日記

2025-01-19 16:16:00

折り合いをつけるために

早いもので阪神淡路大震災から30年。

特集番組も多数ありましたが、

私は観ることができませんでした。

 

幸い私は直接震災の被害にはあいませんでしたが、

お客様が亡くなったり、

お客様や同僚が被害にあって家屋が損壊していたりで

当時のことを思い出すにはまだ昇華できていないようで、

観るのが辛いのです。

 

今でも思い出すのが、

震災後六甲道にあるお客様の事務所を訪ねた時のこと。

 

確か電車がまだ開通しておらず

JR(だったと記憶しています)が臨時バスを出していて、

瓦礫の中、バスに揺られて向かったことを憶えています。

 

バスの中では誰もが無言でしたが、

スピーカーからずっと音楽が流れていました。

 

八神純子さんの「思い出は美しすぎて」が流れた時

ひとりのおばあさんが

「こんな曲流すな!止めろ!」

と怒り出したのですが、

誰も反応せず、

運転手さんも音楽を止めず。

 

おばあさんは何度も声をあげるのですが、

誰も反応せず。

 

やがておばあさんも諦めて黙り込み。

誰一人話さない中、

音楽だけが鳴り響いていました。

 

私は正直「ああ、嫌だなあ」と思っていました。

ああ、嫌だなあ。

怒鳴り声は聞きたくないなあ。

これ以上辛い気持ちになりたくないなあ。

 

おばあさんの声を聞くのがとても辛くて、

静かになったとき、ほっとしたことを憶えています。

 

お客様の事務所に到着すると、

いつもはネクタイを締めていらっしゃる所長が

作業着のようなものを着て

首に掛けたタオルで顔を拭いながら、

「今トイレ直してたんや」と

明るく笑顔で話しかけてくださったことが

なんとも逞しくて

とてもほっとしたことを憶えています。

 

あのおばあさんのことを思い出す度

「あんたに何がわかるねん」と言われるかも知れませんが、

怒鳴り声とともに

行き場のない怒りや悲しみを吐き出せずには

いられなかったのだと

今なお、なんともやるせない気持ちになります。

 

人の感情は「喜び」「悲しみ」「嫌悪」「恐怖」「怒り」の5つ感情が基本的にあり、

感情の組み合わせで状況により

例えば恐怖+怒り=憎しみ、悲しみ+恐怖=不安、喜び+恐怖=驚き等

さらに様々な感情が生まれるのだとか。

5つの感情の中で唯一ポジティブなのが「喜び」だけであることがわかります。

これは私達が生き延びるために常に危機感を持てるよう、

このような脳の仕組みになっているのだとか。

だからこそ、私達は幸せを感じている時、

「いつまでもこんな幸せが続くはずがない」という恐れが常に背中合わせにあり、

嫌な事が続くと

「もう私には良いことなんて起こらない」

→「生きていても仕方ない」と思いがちになることにも合点がいきます。

 

でも私達は

「もう私には良いことなんて起こらない」と今思っていても

なんとか踏ん張って頑張っていれば

何年か後には

「もう私には良いことなんて起こらない」と思いながらも

神戸や淡路島が復興して目まぐるしい発展を遂げているように

あの時自分なりに精一杯頑張ったから

今があるんだ

と思える日が来ることも経験から知っています。

 

 

そうやって脳の中で折り合いをつけて私達はなんとか生きているんだなあと思います。

沢山経験しましょう、色々な事を。

ちゃんと意思をもって今を意味のある過去にするために

折り合いをつけていくために

 

ドジャース入りを決めた佐々木朗希投手の言葉

「野球人生を終えて後で振り返ったときに、正しい決断だったと思えるように頑張ります」

 

すごいこと言うなあ

おばちゃん一気にファンになりました。 

2024-10-06 13:30:00

アンコンシャスバイアスちゃいます?

あっという間に10月..。

怖い...。ほんま怖いこの超特急に過ぎていく時間..。

我が地元ではこの週末だんじり祭りで、

たまたま商店街を歩いていたら丁度走り抜けていくだんじりに遭遇しまして、

商店街の両端を埋め尽くす見物客の中に慌ててまぎれる私。

走り抜けながら「おばちゃん、もうちょっと端に寄って!危ないで!」と

半被姿のおにいちゃんに叫ばれ咄嗟に引っ込む私..。

その間ほんの数秒..。もう少しで大惨事になるところでした。

怖い...。ほんま怖い超特急に走り過ぎていくだんじりと自分自身の厚みに無自覚な私..。

 

Youtubeでかなり前に一斉を風靡した「モモウメ」というアニメ動画があるのですが、

いまさら私、嵌りまして一日の最後に観ては癒されております。

(モモ役伊藤沙莉さん、ウメ役江口のりこさんで実写化もされています)

 その流れで「えんむす」というアニメ動画を知り、こちらもなんとも秀逸です。

その中で「アンコンシャスバイアスちゃいます?」という動画があり、

軽い切り口で「アンコンシャスバイアス」を取り上げていたので

まだご覧になっていない勤め人の方、興味があればまたご覧になってください。

 「モモウメ」も「えんむす」も勤め人にありがちな「もやもや」した心を

軽くしてくれます(と思います)。

 

「アンコンシャスバイアス」はそもそも何かというと

unconscious(無意識)のbias(思い込みや偏見)で、

ステレオタイプ: 性別や国籍などの属性に対する先入観・固定概念に縛られてしまうこと

正常性バイアス何か問題が発生した際に、先入観などに基づき、「正常の範囲内だろう」と被害の可能性を最小化して認識すること

確証バイアス: 自分の偏見や思い込みを強化する情報ばかりに意識が集中し、認識に偏りが発生すること

権威バイアス権威がある人や、専門家の言動は正しいと自動的に信じ込んでしまうこと

集団同調性バイアス: 集団の中にいると無意識的に他人と同じ行動をとってしまうこと

ハロー効果: ある対象を評価する際、わかりやすい印象や特徴に意識が引っぱられ、正当な評価ができなくなること

慈悲的性差別女性やマイノリティに対する好意的な思い込みにより、無意識的な性差別をおこなってしまうこと

等が代表的な例だそうです。

(朝日新聞の記事を引用させていただきました)

 思い当たることありません?

私はもう思い当たる事もりだくさんです。

このバイアスが人間関係の歪みを生むことを私、嫌というほど経験してきました。

 

なので!「あ、今私自分の思い込みでこの人の事捉えて接していない?」と思った時は

「あ、今私アンコンシャスバイアスちゃいます?やったわ.ごめんごめん」と言ってみるというのは如何でしょう?

そうすると「何ですか?アンコスシャスバイアスちゃいます?て!」と動画のように会話が弾み、きっと場が和みます(はずです)

 

「本人が怠け者だからこのページも引用や紹介で楽しがちよね。」

と思った貴方!

貴方の認識は正しい。

アンコンシャスバイアスちゃいます。

 

 

2024-07-21 19:00:00

是非の基準その2

暑い!

お身体おかわりありませんか?

私はマイボトル片手に老体に鞭打ってなんとか動いております。

金曜日のシステム障害で全世界におけるマイクロソフトの依存度をあらためて認識されませんでしたか?

怖い出来事です。

今回の出来事が新たな脅威のトリガーにならない事を祈ります。

 

さて、前回、前々回とお話してきたことについて、貴方はどのように捉えられたでしょうか。

私と同じように捉えられたでしょうか?

それとも、私の捉え方を「危険」と思われたでしょうか?

あるいは「つまらない事に拘っていてしょうもない」と思われたかも知れません。

 

前回の就業時間中に喋り続ける人について、

貴方が事業主なら、上司なら、周りの同僚なら、先輩なら、後輩なら、

捉え方は違ってきて、また、その捉え方の違いから、起こす行動も違ってくるかと思います。

 

そして、その行動が果たして正解なのか。

数学のように絶対的な正解を出す事が出来たら、誰もが幸せになる正解が出せたら

どんなに過ごしやすい世の中かと思います。

 

 

私はAさんに直接私が困っている事を言わず、

その場から離れた訳ですが、

もし経営者だったら、

人手不足による倒産が増えている中、

人材確保が難しい状況下でAさんを処分するよりは、

Aさんのパフォーマンスをあげる方法を切実に模索するかもしれません。

 

Aさんの上司だったとしたら、

手に負えなくて「何処かに異動させたい」と考えるかも知れませんが、

実際に異動させようとしても

やはり人材確保が難しい昨今、どの部門も自部門の生産性を上げる事が必至の中、

Aさんの受け入れ先探しと欠員の補充がとても難しいのではと思います。

やはり、現状の中でどうにかしないといけません。

 

私のような同僚ではどうかというと、

Aさんとの関係が間違いなく悪くなることを恐れ、

直接意見することは避け、

で自分のストレス解消のために

Aさんが居ない時に同僚に愚痴ってしまうのではと思います。

 

 

...。

あかんですね。

 

私があかんかったところは、

自分が困っていることをAさんに話さなかったこと。

「貴方のおしゃべりで、私は仕事に集中できずとても困っている。

何故貴方は就業時間中におしゃべりをするの?」と。

そうすると、前回私が書いたように「だって楽しく仕事したいから」

と回答が返ってくるかもしれません。

でももしかすると「上司にも注意されるし、本当は静かに仕事をしたいのだけれども、止められないの」

と回答が返ってくるかも知れません。

「沈黙が怖い」のかもしれませんし、

もしかするとADHD(注意欠如、多動性障害)で誰かに何かを聞かれたことがきっかけで、

思考がどんどん移り変わり、思いつくことをそのまま話し続けてしまうのかも知れません。

あるいはASD(自閉症スペクトラム障害)で、

相手の気持ちや空気を読むことが苦手で、相手が望んでいないことに気づかず、

延々自分の興味のあることを話し続けてしまうのかも知れません。

 

本人も苦しんでいるのに、それを声にすることが出来ないのかもしれません。

 

もし声にしてくれたら、色々変わっていくのになあと

そうやって「自分が困っていることを声に出す」ことをしないと

何も変わらないよなあ

と今となっては思います。  

 

ただ、話をする時、ついつい感情的に相手を非難しがちになりがちですが、非難するという事は自分は是で、相手は非であると思っているから。

どうして貴方はそういう行動をとるのか。

どうか正直な気持ちを話して下さい。

その一心でAさんの話を傾聴する姿勢でないと、決してAさんは心を開かず、決して良い方向に進まない事を忘れない事、とても大切です。

自分の価値観を頭ごなしに押し付けない事。

難しいですが、とても大切です。

 

話し合っても

「おしゃべりすると楽しく仕事ができるじゃない?何が悪いの?」

ということであって、

私がとても困っているということを伝えたうえでも

無駄話をし続けるなら

今の私ならその都度「集中できないから黙れ」ということを社会人らしい言葉に変換して伝え続けると思います。

それでも埒があかないなら

上司に相談する。

と思います。

 

私は医師ではないので、勝手に診断する事はもっともやってはいけない事ですが、業務に支障が出て困っている事例をもとに行動を起こさないと何も変わりません。

 

 

これが今の私の正解ですが、貴方はどうでしょうか。

 

「多様性の理解」

間違えないか私は日々試されているなあと思います。

 

2024-07-14 18:13:00

是非の基準その1

3連休、いかがお過ごしですか?

私は勤め人を辞めてから、休日の概念が大きく変わり、

今日は朝早くから仕事をし始め先程終わりました。

わーいっ!のんびりするぞ!

ライフワークバランス、大切ですね。

(と気づいたのは勤め人を辞めてからですが..。)

 

開業するまでに、私は2回転職しています。

ですのでお世話になった企業は3社で、その中のある会社での話ですが、

同じ執務室内に就業時間中に仕事に直接関係のない雑談を延々する人が居ました。

(仮にAさんとします)

 

私は集中力がない方なので、周りに雑音があると仕事に集中できず、

パフォーマンスが極端に悪くなります。

いや、もうとてもストレスフルな日々でした。

 

「まわりがどれほど迷惑しているのか考えないのか?」と

好き勝手におしゃべりをするAさんは私から見ると「とても非常識な人」で、

「Aさんが居なくなったらどんなに良いだろう」と思っておりました。

上司が注意をしても、その時は大人しくなるものの、

しばらくするとやはりおしゃべりが止まりません。

 

 

「こんな人と同じ職場で働くために私は今まで頑張ってきたのじゃない」

と、当時の私は私自身が情けなくて、

このことが全てではありませんが、転職する1要因であったことは否定できません。

余裕があるときは許せることも、当時の私は睡眠時間も十分に確保できない程仕事に忙殺されており、

Aさんの素行は耐え難いものでした。

 

何よりも、Aさんがおしゃべりしている時間は当然Aさん自身の仕事も止まっているわけで、

そのしわ寄せはどこに来ているのかと考えると、なんとも言えない不公平感に苛まれ。

 

会社を神輿、社員を担ぎ手とすると、

全員が全力で神輿を担ぐわけではないと分かってはいても、

必死で担いでいる周りのモチベーションのために

笑ってぶら下がってるのではなく、せめて担ぐふり位はしろよ、というような感覚でしょうか。

 

 

転職して暫くしてある方と話している時に

「私、職場でついおしゃべりしてしまって怒られるの」とおっしゃって。

あ、Aさんがここにもいたと私は思い、

「なんで、仕事中におしゃべりするんですか?」とお聴きすると

「だって、あんまり静かなんだもの。耐えられないの。もっと和気あいあいと仕事したいじゃない」

とおっしゃる。

..。いやいや、貴方はそうかもしれないけれども、

集中して効率的に仕事をして早く帰りたい私のような人間からすると、迷惑この上ないのですがっ!

と心の中で叫び。

「そうなんですか」と言ってお茶を濁しましたが。

 

「そういうことか」と思いました。

と同時に

「それなら貴方は雑談しながら和気あいあいと仕事をすることが許される職場に行くべきです!」

とも叫んでおりました(心の中で)

 

何故心の中でしか叫ばないかというと、

「言ってもきっと仕方がない」と思うからで。

私の是非の判断は「人に迷惑をかけることはしない」ことが前提にあり。

その方と多分Aさんの是非の判断は「自分が楽しく過ごす」ことが前提にあり。

まさに「価値観が違いすぎる」ので、自分の価値観とは違いすぎる人からの「言葉」は響かないし、

恐らく反感を買ってしまうでしょう。

私が逆の立場で仕事中に

「もっとおしゃべりして楽しく仕事しようよ。ずっと黙っていて辛気臭い」

なんて言われようものなら、卓袱台ひっくり返します。

 

私が楽しくおしゃべりすることで、まわりが和むのに。なんでわからないの?」とか

「私は楽しく仕事をしたいだけなのに何で注意されるのか分からない。」

から

「私がおしゃべりすることで、もしかすると仕事に集中できず困っている人がいるのかもしれない」

と自分で思わない限りはAさん自身の行動は変わらない。

 

だって、私には迷惑で耐えられないけれども、Aさんはおしゃべりすることが楽しくて仕方ないのだから。

(次週に続きます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-06-30 18:18:00

きりがない

「見た目は大切」

最近よく思います。

「でも見た目が全てではない」

最近よく思います。

今、特に若い世代で整形に対してのハードルがかなり低くなっているようです。

 

「見た目は大切」

私達は第一印象でその人の印象をだいたい決めてしまいますわね。

その人を知っていくうちにつれ、印象は変わっていくけれども

「こう見られたい」と思っているものとは違う

印象を周りの人にもたれていると感じているのだとしたら

髪型や服装や立ち居振る舞いを見直すべきだと私は思います。

(自戒を込めて)

 

ではもって生まれた容姿についてはどうでしょう。

 

悲しいかな私達は容姿でその人を評価してしまいがちです。

これはもう人、いや動物しての本能ですもの。

 

だからこそ、容姿に拘り、涙ぐましい努力をするわけですが、

「見た目」に支配されて、

特に若い世代で

「瞼を二重にしなければ外を歩けない。学校へも行けない」

「今の醜い顔のままで生きていけない」と

メンタルに不調をきたす人が増えていると聞きます。

 親からすると、

整形も立派な手術だし、身体にメスを入れることになるし

施術する病院を間違えるととんでもないことになるのではないか?

という心配や

「生まれ育ってきてくれたそのままの顔では駄目なのか」

という寂しさや。

複雑な心境であると思います。

だけど、整形をすることで、

瞼を二重にすることで、我が子が健康な心を取り戻せるならと

整形に同意し費用を出す親御さんも多いと聞きます。

 

でも一度整形をすると、次から次へと欲が出て、

「鼻を削って高くしたい」

「頬骨を削って小顔にしたい」

「〇〇ちゃんのような顔になりたい」

と「きりがなくなる」と言います。

人の欲望は一度捉われるときりがないという典型的な見本です。

 

だけど特に成長過程にある10代の若者が、

例えば鼻をいじった場合、

鼻はまだまだ成長していくので、

とんでもなく変形してしまう可能性もあるということで、

綺麗になりたいが故に整形したのに結果、とんでもなく醜くなってしまうこともあるそうで。

 

 「今私(僕)が不幸なのは、顔のせいだ。整形をして顔が良くなれば幸せになれる」という考えに捉われて、

心を病んでいたら、あるいは親しい人がそういう考えに捉えられているとしたら

信頼のおける形成外科医のいる病院を見つけて整形する、あるいは整形をすすめることは

或る意味トリアージと考えると仕方ないように思います。

その結果、自分に自信が持てて前向きになれるならとも思います。

 

ですが、「見た目が全て」ではなく

見た目よりも大切な事、「見た目を磨く」ことより価値があることが

世の中にはいっぱいあることを

その子たちが自分で気づくような世界を目の当たりにしたら、

その子たちの「自分の容姿」についての捉え方も随分変わるのではないかと思います。

とても難しいのだけれども、

せっかくこの世界に生きているのに、この世界は広くて色々な価値観がある世界なのに、

ひとつのことに捉われ、それで苦しむことはなんてもったいない!

そのことに気づくと、もう少し呼吸のしやすい世界になるのにと

伝えることはとても大事な事だと思います。

 

顔の質ではなく、心の質が人生の質を変えると思いませんか?

機会があれば、是非貴方の考えをお聴かせ下さい。

 

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