炎上する機体から18分間で全員避難できたことは「奇跡」だと
特に海外メディアが称賛されていますが、
JALの乗組員の皆様のプロフェッショナルな対応と
荷物を持とうとした乗客に「荷物を持たないで!」と叫びCAに協力する乗客。
パニックコントロールは1つ間違えると大惨事になる中、
よくぞ成し遂げてくださった。
日本人としてとても誇りに思うし、自身の襟を正す契機も与えてくれました。
機長は全ての乗客が避難した後機体をまわり取り残された人は居ないか確認後
最後に機体を後にしたとの事。
「奇跡ではなく日頃の保安要員としての訓練からして必然だった」
とおっしゃっているJALの元CAの方のインタビューを拝見しながら
今までのJALの苦難の歴史を思い起こしていました。
JALもANAも創業以来
多くの人命が失われる事故を何度か経験してきました。
特にJALは2010年に経営破綻し、
コロナ禍の中では航空業界も非常に厳しい状態でしたね。
その中でも
過去苦い事故を経験し悔しい思いを経てきたからこそ
空の安全を守るための機体整備や訓練は決して蔑ろにせず
粛々と行われていたからこその
当事者から見ると「当たり前」、でも外から見ると「奇跡」のような今回の全員救出に繋がったのだと思います。
事故当時、付近にいたANAのスタッフも
避難誘導や近くにいたANA小型機のトイレを貸したりと乗客のケアに努めていたとの事。
こういうことがあると
航空業界に勤務している方々のプライドを感じずにはいられません。
いざという時、人の真価が問われるのはそういう時。
見えない境界線のどちらにいるかは
それまでどんな環境で、どんな経験をしてきたかですよね。
震災前に和菓子の本を読んでいて、
丁度金沢の伝統菓子「五色生菓子」がでてきたところだったので
驚きました。
「五色生菓子」は
赤(=太陽、日の出)、白(=月)、黄(=稲穂で豊穣、里を表す)、緑(=あお、海を表す)、茶(=大地、山を表す)
で天地の恵みを表す5つで構成された祝菓子で慶事には太陽に対して陰となす月(白)を外して贈ることもあるそうです。
北陸に根づいた豊かな文化。
和菓子の世界で秋冬に使う「緑」は松や竹など、冬中ずっと緑色をしている植物の表現になり
寒さに負けない永遠を寿ぐモチーフなのだそうです。
もっと季節が進めば白と合わせて雪の中から顔を出す新芽のイメージになるのだとか。
自然は私達に豊かな恵みを齎してくれるけれども、時に容赦なく残酷に襲いかかる。
どうか皆様、ご無事で。