日記
鏡の中
今日は母の日。
今日の大阪の天気予報は昨日まで雨だったのに
見事に晴れて洗濯物が乾く乾く!
空も母親孝行してくれたのかもですね。
私はというと、空の彼方にいる母に
毎年カーネーションの花束を贈っています。
最近は色とりどりのカーネーションがありますね。
薄紫の花はカーネーションのようですが、
トルコ桔梗とのこと。
先日とある人気の店でランチを食べたのですが、
店員の対応が宜しくなく、
あまりにも腹立たしく最後のお茶とお菓子が出る前に席を立ちました。
その時にちらっと窓ガラスに映る我が身をみて愕然としました。
なんて醜い姿なんだ。
怒りで顔が歪んでいました。
あの時見た窓ガラスに映った自分は
鏡の中の自分とは似て非なるもので
まさに「他人からみた自分の姿」
鏡を見るときは知らず知らずのうちに
「いい顔」してますものね。
自分の姿はこうして確認することはできるけれども
自分が他人から「どういうふうに思われているか」
はどうすれば知ることが出来るのか?
その前に
そもそも知ることはとても勇気のいることですよね。
最近の若者は自分の悩みをAIに相談するのだとか。
悩みを解消してくれるような答えは出してくれないけれど
話し相手になってくれるし、
何を言っても嫌らわれることもなく
傷つくこともないからということのようです。
鏡の中に居るうちは
傷つかないけれども本当の自分の姿を知らないままで
外に出て
他人と話をして他人を理解しようとしたとき
自分を知ってもらおうとするとき
愛されようと思うとき
痛みを伴うし
耐えられないと逃げ出したくなることもあるけれども
「自分のこと」を正直に話すことが
「助けて」とAIではない誰かに話すことが
生きていく上でとても大切なことなんだということを
まだセメントが固まっていない子供たちに
知ってもらう事が
日本の未来にとても必要な事だと思います。
誰がそれを教えるのか。
教師なのか、親なのか。
まわりにいる全ての大人達だと思います。
ケセラセラ
5月です。
如何お過ごしですか?
トップページの写真を京都瑠璃光院を訪れた時のものに変えました。
新緑が本当に美しい季節になりましたね。
連休はのんびりするつもりが、
丁度2週間ほど前にポストに入っていた
マンション管理会社のチラシをみて
思い立ってリビングと和室に内窓をつけることにしまして、
そのためになんだかばたばたしております。
なんでも年内に内窓をつけると
環境省の「先進的窓リノベ2025事業」で
大窓で65000円/箇所
中窓で44000円/箇所
の補助金が出るらしく、
何より冷暖房費の節約になるやん!と思い切りました。
あとから知ったのですがこの補助金、昨年もあったらしく
予算がなくなり次第終了するらしいので、
今ですでっ!奥さん!(誰?)
そんなこんなで今日は朝から窓周りの整理をしてたのですが、
飾り棚の引き出しから
なんとホイットニーヒューストンが1990年に来日したときの
コンサートのパンフレットが出てきまして。
私、行ってたんですね。
その頃ホイットニーヒューストンの熱烈なファンで
「Saving All My Love For You」を初めて聞いたときの衝撃は
忘れられません。
あの頃はまさかホィットニーが
あんな最期を迎えるなんて思いもしなかったし
晩年の姿は見るのも辛かったけれど
あの日大阪城ホールにいた彼女は光り輝いていたし
私は社会人として始まったばかりのころで
若さを謳歌しながらも、未来への不安に怯えていたように思います。
「人生なるようになる」
でも
「自分の世界を美しくするのも生き辛くするのも自分次第」
この二つの言葉が矛盾しつつも共存するのが生きるという事なのかと
パンフレットの中の笑顔の彼女を見て
ふと思いました。
コーヒーの日々
なんともう黄金週間。
どうお過ごしですか?
私はルイボスティー、黒豆茶、トウモロコシ茶の日々です。
なんのこっちゃ。
自分で仕事量をコントロールできるようになり、
休もうと思えば思う存分休めるはずなのに
気がつけばいつも時間に追われて
今時の言葉でいうところの「タイパ」を常に考えている、
いや、支配されている日々を私、送っております。
そんな私の心強い友はコーヒーで
特に仕事中は1日の許容範囲と言われる3~5杯は飲みます。
(なんでも成人の1日のカフェイン摂取推奨量は400mgでコーヒー1杯(150mlとすると)のカフェイン量は80mg程度だとか。
アメリカの食事ガイドラインには「1日3~5杯のコーヒー摂取と健康な成人の2型糖尿病および心血管疾患、肝臓がん、子宮内膜がんのリスク減少との関連を示すエビデンスがある」と記されているらしくむしろ体に良いと信じて)
最近のカフェイン過剰摂取問題が背景にあるのか
色々なノンカフェインの飲み物が増えていて
私も家にいるときは
好んでルイボスティーや黒豆茶、トウモロコシ茶をその時の気分で楽しんでいます。
コーヒーを何杯も飲んで時間に追われながら効率的に生きようともがく私を
やめるつもりでいたはずが
そんな自分も結構好きで、そんな自分を手放せないんだなあと気づきました。
365日コーヒーを手放せなかった私が
ルイボスティーや黒豆茶を楽しめるようになり
洗濯物を干したベランダからぼーっと青空を眺める時間が
私にとって大切な時間になりました。
コーヒーの日々もルイボスティーの日々も
かけがえのない愛おしい日々なんだよなあ。
良かった。
そんなことを思えるようになった自分をちょっと認めてあげようと思います。
日々是好日。
知らず知らずのうちに
先日同じマンションに住む小学校の教師をされていらっしゃった方と立ち話をしまして、
今から10年ほど前に母校の先生をされていたことがわかり
その時凄く「荒れていた」事を知り衝撃を受けました。
(今は退職されていて状況はよくわからないそうですが)
私が小学生だったのは遥か昔のことですが、
綿織物の盛んな町で、近所の家のほとんどが自宅の横に工場をもって
朝から晩まで「織物を織る機の音」が響いていました。
ちょっと山に入ると畑や田んぼが広がって
貧しいながらものどかな町で、
今思うと多少の貧富の差はありましたが、
同級生は同じような価値観の中で育っていたように思います。
だから「いじめはなかった」というとそうではなく
やんちゃな男の子達は「弱い者いじめ」をしていました。
1人ターゲットになっている男の子がいて
幼稚園が一緒で近所だったこともあり、
幼稚園の頃はその子のおうちに遊びによく遊びに行っていました。
小学校に入り、
私はなんというか「勉強ができる優等生」になり
「一目置かれる」ことが「一番大切」なことだったので、
その子と「仲良し」だと思われることが怖く、
口も利かないし「いじめられている」事を知りながらも
見て見ぬふりをしていました。
その子はやがて所謂「知的障害特別支援学級」に入り、
私はほっとしたことを憶えています。
私最低でした。
最低でしたが、その頃はなんと言いますか
「自分の居場所を作ること」に必死で
「生きていくのに必死」だったように思います。
何故母校が荒れていたかというと、
どんどん開発が進み住宅やマンションが次々と建設され
新旧の住民が混在する形となったので
育った環境が大きく異なる色々な価値観を持つ児童が混在することになったことで
大きくは「地元民」と「新住民」の対立があったとのこと。
大人でも色々あるのに子供ともなると況やです。
今新しい環境に慣れずに、四苦八苦されていらっしゃる方も多いのではないかと思います。
私達は知らず知らずのうちに色々なもの、他人を自分の基準で比較してしまいます。
自分と他人との比較をまず無意識に行ない
自分が優位であると感じた時
人間関係の構築が出来ていない環境では特に
自分の居場所を確保したように思い、
承認欲求が満たされ
漠然とある不安から少し解放されて、安心して息をすることが出来る。
そして、知らず知らずのうちにまわりを
同僚や
家族や
友人や
上司や
組織そのものを過小評価し
優れている自分はジャッジしコントロールする資格があると思う。
そんな人、周りにいませんか?
いますよね。
実は私自身、そんな人でした。
「ああはなりたくないようなあ」と思いながら
知らず知らずのうちに
「ああはなりたくない人」になっていて
「周りに誰も居ない」ことに気づいたのが数年前です。
もし
「人には色々な考え方があり、価値観がある」こと。
そのことを理解し、受け入れることが出来ていれば
そして自分の価値観で
自分の稚拙な、勝手な基準で優劣をつけることが
どれだけ愚かな事なのかに早くから気づいていれば
私の生き方は大きく変わっていたのだと思います。
でも自分と違う価値観の人を受け入れる事は
特に大人になってからは
とても勇気がいることだし本当に難しい。
あの幼い日、仲良しだった男の子は
いじめられながらも決して私に助けを求めることはなかったし
話しかけもしなかった。
まだ男の子のうちに遊びに行くほど仲が良かったころ、
その子には歳の離れたお姉さんがいて
お昼にオムライスを作ってくれたことがありました。
そのオムライスにはチキンとグリンピースが入っていて
綺麗に整えられた卵の上にかかったケチャップが嬉しくて
色々なところでオムライスを食べてきたけれども
あの味を超える「美味しい!」と思えるオムライスにはまだ出会えていません。
あのオムライスを作ってくれたお姉さんの気持ちを
幼い私は知る由もなかったけれども
今なお、オムライスを食べる度に
後ろめたいような苦い感覚とともに思い出します。
今の若者は概ねジェンダーに対する偏見はなくなっているそうで
それは幼いころから偏見のない世界の中で生きてきたからだと思います。
「多様性の理解」という言葉はまだまだ紛争が絶えないこの世界では白々しく思うけれども
「みんな違ってみんないい」環境の中で育てば
いつの日か本当の意味でダイバーシティが体現され、
お互いに尊重し合える安心安全の場を気づくことが出来るはずです。
あの幼い日には戻れないけれども、懺悔をこめて
「みんなと違っている」ことで悩んでいる人が笑顔になってくれるよう
「違っていい」ことを命ある限り伝えていきたいと思います。
だけどきっとオムライスを「美味しい!」と笑顔で頬張る日はこない。
それを認めることが私にはとても重要な事なんだと思います。
2025年のこんにちは
1週間前の日曜の夜から栽培キットで椎茸の栽培を始めまして、
霧吹きで朝夕2回水を与えるだけでなんという事でしょう!
こんなに育ちました
通常価格の半額990円(税抜き)で通販で購入した栽培キット(おそらく売れ残りの最終価格。もりのしいたけ農園というところのものです)
あと2回は収穫できるそうで、おばさん小躍りして喜んでおります。
成長の過程がしっかりわかるので、お子さんの食育にもお薦めですよ!
万博開幕しました。
あれだけ批判されながら
蓋をあけてみれば
なんとワクワクする世界を
作り上げて下さったことか。
携わった皆様、
本当にありがとうございます。
開会式も素晴らしく何度涙したことか。
貴方は行かれますか?
私は可能な限り行こうと思っています。
まずは5月中旬の予約を既に入れていまして、
2か月前予約を済ませましたが
行きたいパピリオンがいっぱいあるので
悩ましい!
思い起こせば今から55年前の大阪万博
かなり小さなころでしたが
動く歩道に感動したり
天井一杯広がる蒸気機関車(確かみどり館だったような)に圧倒されていたことを
いまだにしっかり覚えています。
何より外国からの人がいっぱいいて、
レストランで隣に座った金髪で青い目の美しい男性が
バニラアイスのお皿を手前に引き寄せて
「これで食べるんだよ」と言うように
にっこり笑って私にアイスクリーム用のスプーンを渡して下さり、
私、舞い上がる舞い上がる!
でも恥ずかしくて
御礼言えなかった事をしっかり覚えています。
美味しかったなぁ、あのアイスクリーム..(遠い目)
田舎に住んでいた私は
お皿に盛られたバニラアイスなんぞ
見たこともなく、生まれて初めてがてんこ盛りの1日でした。
「こんにちはぁ~こんにちはぁ~西のぉ~国からぁ~」
と歌う三波春夫大先生のお姿とともに、
1970年の万博は「未来」という言葉も充分に理解していない子供にとっても、
夢がいっぱい詰まったワクワクする空間で、
今の私にとってもとても愛おしい記憶です。
だからまだ頭と足腰がしっかりしているうちに
このまたとない機会を充分に楽しもうと思っています。
どこにいても、どんな人にも
チャンスは巡ってくるのに
そのチャンスに気付かないと
そして掴める自分でいないとチャンスは逃げる。
長い年月の中で、私が身に沁みて悟った教訓の1つです。
さぁて!
楽しむぞ!