日記
豊かな日本を享受する
今週末は桜が満開で、
私も近所の浜寺公園やら家原大池公園やら行って参りました。
トップページの写真を2年前の大阪城公園と今年の浜寺公園、
そして家原大池公園では桜を背に椿の花が咲いていたので
一枚、入れ替えてみました。
椿は花ごとぽとりと落ちるので
江戸時代の武家の間で打ち首を連想したため
椿を嫌う風潮が生まれたようですが、
寒さが厳しい冬の中でも凛として咲き誇る様子から、
「忍耐」や「生命力」の象徴とされ、
縁起が良い花ともされています。
「邪気を払う」力があるとされてもいるので、
今回掲載いたしました。
どの写真もそうですが、
写真ではなかなか実際目の当たりにした美しさは伝わらないですね。
やはり「本物を見る」こと、大切です。
中之島美術館でモネの「連作の情景」展が開催されているので、
行って参りました。
私、何故かモネとフェルメールが大好きで、
関西で展覧会があるといそいそと出向くのでございます。
今回開催期間が2月10日から5月6日までで、
そろそろ落ち着いているだろうし閉会までにはまだ日にちがあるし、
結構余裕があるのではないかい?
と思ったのですが、
いやいや、甘かった。
えらい人でした。
私がちょっと驚いたのは
何度か若い男性グループに遭遇したこと。
いずれの方々も静かに熱心に鑑賞していました。純粋にモネの世界に浸っているような..。
美術系の学生なのかな。
男性に関わらず若い女性も多く、
なんだかいい。
私がモネを好きになったきかっけは、
「ヴェトウィユの画家の庭園」(1881年)という画でした。
ひまわりいっぱいの庭の奥には家があり、
そこから庭へと続く階段に、女性一人小さな男の子二人が描かれており、
夏の強い光を感じるとても明るい絵なのです。
この絵を描いた2年前に彼の妻カミーユは次男出産後の産後の肥立ちが悪く亡くなっており、
その頃モネは極貧状態で満足な看病を受けさせることができなかった悔恨もあり、
人生で最も苦しかった時期であったとされています。
そしてこの絵を描いた頃はようやく生活困窮から抜け出し、
モネが再び立ち上がった時だったそうで、
ここに描かれた人物は顔がはっきりと描かれておらず、
(カミーユ死後人物の顔をはっきり描かなくなりました)
絵画を鑑賞したときの音声ガイドでは
「亡くなったカミーユ夫人と二人の子供」
とされており、
絵が明るいが故にモネの哀しみが際立って伝わってくるように当時の私は感じ、
モネの独特の筆使いとともに当時の彼の息遣いや思いが感じられて
心が震えたものです(なんと感受性が豊かだった私!)
(この絵のモデルはカミーユ夫人生前から不倫の噂のあった女性(のちに再婚)とその子供という説もあります)
今回75点のモネの絵画、特に睡蓮に代表される連作がいくつか展示されており、
見ごたえがありました。
そして、いくつかの絵画が写真OKだったので、撮りました!
やっぱり写真となると色々伝わりませんわね..。
それにしてもこれだけのモネの作品を揃えられる日本は豊かな国だと
あらためて思いますし、
それを享受できる幸せをしみじみ感じます。
そして中之島美術館は開業以来黒字が続いているのだとか。
国内初の民間が主導する美術館だそうで。
だってあの盛況ぶり。
大人一人2500円で何人入っているのや!
と下世話なことを考え美術館を後にする私が何語ってるのや!
と無性に恥ずかしくなって参りましたので、
そろそろ失礼いたします。