日記
価値を生み出すもの
トップページの写真3枚、中之島バラ園で撮った写真に入れ替えました。
薔薇が綺麗な季節です。
年に1度、人間ドックの帰りに某5つ星ホテルで食事をすることを楽しみにしているのですが、
(人間ドックでホテル内で金券としても使える食事券がでるのです!)
今年は食事をする時間がなく、ホテルのショートケーキが評判なので、思い切って購入することにしました。
思い切ってというのは1ピース2000円弱するので、
こういう機会でもないとと思いまして。
毎年食事をする度「一流ホテリエのサービスというのはこういうものか」と
その洗練されたサービスに感心し、
心地よい時間を過ごさせていただくのですが、
今回初めてショップを利用させていただき。
その販売スタッフの対応が
あまり心地よいものではなく、とてもがっかりしました。
その対応を知ってか知らずか、購入後ショップをあとにする際に、
レストランの二人のホテルマンが「ありがとうございました」と丁寧に頭をさげてくださったのですが、
(ショップはレストランの中にあるのです)
いつも気持ちよくホテルを後にするのになあ。
たった1人の対応ではありますが、
高いお金を払って
私はもう嫌な思いをしたくないから、
多分そのホテルを好んで利用することはないと思います。
長年培ってきた信用は些細なことで失うものだと、
我身を戒める良い機会にもなりました。
ホテルでコーヒーを頼むと1,000円はするので、
普段使いにはできないけれども、
その中にはホテルのラグジュアリーな空間や洗練されたサービスに対する報酬も含まれているから
1,000円に値するのだと思います。
そこでコーヒーを飲むためには暗黙のドレスコードがあり、適した振る舞いがあり、
だから、その場所に似合う自分でいたいと思う。
時代が変わっても「そういう世界がある」事を知っていることはとても大切な事で
「そういう世界がある」と信じている世界が無くなっていくとしたら、
こんな悲しいことはありません。
「日本一のおもてなし」と言われる石川県和倉温泉の「加賀屋」 は、
地震以降グループのうち4館がいずれも営業休止状態で、
そんな中、社員100人を全国の宿泊施設などに出向させていて、
勿論休業期間中に働く場を確保するために、ですが、受入側は「日本一」の接客スキルを学ぶ「好機」になっているのだとか。
1000円のコーヒーの価値を生み出すためには
「日本一のおもてなし」と言われるためには
弛まない努力が必要だということを、
提供する側も受ける側も忘れないことが、
「よき日本」であり続けるために
とても必要な事なのではないかと思います。
・
ローズマリー
NHK連続テレビ小説「虎に翼」、ご覧になっていらっしゃいますでしょうか?
私、5月10日放送回の寅子さんの演説に胸がいっぱいになりまして。
泣きましたとも!
何故泣いてしまうのか、いくらでも分析できそうですが、
それは後付けで、
理屈じゃないんですよね、泣くことは。
自分自身の記憶の彼方に押し込んで、
すっかり記憶にないことも、
全て自分が経験してきたことなので、
「なんかわからんけど泣ける」のは、
ちゃんと理由はあるけれども、
理屈じゃないんですよね。
私は女性として生まれ、勉学の世界では誰しもが平等で、
努力した分報われ、怠けたらそれは自分に跳ね返ってくることを、
経験して学びながらも、
生活の場では「女の子がそんなことしては駄目」
「男の子はそんなことで泣いたら駄目」
「男の子のくせに女々しい」
「女の子のくせにはしたない」
という世界でも生きてきて、
社会に出たら会社では「うちの女の子」という称号で呼ばれることに驚き.。
という経験をしてきた世代ですが、
同じ時代に生きてきた男性は
「男がこれ位耐えられずにどうする」と
「男はこうあるべき」
「長男なのだから。次男なのだから」と育ってきて、
その価値観の中で生きてこられたのではないかと思います。
もう10年以上前になりますか。
友達が単身イギリスに渡り、そこを生涯生きる場として選択しました。
何故イギリスかと聞くと、
以前イギリスに短期留学した時に
ランジェリーショップで
結構年配の女性がTバッグのパンティを購入されているのをみて
驚いていたら、
その女性が「あら、なんで驚くの?素敵でしょ?私が身に着けたいのよ!」
ととても満足そうににっこり笑ったらしく、
そういえば、と街行く人の装いを見ると、
ショッピングパンツのスパッツを履いてさっそうと歩く男性や
髪の色を真っ赤に染めている人や、
思い通りに自分を表現する人に溢れていて、
今までそのことに気づかなかったのは、
あまりにもその景色が当たり前だったからということに気づいたときに衝撃を受けたから
だったそうです。
それからイギリスでの滞在中誰かにどう見られるかではなく、
自分が着たい服を思いっきり楽しんで、
日本に帰国し、
いざスーツケースの中の服を着ようとしたら、
「そんなチンドン屋みだいな恰好してみっともない!」
と家族に怒られ、
どれもこれも、日本では着られないことに気づき、
「なんて窮屈なんだろう」と思ったそうです。
「それがイギリスに行く理由なのよ」と。
5年前、私がキャリアコンサルタントの勉強を始めた頃よく耳にした言葉が
「ダイバーシティとインクルージョン」
多様性と包括。
特にビジネスにおいての「インクルージョン」は、
企業内の全ての従業員が尊重され、個々が能力を発揮して活躍出来ている状態。
その頃は勉強しながら「絵空事のような虚しい言葉」と思っていました。
ですが今、
2023年日本のジェンダーギャップ指数は146ヵ国中125位ですが、
それでも私が生まれてから今日までにはかなりジェンダーに関しての垣根が低くなってきたなあと感じます。
声を出した時にはあまりにも夢のようで現実味がないと思っていた言葉も、
意思を持って声にしていくことで、いつかは叶えられるのだと、
寅子さんの演説を聴きながら泣けてきたのは、
それに気づいたからかもしれません。
(以下、一部引用します)
「生い立ちや、信念や、格好で切り捨てられたりしない。
男か女かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います。
いや、みんなでしませんか?しましょうよ!
私はそんな社会で、何かの一番になりたい。
そのためによき弁護士になるよう尽力します。
困っている方を救い続けます。男女関係なく!」
今日マンションの1階エレベーター前に
「よかったら好きなだけ持って行ってください」
という札と一緒にかごいっぱいにローズマリーが置かれていて、
お言葉に甘えて沢山頂いてきました!
気分を落ち着かせるとても良い香り。
ローズマリーには「悪魔を寄せ付けない力を持つ」と古来より重宝されており、
抗菌・抗酸化や血流改善の作用もあり、香りは集中力を高めるとか。
ありがたいっ!
ハーブティーにしてそのあとは入浴剤と致します!
お名前を書かれておらずこうやって匿名で何かを提供したり、
誰かを助けたりする方がいらっしゃり。
そうやって「名もなき人達」の好意や努力やあるいは戦いで、
私達は今の生活を手に入れることが出来ていて、
そして
世界は良い方向に向かうのだと信じることができる今週でした。
かしわ餅
今日はこどもの日。
祝日法ではこどもの日は
「「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。」
となっているらしいのですが、昭和23年に出来たこの法律、
「母に感謝する」というところに時代を感じます。
先日、久しぶりに赤ちゃんを抱かせて頂く機会がありました。
暖かくて重い。
命の重みをひしひしと感じ、無垢な笑顔に思わず泣きそうになる私。
私には子供がおらず、
子供を育てている皆さんを無条件に尊敬します。
古今東西、自分の子供を育てていくことは「当たり前」。
だけど「当たり前」にする事がどれほどしんどい事なのか
徐々に認知されつつあるけれども、
今から76年前に出来たこの法律の文言が未だ違和感ないのだとしたら、
まだまだ「育児は母親が担うもの」という意識が染みついているのだなあと思います。
勿論、生んでくれたのは母親で、母乳を与えて命を守ってくれたのは母親で、
そのことに対し「感謝する」のはとても大切な事ですが、
「母に感謝する」が「親に感謝する」となることに違和感がないくらいに
「育児は親が担うもの」が当たり前、
いえ、「育児は周りにいる全ての大人が担うもの」が当たり前になればと願い、
まだまだワンオペで頑張っているおかあさんの力になることが出来ればと
おかあさんだけでなく
サイボウズ社のこの動画を見て泣く女性が居なくなればと
https://www.youtube.com/watch?v=0iru7nKQbcw
それが私がキャリアコンサルタントを生業にしたいと思った理由です。
今日は端午の節句でもあるので、毎年かしわ餅を頂くのを楽しみしている私。
柏の葉は、新しい芽が出るまで落ちない、というところから、“子孫繁栄”の縁起を担ぐとされています。
落ちないように持ちこたえるのは大変だけれども
どうか、新しい芽が育って次の新しい芽が出るまで必ず落ちずに見届けてやってください。
見なくてはならないもの
早いものでなんとゴールデンウィーク!!
如何お過ごしですか?
この円安の中、ハワイ行き飛行機搭乗者は過去最高だそうで。
多い人は10連休だそうで。
そしてわたくし。
ずっとぱっとしない天気が続く中、
毛布を仕舞うために
洗濯するチャンスを狙っていたわたくし。
今日やっっと毛布が干せてほんと、幸せ―っ!
ええんやええんや。
細いなことで幸せになる自分、我ながらかわいいやつ。
GWは溜まっている家事が片付いたら、
いつか読もうと溜めている本を読みながら家でまったり過ごす予定のわたくし。
ええんやええんや。
さて、先週お話した村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
読み終えました。
そして今更ながらこの本が世界的に大ベストセラーになっていたことを知った私。
(ほんとすみません..。)
内容や感想については色々な考察がでているので、
ちょっと齧っただけの私如きが何を語るかっ!
と思いますので、ここでは小説の中にでてきて、
文庫本の帯にもなっている
「自分が見たいものを見るのではなく、
見なくてはならないものを見るのよ」という言葉について、
少しお付き合いください。
先週も触れましたが、
同じ環境に居ても人は見たいものを見ます。
更に言うと、人は見たいものしか見ません。
そして、
自分を守るために無意識に、あるいは意識的に「見たくないものは見ない」です。
でも、見たくないものの中には、
「見なくてはならないもの」も混じっていることがあり。
この「見なくてはならないもの」を見るのはとても勇気のいることです。
だって、折角塞がっている瘡蓋をはがすようなことだから。
きっと、少しからず血が出ることを知っているから。
でも私達は知っていますよね。
何のためにわざわざ見たくないものを「見なくてはならない」のかというと、
それはもう、これからの自分のためであることを。
「ありたい自分」になるためには、見なければならない。
そして、きちんと向き合って対峙しないと前に進めないのだということを。
勿論、見なくても誰からも責められたりしません。
だって、「見なければならない」と決めているのは、
自分だけだから。
ですが、「見なければならない」ものを逃げずに見てきた人は本当に強いことを、
私達は知っていますよね。
だけど、「見なければならない」けれども「どうしても見られない」こともあり。
見ると自分が壊れそうで、怖くて見られないことがあることも、
私達は知っています。
人間だもの。
それでも「見なければいけない」と貴方の事を思って言ってくれている人がいたら、
そんな幸せな事はないのではないかと思います。
いくつになっても
街を歩くとさつきの花全盛期で、あっという間に初夏ですね。
急に暑くなったり寒くなったりで年々春と秋が短くなっていくように思います。
春らしいジャケットやブラウスの出番がないし、
春や秋の景色や匂いが短くなっていって寂しいなあ。
そうそう、街を歩いている時に〇〇年生きてきて初めて気づいたことがあります。
「うすい」と書いてあるマンホール、ご存知ですか?
そして意味わかります?
暫くすると「おすい」と書いてあるマンホールに遭遇し、
「汚水の「お」が欠けているのかっ!」
と思ったりしたのですがそうではなく
「うすい」と「おすい」のマンホールがほぼ交互にあることがわかり、
早速ネットで調べましたとも!(便利になったものだ)
「うすい」は「雨水」でしたっ!
漢字になると「なぁんだ!」なのですが、
音読みと訓読みがある漢字、奥深し。
そして、近所(堺市内)のマンホールには府のシンボル百舌鳥が描かれており、
ちょっと興味が湧いてマンホールをネット検索してみたら、
あるはあるは色々なデザインのマンホール!
「路上の美術館」なるホームページもあり、マンホールの世界は深かった。
いくつになってもこの世に知らないことが沢山あるって
なんて素敵なんでしょう。
一時嵌っていた村上春樹の小説を再び読み始めました。
本当に遅ればせながら、
2013年発行の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を今読んでいます。
これが、時間がかかる。
若いときはすっと読めた言葉がいちいち引っかかり、
なんといいますか、言葉を噛みしめて、味わって読んでいます。
その中で、リストの「ル・マル・デュ・ペイ」が出てくるのですが、
これはリストの「巡礼の年」というピアノ独奏曲集に収められており、
この本がきっかけてリストにも嵌りかけています。
今の私の心にほんと沁みる。
同じ光景であっても、
同じ環境にあっても、
人は見たいものだけを見るけれど、
何を感じるか、
見える景色は年代によって、
経てきた年月によって変わるもので、
少し目先を変えるだけで世界は広がり、
私の世界を美しくするのも、醜くするのも、
住み易くするのも、住み辛くするのも
すべては私次第だなあとしみじみ思う今週でございました。