日記

2024-07-28 11:00:00

傘がない

パリオリンピックの開会式、ご覧になりましたか?

私は録画して、飛ばし飛ばし観ました(長いので^^;)

豪雨によるハプニングや五輪旗がさかさまになっていたり、

マリーアントワネットが生首もって歌っていたり

韓国を北朝鮮と紹介したりと

批判されていることは山のようにありますが、

パリだからこそできた街中での開会式。

とても美しかった!

なんでパリに恋する人が多いのか、わかった気がします。

 

私は序盤から熱いものが込み上げてきて何度も泣きそうになりました。

最後の難病と闘っているセリーヌディオンさんの「愛の賛歌」ではもう号泣でした。

たった1曲のパフォーマンスの中になんと多くのドラマが詰まっているのかと思いました。

シンプルにただ「最高の歌を全世界に届ける」ことのみに全てをかけて、

純粋に歌い上げているだけなのかも知れないのだけれども

1曲の中に彼女のこれまでの生き様や歌手としてのプライドや、歴史が詰まっていて、

どれほどの感動を私に与えてくれたか。

 

ああ、彼女は歌手なんだなあ。

 

今回、パレスチナから8名の選手が参加していますが、今朝の朝日新聞の記事を読んでまた涙。

(でもなんとも苦しい涙)

競泳女子のバレリー・タラジ選手の言葉を引用させていただきます。

「私は競うために泳ぐ。でも、ガザには生きるために泳ぐ人もいる。命がけでおぼれそうになりながら」

( ガザでは支援物資が限られ、飢餓の危機が続き、空から海辺に投下される物資を求めて、

身を危険にさらしながら必死で泳ぐ人もいる(記事抜粋))。

「我々は数字ではなく、ひとりの人間。戦争ゲームではない」

 

この「平和の祭典」オリンピックで、彼女の目標は勝つことだけではなく

「パレスチナについて語る」こと。

「声なき人達の声になる」と。

 

ふと井上陽水の「傘がない」という歌を思い出しました。

「都会では自殺する若者が増えている。でも今の僕の問題は君に会いに行きたいのに傘がない事だ」

こんな内容の歌だったと思います。

 

 「飢えた身体で、食べ物を求めて、命からがら海に飛び込む」映像を見ながらも

雨の降る中、外出したいのに傘がないことが今の私にとっての一番の困り事。

 

 でも、私達は

「飢えた身体で、食べ物を求めて、命からがら海に飛び込む」ことにはなり得えないのかというと、

なり得ないとは言いきれない。

隣人の耐え難い痛みは明日貴方の痛みになるかもしれない。

 

危うい世界の中で、「傘がない」ことが今の一番の困り事であるという

日常を過ごせていることはとても幸運なことだということを、

私達は肝に銘じる必要があると思います。 

2024-07-21 19:00:00

是非の基準その2

暑い!

お身体おかわりありませんか?

私はマイボトル片手に老体に鞭打ってなんとか動いております。

金曜日のシステム障害で全世界におけるマイクロソフトの依存度をあらためて認識されませんでしたか?

怖い出来事です。

今回の出来事が新たな脅威のトリガーにならない事を祈ります。

 

さて、前回、前々回とお話してきたことについて、貴方はどのように捉えられたでしょうか。

私と同じように捉えられたでしょうか?

それとも、私の捉え方を「危険」と思われたでしょうか?

あるいは「つまらない事に拘っていてしょうもない」と思われたかも知れません。

 

前回の就業時間中に喋り続ける人について、

貴方が事業主なら、上司なら、周りの同僚なら、先輩なら、後輩なら、

捉え方は違ってきて、また、その捉え方の違いから、起こす行動も違ってくるかと思います。

 

そして、その行動が果たして正解なのか。

数学のように絶対的な正解を出す事が出来たら、誰もが幸せになる正解が出せたら

どんなに過ごしやすい世の中かと思います。

 

 

私はAさんに直接私が困っている事を言わず、

その場から離れた訳ですが、

もし経営者だったら、

人手不足による倒産が増えている中、

人材確保が難しい状況下でAさんを処分するよりは、

Aさんのパフォーマンスをあげる方法を切実に模索するかもしれません。

 

Aさんの上司だったとしたら、

手に負えなくて「何処かに異動させたい」と考えるかも知れませんが、

実際に異動させようとしても

やはり人材確保が難しい昨今、どの部門も自部門の生産性を上げる事が必至の中、

Aさんの受け入れ先探しと欠員の補充がとても難しいのではと思います。

やはり、現状の中でどうにかしないといけません。

 

私のような同僚ではどうかというと、

Aさんとの関係が間違いなく悪くなることを恐れ、

直接意見することは避け、

で自分のストレス解消のために

Aさんが居ない時に同僚に愚痴ってしまうのではと思います。

 

 

...。

あかんですね。

 

私があかんかったところは、

自分が困っていることをAさんに話さなかったこと。

「貴方のおしゃべりで、私は仕事に集中できずとても困っている。

何故貴方は就業時間中におしゃべりをするの?」と。

そうすると、前回私が書いたように「だって楽しく仕事したいから」

と回答が返ってくるかもしれません。

でももしかすると「上司にも注意されるし、本当は静かに仕事をしたいのだけれども、止められないの」

と回答が返ってくるかも知れません。

「沈黙が怖い」のかもしれませんし、

もしかするとADHD(注意欠如、多動性障害)で誰かに何かを聞かれたことがきっかけで、

思考がどんどん移り変わり、思いつくことをそのまま話し続けてしまうのかも知れません。

あるいはASD(自閉症スペクトラム障害)で、

相手の気持ちや空気を読むことが苦手で、相手が望んでいないことに気づかず、

延々自分の興味のあることを話し続けてしまうのかも知れません。

 

本人も苦しんでいるのに、それを声にすることが出来ないのかもしれません。

 

もし声にしてくれたら、色々変わっていくのになあと

そうやって「自分が困っていることを声に出す」ことをしないと

何も変わらないよなあ

と今となっては思います。  

 

ただ、話をする時、ついつい感情的に相手を非難しがちになりがちですが、非難するという事は自分は是で、相手は非であると思っているから。

どうして貴方はそういう行動をとるのか。

どうか正直な気持ちを話して下さい。

その一心でAさんの話を傾聴する姿勢でないと、決してAさんは心を開かず、決して良い方向に進まない事を忘れない事、とても大切です。

自分の価値観を頭ごなしに押し付けない事。

難しいですが、とても大切です。

 

話し合っても

「おしゃべりすると楽しく仕事ができるじゃない?何が悪いの?」

ということであって、

私がとても困っているということを伝えたうえでも

無駄話をし続けるなら

今の私ならその都度「集中できないから黙れ」ということを社会人らしい言葉に変換して伝え続けると思います。

それでも埒があかないなら

上司に相談する。

と思います。

 

私は医師ではないので、勝手に診断する事はもっともやってはいけない事ですが、業務に支障が出て困っている事例をもとに行動を起こさないと何も変わりません。

 

 

これが今の私の正解ですが、貴方はどうでしょうか。

 

「多様性の理解」

間違えないか私は日々試されているなあと思います。

 

2024-07-14 18:13:00

是非の基準その1

3連休、いかがお過ごしですか?

私は勤め人を辞めてから、休日の概念が大きく変わり、

今日は朝早くから仕事をし始め先程終わりました。

わーいっ!のんびりするぞ!

ライフワークバランス、大切ですね。

(と気づいたのは勤め人を辞めてからですが..。)

 

開業するまでに、私は2回転職しています。

ですのでお世話になった企業は3社で、その中のある会社での話ですが、

同じ執務室内に就業時間中に仕事に直接関係のない雑談を延々する人が居ました。

(仮にAさんとします)

 

私は集中力がない方なので、周りに雑音があると仕事に集中できず、

パフォーマンスが極端に悪くなります。

いや、もうとてもストレスフルな日々でした。

 

「まわりがどれほど迷惑しているのか考えないのか?」と

好き勝手におしゃべりをするAさんは私から見ると「とても非常識な人」で、

「Aさんが居なくなったらどんなに良いだろう」と思っておりました。

上司が注意をしても、その時は大人しくなるものの、

しばらくするとやはりおしゃべりが止まりません。

 

 

「こんな人と同じ職場で働くために私は今まで頑張ってきたのじゃない」

と、当時の私は私自身が情けなくて、

このことが全てではありませんが、転職する1要因であったことは否定できません。

余裕があるときは許せることも、当時の私は睡眠時間も十分に確保できない程仕事に忙殺されており、

Aさんの素行は耐え難いものでした。

 

何よりも、Aさんがおしゃべりしている時間は当然Aさん自身の仕事も止まっているわけで、

そのしわ寄せはどこに来ているのかと考えると、なんとも言えない不公平感に苛まれ。

 

会社を神輿、社員を担ぎ手とすると、

全員が全力で神輿を担ぐわけではないと分かってはいても、

必死で担いでいる周りのモチベーションのために

笑ってぶら下がってるのではなく、せめて担ぐふり位はしろよ、というような感覚でしょうか。

 

 

転職して暫くしてある方と話している時に

「私、職場でついおしゃべりしてしまって怒られるの」とおっしゃって。

あ、Aさんがここにもいたと私は思い、

「なんで、仕事中におしゃべりするんですか?」とお聴きすると

「だって、あんまり静かなんだもの。耐えられないの。もっと和気あいあいと仕事したいじゃない」

とおっしゃる。

..。いやいや、貴方はそうかもしれないけれども、

集中して効率的に仕事をして早く帰りたい私のような人間からすると、迷惑この上ないのですがっ!

と心の中で叫び。

「そうなんですか」と言ってお茶を濁しましたが。

 

「そういうことか」と思いました。

と同時に

「それなら貴方は雑談しながら和気あいあいと仕事をすることが許される職場に行くべきです!」

とも叫んでおりました(心の中で)

 

何故心の中でしか叫ばないかというと、

「言ってもきっと仕方がない」と思うからで。

私の是非の判断は「人に迷惑をかけることはしない」ことが前提にあり。

その方と多分Aさんの是非の判断は「自分が楽しく過ごす」ことが前提にあり。

まさに「価値観が違いすぎる」ので、自分の価値観とは違いすぎる人からの「言葉」は響かないし、

恐らく反感を買ってしまうでしょう。

私が逆の立場で仕事中に

「もっとおしゃべりして楽しく仕事しようよ。ずっと黙っていて辛気臭い」

なんて言われようものなら、卓袱台ひっくり返します。

 

私が楽しくおしゃべりすることで、まわりが和むのに。なんでわからないの?」とか

「私は楽しく仕事をしたいだけなのに何で注意されるのか分からない。」

から

「私がおしゃべりすることで、もしかすると仕事に集中できず困っている人がいるのかもしれない」

と自分で思わない限りはAさん自身の行動は変わらない。

 

だって、私には迷惑で耐えられないけれども、Aさんはおしゃべりすることが楽しくて仕方ないのだから。

(次週に続きます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-07-07 18:13:00

日本人の良いところ

先日、とあるお店の責任者と話していたら

「最近日本人の良いところがなくなっていくような気がします」

とおっしゃる。

その方はオーナーではなく、

数多くのお店のうちの大店2店舗を任されているのですが、

「何か問題が起こったら、幹部を集めてミーティングをするのですが、

営業時間中は難しくてどうしても営業終了後になるのですが、

一部の幹部から「その時間がもったいない」と言われます」

と。

「「店をよくするためには必要な事だと思うし、店をよくすることは貴方の幸せにつながるんだよ」と話しても

人によって受け止め方は様々で、

「なんでそんな受けとめ方するの?」と驚くことがあります。」

と。

「所謂「タイパが悪い」いうやつですね?」と私。

「そうなんですよ!「タイパが悪い」いうんです!そんな事をいうお前の時給いくらやねん!思いますわ!」

「みんなの時給あげるためには店を良くしていかなあかんねん!」と。

 

この話「最近よく電車が遅延する」という話がきっかけとなったのですが、

「「電車は遅延することもあるから、それを見込んで早く家を出る」ということを考えない従業員が増えた」という話になり、

「「私は定時に着くように家を出ているのに遅れたのは電車が遅延したせいなので仕方がない」言う事なんでしょうね」と。

「今は「電車は遅延することもあるから、それを見込んで早く家を出るもんやろう!」なんて言えませんものね」と私。

 

「特に新人の頃は、仕事を早く憶えたくて、誰よりも早く出勤したもんですけどね」と遠い目の店長。

「最近日本人の良いところがなくなっていくような気がします」はこの後に出た言葉でした。

 

勿論、この話は店長の現状の捉え方であって、「タイパが悪い」「定時ぎりぎりに出勤する」従業員の話を聴くと、

また違った捉え方を聴くことになると思います。

「事実はひとーつ!」ですが、「真実はひとーつ!!」ではなく捉え方によって様々です。

ですが、私も最近店長と同じように感じる場面に遭遇することが多く、

なんだかもやもやする日々を送っておりました。

 

昨日テレビを見ていたら、従業員が78歳~88歳のおばあちゃん中心の「おばあちゃんビジネス」の現場にスタンフォード大学の教授が訪れているところが取材されており、ご覧になった方もいらっしゃったかと思います。

その会話の中でそのものずばりの英訳がなく通訳が難しかった言葉が二つあり。

それは「生きがい」と「ピンピンコロリ」。

輝くような笑顔で「人の役に立っていること、誰かに必要とされること」が「生きがい」で、

生涯働いて「ピンピンコロリ」が理想とおっしゃる。

この会社は「うきはの宝」という会社で手作りの「蜜な干し芋」は県知事受賞し、

他にも「ばあちゃん新聞」や「ばあちゃん飯」など、

ばあちゃんの知恵がいっぱい詰まった事業を展開しており、

そこにはばあちゃんたちの「働く喜び」が溢れています。

 

「生きがい」と「ピンピンコロリ」。

おばあちゃんたちの笑顔は

店長との会話を引きずっていた私の心を軽くしてくださって、

「日本人の良いところ」の原点に触れたような気がします。

 

2024-06-30 18:18:00

きりがない

「見た目は大切」

最近よく思います。

「でも見た目が全てではない」

最近よく思います。

今、特に若い世代で整形に対してのハードルがかなり低くなっているようです。

 

「見た目は大切」

私達は第一印象でその人の印象をだいたい決めてしまいますわね。

その人を知っていくうちにつれ、印象は変わっていくけれども

「こう見られたい」と思っているものとは違う

印象を周りの人にもたれていると感じているのだとしたら

髪型や服装や立ち居振る舞いを見直すべきだと私は思います。

(自戒を込めて)

 

ではもって生まれた容姿についてはどうでしょう。

 

悲しいかな私達は容姿でその人を評価してしまいがちです。

これはもう人、いや動物しての本能ですもの。

 

だからこそ、容姿に拘り、涙ぐましい努力をするわけですが、

「見た目」に支配されて、

特に若い世代で

「瞼を二重にしなければ外を歩けない。学校へも行けない」

「今の醜い顔のままで生きていけない」と

メンタルに不調をきたす人が増えていると聞きます。

 親からすると、

整形も立派な手術だし、身体にメスを入れることになるし

施術する病院を間違えるととんでもないことになるのではないか?

という心配や

「生まれ育ってきてくれたそのままの顔では駄目なのか」

という寂しさや。

複雑な心境であると思います。

だけど、整形をすることで、

瞼を二重にすることで、我が子が健康な心を取り戻せるならと

整形に同意し費用を出す親御さんも多いと聞きます。

 

でも一度整形をすると、次から次へと欲が出て、

「鼻を削って高くしたい」

「頬骨を削って小顔にしたい」

「〇〇ちゃんのような顔になりたい」

と「きりがなくなる」と言います。

人の欲望は一度捉われるときりがないという典型的な見本です。

 

だけど特に成長過程にある10代の若者が、

例えば鼻をいじった場合、

鼻はまだまだ成長していくので、

とんでもなく変形してしまう可能性もあるということで、

綺麗になりたいが故に整形したのに結果、とんでもなく醜くなってしまうこともあるそうで。

 

 「今私(僕)が不幸なのは、顔のせいだ。整形をして顔が良くなれば幸せになれる」という考えに捉われて、

心を病んでいたら、あるいは親しい人がそういう考えに捉えられているとしたら

信頼のおける形成外科医のいる病院を見つけて整形する、あるいは整形をすすめることは

或る意味トリアージと考えると仕方ないように思います。

その結果、自分に自信が持てて前向きになれるならとも思います。

 

ですが、「見た目が全て」ではなく

見た目よりも大切な事、「見た目を磨く」ことより価値があることが

世の中にはいっぱいあることを

その子たちが自分で気づくような世界を目の当たりにしたら、

その子たちの「自分の容姿」についての捉え方も随分変わるのではないかと思います。

とても難しいのだけれども、

せっかくこの世界に生きているのに、この世界は広くて色々な価値観がある世界なのに、

ひとつのことに捉われ、それで苦しむことはなんてもったいない!

そのことに気づくと、もう少し呼吸のしやすい世界になるのにと

伝えることはとても大事な事だと思います。

 

顔の質ではなく、心の質が人生の質を変えると思いませんか?

機会があれば、是非貴方の考えをお聴かせ下さい。

 

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