日記
頑張りすぎる人(その1)
あなたのまわりにいますか?
頑張りすぎる人。
実はあなた自身がそうですか?
もしあなたのまわりに「頑張りすぎる人」がいたとしたら
どうでしょう?
頑張っているなあと思いながらも
そんなに頑張る必要がないのに
とちょっと冷めた目で見ているのかもしれません。
頑張りすぎてもそれほど報われないのに。
頑張りすぎる人はどうして頑張りすぎるのか?
実はかつて私、そうでした。
私の場合は長らく母一人子一人でしたので、
生活への不安からだったように思います。
頑張りすぎる人の背景を考えるとき
よく言われるのが
・条件付きの付加価値
・安心や安全のための「過剰な戦略」としての頑張り
・期待に応え続ける「良い人」の役割が習慣化している
・ミスや中途半端、他人に頼ること等人に迷惑をかけることが怖さや罪悪感につながりやすい傾向がある
等々。
また、感情や疲れに鈍感で「このくらい大丈夫」と自分の限界を過小評価する人も。
気づいたときには心身が限界ということにもなりかねません。
心当たりありますか?
この中にある「条件付きの付加価値」とはなんなのでしょう?
「〇〇できたときだけ価値がある」
「特定の条件が揃わないと価値として見えない」
具体的には
「役に立てない自分には価値がない」
「成果を出さないと嫌われる」
「迷惑をかけると嫌われる」
休むと価値を失うと無意識に感じてしまい、常に頑張り続ける方向に自分を追い込んでしまいます。
そして「安心や安全のための「過剰な戦略」としての頑張り」は
「役に立っていれば嫌われない」
「役に立っているうちは安全」と
頑張りすぎが安心を確保する方法
頑張る=身を守る手段
というわけです。
でも頑張りすぎる人は思いのほか
「報われにくい」
(次回に続きます)
Have a nice trip!
先日年に一度の恒例行事、高野山に参拝いたしました。
紅葉まだまだ綺麗に色づいていましたが
昨年と今年の蛇腹路の様子(通行されている方々をAI処理しています)
同じスマホ、同じ11月17日に撮っているのですが
こんなにも違っていたとはとあらためて比較して驚いています。
(トップページの写真は昨年のものにしました)
蛇腹路は金剛峯寺と壇上伽藍の間の小道ですが、
趣があるので高野山に行かれるときには是非いらしてください。
おすすめです。
高野山もインバウンドの方が多く、
蛇腹路を歩いていると、
ある紅葉の木を一生懸命撮っていらっしゃる方
(白人の女性)が居て
何を一生懸命撮っているのかとその木を見上げると
黄色い葉と赤い葉の調和が面白く
「ああ、なるほど!」
と思わず声をだしてしまいました。
こんな感じです。
すると写真を撮っていた方がずっと写真を撮らず待っていたので
邪魔していると思い
「Sorry!」と木から離れると、
にっこり笑っていえいえ、大丈夫!というように首を横にふって
私の横に立ち、しばらく二人で木を見上げていました。
なんともいい時間。
ひとしきり見上げて
「Have a nice trip!」と私が言うと「You too!」と彼女。
にっこり笑ってその木をあとにしました。
帰路高野山から極楽橋までのロープウェイから降りるときの
順番を譲ってくださるアジア系の人もいて、
高野山という真言密教の聖地を訪れるような方々だからなのかもですが、
大阪市内でも図らずとも私の前を横断してしまったときには
「ごめんなさい!」とちゃんと謝ってくれたりと
(下手すると日本人より)礼儀正しい方が多いような気がするなあ
オーバーツーリズムで色々問題になっていますが、
ちゃんと礼を尽くしてくれる方々、
折角日本にきてくれたのだから
良い思い出をたくさん作ってほしいものです。
あ、そうそう。
インバウンドの方に道を聞かれたりで
話をする機会があった時は
別れ際「Have a nice trip!」を必ず言うようにしているのですが、
初めてアメリカを旅行したときに
アジア人に対しての差別を感じることがあり、
あまり楽しい旅行ではなかったのですが、
ドラッグストアのような店で買い物をしたときに
店員さんから「Have a nice trip!」とにっこり笑顔で言われ
なんだか受け入れてくれたようで
とてもとても嬉しかったんですよね。
未だに忘れらない良い思い出です。
3連休だから旅行されている方もいらっしゃるかな?
Have a nice trip!
こうでなくっちゃ!
仕事や家事が一段落して、ついつい見てしまうYouTube。
癒されたりほっこりする動画を見てささくれ立った心を穏やかにしてから
眠りにつくようにしています。
なるべくストレスを溜め込まないようにするための
いわゆるストレスコーピング
(感じているストレスを軽減したり上手に対処したりするための行動や考え方の工夫)
として利用しています。
ストレスは避けられないものなので、自分なりの対象方法を工夫して
ストレスを「上手に扱う」ことが
自分の心の健康、メンタルヘルスにとってとても大切なこと!
ということで、私は毎夜毎夜YouTubeを見ているわけですが
最近よく観るのが国会中継の動画です。
こんなに政治を身近に感じる日がくるなんて、
つい数か月前までは思いも寄りませんでした。
だって私達の生活をなんとかよくしようと
与党が国を守ろうと練りに練った政策に対し
野党がしっかりと異論を唱え、
その異論に真摯に答え
修正すべきあるいは足らない部分を論議し
政策をより良いものにしようとする意欲を
私は感じますもの。
勿論、質問の立つ各党各議員は様々で
旧態然と政策に関係ないこと等や
筋違いの論点で貴重な時間を無駄にしているなあ
と思われる方もいらっしゃいますが(失礼)
こんなにも優秀な方だったのかと見方が変わった議員の多いこと!
そして皆様活き活きされていらっしゃる。
総理大臣(リーダー)が変わるとこんなにも変わるものなんですね。
こうでなくっちゃ!
何故国会中継が私のストレスコーピングになっているのか?
日頃の社会生活の中で抱えている言葉に明確にはできないけれど
色々な人に感じる「もやもや」する出来事に対して
「そうやないやろ!!」と理路整然と論破したいのにそれができない
もどかしさを払拭してくれているからのように思います。
私が思っている政治家の「あるべき姿」がそこにはあって、
職場や家庭や学校や地域社会や各々の環境での役割を
「上司はこうでなくっちゃ!」
「社長はこうでなくっちゃ!」
と思わせる位に担うことは本当はすごく難しいけれども
それを平然とやってのける人に対し
どう思いどう行動し
さらには未来の自分にどう活かしていくか。
「あの人についていけば大丈夫」と
過度の期待をし頼る前に、
「あの人のようになるにはどうすればよいのか」
とロールモデルにして
「私はこうでなくっちゃ!」と
自分が思うあるべき姿になるために何を今するのかを考えることが
未来の自分のために必要なことだと思います。
ここまで書いて思い浮かんだ言葉が
昔感銘を受けたアメリカのケネディ大統領就任演説の一文です。
Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.
この countryをcompany(会社だけはなく、仲間や組織、団体等の集まり)に
置き換えてみるとより身近な言葉として響くかと思います。
今の時代敬遠されるかもしれませんね。
勿論companyのために過労になるほど、あるいは死に至るほど
自分を犠牲にするなんて本末転倒ですが、
companyのために自分が何ができるのか問い行動を起こすことは
companyの成長に通じ結果的には自分が潤うことになり
ちゃんと自分に返ってくるはずです。
ただ、自分がいくら頑張っても響かないcompanyも
頑張る価値のないcompanyも
間違いなくあることも事実で
いずれそういうcompanyは衰退していきます。
それを見極めることも大切です。
お互いしっかり目を見開いて見極めていきましょう。
万博は脈々と続いている。
先日東梅田近くでの仕事の合間にお昼ご飯を食べようと、
大阪富国生命ビル近くのエスカレータから地上に出ると、何やら行列が。
行列を眺めがら私は近くのくら寿司へ。
注文の品がくる合間に調べてみると
どうやら大阪富国生命ビル1階にあるベルギーレストランに並ばれていたようです。
そのレストラン(というかパブ?)は
関西万博ベルギー館のレストランを運営されていたそうで、
美味しいと評判だったフリッツといわれるフライドポテトが
万博と同じLutosa紙で提供されていたりで
アフター万博巡りをされている方々にとっては
行かずにはいられない場所のひとつなんだろうなあ
ときつねうどん(なぜか無性に食べたくなったのです。美味しいんだ、これが!)
を啜りながら心の中で呟いておりました。
そういえば、あべのハルカスの万博オフィシャルストアの前を通ったら
えらい行列でしたが、
聞けばどのオフィシャルストアも未だ大盛況だそうですね。
イタリア館で展示されていたファルネーゼのアトラスなどが展示されている大阪市立美術館の特別展も
1月12日の最終日まであっという間に予約完売したそうで
今は並んでも入れないのだとか。
(行きたかったのですがとても残念!)
いやもう、これはいわゆる
「ポストイベントロス」
(大規模なイベントや楽しみな出来事が終了した後に経験する喪失感や虚脱感)
を感じている人の典型的な行動パターンですやん!
思えば準備段階での万博開催是非をめぐる議論から始まり
長期間報道や議論が続いた今回の万博。
特に何度も足を運んだ人は「万博が日常」となっていたといっても過言ではなく
体験した高揚感も相まって
閉幕したからと言ってすぐには平常状態に戻れるわけがない!
あの日常が終わってしまったためにできてしまった
空白を埋めたくて関連グッズや話題に
ついついしがみついてしまう。
イベントの名残を持ち続けることで
その時の体験を延命しようとしている一方、
「やり残したこと」 がまだまだあり、
その「やり残したこと」をやり遂げる可能性があるのなら
やり遂げたいという心理が働いているように思います。
参加する前のワクワク感や
実際に参加して未来の可能性を体感した時の高揚感は
万博という歴史に残る大規模な国家的イベントに
参加できたことでしか得られないものなので
余計に喪失感が大きいのかもしれませんね。
と偉そうに能書き垂れている私。
何故くら寿司に行ったかというと
なんといつも予約がいっぱいで入れなかったくら寿司関西万博店のメニュー
スペインのハモンセラーノ(生ハム)と
トルコのケバブが味わえることを知ったからで
いやいや、ベルギーレストランに並んでいる人を笑えませんがな(笑ってませんけど)
しっかり万博で踊っております。
人間はなんと愚かで愛おしいんでしょう。
和を以て貴しと為す
先日とあるイベント会場に向かうエレベータに乗った時のこと。
タイミングよく閉まる直前のエレベータに乗れたのですが
エレベータは満員。
エレベータ内はほぼ同世代の女性で
一人だけ20代位の女性がボタン近くにいて
6階のボタンを押したので
7階で降りる一番ドアに近い場所に立っている私は
「私は7階で降りるのでどうぞ」
と場所を変わろうとすると
ツーンとしたまま一言も発せず私が譲った場所に移動。
人間が出来ていない私。
思わず「感じ悪っ!」
と声に出して言ってしまいました。
丁度6階に着いてその若者が降りるタイミングで言ってしまい
聞こえてしまったかどうか微妙でしたが。
6階のドアが閉まった瞬間、どなたかが声をあげて笑われ。
それをきっかけに「ほんと、感じ悪かったわ!」
と口々に。
「乗った途端、開くボタンをひっきりなしに押してやな感じだったわよ!」
と。
たった数秒でエレベータ内に妙な連帯感が生まれ、
私の心は穏やかになっていったのでした。
でも視点を変えてその若者から見ると
おばちゃんの集団を嫌悪するような嫌な経験があり
毛嫌いしているおばちゃん達に囲まれ耐えらないような心理状態だったのかもしれません。
あるいは、とても急いでいて焦っているのに次々と人が乗り込んできて
苛々していたのかもしれません。
もしかすると私の言動は押しつけがましく感じたのかもしれません。
一方、私はというと気を利かせて「彼女のために」行ったことに対し
彼女からなんらかの感謝の気持ちを示す行為を当然のこととして
(ありがとうと言葉にできなくても、軽く頭を下げるとか)
意識はしていませんでしたが期待していたのでしょう。
ツーンと無視するような態度に私自身が見下されたような気持にもなり
思わず声がでてしまった、というところでしょうか。
今回、彼女のとった態度は私から見ると
「感じの悪い」ものでしたが、
私が取った行動も大人げなかったように思います。
でもその場にいた大半の人は彼女の行動を不快に思い、
私のとった行動に共感したわけで
今回のケースはちょっと意味合いは違いますが
ふと頭をよぎったのは今回のような連帯感と同調圧力の違いです。
私が通っていた高校は聖徳太子建立のお寺の学校法人で、
登校時には校門をくぐるとすぐ目に入る
「和を以て貴しと為す」という聖徳太子の17条憲法にある言葉を
眺めながら校舎に向かっていました。
この言葉をどう解釈するかですが、
「調和」や「協調」という言葉を思い浮かべませんか?
古くから日本では
個人よりも集団の調和を優先する。
意見の違いよりも空気を読む行動が評価されやすい。
対立を避ける穏やかさが美徳とされてきたのではと思います。
だからこそ、私が感じた「連帯感」は
個人が組織や集団の価値観や意見、行動様式に合わせるような心理的な圧力
「同調圧力」とかなり近い位置にいるんですよね。
紙一重とも言えます。
本来「連帯感」は共感や支え合いの感覚であり、強制ではなく内発的な「つながり」であるはずが
協調性を強要する心理的圧力になりかねない。
では組織においてはどうでしょうか?
連帯が強く同調圧力が緩やかな組織では
「多様な意見が共存する協働型」組織が育ち
同調圧力が強く連帯が弱いと「恐怖による秩序」が生まれ、
心理的安全性(異論を述べても罰せられない環境)が保てず、
離職やメンタルヘルスの不調へとつながることは
想像に難くありません。
最近は
テレワークや副業解禁で「組織内のつながり」が弱まりつつあり、
個人の価値観やワークライフバランスを重視し
心理的安全性や多様な人材を活かすダイバーシティ経営への意識が高まってきているので
「同調」よりも「尊重」
「和を乱さないこと」よりも「多様な意見を和として活かす」ことが
「和をもって貴しと成す」なのだという価値観にシフトしていくことが
これからの日本にとって重要なのだと思います。



