日記
前を向くために(その4)
前回私の新人時代のお話をしましたが、
何故おかしいと思ったことを言えなかったかというと
一番大きく心を占めていたのは
「どうせ言っても無駄」という気持ちだったと思います。
「電話をとるのは女の子の仕事」で
お昼休みは自席でお弁当を食べている「女の子」がとるのが当たり前という風土の会社で
(同じ所属で同じ職種であっても男性社員の社外の人に対する同僚の女性の固有名詞が「うちの女の子」という時代でもありました)
言ったところで「仕方がない」と思っていたわけです。
言ったところでまわりの共感を得られなければ仕方がない。
それからは違和感を感じつつも、日々の仕事に忙殺され、
いえ、仕事をしていると余計な事を考えずに済むのでむしろ仕事に没頭し、
「考える」ことを止めていったように思います。
もし私が遠慮なく自分の考えを「主張」していたらまわりの先輩はどう見たでしょう?
「仕事もろくに覚えていないくせに権利ばっかり主張して。」
「扱いづらそう。こんな女苦手。」
「仕事ができるようになってから言え!」
なんて思う人もいるかも知れません。
もし貴方が当時の私の先輩や上司だったらどうでしょうか?
どう接しますか?
私の話を聴いて下さいますか?
今回の事例とは関係なく(時代も違いますし)
話を聴いてご自分の価値観と合わない場合、どうされますか?
ご自分の価値観は今まで貴方が生きてきた環境、時代や今まで経験したこと、
その中で色々感じてきた思いから培われたもので
私は私の価値観を持っていて、
例えば私の考え方や行動が
自分の価値観からは到底許し難いことや、理解しがたいことであった場合、
不快に思うし認めることはとても難しいですよね。
多様性の理解と言うけれども
人との違いを受け入れることは本当に難しいです。
ですが、「人は違って当たり前」なのだから
「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をやみくもに否定せずしっかり聴くことが出来る人、
まわりに居ませんか?
そういう人の存在に気づくことができたら、
その人に自分の考えを話してみたら、その考えに率直に向き合ってくださるかもしれません。
そうして、どんどん息がしやすくなるかも。
そういう人がまわりに居ないと思うなら、
もう自分がやるっきゃない。
もう既に貴方自身が、そういう方なのかも知れません。
そうであれば、きっと周りの方は幸せだろうなあ。
自分の話を聴いてくれる人が居るだけで、
どれだけ救われる事か。
そのことに、会社を辞めて独立して色々な人と接する中で
やっと気づくようになり、遅ればせながらようやく
「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をしっかり聴くことが
少しずつできるようになりました。
そうすると、私を取り巻く環境が少しずつ変化して、
世間が私に優しくなってきて、だんだんと息をするのが楽になってきましたもの。
遅すぎるって?
そうかもしれませんが、でも気づけてよかったと思います。