日記
2025年のこんにちは
1週間前の日曜の夜から栽培キットで椎茸の栽培を始めまして、
霧吹きで朝夕2回水を与えるだけでなんという事でしょう!
こんなに育ちました
通常価格の半額990円(税抜き)で通販で購入した栽培キット(おそらく売れ残りの最終価格。もりのしいたけ農園というところのものです)
あと2回は収穫できるそうで、おばさん小躍りして喜んでおります。
成長の過程がしっかりわかるので、お子さんの食育にもお薦めですよ!
万博開幕しました。
あれだけ批判されながら
蓋をあけてみれば
なんとワクワクする世界を
作り上げて下さったことか。
携わった皆様、
本当にありがとうございます。
開会式も素晴らしく何度涙したことか。
貴方は行かれますか?
私は可能な限り行こうと思っています。
まずは5月中旬の予約を既に入れていまして、
2か月前予約を済ませましたが
行きたいパピリオンがいっぱいあるので
悩ましい!
思い起こせば今から55年前の大阪万博
かなり小さなころでしたが
動く歩道に感動したり
天井一杯広がる蒸気機関車(確かみどり館だったような)に圧倒されていたことを
いまだにしっかり覚えています。
何より外国からの人がいっぱいいて、
レストランで隣に座った金髪で青い目の美しい男性が
バニラアイスのお皿を手前に引き寄せて
「これで食べるんだよ」と言うように
にっこり笑って私にアイスクリーム用のスプーンを渡して下さり、
私、舞い上がる舞い上がる!
でも恥ずかしくて
御礼言えなかった事をしっかり覚えています。
美味しかったなぁ、あのアイスクリーム..(遠い目)
田舎に住んでいた私は
お皿に盛られたバニラアイスなんぞ
見たこともなく、生まれて初めてがてんこ盛りの1日でした。
「こんにちはぁ~こんにちはぁ~西のぉ~国からぁ~」
と歌う三波春夫大先生のお姿とともに、
1970年の万博は「未来」という言葉も充分に理解していない子供にとっても、
夢がいっぱい詰まったワクワクする空間で、
今の私にとってもとても愛おしい記憶です。
だからまだ頭と足腰がしっかりしているうちに
このまたとない機会を充分に楽しもうと思っています。
どこにいても、どんな人にも
チャンスは巡ってくるのに
そのチャンスに気付かないと
そして掴める自分でいないとチャンスは逃げる。
長い年月の中で、私が身に沁みて悟った教訓の1つです。
さぁて!
楽しむぞ!
リスタート
なんともう4月(このフレーズ毎月言っているような..)
なんともう年の4分の1は過ぎてしまいました..。
この週末ちょっとだけ大阪城公園の桜を観てきました。
トップページ1枚目はその時撮った写真です。
大阪城公園まで来ると、西の丸庭園まで行って桜の中の天守閣を撮るのが常だったのですが、
今年はあまりにも人が多く諦めました。
写真では人少なそうに見えますが、
顔が分かる人達はAIで削除しているのでございます。
消したところはそれらしい画像に自動修復してくれるのでAIほんま恐ろしく便利...。
ざっと見渡したところ、8割はインバウンドの方々ではなかったかと思われ、
人種も多種多様で、まさに「人種のるつぼ」化していた大阪城公園。
歩きながら「さくらぁさくらぁ」と歌いだす人もいて
皆さん楽しそうで何よりでした。
屋台を写真に撮っている人多かったのですが、
確かに色とりどりの看板の平仮名や漢字の混じったPOPは
「日本」らしいのかも。
4月は年度替わりで、
ピカピカの一年生になった人も多く
3月から4月にかけては
別れと出会いに季節でもあり、
気持ちが追いつかない人もいらっしゃるのではないかと思います。
新しい環境に慣れるまでは毎日がほんと大変。
「最初が肝心」と肩に力入りますしね、
でも張りつめすぎると、
空気がパンパンに入ったボールのように
押されたらすぐ跳ね返してしまうし、
跳ね返すのに疲れてしまうと
空気が抜けて跳ね返す力もなくなってしまい、
押されっぱなしになってしまいます。
もし空気が抜けそうになったら、
「助けて!」と声を出せる人になってほしいし
声が出せる環境であってほしい。
(それは仕事の場でも。学校でも。家庭でも)
そのお手伝いをすることが私の仕事です。
4月はリスタートできるチャンスの月でもあります。
「キャリア」とは仕事だけのことを言うのではなく
もともとは「轍」を意味するラテン語「carraria」から端を発した言葉で、
人が辿る経路や足跡を意味するところから、
人生の中の様々な役割(学生、仕事人、親、子供等々)を含めたもの
仕事を含めた人生全般と捉えることができます。
折角なので
貴方らしい轍を
是非作っていってください。
そのための応援が必要なら
馳せ参じますで!
正常と異常の境目
ミャンマーの地震で今現在の死者数は1000名を遥かに超えて、
大惨事となっていますね。
最近神戸の老舗の洋食屋さんとお寿司屋さんでごはんを食べたのですが、
2店ともミャンマー出身の若い女性がスタッフとして働いておられ、
老舗の洋食屋さんでは
インド系の華奢な女性が丁寧な日本語で一生懸命給仕してくれて、
会計の時にお店の人に「日本語が上手いあの方はインドの方?」と伺うと、
「もともとはインドらしいのですが、
ミャンマーからだそうです。」
とのこと。
たまたまかも知れませんが、
多くのミャンマー難民が祖国を離れ、
日本が今「第三国定住ミャンマー難民支援」として受け入れている人たちなのかも知れない
とふと思ったりしていました。
その矢先だったので、地震のニュースを目にしたとき
一生懸命な彼女たちの顔が浮かびました。
彼女たちのご家族や友人、そして家は大丈夫だったのだろうか?
難民として避難してきているのだったら大丈夫なのか。
それがそもそも残酷なことじゃないか。
などとやるせない気持ちで色々思いを巡らせてしまいます。
今ミャンマーは国軍と民主派勢力、そして少数民族との間で戦闘が続いており、
地震後も国軍は空爆を続けているとか。
軍によるクーデター後の死者は6000人以上に上るという報道もあり、
今回の地震により本当に支援が必要な人に内外からの支援物資が届かない可能性は充分想定できます。
「人道支援」という言葉が虚しく思える現状です。
ヒトラーは晩年、コカイン中毒だったことをご存知でしょうか。
(私はつい最近知りました)
ホルモン剤から始まり鎮痛剤から覚せい剤、
そして第2次世界大戦勃発後1944年のヒトラー暗殺未遂事件で
ヒトラーは耳を負傷し、その痛み止めのために
コカインを常用していたとか。
そのせいなのかどうなのか。
誇大妄想にとりつかれ、現実逃避が目につくようになっていったとか。
ヒトラーが薬物中毒でなければこの世界は変わっていたのか。
正常と異常の境目は何処にあるのかと考えます。
「正常な世界」と「異常な世界」
「正常な権力者」と「異常な権力者」
「正常な心」と「異常な心」
誰にとって正常で、誰にとって異常なのか。
「異常な世界」の真ん中にいても
気づかず生涯を終えてしまう人もいて
気づいても「異常な世界だ」と声をあげる手段を知らず
朽ちていく人もいて
声をあげてもかき消されてしまい、
やがて諦める人もいる。
そもそも
私自身は正常なのだろうか。異常なのだろうか。
ここまで考えふと彼女たちに思いを馳せた時
現状が異常であっても正常であっても
関係なく
彼女たちの未来は祖国の希望になるのだということに
気づきました。
この世界の片隅で
祖国を離れ、遠い異国の地で、一生懸命言葉を覚え懸命に働く彼女たちは
生きることに必死な彼女たちは
確実に生き抜くための力をつけていっているし、
今の経験はこれから生きていく上での肥やしになるのは間違いありません。
彼女たちが明日のアウンサンスー・チーになるかもしれません。
そしてそんな彼女たちに
祖国が今正常か異常かなんて聴くことがどんなに愚かなことなのかと
同じ場所に居ながら全く違う世界に居ることに
愕然とします。
おはぎとぼた餅
早いものでお彼岸ですね。
お彼岸になると仙太郎の「ぼた餅」を求めて店頭に並んできた私。
仙太郎の「ぼた餅」は青じそが入っていて
なんとも美味しく私の大好物だったのでございます。
ただ春も秋も「ぼた餅」として販売していたので、
「きっと老舗の和菓子屋さんらしい拘りがあるに違いない」
と思いつつも不思議に思っていたのですが、
なんとここ数年は「おはぎ」として
「ぼた餅」より小ぶりになって販売されているのでございます。
勿論「おはぎ」も大好物で、
今年も並んで美味しい「おはぎ」を頂きましたとも!
でもなんで「おはぎ」になったの??
調べました。
私はおはぎとぼた餅は同じもので
春のお彼岸は春に咲く「牡丹」の花から「牡丹餅」
秋のお彼岸は秋に咲く「萩」の花から「御萩」 と呼ばれると思っていたのですが、
それだけではなく、また地域によって色々な由来があることがわかり、
おはぎ一つとっても色々な思いが込められていて、
私達の先達はなんて豊かに暮らしてきたのだと思います。
まず「牡丹餅」
春のお彼岸の頃に咲く花の形が似ているからというだけでなく
魔除けや病除けによく使われる色である、赤い花弁を持ったものが多く、
魔除けや厄除けの効果をあやかれるようにということでもあるのだとか。
そして「御萩」
秋のお彼岸の頃咲く萩の花が小豆と似ているからということと
生薬として使われていた萩の花の効能である魔除けや病除けといった効能にあやかれるようということでもあったとか。
また、大抵はぼた餅はこしあん、おはぎはつぶあんを使うらしく
これもしっかり理由がありました。
小豆は秋に収穫されるので、乾燥させて年中あるものの旬は秋なので、
秋に頂く「おはぎ」は
採れたばかりの柔らかく薫り高い小豆を使うことが出来るので、
小豆の香りや食感を楽しめるつぶあんが使われることが多く
春は冬の間保管され、すっかり乾燥して皮が固くなった小豆を使うことになるため、
固い皮を取り除いて作られるこしあんが基本になったといわれているそうで。
そうだったのか..。
形や米の品種でおはぎとぼた餅を区別する地域もあるそうで、
ぼた餅は牡丹の花のように大きめで丸型、おはぎは萩の花のように小ぶりで俵型と区別したり
もち米で作ったものをぼた餅、うるち米で作ったものをおはぎと区別する地域もあったり
通年同じ呼び方をする地域もあるのだとか。
最近は季節の関係なく「おはぎ」という名前で販売しているお店が多いですよね。
で、仙太郎の「おはぎ」
なんでも「ぼた餅」に使われる「丹波大納言小豆」の生産農家が大幅に減った上に数年にわたる不作で
令和元年の7月から大きいことで有名だった「ぼた餅」(120g)から今の小ぶりの「おはぎ」(80g)になり、
値段は240円から180円(税抜き)に改定されたとのこと。
小さくせざるを得ない事情があり、
実際に小さくしたぼた餅を見て
「これはもう仙太郎のぼた餅と違う!」
となったのかな?(知らんけど)
180円?!
私が今年買ったおはぎの値段は税込238円。
ということは税抜220円!
こんなに値上げしていたことに驚きながらこの文章を書いております。
こんなことならもっと味わってゆっくり食べたら良かった..。
(て購入する前に値段見て気づけ私)
4月1日から紙袋も有料になるらしく..。
「ぼた餅」「おはぎ」のために、
仙太郎は自前の小豆、もち米の畑つくりに取り組んでいるようで
和菓子の過程で生じる「小豆滓、澱粉の残り滓」を干して肥料にして
「土に戻す」のだとか。
そういう真摯な取り組みが透けて見える「おはぎ」
また今年の秋も来年も再来年もこりゃ並ぶよな、私。
「おはぎ」に限らず、「和菓子」に限らず、
人が作りだしてきた全てのものには物語があり、
その物語を知ることはとても大事なのだと思います。
人も同じで、全ての人には物語があり、
その物語を知ることはとても大事なのだと思います。
ジャケット
今週は前半暖かくすっかり春の気配でしたが、
昨日からまた寒くなり、体調管理が大変ですが如何お過ごしですか?
暖かくなったので先日勢いで買ってしまったブラウスに
何か羽織るものをと思い
お客様訪問日でもあったのでジャケットを着よう!
とクローゼットを物色するものの
「ない!」
いや、クローゼットの中にはちゃんと
ジャケットは数枚あるんです。
あるのですが、今の自分が「着ていける」ジャケットがない!
(服あるある)
勤め人の頃は迷うことなく毎日着ていたのに..。
と自分のライフスタイルが様変わりしたことを
しみじみ思う私。
そう言えば、久しぶりに会った勤め人時代お世話になった方が
「こんな感じの人でしたっけ?」
「こんな風に笑う人だったんですね」
とおっしゃられ、
私自身は意識していなかったのですが、
印象が随分変わったようです。
勤め人時代は
ジャケット、膝下丈ののスカート、ストッキングにパンプス
勿論黒髪で数十年過ごしていましたが
今はピンク系の茶髪で
今は企業研修や余程の改まった席以外は
だいたいはセーターかプルオーバー、
パンツ、スニーカーという
自分が過ごしやすい服で色々な場所に出向いております。
最近見た目が益々重要視されているなあと思うことが多々あります。
若者と話すと、色白になるために定期的に注射を打ったり、
ボトックス注射やプチ整形のために
定期的に韓国に行ったりと
「美」の対する執着が凄いことになっているなあと思います。
私達の世代はどうかというと、
改まった場での
そぐわない服装や振る舞いは
「良識がない」ということになるでしょうか。
勤め人時代も今も
時々講師という立場で皆様に接することがあるのですが、
ある時「講師」を生業にしている人に
「歯をどうにかしないとだめだ」と言われ、
それまでにも何人かの人にそのようなことを
仄めかされたことを思い出しました。
ホワイトニングなどは考えたこともなく、
歯の裏は色素沈着で酷いことになっていて
今思えばそんな歯でよく平気で人前に出ていたものだと
そして対面で不快になられていた方も多かったのではないかと
申し訳ないやら恥しいやらで
赤面してしまいます。
指摘を受けてから抜本的に歯の治療を行って
今は3カ月に1回定期的に歯医者さんに通い
検診と歯の掃除をしているのですが、
歯の治療後は肩こりや頭痛がましになったりと
「なんで早く行かなかったのか」と悔やんでおります。
余談ですが、
歯周病はひどくなると歯周病菌が全身にまわり
糖尿病や動脈硬化による心筋梗塞や脳梗塞、
誤嚥性肺炎などを引き起こすのだとか..。
歯周病予防のためにも、定期検診、ほんま大切。
歯を綺麗にするようになってから人の歯が気になるようになった私。
するとっ!
なんと世の中には歯に気を配っていらっしゃる方が多い事かっ!
はぁ..。皆様知らぬうちにしっかりケアされていらっしゃったのですね..。
で、歯のケアを全くしていないであろう私に
アドバイスしたけれども
はっきり伝えるのが憚られて
「それとなーく」伝えて下さっっていたのに
まったくそんな意識がない私は「聞く耳を持たなかった」ので
その講師の方にはっきりと指摘されるまで気づかなかったわけで..。
くう!
もしや歯以外にも私の至らなさを「それとなーく」伝えて下さっていたのに
鈍感な私は気づかず。
あるいは「放っておいてよぉ!」と反発し受け入れられず、
貴重なアドバイスを放置してきたのではないかと
思い当たることも多々あり
今さながら悔やんでおります。
と悔やんでばかりいても仕方がない。
今が一番若いとき。
指摘してくれる人がいらっしゃることは幸せな事。
素直な心でその指摘を受け入れられる自分でいるよう
私自身成長しなきゃね。
ジャケットを着なくなった今の私の出立は
今の私のライフスタイルに合った快適なものだけれども
次のステップに行くためには
「ジャケット」が必要な場所にどんどん出向きたいという
気持ちがあり、そろそろ「自分にあった」ジャケットを
探しに行こうと思っています。
そして、今の自分に合わなくなった服は
「断捨離」しようかなと。
そうやって新陳代謝を繰り返して
私は成長するのだなあと
思います。