日記
誰もが怖いと思っている
3月です!
ある若者との会話。
「今年の目標は英会話とヨガを始める事なんやけど、どちらもまだ始めてないわ!」と私。
「大丈夫です!まだ今年は始まったばかりです!」と若者。
「いうてももう3月やで。」と私。
「あ、ほんまや!
今年の終わりに「始めようと思ってたらあっというまに年末や!来年の目標にしよう」と私に言うてはる姿が目に浮かびます!」
うっ...。
♪いっぱい聞けてぇいっぱい学べるぅ♪
とりえず駅前留学しようかなぁ..。(まだあるんかなぁ)
先週報告しました「ウォシュレットのノズル」故障の件。
ノズルから水が出なくなることは結構あるらしく、
ネットで検索すると対応方法が沢山でてきて「おお!助かった」
とひとつひとつやってみましたが解決せず。
これはいよいよTOTOに修理依頼かぁ。
と思いつつ諦めの悪い私、ノズル側の給水ホースの接続部周りを触っているうちなんと温水復活!
何が悪かったのか謎ですがもしかすると水抜きレバーを触っていたのかも.。
温水シャワーのノズルがでなかった時にこのことを思い出して下されば幸いでございます。
(だいたいはセンサーを綺麗に拭いたり電源のOFFONで解決するらしいですが)
「心が開くとき」がどんな時なのか。
カウンセリングをしていると明らかに「心が動いている」瞬間に立ち会うことがあります。
カウンセリングではなくても、日常生活の中で貴方も経験されたことがあるのではないでしょうか。
ある言葉がきっかけで表情がかわり、目に力がでてくる。
あるいはおいおい泣きだす。
泣くのを堪えながら一生懸命話し続ける人もいらっしゃったり。
今まで抑えてきた感情が堰を切ったように溢れ出てどうしようもないという感じでしょうか。
それは端的に言うと「誰もわかってくれない」苦痛や孤独の中、
「分かってくれる人がいたんだ」と思った瞬間ではないかと思います。
あるいはその言葉をきっかけに色々な事を思い出し、感情が溢れてしまったのかも知れません。
そこでやっと自分の居場所を得ることができるのではないかと思います。
同じ分野で、たとえば音楽や絵画や小説や。
医学や科学やスポーツの世界で。
同じ分野でより高みを目指している人から言われると
尚更だと思います。
坂本龍一が、癌に侵され余命いくばくともない頃
「ずっと音楽を続けていきたいとおっしゃっていましたが、その原動力は何ですか?
僕は苦しくて辞めたくなることが多いです」という若いアーティストからの質問に
「どれだけ作っても100%満足できるものができない。満足してしまったら終わりなんだけど。
上には上が限りなくあるので、どんなに頑張っても..。でもちょっとでも近づこうと、1歩ずつ階段を上るように努力するけれども、本当にきりがないほど上がいるので、一歩でも近づきたいというのはある」とおっしゃる。
「一流とはこういう人をいうのか」と私は感動するけれども
この答えを直に聞いたアーティストの心中はきっと、音楽によって生かされも苦しむこともしてきたからこその思いがあっただろうし、
今はもしかするとピンとしない言葉が何年か後に「わかる」瞬間があるのではないかと思うのです。
「こういうことだったのか」と。
ピアニストのマルティン・ガルシア・ガルシアが
能登の高校を訪問し、難曲をやっと弾けるようになった途端に被災した生徒が
4か月ぶりにピアノに向かっても思うように弾けず
「ピアノに向うことが怖い」と言った時
「みんな平気な顔をしているけど、皆怖いんだよ。皆そうなんだよ」という。
高みを目指して自己研鑽を重ねてきたからこそ響く言葉に
その高校生はまだ心もとない感じだったけれども
きっとこの言葉が彼を後押ししてくれる時が来るのではないかと思います。
同じ職場で同じ分野の仕事をしていて壁にぶち当たった後輩に、部下に
同じ経験をしてきた貴方が掛ける言葉は
その時には響かなくても
いつか響く時がきて、それはきっと大きく心が動く時で、
その人が成長するときなんですよね。
この人は成長したいと願っている。
そう信じて関わることがその人の未来を作っていくのだと思います。
失くしてはいけないもの
1月末神戸市東遊園地近くのお客様にお伺いしたところ、
丁度神戸ルミナリエ開催中で、点灯している作品を観る事が出来ました。
まだ外が明るいにもかかわらず圧倒される美しさ。
夜空の下での美しさは言わずもがなですね。
そして一昨日、東遊園地を通るとせっせと解体作業中で
そういえばこの写真を撮った日は結構な人数の警備員が配備されており、
「運用資金はどうなっているんだろう?」と気になり、調べてみました。
開催経費は約5億円で、昨年から1部有料化されたようですが、東遊園地は無料で解放されており。
主な財源は企業の協賛金や企業募金、個人の方からの募金、来場者からの「一人100円」募金などだとか。
コロナで暫く中断していましたが、昨年から再開されたものの、
年々企業協賛金や来場者寄付は年々減っており財源確保には大変苦労されているようです。
昨年から一部有料になったこともあってか、昨年は来場者がコロナ前から3割以上減ったようですが、
従来のように順路の指定がなく自由に歩きまわることが可能となり、
会場を分散させるなどの工夫により、
会場周辺の飲食店などを利用する人も多かったでしょうから、経済効果も大きかったのではないかと思います。
そういえば若かりし頃一度だけ行ったことがあるのですが、寒い中大勢の人波に流されながら歩き続け、
最終目的地の東遊園地に着くころには疲れ果てていた思い出があり、
それから行かなくなったなあ。
今年たまたま作品を目の当たりにし、
こうやって調べて「ゆったりと自由に作品を楽しめるようになった」ことを知り。
来年はあらためて陽が落ちてからゆったりと作品を楽しみに行こうと思っています(しっかり募金してね)。
神戸ルミナリエは
「阪神・淡路大震災犠牲者への慰霊と鎮魂の意を込めるとともに、都市の復興・再生への夢と希望を託して、大震災の起こった平成7年の12月に初めて開催され、以来、震災の記憶を後世に語り継ぐとともに神戸の希望を象徴する行事として多くの皆様に支えられ、神戸の冬の風物詩として定着し、第29回神戸ルミナリエは約229万人もの来場者で賑わいました。」(神戸市HPより)とのことで、継続を望む声も多いとのこと。
「神戸ルミナリエ」が「神戸の希望」の象徴であるならば、
勝手な思いですが是非絶やさないでほしいと切に願います。
自分にとって失くしてはいけないもの
大切にしているものが
他の人にとっては取るに足らないもので
それを失わないために必死になっている貴方を
知りもしないで笑う人がいたとしても
どうか失くさないで。
「失くしてはいけないもの」であることに気づかなかったために
失くしてしまって
それがどんなに大事なものだったのか
気づいたときには
取り返しがつかないのだから。
と思うのです。
バタフライエフェクト
今週も色々ありましたね。
今回のフジテレビの件といい
韓国大統領の弾劾問題といい
兵庫県知事を取り巻く問題といい
事件発生、あるいは発覚後の展開に驚くことしきりです。
「たられば」はないし憶測でものを言ってはいけませんし、
あくまでも私見ですが、
今回のフジテレビの件で、
最初から会食に誘ったのがフジテレビの社員ではなく中居氏だったということが明確になっていれば
事態はまったく違う展開になっていたのではないかと思わずにはいられません。
このような企業に関わる事件が公になった際に思うのは
そこで生活のために、家族のために、自分自身のキャリアを高めるために
懸命に働く事件に関係のない人達のことです。
事実を正しく報道しないことが
どれほどの人にどれほどの影響を与えるか。
恐らく発信者が想像できないところにまで
影響を及ぼす可能性があることについての怖れを
報道、マスメディアに携わる人は十字架のように背負う覚悟が出来ている
と私達には信じているところがありませんか?
だからこそ、しっかりと裏取りが取れた報道しかしないのだと。
「バタフライエフェクト」という言葉をご存知の方も多いかと思います。
(TV番組の題名にもありますし)
そもそも「バタフライエフェクト」は
「蝶がはばたく程度の非常に小さな撹乱でも遠くの場所の気象に影響を与えるか?」という問い掛けと、
もしそれが正しければ、観測誤差を無くすことができない限り、正確な長期予測は根本的に困難になる、
という数値予報の研究から出てきた提言に由来する」(Wikipedia)らしく
NHKの番組「映像の世紀バタフライエフェクト」は
「蝶の羽ばたきのような、ひとりひとりのささやかな営みが、いかに連鎖し、世界を動かしていくのか?」をテーマに
「世界各国から収集した貴重なアーカイブス映像をもとに、人類の歴史に秘められた壮大なバタフライエフェクトの世界をお届け」する番組なのだそう。
蝶の羽ばたきのようなささやかな発言や行動が、
想いもよらない結果になることを
もしかすると誰かの人生を狂わせる可能性があるということを
こんなふうに簡単に誰でも情報発信できる今の世界にあっては
私達一人一人が充分に肝に銘じる必要があると
つくづく思ったこの1週間でした。
被害者にも加害者にもならないために。
折り合いをつけるために
早いもので阪神淡路大震災から30年。
特集番組も多数ありましたが、
私は観ることができませんでした。
私は直接震災の被害にはあいませんでしたが、
お客様が亡くなったり、
お客様や同僚が被害にあって家屋が損壊していたりで
当時のことを思い出すにはまだ昇華できていないようで、
観るのが辛いのです。
今でも思い出すのが、
震災後六甲道にあるお客様の事務所を訪ねた時のこと。
確か電車がまだ開通しておらず
JR(だったと記憶しています)が臨時バスを出していて、
瓦礫の中、バスに揺られて向かったことを憶えています。
バスの中では誰もが無言でしたが、
スピーカーからずっと音楽が流れていました。
八神純子さんの「思い出は美しすぎて」が流れた時
ひとりのおばあさんが
「こんな曲流すな!止めろ!」
と怒り出したのですが、
誰も反応せず、
運転手さんも音楽を止めず。
おばあさんは何度も声をあげるのですが、
誰も反応せず。
やがておばあさんも諦めて黙り込み。
誰一人話さない中、
音楽だけが鳴り響いていました。
私は正直「ああ、嫌だなあ」と思っていました。
ああ、嫌だなあ。
怒鳴り声は聞きたくないなあ。
これ以上辛い気持ちになりたくないなあ。
おばあさんの声を聞くのがとても辛くて、
静かになったとき、ほっとしたことを憶えています。
お客様の事務所に到着すると、
いつもはネクタイを締めていらっしゃる所長が
作業着のようなものを着て
首に掛けたタオルで顔を拭いながら、
「今トイレ直してたんや」と
明るく笑顔で話しかけてくださったことが
なんとも逞しくて
とてもほっとしたことを憶えています。
あのおばあさんのことを思い出す度
「あんたに何がわかるねん」と言われるかも知れませんが、
怒鳴り声とともに
行き場のない怒りや悲しみを吐き出せずには
いられなかったのだと
今なお、なんともやるせない気持ちになります。
人の感情は「喜び」「悲しみ」「嫌悪」「恐怖」「怒り」の5つ感情が基本的にあり、
感情の組み合わせで状況により
例えば恐怖+怒り=憎しみ、悲しみ+恐怖=不安、喜び+恐怖=驚き等
さらに様々な感情が生まれるのだとか。
5つの感情の中で唯一ポジティブなのが「喜び」だけであることがわかります。
これは私達が生き延びるために常に危機感を持てるよう、
このような脳の仕組みになっているのだとか。
だからこそ、私達は幸せを感じている時、
「いつまでもこんな幸せが続くはずがない」という恐れが常に背中合わせにあり、
嫌な事が続くと
「もう私には良いことなんて起こらない」
→「生きていても仕方ない」と思いがちになることにも合点がいきます。
でも私達は
「もう私には良いことなんて起こらない」と今思っていても
なんとか踏ん張って頑張っていれば
何年か後には
「もう私には良いことなんて起こらない」と思いながらも
神戸や淡路島が復興して目まぐるしい発展を遂げているように
あの時自分なりに精一杯頑張ったから
今があるんだ
と思える日が来ることも経験から知っています。
そうやって脳の中で折り合いをつけて私達はなんとか生きているんだなあと思います。
沢山経験しましょう、色々な事を。
ちゃんと意思をもって今を意味のある過去にするために
折り合いをつけていくために
ドジャース入りを決めた佐々木朗希投手の言葉
「野球人生を終えて後で振り返ったときに、正しい決断だったと思えるように頑張ります」
すごいこと言うなあ
おばちゃん一気にファンになりました。
アンコンシャスバイアスちゃいます?
あっという間に10月..。
怖い...。ほんま怖いこの超特急に過ぎていく時間..。
我が地元ではこの週末だんじり祭りで、
たまたま商店街を歩いていたら丁度走り抜けていくだんじりに遭遇しまして、
商店街の両端を埋め尽くす見物客の中に慌ててまぎれる私。
走り抜けながら「おばちゃん、もうちょっと端に寄って!危ないで!」と
半被姿のおにいちゃんに叫ばれ咄嗟に引っ込む私..。
その間ほんの数秒..。もう少しで大惨事になるところでした。
怖い...。ほんま怖い超特急に走り過ぎていくだんじりと自分自身の厚みに無自覚な私..。
Youtubeでかなり前に一斉を風靡した「モモウメ」というアニメ動画があるのですが、
いまさら私、嵌りまして一日の最後に観ては癒されております。
(モモ役伊藤沙莉さん、ウメ役江口のりこさんで実写化もされています)
その流れで「えんむす」というアニメ動画を知り、こちらもなんとも秀逸です。
その中で「アンコンシャスバイアスちゃいます?」という動画があり、
軽い切り口で「アンコンシャスバイアス」を取り上げていたので
まだご覧になっていない勤め人の方、興味があればまたご覧になってください。
「モモウメ」も「えんむす」も勤め人にありがちな「もやもや」した心を
軽くしてくれます(と思います)。
「アンコンシャスバイアス」はそもそも何かというと
unconscious(無意識)のbias(思い込みや偏見)で、
ステレオタイプ: 性別や国籍などの属性に対する先入観・固定概念に縛られてしまうこと
正常性バイアス :何か問題が発生した際に、先入観などに基づき、「正常の範囲内だろう」と被害の可能性を最小化して認識すること
確証バイアス: 自分の偏見や思い込みを強化する情報ばかりに意識が集中し、認識に偏りが発生すること
権威バイアス:権威がある人や、専門家の言動は正しいと自動的に信じ込んでしまうこと
集団同調性バイアス: 集団の中にいると無意識的に他人と同じ行動をとってしまうこと
ハロー効果: ある対象を評価する際、わかりやすい印象や特徴に意識が引っぱられ、正当な評価ができなくなること
慈悲的性差別 :女性やマイノリティに対する好意的な思い込みにより、無意識的な性差別をおこなってしまうこと
等が代表的な例だそうです。
(朝日新聞の記事を引用させていただきました)
思い当たることありません?
私はもう思い当たる事もりだくさんです。
このバイアスが人間関係の歪みを生むことを私、嫌というほど経験してきました。
なので!「あ、今私自分の思い込みでこの人の事捉えて接していない?」と思った時は
「あ、今私アンコンシャスバイアスちゃいます?やったわ.ごめんごめん」と言ってみるというのは如何でしょう?
そうすると「何ですか?アンコスシャスバイアスちゃいます?て!」と動画のように会話が弾み、きっと場が和みます(はずです)
「本人が怠け者だからこのページも引用や紹介で楽しがちよね。」
と思った貴方!
貴方の認識は正しい。
アンコンシャスバイアスちゃいます。