日記

2024-07-14 18:13:00

是非の基準その1

3連休、いかがお過ごしですか?

私は勤め人を辞めてから、休日の概念が大きく変わり、

今日は朝早くから仕事をし始め先程終わりました。

わーいっ!のんびりするぞ!

ライフワークバランス、大切ですね。

(と気づいたのは勤め人を辞めてからですが..。)

 

開業するまでに、私は2回転職しています。

ですのでお世話になった企業は3社で、その中のある会社での話ですが、

同じ執務室内に就業時間中に仕事に直接関係のない雑談を延々する人が居ました。

(仮にAさんとします)

 

私は集中力がない方なので、周りに雑音があると仕事に集中できず、

パフォーマンスが極端に悪くなります。

いや、もうとてもストレスフルな日々でした。

 

「まわりがどれほど迷惑しているのか考えないのか?」と

好き勝手におしゃべりをするAさんは私から見ると「とても非常識な人」で、

「Aさんが居なくなったらどんなに良いだろう」と思っておりました。

上司が注意をしても、その時は大人しくなるものの、

しばらくするとやはりおしゃべりが止まりません。

 

 

「こんな人と同じ職場で働くために私は今まで頑張ってきたのじゃない」

と、当時の私は私自身が情けなくて、

このことが全てではありませんが、転職する1要因であったことは否定できません。

余裕があるときは許せることも、当時の私は睡眠時間も十分に確保できない程仕事に忙殺されており、

Aさんの素行は耐え難いものでした。

 

何よりも、Aさんがおしゃべりしている時間は当然Aさん自身の仕事も止まっているわけで、

そのしわ寄せはどこに来ているのかと考えると、なんとも言えない不公平感に苛まれ。

 

会社を神輿、社員を担ぎ手とすると、

全員が全力で神輿を担ぐわけではないと分かってはいても、

必死で担いでいる周りのモチベーションのために

笑ってぶら下がってるのではなく、せめて担ぐふり位はしろよ、というような感覚でしょうか。

 

 

転職して暫くしてある方と話している時に

「私、職場でついおしゃべりしてしまって怒られるの」とおっしゃって。

あ、Aさんがここにもいたと私は思い、

「なんで、仕事中におしゃべりするんですか?」とお聴きすると

「だって、あんまり静かなんだもの。耐えられないの。もっと和気あいあいと仕事したいじゃない」

とおっしゃる。

..。いやいや、貴方はそうかもしれないけれども、

集中して効率的に仕事をして早く帰りたい私のような人間からすると、迷惑この上ないのですがっ!

と心の中で叫び。

「そうなんですか」と言ってお茶を濁しましたが。

 

「そういうことか」と思いました。

と同時に

「それなら貴方は雑談しながら和気あいあいと仕事をすることが許される職場に行くべきです!」

とも叫んでおりました(心の中で)

 

何故心の中でしか叫ばないかというと、

「言ってもきっと仕方がない」と思うからで。

私の是非の判断は「人に迷惑をかけることはしない」ことが前提にあり。

その方と多分Aさんの是非の判断は「自分が楽しく過ごす」ことが前提にあり。

まさに「価値観が違いすぎる」ので、自分の価値観とは違いすぎる人からの「言葉」は響かないし、

恐らく反感を買ってしまうでしょう。

私が逆の立場で仕事中に

「もっとおしゃべりして楽しく仕事しようよ。ずっと黙っていて辛気臭い」

なんて言われようものなら、卓袱台ひっくり返します。

 

私が楽しくおしゃべりすることで、まわりが和むのに。なんでわからないの?」とか

「私は楽しく仕事をしたいだけなのに何で注意されるのか分からない。」

から

「私がおしゃべりすることで、もしかすると仕事に集中できず困っている人がいるのかもしれない」

と自分で思わない限りはAさん自身の行動は変わらない。

 

だって、私には迷惑で耐えられないけれども、Aさんはおしゃべりすることが楽しくて仕方ないのだから。

(次週に続きます)