日記
アンコンシャスバイアスちゃいます?
あっという間に10月..。
怖い...。ほんま怖いこの超特急に過ぎていく時間..。
我が地元ではこの週末だんじり祭りで、
たまたま商店街を歩いていたら丁度走り抜けていくだんじりに遭遇しまして、
商店街の両端を埋め尽くす見物客の中に慌ててまぎれる私。
走り抜けながら「おばちゃん、もうちょっと端に寄って!危ないで!」と
半被姿のおにいちゃんに叫ばれ咄嗟に引っ込む私..。
その間ほんの数秒..。もう少しで大惨事になるところでした。
怖い...。ほんま怖い超特急に走り過ぎていくだんじりと自分自身の厚みに無自覚な私..。
Youtubeでかなり前に一斉を風靡した「モモウメ」というアニメ動画があるのですが、
いまさら私、嵌りまして一日の最後に観ては癒されております。
(モモ役伊藤沙莉さん、ウメ役江口のりこさんで実写化もされています)
その流れで「えんむす」というアニメ動画を知り、こちらもなんとも秀逸です。
その中で「アンコンシャスバイアスちゃいます?」という動画があり、
軽い切り口で「アンコンシャスバイアス」を取り上げていたので
まだご覧になっていない勤め人の方、興味があればまたご覧になってください。
「モモウメ」も「えんむす」も勤め人にありがちな「もやもや」した心を
軽くしてくれます(と思います)。
「アンコンシャスバイアス」はそもそも何かというと
unconscious(無意識)のbias(思い込みや偏見)で、
ステレオタイプ: 性別や国籍などの属性に対する先入観・固定概念に縛られてしまうこと
正常性バイアス :何か問題が発生した際に、先入観などに基づき、「正常の範囲内だろう」と被害の可能性を最小化して認識すること
確証バイアス: 自分の偏見や思い込みを強化する情報ばかりに意識が集中し、認識に偏りが発生すること
権威バイアス:権威がある人や、専門家の言動は正しいと自動的に信じ込んでしまうこと
集団同調性バイアス: 集団の中にいると無意識的に他人と同じ行動をとってしまうこと
ハロー効果: ある対象を評価する際、わかりやすい印象や特徴に意識が引っぱられ、正当な評価ができなくなること
慈悲的性差別 :女性やマイノリティに対する好意的な思い込みにより、無意識的な性差別をおこなってしまうこと
等が代表的な例だそうです。
(朝日新聞の記事を引用させていただきました)
思い当たることありません?
私はもう思い当たる事もりだくさんです。
このバイアスが人間関係の歪みを生むことを私、嫌というほど経験してきました。
なので!「あ、今私自分の思い込みでこの人の事捉えて接していない?」と思った時は
「あ、今私アンコンシャスバイアスちゃいます?やったわ.ごめんごめん」と言ってみるというのは如何でしょう?
そうすると「何ですか?アンコスシャスバイアスちゃいます?て!」と動画のように会話が弾み、きっと場が和みます(はずです)
「本人が怠け者だからこのページも引用や紹介で楽しがちよね。」
と思った貴方!
貴方の認識は正しい。
アンコンシャスバイアスちゃいます。
「戸惑う」貴方の話を聴かせて
27日の金曜、しっかり自民党総裁選の中継を見てしまいました。
1回目の投票で高市早苗さんが1位になったとき
もしかしてもしかして!
女性初の総理誕生かっ!
と丁度「虎に翼」の感動の最終回の余韻に浸っていた私、
正に歴史が動く瞬間をこの目に焼きつけようと
食い気味に決選投票を見守っておりました。
結果は石破さんに決まりましたが、
3位の小泉さん支持票がどこに行ったのかと考えると
改革派の小泉さん支持票が保守派の高市さんに流れることはないか..。
裏金問題に甘いから高市さんでは選挙に勝てないと言われてたしなあ
と考える私にびっくり。
そこにはジェンダーについての懸念はなく、
そういう思考が自然とできる時代になったんやなあとひたすら感動しておりました。
国にかかわらず、自治体や企業、組織のトップに立つ人は
権力を持ちながらもそれに伴う大きな責任を背負っており、
私が組織のトップである人達にお会いして共通して感じる言葉は
「信念」です。
下衆な言い方で恐縮ですが、
その確固たる信念で「腹括っているなあ」と思います。
その「信念」がビジョンや組織が向かう方向性の指標となり、
それを組織のメンバーが理解しどう受け止め、
どう行動していくかで、「組織の文化」や「風土」が出来上がっていくものだなあと
つくづく思います。
出来上がっている組織の文化の中に新しく飛び込んだ人は
まず「馴染もう」と思いながらも、戸惑うのは当然で、
中に居る人にはない視点で組織を捉えているからこその「戸惑い」を感じて
それをきちんと言葉にすることが出来る人がいたら
それは組織にとってとても幸いな事!
勿論、「自分勝手な論理を繰り広げる」幼い思考からの「戸惑い」 もあるでしょうが、
むしろそうした場合の対応がとても大切で、
頭ごなしに否定して相手が委縮することのないようにしたいものです。
否定しているつもりはなくても
長く社会にいると、いつの間にか「権力のある方」になっていて、
知らず知らずのうちに「言いたいことも言えない」対象になっていることに
なかなか気付けないもので、
かく言う私、「私に言いたいことが言えない」同僚がその不満を愚痴っている場面にたまたま遭遇し
衝撃を受けたことがあります。
私の前ではいつもにこにこ感じよく接してくれる人だったので
かなりの衝撃でした。
たまたまそういう場面の遭遇しただけで、
結構色々言われているんだろうなあと思うと
しばらくは人と接するのが怖く殻に閉じこもっていましたっけ。
今振り返ってみると
そこから私視野が広がり人として成長できた(おそらく)ので
私の契機となったとてもよい経験でした。
今の私はどうかな?ともしその同僚に会えたら聞いてみたいなあ。
「「戸惑う」貴方は何故戸惑うのか語っていいんだよ。
だって私は是非貴方の話を聞きたいもの」
が当たり前になっている組織は
今まで大切にしてきた文化(組織人にとっては価値観)が
否定されるのではなく
また、新しい視点からの意見も
「何もわかっていない」と軽んじられることなく
お互い向き合うことが出来て
守るべきレガシーは残し、
陳腐化されているものは切り捨てることができるので
新陳代謝が進み、
どんな風が吹いても生き残っていけるしなやかな組織
ではないでしょうか。
事実だけを受け取ることの困難
石川県、地震の傷跡も充分に癒えていないのに大雨で土砂災害でもう..。
謹んでお見舞い申し上げます。
今週も世間では色々なことがありましたが、
3連休如何お過ごしですか?
私は今日15時過ぎに所用で梅田のアパホテルに行ったのですが、
フロントのチェックイン時間だったのかフロント前は長蛇の列。
ビュッフェ会場のレストランも長蛇の列。
半数以上は海外からだったような..。
ホテルはお初天神のそばにあり、有名な亀寿しの前を通るとやはり長蛇の列。
4年前、緊急事態宣言がでていた頃、
青空の下同じようにお初天神近くから大阪駅に向かって歩いたことがあり、
私以外誰も歩いておらず、車もほとんど通ってなかった事をふと思い出しました。
あのパンデミックも今では遠い昔のようです。
でもあのパンデミックで数多くの方が命を落とし、
(直接的にも、間接的にも)
今でも後遺症に苦しんでいる人がいらっしゃいますよね。
コロナに限らず世の中には色々な感染症があり、
難病があり、
突然の病に「なんで私が?」となった時、
どこにやり場のない怒りをぶつければよいのでしょう。
「隣に座っているあいつは健康そうで、100歳まで生きるような顔をして、
文句ばかり言っている。」
だんだん隣に座っている同僚が、
そして私の苦しみに関係なく幸せそうに歩いている全ての人が、
憎くなってくる。
かも知れません。
中国で10歳の日本人の男の子が刺されて死亡した事件。
なんとも痛ましい事件です。
親御さんの気持ちを思うとたまりません。
「10歳の男の子が日本人学校へ通学途中刺されて亡くなった」
これが事実で、
犯人の動機や背景はわかっていないものの、
定職に就かず、公共施設損壊などで身柄を2度拘束されたなどということが
中国側から発表されているようです。
メディアや評論家は
これらのことや現在の中国の事情を背景に色々語ってますが、
ついついそれらの言葉や情報を鵜呑みにしてしまいがちだし、
中国に対しフィルタをかけてしまいがちだけど、
沢山の中国人が花を手向け、被害者を悼み、
謝罪する姿を見ながら、
ついつい先入観で一人の中国人が犯したことが、
全ての中国人が起こしうるという考えに捉われてしまう(一般化)ことが
所謂「認知の歪み」となり得て、とても危険だということを
肝に銘じております。
我が子の命を、未来を一瞬のうちに奪われた慟哭は
世界共通ですもの。
期待すること
先日お昼過ぎに難波の地下街を歩いていたら、
色々な香水の香りが入り混じっているあの海外で漂う香りになっていてもはや異国。
国際色豊かな街になったもんだ。
日常の中で私達は人から「期待されること」もあり
人に「期待すること」もあり。
誰かに期待されると
「私のことを信じて期待してるんだ!」
と自分の励みになる反面、
「その期待に応えなきゃ!」
とプレッシャーになり。
私達は日々この鬩ぎ合いの中で生きています。
親の期待に応えるため。
上司の期待に応えるため。
国民の期待に応えるため。
自分自身の期待に応えるため。
頑張った結果、彼らの期待に応えらえなかったとしたら
心に傷を負ってしまいます。
自分でも気づかないところで、
深いところで傷を負い、症状が色々な形ででてきてしまいます。
「どうせ私なんて。俺なんて」
と自分を卑下したり。
期待に応えられなかったことを直視できず、
「期待に応えられなかったのは〇〇のせい」と他責に転じてしまうかも知れません。
なかなか厄介です。
そのことを知っていながらでも
私達は大谷選手の前人未到の「50-50」に期待し、応援をしちゃいますよね。
だって、何かに、誰かに期待していると、
生きていくことができるから。
今日戦争で済む家が爆破されて家族もいなくなったけれども
もしかすると明日戦争が終わり、
いなくなった家族が戻ってくるかもしれない。
今日会社を解雇されたけれども
明日もっとよい会社に就職できるかもしれない。
「期待するだけ無駄」
と期待することを諦めてしまっても、
「明日の朝ごはん」の玉子焼きはとてつもなく美味しいかもしれない。
期待しましょうよ、明日に。
私達はリーダーによって簡単に幸せにも不幸にもなる(その1)
先週「静かな退職」を話題にしましたが、
自民党総裁選挙に名乗りを上げた小泉進次郎氏が提案した「解雇規制緩和」、
メディアやSNSで色々な評論家や政治家によって議論されていますね。
日本は長らくメンバーシップ型雇用(職務を限定せずに雇用。長期雇用となる)が主流でしたが、
最近はジョブ型雇用(職務内容、勤務地、時間などの条件を記載した職務記述書に基づき雇用)に移行する企業が増えてきている、と言われていますよね。
「増えてきていると言われている」というのは、私自身がジョブ型雇用の企業に雇用されたことがなく、
また今まで取引してきた企業でも、ジョブ型雇用を採用されてる企業はなかったので
実際の現場でどのようなメリット、デメリットがあるのか把握できていないというのが現状です。
とこんな私が少し偉そうなことを書きます。
すみません。
ジョブ型は「会社のために働く」のではなく「職務に対して労働力を提供する」ので、
経済成長期の日本を支えてきたメンバーシップ型の特徴である「長期雇用を前提とした人材育成」の中で育つ、
「愛社精神」や「忠誠心」、「同じ釜の飯を食う」仲間意識は稀薄になっていくことは必然と言えます。
ですが、ジョブ型雇用は今まで組織で働く中でもやもやしてきたことの多くが解消されるトリガーになるかもしれません。
何と言っても職務内容に対するスキル重視での雇用であり、
労働条件(勤務地や勤務時間等)明確に決められた上で条件に合った人材のみが採用されるので
職務と人材とのミスマッチがなく「適材適所」に人員が配置されることになります。
企業にとっては効率よく求める人材を確保できるし、
雇用される側もメンバーシップ型に比べ自分で納得した働き方が出来る可能性が非常に高く、
また職務に応じた専門性も向上していくのでスキルアップしやすく、高収入にもつながります。
何より、前回書いたような「自分の業務が終わったにも関わらず、同僚の仕事が終わっていない」場合のストレスはかなり軽減されるでしょう。
半面、企業はスキルアップしていく優秀な人材を引き抜きやより条件の良い企業への転職などで失うリスクが高くなり、
雇用される側は「職務を全うするに値するスキルがある」ことが大前提なので
常に自分でスキルを磨く必要があります。
また、企業の都合で担当する職務がなくなる可能性もあり、その場合解雇やむなしとなるわけですが、
日本の場合、今の法律では解雇に対しては多くの規制があるので解雇が難しいわけですね。
長々と書きましたが、
ここに澱みが生まれるのは必然で、この規制を緩和すべきというのは
数年前から議論されてきたことです。
個人的には私は「静かな退職」をしている人を見て「むずむず」してきたし、
「適材適所」とは程遠い人事によるストレスに辟易してきたし。
少子高齢化で益々人材不足となる時代背景を鑑み、ジョブ型雇用大賛成だし、
その中での「解雇規制緩和」はあるべき姿だと思っています。
ですが、ですよね。
充分な土台が確立されいない中で「解雇規制緩和」が行われると、
偏った解釈で不当に解雇されてしてしまう人が出てくるのも事実で
安易に「解雇規制緩和」してしまうと、
人材不足の日本であるにかかわらず貴重な労働力がどんどん失われる危険も秘めているわけで。
充分な検証のもと慎重にすすめる必要があるからこそ、滞っていることについて
国であれ企業であれ正しく賢察し俯瞰できる人に、リーダーになってもらいたいものだと、
細々と日本の片隅で何とか生きているおばちゃんは思います。
私達はリーダーによって簡単に幸せにも不幸にもなる。