日記

2025-01-26 21:26:00

私達の強み

うかうかしている間に1月も末。

今週も色々なことがありましたね。

 

土曜日、泣きながら朝ごはんを食べる羽目になりまして。

 

なんで泣いたのか?

自分でもなんでこんなに泣けるのかと不思議でした。

 

たまたまつけていたテレビでNHKの「プロジェクトX」が流れており。

2011年10月にタイを襲った大洪水では日系400社以上の工場が生産設備ごと水没し、

そこから如何にして日系企業や現地のタイ従業員たちが立ち向かっていったかという内容でした。

「緊急派遣5千人 日本メーカーの総力戦~タイ大洪水との闘い~」というタイトルがついており、

主に

タイ工場で生産していた半導体や電子部品などの供給が止まることによる日本の物づくりが止まる事を阻止するため

 そして何より働く場を失ったタイの優秀な技術者達を救済するために

当時観光でさえなかなか入国が難しかった時代に

企業の垣根を越えて総力戦で日本政府に5千人もの技術者の受け入れ交渉を粘り強く続け遂に実現する姿と

その後現地工場の再建がかなった企業と叶わず現地従業員を解雇せざるを得なかった企業の姿が

映し出されていました。

 

私が涙したシーンは

ラピタセミコンダクタアユタヤの現地女性技術者のインタビューで

二人の年老いた姉を支えるため懸命に働いてきた彼女が

洪水により一瞬にして働く場を奪われながらも

日本の経営陣の前では笑顔を見せていたと語っていた時で、

語る彼女の姿は、

苦難を受け入れながらも懸命に生きてきた人なんだなあと

なんとも神々しくさえ思えるものでした。

 

「この先どうなるのか」と自宅ではおいおい泣きながらも、

当時の社長山田さんが私達を家族のように大切に思ってくれている事、

なんとか復旧させようと、私達の職場をなくさないように

奮闘してくれていることがわかっているから、

皆の前では笑顔でいなければいけないと。

 

スタジオにいらしたニコンタイランド当時の村山社長が

涙したのは

水没した工場の状況を伝えるために送られた写真に映し出された現地の従業員が

「皆笑顔だったんです」と。

 

ニコンは再建できましたがラピタセミコンダクタアユタヤの再建は叶わず。

山田社長が従業員を集めそのことを告げ謝罪した時の映像が流れていましたが

奮闘していた山田社長の姿を見ていた従業員たちは

誰一人経営陣を責めず、逆に今までの感謝の言葉を口にしている姿がありました。

 

この山田社長が最後に

「再建は叶わなかったが、なんとか復旧させようと

皆で一生懸命考え意見を出し合って歩んだ過程はその後彼らが生きていく上で力になった事は間違いない」

といようなこと(うる覚えなので正しくないかもしれません。ご容赦ください)を語られ、

私の心にとても響いたのでございます。

 

タイの工場をたたんだのちも山田社長は現地に残り、希望者の再就職先を全員手配し、

自分も現地で再就職し年に一度当時の仲間で集まるのだとか。

 

困難をともに闘った者同士は経営者と従業員という主従関係を超えて、

仲間になり、家族になるんだなあ。

 

家族的な経営。

グローバルな経済市場において、日本の影響力がどんどん薄れていると言われていく中、

欧米にはないこの「家族的な経営」風土が、

「強み」なのだと、

語られていた当時の現地リーダーたちの言葉に

勇気づけられながらも、

日本が成長してきた理由を今こそ再認識すべき時なのだと

とても思います。