日記
Have a nice trip!
先日年に一度の恒例行事、高野山に参拝いたしました。
紅葉まだまだ綺麗に色づいていましたが
昨年と今年の蛇腹路の様子(通行されている方々をAI処理しています)
同じスマホ、同じ11月17日に撮っているのですが
こんなにも違っていたとはとあらためて比較して驚いています。
(トップページの写真は昨年のものにしました)
蛇腹路は金剛峯寺と壇上伽藍の間の小道ですが、
趣があるので高野山に行かれるときには是非いらしてください。
おすすめです。
高野山もインバウンドの方が多く、
蛇腹路を歩いていると、
ある紅葉の木を一生懸命撮っていらっしゃる方
(白人の女性)が居て
何を一生懸命撮っているのかとその木を見上げると
黄色い葉と赤い葉の調和が面白く
「ああ、なるほど!」
と思わず声をだしてしまいました。
こんな感じです。
すると写真を撮っていた方がずっと写真を撮らず待っていたので
邪魔していると思い
「Sorry!」と木から離れると、
にっこり笑っていえいえ、大丈夫!というように首を横にふって
私の横に立ち、しばらく二人で木を見上げていました。
なんともいい時間。
ひとしきり見上げて
「Have a nice trip!」と私が言うと「You too!」と彼女。
にっこり笑ってその木をあとにしました。
帰路高野山から極楽橋までのロープウェイから降りるときの
順番を譲ってくださるアジア系の人もいて、
高野山という真言密教の聖地を訪れるような方々だからなのかもですが、
大阪市内でも図らずとも私の前を横断してしまったときには
「ごめんなさい!」とちゃんと謝ってくれたりと
(下手すると日本人より)礼儀正しい方が多いような気がするなあ
オーバーツーリズムで色々問題になっていますが、
ちゃんと礼を尽くしてくれる方々、
折角日本にきてくれたのだから
良い思い出をたくさん作ってほしいものです。
あ、そうそう。
インバウンドの方に道を聞かれたりで
話をする機会があった時は
別れ際「Have a nice trip!」を必ず言うようにしているのですが、
初めてアメリカを旅行したときに
アジア人に対しての差別を感じることがあり、
あまり楽しい旅行ではなかったのですが、
ドラッグストアのような店で買い物をしたときに
店員さんから「Have a nice trip!」とにっこり笑顔で言われ
なんだか受け入れてくれたようで
とてもとても嬉しかったんですよね。
未だに忘れらない良い思い出です。
3連休だから旅行されている方もいらっしゃるかな?
Have a nice trip!
万博は脈々と続いている。
先日東梅田近くでの仕事の合間にお昼ご飯を食べようと、
大阪富国生命ビル近くのエスカレータから地上に出ると、何やら行列が。
行列を眺めがら私は近くのくら寿司へ。
注文の品がくる合間に調べてみると
どうやら大阪富国生命ビル1階にあるベルギーレストランに並ばれていたようです。
そのレストラン(というかパブ?)は
関西万博ベルギー館のレストランを運営されていたそうで、
美味しいと評判だったフリッツといわれるフライドポテトが
万博と同じLutosa紙で提供されていたりで
アフター万博巡りをされている方々にとっては
行かずにはいられない場所のひとつなんだろうなあ
ときつねうどん(なぜか無性に食べたくなったのです。美味しいんだ、これが!)
を啜りながら心の中で呟いておりました。
そういえば、あべのハルカスの万博オフィシャルストアの前を通ったら
えらい行列でしたが、
聞けばどのオフィシャルストアも未だ大盛況だそうですね。
イタリア館で展示されていたファルネーゼのアトラスなどが展示されている大阪市立美術館の特別展も
1月12日の最終日まであっという間に予約完売したそうで
今は並んでも入れないのだとか。
(行きたかったのですがとても残念!)
いやもう、これはいわゆる
「ポストイベントロス」
(大規模なイベントや楽しみな出来事が終了した後に経験する喪失感や虚脱感)
を感じている人の典型的な行動パターンですやん!
思えば準備段階での万博開催是非をめぐる議論から始まり
長期間報道や議論が続いた今回の万博。
特に何度も足を運んだ人は「万博が日常」となっていたといっても過言ではなく
体験した高揚感も相まって
閉幕したからと言ってすぐには平常状態に戻れるわけがない!
あの日常が終わってしまったためにできてしまった
空白を埋めたくて関連グッズや話題に
ついついしがみついてしまう。
イベントの名残を持ち続けることで
その時の体験を延命しようとしている一方、
「やり残したこと」 がまだまだあり、
その「やり残したこと」をやり遂げる可能性があるのなら
やり遂げたいという心理が働いているように思います。
参加する前のワクワク感や
実際に参加して未来の可能性を体感した時の高揚感は
万博という歴史に残る大規模な国家的イベントに
参加できたことでしか得られないものなので
余計に喪失感が大きいのかもしれませんね。
と偉そうに能書き垂れている私。
何故くら寿司に行ったかというと
なんといつも予約がいっぱいで入れなかったくら寿司関西万博店のメニュー
スペインのハモンセラーノ(生ハム)と
トルコのケバブが味わえることを知ったからで
いやいや、ベルギーレストランに並んでいる人を笑えませんがな(笑ってませんけど)
しっかり万博で踊っております。
人間はなんと愚かで愛おしいんでしょう。
享受する
日本初の女性総理大臣、誕生しましたね!
高市総理が放つ熱量に、私は大いに期待せずにいられません。
就任以来息つく暇もないほど多忙を極めていらっしゃるように見受けられる。
問題山積みの中の厳しい船出。
時間はいくらあっても足らない状況かと。
国の明日を担う総理とはくらべものになりませんが、
今年もあと2か月弱。
といいますか今月も残りわずか。
今月中にやらないといけないことが山積みの私、
今日もひいひい言うてます。
はぁ。。
日々時間がない!と齷齪し、気が付けばもうすぐ来年。
「そんな感じであっという間に一年が過ぎるので、
今年から年初めに今年中に挑戦することをいくつか決めるようにしたんです」
と知人。
その方は大阪マラソン参加完走を第一目標に
社内コンテストに参加することを第二の目標に掲げ全て達成したとのこと。
えらいっ!
ということで、
今更感満載ですが、私も少し考えてみました「これからの抱負」。
私がこれから成し遂げたいものってなんだろう?
と考えたときに誰からも何者からも束縛されず
制限されず脅かされず
自由に目標を持つことができることが
当たり前ではないことに気づきました。
私は今健康で恵まれているのだなとも思います。
だからこそ、今を享受しなければ。
「安心・安全な生活を享受するのは国民の権利」という言葉がありますが、
日本国憲法にはこの言葉に直接言及した条文はないものの
第13条(個人の尊重・幸福追求権)や第25条(生存権)などに基づく
基本的人権の一部として保障される権利とされています。
また第12条に自由・権利の保持の責任という条文があり、
「この憲法が国民に保証する自由及び権利は
国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」
とあります。
権利は「受け取るだけのもの」ではなく、自らも他者の権利や安全を尊重し、
守る責任があるということです。
享受する権利は守る責任、義務も伴うものだということを
今一度思い出す必要があるのかもしれません。
砂をかむような日々
6月に仕込んだ梅酒が飲み頃になりました。
わーい!
仕込んだ直後ほんと綺麗でぴかぴかですが
6か月後熟成された梅酒、琥珀色でこれまたいい味だしています。
まるで人生のようだ。
親しい人にお裾分けしようかどうか悩んでいます。
口に入る自家製のものをお持ちするのはなかなか勇気がいるものです。
認知症予防対策のひとつに回想法があり、
自分の過去を回想して話すことで精神を安定させ認知機能の改善が期待できる
というものですがこの回想支援をしたときに
小さかった頃の思い出や
学生時代、若かりし頃の思い出は活き活きと目を輝かせてお話になるのですが、
支援後アンケートを頂いたときに
一言
「あの頃はあんなに楽しかったのに今は勤め先と家との往復だけで砂をかむような日々です」
と添えられていらっしゃる方がいてうっと胸が詰まりました。
私もつい最近までそうだったなあ。
今でも時々生きていくうえで「やらないといけないこと」が多すぎて
「やりたいこと」がなかなかできずうううっ!と声をあげたくなることがありますが、
勤め人の頃特に終盤は「やらないといけないこと」が消化できず、
いつしか自分の「やりたいこと」が何だったのか思い出せなくなっていました。
私の「やりたいこと」は何だったのか。
今「やりたいこと」は何なのか。
そして今までやりたいと思ってやってきたことは
本当に自分のやりたいことだったのか。
そう考えたときに
自分が「やりたいこと」は
まわりの価値観
例えば親やまわりの大人達や友達が
「いい」と言っていることを投影してきただけではないかと
「人の目を気にしながらの」やりたいことだったのではないかと
ふつふつと自問自答しだし
なんとももったいない人生を送ってきたなあと思います。
この私という人生は一度きりなのに。
だからこの「砂をかむような日々です」書いてこられた方に
返す言葉が見つからず
「回想支援」を発案された方に助けを求めたところ
「今はそのような日々を送っておられても、
毎日そうやって懸命に頑張っている今は
後から振り返った時に「あの頃があったから今の自分があるんだ」
という日がきっと来ます」
との返事をいただき私自身が救われたように思いました。
振り返ると「やりたいこと」を見失いながらも
懸命に生きていた日々の中で培ってきたことが
今の得体のしれない自信の源なのかもしれません。
全ての経験は全て自分の中にある。
琥珀色の梅酒を眺めながら
思います。
「当たり前」のすごさ
昨日スーパーに行ったら、
ぴかぴかの北海道産生さんまが2尾で360円で売られていて
思わず購入しました。
グリルを汚すのが嫌でいつもなら手を出さないのに
相変わらずの猛暑の中秋の気配を感じさせてくれる上に
新鮮を絵にかいたようなビジュアル。
その上このご時世に1人前メインディッシュが180円!
買わずにいられましょうか!
炊きたての御飯と
先日北海道紋別市のふるさと納税返礼品「帆立」のお刺身とともに
並んださんまの塩焼
新鮮でうんまい!
帆立もとろけるような美味しさ!
大阪に居ながら北海道で採れた海産物を新鮮なまま頂ける幸せを
しみじみ噛みしめながら
そもそも北海道で捕れた生さんまが
どうして大阪のスーパーに鮮度が落ちず並ぶのか?
ということに疑問を持ちちょっと調べてみました。
なんでも最近は水揚げしたさんまをすぐに滅菌海水と氷、
あるいは殺菌冷却海水とともに
発砲スチロールのケースに入れて配送するのが一般的なのだとか。
で、生食用帆立。
なんでも帆立は冷凍すると乾燥しやすく、
どの食材でもそうですが酸素に触れると酸化が進むので、
それを防ぐために
冷凍前に水や氷水で瞬間的に覆って表面に薄い氷の膜(グレーズ)を作るのだとか。
なるほど!
きっと其々の専門分野の研究者が日々の研究の中で
発明し開発してきた数多くのものは
こうやって知らず知らずのうちに
私たちの生活を便利に快適なものにしてくれているんですよね。
おそらく夜明けに水揚げされ詰められたさんまは
すぐに様々な輸送手段で各地に迅速に届けられるのでしょうが、
温度管理を徹底しなければ鮮度を保てないため、
携わる人の苦労が偲ばれます。
漁をする人、海水殺菌装置を開発した人、
温度を一定に保つ冷凍冷蔵車を開発した会社の中の人。
配送する人。
スイッチをひねれば簡単かつ安全に魚が焼けるグリルを開発、製造した会社の中の人。
毎日安全に安定してガスを供給してくれる会社の中の人。
各々の立場で、各々しかわからない苦労がある。
貴方の立場で、貴方しかわからない苦労がある。
それを当たり前に毎日頑張るあなたのおかげで、
日々生活できています。
「仕事だから当たり前」と貴方は思うでしょうか。
そうだとしたら、
日本は本当に世界に誇れる国なんだと思います。





