日記

2026-01-04 21:00:00

予定調和

明けましておめでとうございます。

今年も何卒よろしくお願いいたします。

 

お正月、如何お過ごしでしたか?

私は年末の怒涛のような正月準備(主に掃除)

年が明けてからはほぼ家でゴロゴロしておりました!

予定を決めずにゴロゴロ過ごすのは実は心身に良いらしく

統計的に証明されているという記事をちらっと見たので

心置きなくゴロゴロしております。

明日から社会復帰できるのかいささか不安です。

 

「予定調和」という言葉をご存じでしょうか?

恥ずかしながら私、今年読み始めた本で初めて知りました。

 

早速調べてみると、

語源は17世紀ドイツの哲学者ゴットフリート・ライプニッツの「単子論(モナドロジー)」で、

「宇宙を構成する無数の単子(モナド)が互いに影響し合うことなく神によってあらかじめ設定された調和の中で存在している」

と考え、これを「予定調和」と名付けたそうです。

それが次第に「事前に決められた通りに物事が進む」という意味で使われるようになったとか。

 

「事前に決められた通りに物事が進む」ことは

安定した流れを要求される仕事に従事している人にとっては

プロジェクトが計画通り進まないと

えらいこっちゃなので

「予定調和」はとてもとても大切な要素。

 

反面

「対立や緊張が起こりそうな場面にもかかわらず最初から結論が決まっていて、波風が立たないように進むこと」

という解釈で批判的に、あるいは皮肉として使われることもあり。

特に最近は肯定的ではなく、ネガティブに捉えられやすい言葉なのだとか。

 

 「この会議、結論は最初から決まってたよね。予定調和のうちに終わったね」

「あのドラマ、どうせ最後は仲直りすると思っていた。予定調和で面白くなかった」

ネットで調べるとこのふたつ例えがよくでてきます。

 

そうなんですよね。「予定調和」は安心できて平和なんですが

面白くないんですよね。

特に会議では多様な価値観からでる様々な意見を議論してこそ

組織の成長や変革が期待できるのに、

「予定調和」的な意思決定が続くと

「結局上司の意向通りになるのならどうせ発言しても無駄」という諦めを生み

いつのまにか各メンバーの思考が停滞し

折角の人材が大変勿体ないことになる。

あるいは離職にも繋がります。

 

時を経て一つの言葉の解釈が時代とともに変容していき

そしてそれは社会全体が成熟に向かって成長し続ける証なんだなあ

と思います。

 

すごいなあ。

面白いなあ。

人って素晴らしいなあ。

となんだか言葉一つでとても嬉しくなった私です。

 

さあて、明日からまた頑張りましょうぜっ! 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025-12-28 21:00:00

次はきっと大丈夫

如何お過ごしですか?

私は掃除に明け暮れております。

「道楽者の一時掃除」と毎年母に言われていた私。

...。

ほんとに。

 

 

日々是好日。

 

以前も書きましたが、

この一年、よく思った言葉です。

 

良いことも悪いことも

成功しても失敗しても

何も進まなくても

今日何が起きても

全てひっくるめて引き受けて生きた

今日という日は好日。

 

失敗したのだとしたら

多くを学んだのだから

きっと次は大丈夫。

 

   

今年もありがとうございました。

 

拙い言葉にお付き合いくださり

とてもとてもとても感謝しております。

 

良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

 

2025-12-21 11:00:00

後悔するよ人間だもの

あっという間に年の瀬ですね。

 

最近は「今年どんな1年だったのか?」と振り返る会話が増えています。

何故か今年は「散々な一年だった!」という方が周りに多く

「あまりにもひどいので今まで信じていなかったけれど

占いにいくと今年は最悪の年(天中殺?大殺界?みたいな)だそうで来年2月以降に抜け出せるといわれた」

という方が居らっしゃり。

そのことを「今年はひどい年だった」という人にお話しすると

即座にスマホに自分の生年月日入力し占い検索する確率今のところ100%。

 

その気持ち痛いほどわかりますで。

 

私はというと、「やらなかった」事が多すぎて今ぐじぐじ後悔しています。

「こんな筈じゃなかった!」という感じでございます。

 

日々私たちは何かを選択していますよね。

例えば朝起きて今日着ていこうかなから始まり、

時には大きな決断を迫られることもあります。

 

知らず知らずのうちに私たちは無数の取捨選択の中で生きているわけで。

 

その時は勿論正しい選択だと思っているのですが

あとで振り返った時に

「あの時こうすればよかった」と後悔すること。

私は多々あります。

今の私ならこうするのに!とか。

何であの時あの人の忠告を聞かなかったのだろう!とか。

 

時は戻らず取り返せない。

 

でもね。

「あの時の私は、あれが精いっぱいだった」んですよね。

 

そしてその選択の結果、今は辛い状況になっていたとしても

挽回できる時間はまだまだあり、「間違った」選択だったと

ジャッジするのはまだまだ早い。

 

あの時のあなたはあれが精いっぱいで

生きている限りまだまだ挽回できる時間はある。

 

その時の選択を笑って振り返ることができるよう

お互い頑張りましょうぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2025-12-14 01:16:00

距離

如何お過ごしですか?

私はずるずると後回しにしていた年内の不燃ごみ出しのために

家の片づけを昨日から始めているのですが

なかなか気乗りせず進まずで、トホホな状態です。

要不要のジャッジをするのが苦手で

「要らないものを捨てる」のが私にとってはとても難しい。

ちゃちゃっと断捨離できる人、尊敬します...。

 

価値観は人それぞれで、

自分の価値観からすると

「間違っている」

「許せない」と思う人も居るわけで。

あなたたから見ると「明らかに間違っている行為」は

その人の価値観からすると

「正しい行為」で

非難するあなたは理解できない。

これが職場であれば、あるいは家庭であれば

人間関係、しんどいですよね。

衝突も起こります。

 

そんな時大切なのは

「相手に引きずられず、冷静な距離を保つ」ことなのだと

自分自身に言い聞かせております。

 

本人は一生懸命なのですが

同じようなミスを繰り返し

その尻拭いをまわりの同僚がせざるを得ないことが

日常茶飯事なのですが、

そのことに対して「申し訳ない」という気持ちが伝わってこない

というAさんがいたとしましょう。

尻拭いが常態化している同僚達はどんな状態かというと

その人に優しく接することは難しく冷たい態度になることは

想像に難くありません。

これは価値観の違いというより、

Aさんによって余計な負荷を被っている人達が感じる

不公平感、そして何度説明しても注意しても

改善されないことへの疲弊や怒り、

あるいは諦めも入り混じっているからこその

態度でしょう。

 

Aさんは本人なりには頑張っているのですが、

学習し改善することが構造的に起きておらず

周囲の負担に対する想像力が弱いのかもしれません。

 

あなたがその職場に居たとしたらどうでしょう?

私はきっとその場にいるのがしんどいだろうなあと思います。

 

なんとかしたいと思うかもしれません。

間違いなくAさんは能力不足で「職務を果たせていない」のですが

本人は一生懸命で「悪意はない」こともわかるのです。

そしてまわりの同僚の気持ちもとてもよくわかるというより

あなた自身も被害を被っていて腹立たしくも思っているのではないかと思います。

だからしんどい。

 

でも大切なのは「相手に引きずられず、冷静な距離を保つ」こと。

Aさんは悪意はないが「職務を果たせていない」のは事実。

 

ミスを見つけたら、本人に戻しできれば一緒に確認する。

でもAさんの能力不足は私の責任ではない。

だからといって感情で訴えるのではなく

どのようなミスがあり、どういうフォローをして

そのために負荷が高まっている事実を

職場全体の問題として上司や管理者も含め共有することが

あなた自身が擦り減らないためのまっとうな手段だと

思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

2025-12-07 00:00:00

頑張りすぎる人(その2)なぜ特定の人だけに負荷が集中するのか

前回最後に「頑張りすぎる人は報われにくい」で終わりましたが、

紐解いていくと「なぜ特定の人だけに負荷が集中するのか」

が見えてくるので少々お付き合いください。

 

また前回「条件付きの付加価値」の話をしましたが

人の努力は「特定の条件が揃わないと価値として見えない」もの。

例えば

いつも周囲をフォローしてトラブルを未然に防ぐ人は

問題に起きないように頑張るので

「問題が起きなかった」状態だけが見えるので

その人が不在が故に

トラブルが発生したときだけにその人の価値がやっと見える。

 

あるいは逆に目に見えて頑張って成果を出し続ける人に対し

 周囲はこう思うようになります。

「あの人ならやってくれる」

「あの人ならこれくらいは簡単でしょ」

「頼りにしてる(=無償で追加負担を求める)」

 頑張りが当たり前になり、本人の努力が「見えない価値」となります。

 

そうなると

周囲には価値が見えない評価されない

頑張っているのに報われないさらに頑張る

となり、条件付き付加価値に依存した組織構造が固定化し

悪循環が発生し
「仕事をやった人がさらに仕事を任される」
となるわけです。

属人化(特定の業務やノウハウが特定の個人に依存している状態)色の濃い組織では

それが日常ではないでしょうか。

頑張り過ぎる人は、「頼まれた=やるべき」と思いがちですが、
それこそが「条件付き付加価値の罠」です。

 

頑張りすぎる人はどうすればよいのか?

まずは「責任の境界線」を明確にすることが大事だと思います。

自分がいっぱいいっぱいな時に

なにか頼まれ事をされたとしましょう。

その頼まれ事は自分のやるべきことではなく

本来他の人がやるべきことなんじゃないか

とあなたは思っていたとします。

あなたはその人に嫌われたくないから「断れない」

自分が断ることによって迷惑を掛けたくない

断ると自分の評価が下がるのが怖い

人に任せるのが不安

のだとしたら

無意識に「越境」していることに気づくことが

重要です。

まずは自分自身の責任の範囲を整理するために

これは本来誰の仕事なのか?

その判断をする権限は誰にあるのか?

を考え

もし引き受けた場合の

メリットデメリットを冷静に考えることが

相手にとっても自分にとっても大切なのだと思います。

 

相手の責任は相手にある

私の選択の責任は私が持つ

相手の期待に全て答える義務はない

自分の限界を伝えることは失礼ではない

 

 

もしあなたが「頑張りすぎる」「抱え込みやすい」傾向があるのだとしたら

「できるからやる」ではなく

 

「自分がやらなくても物事は回る」という感覚を育てることが

大切なのだと思います。

 

 

 

 

 

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