日記
Life Go On
前回
素振りをしている少年を見て
「あの時きつい練習を頑張ったから今があるんだ」
と思う元野球少年の話をしましたが
「あの時頑張ったから今があるんだ」
と思える人は「今」がよい状態にあるからこそ
そう思えるわけで、
「あの頃一生懸命練習したのに、結局レギュラーにもなれなかった。
頑張っても所詮私はその程度なんだ。」
と自分を責める人もいれば
「あの時親の言う事なんて聞かず自分のやりたいことをやっとけば、
今の砂を噛むような生活はなかったよなあ。」
「こんなに頑張っているのになんでまわりは評価してくれないのか。」
と恨む人もいます。
「今」で過去も変わり、「今」で未来も変わる。
だから「今」を大切にと言われても
「今」の苦しみが自分でコントロールできないもの
到底乗り越えられると思えないものであったとき
「助けて」ほしいのに「助けて」と言う方法を知らないとき
「助けて」と言っているのに誰も助けてくれないとき
「生きているだけで精いっぱいなのに「今を大切にしなさい」と言われても」
です。
そういう「今」は「無い」に越したことはないのです。
でもそういう「今」がいっぱいあるあるの人生を送ってきて
それでもなんとか生きてきた人は
乗り越えた分人の痛みがわかり、だから人を助けたいと思う。
そういう人を「大人」というのだと思います。
そして
「助けて」と言えない人に
「助けて」と言う方法と「助けてもらっていいんだよ」 ということを
知らない人が居なくなるような世界を作っていくことが
「大人」の役目だと思います。
夢見る頃を過ぎても
とある会社の新人研修を実施し、演習問題をいくつか宿題にしたのですが、
先日演習問題未提出の新人に「演習問題やけどさ」と声をかけたら、
「え?円周率?」
と返ってきて、
「なんで3.14て答えてもらわなあかんねん!」
とつい叫んでしまった私。
そして「え?円周率って3.14やったかな。3.16違うよな。」
と心の中で慌ててこっそりスマホで検索した私。
..。
頑張れ、私。
それにしても、円周率。遠くなったなあ。
円周率が身近にあった頃、自分が何者でもなかった頃。
その頃に好きな事ややりたい事を見つけることが出来たら
なんて幸せな事かと思いますが、
例えば野球が好きでプロ野球選手を目指し
野球部に入って一生懸命練習するものの
まわりには上手い人がいっぱいいて
「自分はどう頑張ってもプロ野球選手になれない」
と思った時。
「でも野球好きだから自分なりに頑張って野球を楽しもう。」
と思っても
「そんなに頑張っても素質ないのになんで頑張るねん。
それより勉強頑張っていい大学に入ったほうがあんたのためやで。」
と言われ続けたら。
「親が喜ぶから」
野球を諦め塾に通い、頑張って「いい大学」に入って「いい会社」に入って
いつも間にか「野球選手になりたかった」自分は日々の生活に追われて
遠い彼方にいってしまい、いつのまにか忘れてしまうかも知れません。
ですが、仕事に疲れてへとへとになって家路に急ぐ帰り道に
1人一心不乱に素振りをしている少年を見かけたら
その頃の自分が蘇り、懐かしいような、切ないような何とも言えない気持ちになるのではないでしょうか。
私達には忘れている経験はいっぱいあり。
そのことも含め全ての経験が今を作っている。
私達は何物にも代え難い宝物のような経験を沢山してきたけれども
ただただ日々の出来事に追われて忘れているだけ。
だからふとした時に思い出して
「あのきつい練習を耐えてきたから今頑張れているんだ」
と思えたら
人生まんざらでもない。
歳を重ねるということは
そういうことで。
だから明日も生きていたいと思います。
物心両面の幸福を追求する
昨日外出の支度をしながらテレビをつけていると、偶然京セラ創業者稲盛和夫氏のインタビュー番組が放送されていて、急いで録画して外出。帰宅後いそいそと録画を再生しようとしたら、どうも録画開始10分ほどでもともと予約していた「ブリティッシュベイクオフ」という番組の録画が始まり敢え無くインタビュー番組の録画が中止されており..。とほほ。
(「ブリティッシュベイクオフ」は腕に自信のあるアマチュアベイカーが(人種も年齢も性別も関係なく)オーブンで焼くお菓子やケーキやパン作りの腕だけで競うイギリスの番組です。)
ですが、その10分の間に話されていたのが「物心両面の幸福を追求し」についてで、
とても濃い内容でした。
「全従業員の物心両面の幸福を追求する」という言葉は京セラの経営理念で、またのちにJALの経営理念にも盛り込まれますが、この言葉が生まれた背景や思いについては色々なところでご自身が語っておられあまりにも有名ですので特に経営者の方はよくご存じかと思います。
「全従業員の物心両面の幸福を追求する」
この言葉だけ聞くと、とても崇高な精神のもと会社を牽引されてこられたのだなと思いますが、
実際には「全従業員の物心両面の幸福を追求する」と決めたことで発足時は「稲盛和夫氏の技術を問う場」であった京セラが、「俺だけの会社じゃない。お前らの会社やからな。ええ加減な働きやったら承知せんぞ」と言えるようになって「経営するのが楽になった」とある講演で語られていた内容です。
「私のためだけなら従業員に働いてもらうためにおべんちゃらを言ったりおだてたりしなければならないですが
「みんなの会社やないか。何で俺だけが頑張らなきゃならんのや、お前もちっとは頑張れよ。」
「文句がある?文句があるなら辞めい。何でそんな奴の一生の面倒を俺が見なきゃならんのだ」となる。
「僕が嫌うのはなく、社員に集まってもらって「こんなんどうや?」「辞めてもらいましょう」となる。」と。
私達は何のために来る日も来る日も朝早く起きて満員電車に揺られて怒られながらも落ち込みながらも頑張るのか。
何のために仕事をするのか。
それは「物心ともに」満たされ「幸せになるためなんだ」と実感して頑張ることが出来る環境にいらっしゃるのだとしたら、それはなんと幸せな事かと思います。
ところでこの経営理念を生み出した時、稲盛氏は29歳。
つくづく凄い方です。
成長する好機
「昔取った杵柄」で、SE関連の仕事もいくつか引き受けておりますが、
最近「なりすましメール対策」対応がトレンドになっているなあと感じます。
特に企業独自のドメイン(メールアドレスの@以下の名前がドメイン名といわれるやつです)を持っていると、
送信相手がしっかりなりすましメール対策をされていると、突然送信エラーなり、あわわあわわされるということが起こり得ます。
大手は別にして、大抵はメールサーバーと言われるものは専門業者に委託されていることが多いかと思います。
ですので、業者に委託されている場合はあわわあわわとなったときはまずサーバーを管理している業者に対応を依頼することになりますよね。
で、先日、某レンタルサーバー取り扱い業者になりすましメール対策対応を依頼する機会がありました。
なりすましメール対策を行う上で、SPF、DKIM、DMARCという3つの認証方式がキーワードになるのですが、
内容については割愛しますね。
かつてシステムは違いますが、問い合わせを受ける側であった私、
このように問い合わせをする立場になると無性にテンションがあがり、ワクワクします。
問い合わせ内容はざっくり言うと
「メールサーバー入替後とあるメール配信ソフトで突然DMARC認証に失敗したので、SPF認証設定と、その配信ソフトではDKIM署名も行っているのでDKIMの設定もお願いしたい」というもの。
担当の方にいそいそ電話をして依頼しました。
すると、
「SPFは対応したことはあるけれどもDKIM認証?DMARC認証?(何ですかそれ?みたいな)
やったことがないので出来るかどうかわかりません。
問い合わせてまたご連絡します」
とのこと。
な、なにー!!!!
普段滅多にかっかしない私ですが(な、なにー!!!)
仕事に対してその専門性を全うしていない事を恥しく思わない人に遭遇すると本当に腹が立つのです。
(先日とあるお肉屋さんで「合挽200g頂戴」と言ったらバイトらしき女子が「え?どんな肉ですか?挽いてる肉ですか?どの肉か指してもらえますか?」と悪びれるわけでもなくどうどうと言ってきたことにブチっと切れてしまい「合挽いうたやろーっ!」と叫んでしまった私。)
で、その担当者の方に「対応できないとそのメール配信ソフトが使用できなくなるので対策を立てる必要があり早めに連絡してほしいが、なりすましメール対策でDKIM認証、DMARC認証ができないと今後非常にまずいと思う(貴方に知識がないだけできっとできると思うけどね)」旨(出来るだけ冷静に)伝えたところ、
「..そうですよね。。」とトーンダウン。
(お?恥ずかしく思っているのか?)
で、結果的には期日までに3つの認証方式に対応できたのですが、
対応完了までに情報のやりとりをその方とメールで行っていました。
そのメール配信時間が早朝だったり、対応された日がお盆休みの最中だったりで、
実態はわかりませんが、時間のない中やりくりし一生懸命対応して下さったのだと思いました。
正常に機能していることを確認したのち担当者の方に御礼のメールを送ったところ、
すぐに「よかったです。安心しました。今後とも宜しくお願いいたします。」と返ってきて、
彼もどきどきしながら結果を待っていたのだなあと思い、彼の印象は最初の電話のときから大きく変わったのでした。
はい。今後とも宜しくお願い致します。
日々の仕事に追われていると、本来生業としている仕事に必要不可欠な情報に追いつけないことがあり。
本当はあってはいけない事なのですが。
で、そのことを知った時どのように考えどのように行動するかで、その後のキャリアが随分変わるのだと思います。
勿論必要に迫られているのでその時は必死で調べて対応し、それが結果的には知識となり経験となりひとつ成長するわけですが、そこから1歩進んで「時間ない中必要な情報はどのように吸収できるか」を検討し「通勤のときや眠る前30分とか早朝30分は勉強の時間に充てる」ようになれば、一つの苦い経験が大きく成長するための好機になったりするわけです。
でも「言うは易し。行うは難し。」
なかなか難しい。
まずは自分の至らなさを真摯に受け止め、少しでも改善できるように頑張ろう。
と、齢〇〇歳のこの期に及んでも、改めて心に刻む私でございます。
知らず知らずのうちに(その2)
お盆休みの方も多いと思いますが、狙ったように大きな台風が来ていますね。
災害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます。
さて、前回に引き続き知らず知らずのうちに。でございます。
安倍元首相の事件があったころ、件の統一教会の元信者の飯干景子さんが語っていた話がとても記憶に残っているのでご紹介します。
ご自分が統一教会にのめりこんでいった(洗脳された)経緯について、
「お湯をいっぱい溜めたバスタブに毎日一滴、赤いインクを落とされていくようなこと」だったと話されていました。
「大きなバスタブに1滴なので、なにが起こったのかその変化に気づかない。
やがていつのまにかバスタブのお湯は真っ赤に染まっているのに、
毎日1滴ずつ落とされているので、その変化に気づかない。
そのようなことだった」と。
「知らず知らずのうちに。」
です。
本当に恐ろしい話ですが「こんなことは私には絶対に起こらない」かというと、
「起こらないとも限らない」わけです。
「一日一袋なら大丈夫」と風邪を引いているわけでもないのに
「飲まないとしんどくて仕事が出来ない」と風邪薬を毎日飲み続けたかつての私のように、
何かに依存しないと「生きていけない」と思い込むことは
「誰にでも起こりうる」のだということを知っておくことはとても大事な事だと思います。
何故私がそのスパイラルから抜け出せたかというと、
IT企業に在職中、ある大きなプロジェクトにプレゼン時点から携わり受注できてプロジェクトの一員になり張り切って仕事をしていたのですが、ある時本社からどんどん人が導入され突然私解任されまして。
「私にはそのスキルがない」と評価されたのだと悔しくて腹が立って仕方がなくて眠れない日もありました。
が、ある時同僚から「よかったやん。余裕ができて。」と言われ。
確かに私、その頃全く余裕がなく定時内は担当しているお客様対応に追われ定時後にプロジェクト関係の仕事をするという日々だったのですが、私が本当にやりたかった仕事はそのプロジェクトに関わることだったので頑張ることが出来ていたわけです。
が、突然その梯子を外されたのでぽきっと何かが折れたような感覚の中、仕事に対する情熱も失くしてしまい。
そんな中、「よかったやん。余裕ができて。」と言われた時にはっとしました。
「前はいつも厳しい顔をして声をかけるのも憚られたけど、今は穏やかになったやん」と。
え?穏やかになった?そうか、人から見るとそういう風に見えるんや。
と、そこで俯瞰的に、といいますか、違う角度から自分自身を観てみて
「何やってるんやろ、私」とふっと肩の力が抜けて
そこからどんどん楽に生きていけるようになっていったように思います。
そして今は
「人は弱い。
でも自分を認めてくれている誰かが居ると強くなれる。
前を向ける。」
事を私は身をもって経験してきたので、
生きづらく前を向けない人の
「自分を認めてくれる誰か」になるために、微力ながら日々格闘しております。
笑顔を忘れてしまった人が知らず知らずのうちに笑顔になってくれますように。
(あ、綺麗にまとめ過ぎた。こそばくて申し訳ございません)