日記
What a wonderful life.
夏季休暇突入と同時に「南海トラフ地震の可能性が極めて高い」という報道で
心穏やかでなくなった私でございます。
過度に恐れる必要はないと思いつつ、
水や食料の備蓄を見直したり。
被災経験者の方の話では、
何よりも大切なのは水で
食料は水を必要とするものより、すぐ食べられるもの、
そして生きる喜びのためにも自分の好物や
甘いものが大いに役に立った
ということだったので
「羊羹がええんちゃうの!」と思わず買いに走りました。
最近大いに利用しているアプリがあるのですが。
ご存知でしょうか?
「TABETE」というアプリです。
自分の活動地域周辺のパン屋さんやホテルのレストランなどの飲食店が
消費期限が近い自社製品をかなり安い値段で提供するというもの。
具体的には、例えばバイキングの朝食を提供しているホテルのレストランが
提供時間が終わる頃に余った食材をお弁当にして「レスキュー」依頼をだすと、
その店をお気に入り登録していたり、
近辺にいる利用者に通知がくるという具合です。
私がよく利用するのが「パンとエスプレッソと南森町交差点」で、
2000円相当の惣菜パンの詰め合わせが900円で提供されるし、
何より受け取るとスタッフの方が満面の笑みで
「レスキューありがとうございます!」
と言ってくれるのが気持ち良い!
そしてここのパンは本当に美味しいっ!
あと、ベッセルインなんばやベッセルイン心斎橋は、
朝食バイキングの余った食材を詰めたお弁当が毎日のように出るのですが、
あっという間に売り切れてしまいますっ!くぅー!
あと、たまにグランヴィア大阪ではホテルメイドケーキがほぼ半額で提供されたりしますよっ!
全国規模で展開しているようですので、
貴方の活動範囲近くのお店も参加しているかも知れません!
先日見たSNSでの話。
汚れた作業服を着た初老の男性が、
夕方スーパーで売れ残った半額のお弁当とビールを買っている姿を見た若者のグループが
「ああはなりたくないよなあ」と男性に聞こえるような声で
嘲笑していたというもの。
なんて貧しい子達。
作業服が汚れる位頑張って仕事をして
仕事が終わったら捨てるにはもったいない賞味期限間際のお弁当と大好きなビールで
ささやかに自分を労う。
こんな尊いことはない。
色々な気持ちが錯綜し
アームストロングの「 What a wonderful life.」
久しぶりに聴いてみたくなりました。
この曲で涙した貴方、
歳とりましたなあ。
お互いに。
よい休暇を!
絶賛成長中
寝不足になっていませんか?
オリンピック、熱い!日本選手熱い!
ほんま、感動をありがとう!
試合は勿論、流石にオリンピックに出るほどの選手たち、
試合後のインタビューにおばちゃん、そのマインドにいちいち感動しております。
特に卓球の早田ひな選手、怪我をおしての銅メダルでしたが、
3位決定戦の5分前まで、本来の力の20~30%の力しかない感覚だったのが、
注射で感覚が100%まで戻ってきた中での闘いだったとのこと。
「もう自分を信じて戦うしかなかったです」
くーっ!
そしてバトミントン「ワタガシ」ペアの
東野選手の
「弱みを見せることが出来なかった自分が、弱みを見せることが出来たこと、そこから自分自身が成長できたし、二人の成長に繋がった」
(要約しております)
くーっ!
ええ事言わはるーっ!!
そしてたまたま見たボクシング57キロ級準々決勝の原田周大選手。
惜しくも敗退しましたが、自分のことを「絶賛成長中」というのだとか。
なんていい言葉なんだっ!「絶賛成長中」!
はぁはぁ..。
失礼しました。
今週はなんだかとても忙しく、飛び回っていたのですが、
その中で突然の女子会が2件あり。
恐らく少し前の私なら、時間に追われる中でのお誘い、遠慮していたと思うのですが、
そうやって大切な友人を何人も失ってきたことに
今更ながら気付き後悔の日々を送っていた私にとってはとても有難いお誘いだったので
喜んで参加しました!
結果、新しい繋がりが出来たり、旧知の人に新しい発見があったりで
そして何より楽しくて
あんなに笑ったのは久しぶりでした。
キャリアカウンセリングに関係する理論の中で、
アメリカの心理学者クルンボルツ が提唱した
「プラントハップンスタンス理論(計画的偶発性理論)」があり、私がとても好きな理論のひとつです。
要約すると、
「キャリアの8割は、偶然の出来事で決定される」というもので、
「何をしたいかという目的意識に固執すると、目の前に訪れた想定外のチャンスを見逃しかねない」
とクルンボルツは指摘しています。
もし貴方がどこかの組織に所属していたとしたら、
今の時代、突然戦争が始まったり、パンデミックになったり、急速にグローバル化が進み、
IT技術もあれよあれよと進化し、AIまで出現し、
未来に何が起こるのか、ほんま予想できません。
ある目標に向かって計画をたててコツコツ頑張っていても、
突然状況が著しく変わり、個人の意思ではコントロールしようもない状況に置かれ
「目標そのものがなくなってしまう」事もあり得ます。
計画通りでない出来事が起こった時に
「思い通りではない」と計画を止めてしまったり、
「自分には無理だ」と避けてしまっていると、先に進むことが出来なくなってしまいます。
今回の私の場合、「時間的にきつくて無理」とお誘いを断っていたら、
新しい繋がりも発見も出来なかったわけで、
想定外の出来事が起こっても、それを「機会」と捉え、積極的に行動することでキャリアの可能性が広がる
というわけです。
ただ、その機会を「チャンス」に変えるために必要な行動特性があるとクルンボルツは言います。
それは
好奇心(新しいことに興味をもつ)
持続性(諦めず継続する)
柔軟性(固執しすぎない)
楽観性(失敗を恐れず、ポジティブに考える)
冒険心(思い切って行動する)
の5つで、
目の前に偶然の出来事が起こった時にそれを「チャンス」と気づき、
チャンスを掴むためには
チャンスを引き寄せられるよう、自分から積極的に行動し、準備をしておく必要があるわけです。
ここに、「計画的」という言葉が入っている意図があります。
ここ数年、へこみながらもイベントやセミナーに参加して、
自分のスキルアップを地味に続けていて、
ようやく少しずつ花開いてきたと感じている今の私、
絶賛成長中です。
傘がない
パリオリンピックの開会式、ご覧になりましたか?
私は録画して、飛ばし飛ばし観ました(長いので^^;)
豪雨によるハプニングや五輪旗がさかさまになっていたり、
マリーアントワネットが生首もって歌っていたり
韓国を北朝鮮と紹介したりと
批判されていることは山のようにありますが、
パリだからこそできた街中での開会式。
とても美しかった!
なんでパリに恋する人が多いのか、わかった気がします。
私は序盤から熱いものが込み上げてきて何度も泣きそうになりました。
最後の難病と闘っているセリーヌディオンさんの「愛の賛歌」ではもう号泣でした。
たった1曲のパフォーマンスの中になんと多くのドラマが詰まっているのかと思いました。
シンプルにただ「最高の歌を全世界に届ける」ことのみに全てをかけて、
純粋に歌い上げているだけなのかも知れないのだけれども
1曲の中に彼女のこれまでの生き様や歌手としてのプライドや、歴史が詰まっていて、
どれほどの感動を私に与えてくれたか。
ああ、彼女は歌手なんだなあ。
今回、パレスチナから8名の選手が参加していますが、今朝の朝日新聞の記事を読んでまた涙。
(でもなんとも苦しい涙)
競泳女子のバレリー・タラジ選手の言葉を引用させていただきます。
「私は競うために泳ぐ。でも、ガザには生きるために泳ぐ人もいる。命がけでおぼれそうになりながら」
( ガザでは支援物資が限られ、飢餓の危機が続き、空から海辺に投下される物資を求めて、
身を危険にさらしながら必死で泳ぐ人もいる(記事抜粋))。
「我々は数字ではなく、ひとりの人間。戦争ゲームではない」
この「平和の祭典」オリンピックで、彼女の目標は勝つことだけではなく
「パレスチナについて語る」こと。
「声なき人達の声になる」と。
ふと井上陽水の「傘がない」という歌を思い出しました。
「都会では自殺する若者が増えている。でも今の僕の問題は君に会いに行きたいのに傘がない事だ」
こんな内容の歌だったと思います。
「飢えた身体で、食べ物を求めて、命からがら海に飛び込む」映像を見ながらも
雨の降る中、外出したいのに傘がないことが今の私にとっての一番の困り事。
でも、私達は
「飢えた身体で、食べ物を求めて、命からがら海に飛び込む」ことにはなり得えないのかというと、
なり得ないとは言いきれない。
隣人の耐え難い痛みは明日貴方の痛みになるかもしれない。
危うい世界の中で、「傘がない」ことが今の一番の困り事であるという
日常を過ごせていることはとても幸運なことだということを、
私達は肝に銘じる必要があると思います。
是非の基準その2
暑い!
お身体おかわりありませんか?
私はマイボトル片手に老体に鞭打ってなんとか動いております。
金曜日のシステム障害で全世界におけるマイクロソフトの依存度をあらためて認識されませんでしたか?
怖い出来事です。
今回の出来事が新たな脅威のトリガーにならない事を祈ります。
さて、前回、前々回とお話してきたことについて、貴方はどのように捉えられたでしょうか。
私と同じように捉えられたでしょうか?
それとも、私の捉え方を「危険」と思われたでしょうか?
あるいは「つまらない事に拘っていてしょうもない」と思われたかも知れません。
前回の就業時間中に喋り続ける人について、
貴方が事業主なら、上司なら、周りの同僚なら、先輩なら、後輩なら、
捉え方は違ってきて、また、その捉え方の違いから、起こす行動も違ってくるかと思います。
そして、その行動が果たして正解なのか。
数学のように絶対的な正解を出す事が出来たら、誰もが幸せになる正解が出せたら
どんなに過ごしやすい世の中かと思います。
私はAさんに直接私が困っている事を言わず、
その場から離れた訳ですが、
もし経営者だったら、
人手不足による倒産が増えている中、
人材確保が難しい状況下でAさんを処分するよりは、
Aさんのパフォーマンスをあげる方法を切実に模索するかもしれません。
Aさんの上司だったとしたら、
手に負えなくて「何処かに異動させたい」と考えるかも知れませんが、
実際に異動させようとしても
やはり人材確保が難しい昨今、どの部門も自部門の生産性を上げる事が必至の中、
Aさんの受け入れ先探しと欠員の補充がとても難しいのではと思います。
やはり、現状の中でどうにかしないといけません。
私のような同僚ではどうかというと、
Aさんとの関係が間違いなく悪くなることを恐れ、
直接意見することは避け、
で自分のストレス解消のために
Aさんが居ない時に同僚に愚痴ってしまうのではと思います。
...。
あかんですね。
私があかんかったところは、
自分が困っていることをAさんに話さなかったこと。
「貴方のおしゃべりで、私は仕事に集中できずとても困っている。
何故貴方は就業時間中におしゃべりをするの?」と。
そうすると、前回私が書いたように「だって楽しく仕事したいから」
と回答が返ってくるかもしれません。
でももしかすると「上司にも注意されるし、本当は静かに仕事をしたいのだけれども、止められないの」
と回答が返ってくるかも知れません。
「沈黙が怖い」のかもしれませんし、
もしかするとADHD(注意欠如、多動性障害)で誰かに何かを聞かれたことがきっかけで、
思考がどんどん移り変わり、思いつくことをそのまま話し続けてしまうのかも知れません。
あるいはASD(自閉症スペクトラム障害)で、
相手の気持ちや空気を読むことが苦手で、相手が望んでいないことに気づかず、
延々自分の興味のあることを話し続けてしまうのかも知れません。
本人も苦しんでいるのに、それを声にすることが出来ないのかもしれません。
もし声にしてくれたら、色々変わっていくのになあと
そうやって「自分が困っていることを声に出す」ことをしないと
何も変わらないよなあ
と今となっては思います。
ただ、話をする時、ついつい感情的に相手を非難しがちになりがちですが、非難するという事は自分は是で、相手は非であると思っているから。
どうして貴方はそういう行動をとるのか。
どうか正直な気持ちを話して下さい。
その一心でAさんの話を傾聴する姿勢でないと、決してAさんは心を開かず、決して良い方向に進まない事を忘れない事、とても大切です。
自分の価値観を頭ごなしに押し付けない事。
難しいですが、とても大切です。
話し合っても
「おしゃべりすると楽しく仕事ができるじゃない?何が悪いの?」
ということであって、
私がとても困っているということを伝えたうえでも
無駄話をし続けるなら
今の私ならその都度「集中できないから黙れ」ということを社会人らしい言葉に変換して伝え続けると思います。
それでも埒があかないなら
上司に相談する。
と思います。
私は医師ではないので、勝手に診断する事はもっともやってはいけない事ですが、業務に支障が出て困っている事例をもとに行動を起こさないと何も変わりません。
これが今の私の正解ですが、貴方はどうでしょうか。
「多様性の理解」
間違えないか私は日々試されているなあと思います。
是非の基準その1
3連休、いかがお過ごしですか?
私は勤め人を辞めてから、休日の概念が大きく変わり、
今日は朝早くから仕事をし始め先程終わりました。
わーいっ!のんびりするぞ!
ライフワークバランス、大切ですね。
(と気づいたのは勤め人を辞めてからですが..。)
開業するまでに、私は2回転職しています。
ですのでお世話になった企業は3社で、その中のある会社での話ですが、
同じ執務室内に就業時間中に仕事に直接関係のない雑談を延々する人が居ました。
(仮にAさんとします)
私は集中力がない方なので、周りに雑音があると仕事に集中できず、
パフォーマンスが極端に悪くなります。
いや、もうとてもストレスフルな日々でした。
「まわりがどれほど迷惑しているのか考えないのか?」と
好き勝手におしゃべりをするAさんは私から見ると「とても非常識な人」で、
「Aさんが居なくなったらどんなに良いだろう」と思っておりました。
上司が注意をしても、その時は大人しくなるものの、
しばらくするとやはりおしゃべりが止まりません。
「こんな人と同じ職場で働くために私は今まで頑張ってきたのじゃない」
と、当時の私は私自身が情けなくて、
このことが全てではありませんが、転職する1要因であったことは否定できません。
余裕があるときは許せることも、当時の私は睡眠時間も十分に確保できない程仕事に忙殺されており、
Aさんの素行は耐え難いものでした。
何よりも、Aさんがおしゃべりしている時間は当然Aさん自身の仕事も止まっているわけで、
そのしわ寄せはどこに来ているのかと考えると、なんとも言えない不公平感に苛まれ。
会社を神輿、社員を担ぎ手とすると、
全員が全力で神輿を担ぐわけではないと分かってはいても、
必死で担いでいる周りのモチベーションのために
笑ってぶら下がってるのではなく、せめて担ぐふり位はしろよ、というような感覚でしょうか。
転職して暫くしてある方と話している時に
「私、職場でついおしゃべりしてしまって怒られるの」とおっしゃって。
あ、Aさんがここにもいたと私は思い、
「なんで、仕事中におしゃべりするんですか?」とお聴きすると
「だって、あんまり静かなんだもの。耐えられないの。もっと和気あいあいと仕事したいじゃない」
とおっしゃる。
..。いやいや、貴方はそうかもしれないけれども、
集中して効率的に仕事をして早く帰りたい私のような人間からすると、迷惑この上ないのですがっ!
と心の中で叫び。
「そうなんですか」と言ってお茶を濁しましたが。
「そういうことか」と思いました。
と同時に
「それなら貴方は雑談しながら和気あいあいと仕事をすることが許される職場に行くべきです!」
とも叫んでおりました(心の中で)
何故心の中でしか叫ばないかというと、
「言ってもきっと仕方がない」と思うからで。
私の是非の判断は「人に迷惑をかけることはしない」ことが前提にあり。
その方と多分Aさんの是非の判断は「自分が楽しく過ごす」ことが前提にあり。
まさに「価値観が違いすぎる」ので、自分の価値観とは違いすぎる人からの「言葉」は響かないし、
恐らく反感を買ってしまうでしょう。
私が逆の立場で仕事中に
「もっとおしゃべりして楽しく仕事しようよ。ずっと黙っていて辛気臭い」
なんて言われようものなら、卓袱台ひっくり返します。
「私が楽しくおしゃべりすることで、まわりが和むのに。なんでわからないの?」とか
「私は楽しく仕事をしたいだけなのに何で注意されるのか分からない。」
から
「私がおしゃべりすることで、もしかすると仕事に集中できず困っている人がいるのかもしれない」
と自分で思わない限りはAさん自身の行動は変わらない。
だって、私には迷惑で耐えられないけれども、Aさんはおしゃべりすることが楽しくて仕方ないのだから。
(次週に続きます)