日記
後悔するよ人間だもの
あっという間に年の瀬ですね。
最近は「今年どんな1年だったのか?」と振り返る会話が増えています。
何故か今年は「散々な一年だった!」という方が周りに多く
「あまりにもひどいので今まで信じていなかったけれど
占いにいくと今年は最悪の年(天中殺?大殺界?みたいな)だそうで来年2月以降に抜け出せるといわれた」
という方が居らっしゃり。
そのことを「今年はひどい年だった」という人にお話しすると
即座にスマホに自分の生年月日入力し占い検索する確率今のところ100%。
その気持ち痛いほどわかりますで。
私はというと、「やらなかった」事が多すぎて今ぐじぐじ後悔しています。
「こんな筈じゃなかった!」という感じでございます。
日々私たちは何かを選択していますよね。
例えば朝起きて今日着ていこうかなから始まり、
時には大きな決断を迫られることもあります。
知らず知らずのうちに私たちは無数の取捨選択の中で生きているわけで。
その時は勿論正しい選択だと思っているのですが
あとで振り返った時に
「あの時こうすればよかった」と後悔すること。
私は多々あります。
今の私ならこうするのに!とか。
何であの時あの人の忠告を聞かなかったのだろう!とか。
時は戻らず取り返せない。
でもね。
「あの時の私は、あれが精いっぱいだった」んですよね。
そしてその選択の結果、今は辛い状況になっていたとしても
挽回できる時間はまだまだあり、「間違った」選択だったと
ジャッジするのはまだまだ早い。
あの時のあなたはあれが精いっぱいで
生きている限りまだまだ挽回できる時間はある。
その時の選択を笑って振り返ることができるよう
お互い頑張りましょうぜ。
距離
如何お過ごしですか?
私はずるずると後回しにしていた年内の不燃ごみ出しのために
家の片づけを昨日から始めているのですが
なかなか気乗りせず進まずで、トホホな状態です。
要不要のジャッジをするのが苦手で
「要らないものを捨てる」のが私にとってはとても難しい。
ちゃちゃっと断捨離できる人、尊敬します...。
価値観は人それぞれで、
自分の価値観からすると
「間違っている」
「許せない」と思う人も居るわけで。
あなたたから見ると「明らかに間違っている行為」は
その人の価値観からすると
「正しい行為」で
非難するあなたは理解できない。
これが職場であれば、あるいは家庭であれば
人間関係、しんどいですよね。
衝突も起こります。
そんな時大切なのは
「相手に引きずられず、冷静な距離を保つ」ことなのだと
自分自身に言い聞かせております。
本人は一生懸命なのですが
同じようなミスを繰り返し
その尻拭いをまわりの同僚がせざるを得ないことが
日常茶飯事なのですが、
そのことに対して「申し訳ない」という気持ちが伝わってこない
というAさんがいたとしましょう。
尻拭いが常態化している同僚達はどんな状態かというと
その人に優しく接することは難しく冷たい態度になることは
想像に難くありません。
これは価値観の違いというより、
Aさんによって余計な負荷を被っている人達が感じる
不公平感、そして何度説明しても注意しても
改善されないことへの疲弊や怒り、
あるいは諦めも入り混じっているからこその
態度でしょう。
Aさんは本人なりには頑張っているのですが、
学習し改善することが構造的に起きておらず
周囲の負担に対する想像力が弱いのかもしれません。
あなたがその職場に居たとしたらどうでしょう?
私はきっとその場にいるのがしんどいだろうなあと思います。
なんとかしたいと思うかもしれません。
間違いなくAさんは能力不足で「職務を果たせていない」のですが
本人は一生懸命で「悪意はない」こともわかるのです。
そしてまわりの同僚の気持ちもとてもよくわかるというより
あなた自身も被害を被っていて腹立たしくも思っているのではないかと思います。
だからしんどい。
でも大切なのは「相手に引きずられず、冷静な距離を保つ」こと。
Aさんは悪意はないが「職務を果たせていない」のは事実。
ミスを見つけたら、本人に戻しできれば一緒に確認する。
でもAさんの能力不足は私の責任ではない。
だからといって感情で訴えるのではなく
どのようなミスがあり、どういうフォローをして
そのために負荷が高まっている事実を
職場全体の問題として上司や管理者も含め共有することが
あなた自身が擦り減らないためのまっとうな手段だと
思います。
頑張りすぎる人(その2)なぜ特定の人だけに負荷が集中するのか
前回最後に「頑張りすぎる人は報われにくい」で終わりましたが、
紐解いていくと「なぜ特定の人だけに負荷が集中するのか」
が見えてくるので少々お付き合いください。
また前回「条件付きの付加価値」の話をしましたが
人の努力は「特定の条件が揃わないと価値として見えない」もの。
例えば
いつも周囲をフォローしてトラブルを未然に防ぐ人は
問題に起きないように頑張るので
「問題が起きなかった」状態だけが見えるので
その人が不在が故に
トラブルが発生したときだけにその人の価値がやっと見える。
あるいは逆に目に見えて頑張って成果を出し続ける人に対し
周囲はこう思うようになります。
「あの人ならやってくれる」
「あの人ならこれくらいは簡単でしょ」
「頼りにしてる(=無償で追加負担を求める)」
頑張りが“当たり前”になり、本人の努力が「見えない価値」となります。
そうなると
周囲には価値が見えない → 評価されない
頑張っているのに報われない → さらに頑張る
となり、条件付き付加価値に依存した組織構造が固定化し
悪循環が発生し
「仕事をやった人がさらに仕事を任される」
となるわけです。
属人化(特定の業務やノウハウが特定の個人に依存している状態)色の濃い組織では
それが日常ではないでしょうか。
頑張り過ぎる人は、「頼まれた=やるべき」と思いがちですが、
それこそが「条件付き付加価値の罠」です。
頑張りすぎる人はどうすればよいのか?
まずは「責任の境界線」を明確にすることが大事だと思います。
自分がいっぱいいっぱいな時に
なにか頼まれ事をされたとしましょう。
その頼まれ事は自分のやるべきことではなく
本来他の人がやるべきことなんじゃないか
とあなたは思っていたとします。
あなたはその人に嫌われたくないから「断れない」
自分が断ることによって迷惑を掛けたくない
断ると自分の評価が下がるのが怖い
人に任せるのが不安
のだとしたら
無意識に「越境」していることに気づくことが
重要です。
まずは自分自身の責任の範囲を整理するために
これは本来誰の仕事なのか?
その判断をする権限は誰にあるのか?
を考え
もし引き受けた場合の
メリットデメリットを冷静に考えることが
相手にとっても自分にとっても大切なのだと思います。
相手の責任は相手にある
私の選択の責任は私が持つ
相手の期待に全て答える義務はない
自分の限界を伝えることは失礼ではない
もしあなたが「頑張りすぎる」「抱え込みやすい」傾向があるのだとしたら
「できるからやる」ではなく
「自分がやらなくても物事は回る」という感覚を育てることが
大切なのだと思います。
頑張りすぎる人(その1)
あなたのまわりにいますか?
頑張りすぎる人。
実はあなた自身がそうですか?
もしあなたのまわりに「頑張りすぎる人」がいたとしたら
どうでしょう?
頑張っているなあと思いながらも
そんなに頑張る必要がないのに
とちょっと冷めた目で見ているのかもしれません。
頑張りすぎてもそれほど報われないのに。
頑張りすぎる人はどうして頑張りすぎるのか?
実はかつて私、そうでした。
私の場合は長らく母一人子一人でしたので、
生活への不安からだったように思います。
頑張りすぎる人の背景を考えるとき
よく言われるのが
・条件付きの付加価値
・安心や安全のための「過剰な戦略」としての頑張り
・期待に応え続ける「良い人」の役割が習慣化している
・ミスや中途半端、他人に頼ること等人に迷惑をかけることが怖さや罪悪感につながりやすい傾向がある
等々。
また、感情や疲れに鈍感で「このくらい大丈夫」と自分の限界を過小評価する人も。
気づいたときには心身が限界ということにもなりかねません。
心当たりありますか?
この中にある「条件付きの付加価値」とはなんなのでしょう?
「〇〇できたときだけ価値がある」
「特定の条件が揃わないと価値として見えない」
具体的には
「役に立てない自分には価値がない」
「成果を出さないと嫌われる」
「迷惑をかけると嫌われる」
休むと価値を失うと無意識に感じてしまい、常に頑張り続ける方向に自分を追い込んでしまいます。
そして「安心や安全のための「過剰な戦略」としての頑張り」は
「役に立っていれば嫌われない」
「役に立っているうちは安全」と
頑張りすぎが安心を確保する方法
頑張る=身を守る手段
というわけです。
でも頑張りすぎる人は思いのほか
「報われにくい」
(次回に続きます)
Have a nice trip!
先日年に一度の恒例行事、高野山に参拝いたしました。
紅葉まだまだ綺麗に色づいていましたが
昨年と今年の蛇腹路の様子(通行されている方々をAI処理しています)
同じスマホ、同じ11月17日に撮っているのですが
こんなにも違っていたとはとあらためて比較して驚いています。
(トップページの写真は昨年のものにしました)
蛇腹路は金剛峯寺と壇上伽藍の間の小道ですが、
趣があるので高野山に行かれるときには是非いらしてください。
おすすめです。
高野山もインバウンドの方が多く、
蛇腹路を歩いていると、
ある紅葉の木を一生懸命撮っていらっしゃる方
(白人の女性)が居て
何を一生懸命撮っているのかとその木を見上げると
黄色い葉と赤い葉の調和が面白く
「ああ、なるほど!」
と思わず声をだしてしまいました。
こんな感じです。
すると写真を撮っていた方がずっと写真を撮らず待っていたので
邪魔していると思い
「Sorry!」と木から離れると、
にっこり笑っていえいえ、大丈夫!というように首を横にふって
私の横に立ち、しばらく二人で木を見上げていました。
なんともいい時間。
ひとしきり見上げて
「Have a nice trip!」と私が言うと「You too!」と彼女。
にっこり笑ってその木をあとにしました。
帰路高野山から極楽橋までのロープウェイから降りるときの
順番を譲ってくださるアジア系の人もいて、
高野山という真言密教の聖地を訪れるような方々だからなのかもですが、
大阪市内でも図らずとも私の前を横断してしまったときには
「ごめんなさい!」とちゃんと謝ってくれたりと
(下手すると日本人より)礼儀正しい方が多いような気がするなあ
オーバーツーリズムで色々問題になっていますが、
ちゃんと礼を尽くしてくれる方々、
折角日本にきてくれたのだから
良い思い出をたくさん作ってほしいものです。
あ、そうそう。
インバウンドの方に道を聞かれたりで
話をする機会があった時は
別れ際「Have a nice trip!」を必ず言うようにしているのですが、
初めてアメリカを旅行したときに
アジア人に対しての差別を感じることがあり、
あまり楽しい旅行ではなかったのですが、
ドラッグストアのような店で買い物をしたときに
店員さんから「Have a nice trip!」とにっこり笑顔で言われ
なんだか受け入れてくれたようで
とてもとても嬉しかったんですよね。
未だに忘れらない良い思い出です。
3連休だから旅行されている方もいらっしゃるかな?
Have a nice trip!



