日記
呪文なのか
3連休ですが、大阪は雨。
金曜日にコロナワクチンを接種した私。今回は結構熱も出て倦怠感もあり土曜はほぼ1日臥せっておりました。
今日も少し怠くファイザー製のワクチンでしたが今までで一番副反応が強く出ているような。
先日「ミステリーと言う勿れ」という映画を観てきました。
私は原作本からのファンで、主人公久能整君が紡ぎだす言葉の数々に心が救われることもしばしばです。
今回も胸を打つ言葉の数々に溢れていました。
まだご覧になる方もいらっしゃると思うので内容については敢えて触れませんが、
この映画に限らず日々色々な事に接する中で最近強く思っていることがあります。
まだ固まっていない子供は、絶対的な力を持つ大人次第で簡単に傷つきます。
抱きしめてもらえず傷けることしかされてこなかった子供は
傷けることしか知らないから傷つけることでしか人とつながることが出来ない。
それが正しいと信じているので、自分が間違っているとも思わない。
あるいは、これではいけないと頭では分かっていても、自分ではどうしようもない。
傷つける事でしか自分を守る術を知らないのです。
もしまわりにまだ固まっていない子供が居たら
人は刺すものではなく抱きしめるものなんだよと
どうか、抱きしめてほしいと切に思います。
映画の中で少し引っかかったのが
「(家庭に入り子育てするのが)女の幸せ」を言い出したのは多分おじさんで
女の人から出た言葉じゃきっとない。女性をある型にはめるための呪文です」
というセリフがあり、「世の中に残っている言葉はおじさんが言った言葉がほとんどで
そこには趣味と都合が隠されている」
「自分の中から出た言葉を使ってください」と続きます。
私が小さなころは両親共働きで日中子供だけしない家は珍しい時代で、
「お母さんが家に居て子供の面倒を見る」のが当たり前の時代で
学校を卒業したら花嫁修業をする人は「家事手伝い」という肩書を持ち
「就職したとしても2,3年のうちにいい人を見つけて結婚すること」というのが
既定路線でした。
この路線から外れると
「みっともない」ことになり、
「早く嫁に行って幸せになってほしい」とやいやい言っていたのは
父親ではなくむしろ母親でした。
皆さんの御家庭ではどうでしたか?
勿論そういうふうに「良妻賢母」と言われることがそれこそ「女の幸せ」だと
小さいころから言い聞かされてきて(教育されてきて→洗脳されてきて)いたのでしょうが、
そしてその価値観はおじさんたちが作ってきたものなのかも知れないのですが
そのように言ってきた女性たちは
自身の経験から「自分の中から出た言葉」で語っていたのではないでしょうか?
ここにその時代の教育がもたらす価値観の怖さがあると思うのです。
どう思われますか?
機会があれば是非ご意見を聞かせてください。