日記

2025-01-05 13:27:00

足るを知る

新年明けましておめでとうございます。

昨年、この拙いブログを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

お正月、如何お過ごしですか?

今年は暦の関係で長めの休暇となった方も多かったと思います。

のんびりされましたでしょうか?

 

毎年元旦に恒例にしている行事があり、

それは朝一番、日の出の時間にあわせて初詣に行くこと。

有難いことに、歩いて10分ほどで大鳥大社にお参りすることが出来るので、

朝起きたらまず初詣→お雑煮つくり

ということをここ数年続けています。

 

何故朝一番かと言いますと、2つ理由がありまして。

一つ目は「とてもとても空いている」こと!

交通規制もないし、延々並ばなくてもいいし、

お参りの人も数えられるほどなので砂埃舞うこともなく、

元旦の神社を冬の澄んだ空気が厳かに包んでくれています。

そして二つ目はお参りからの帰り道、

丁度東に向かって歩くので、

昇る太陽の光に包まれるような錯覚の中帰途につけること。

 

「陽はぁまた昇るぅーどんなぁ人の心にもぉー♪」と

ちんぺいさん(谷村新司様関西人はこう呼ぶであろう)の名曲を口遊み(心の中で)、

今年2025年のスタートを切りました。

 

神々しいまでの朝日をスマホで撮ったのですが

実際に肉眼で見るようには撮れませんね。

IMG_6796.jpg

あの神々しい位の美しさは実際に体験してこそだなあと

しみじみ。

 

数年前から心に置いている言葉

「足るを知る」

最初は茶の湯の世界からこの言葉を知り、

私の人生の指針にしておりますが、

なかなか難しい。

 

そもそも「足るを知る」はどこから来ているのか調べたところ、

知人者智(人を知る者は智)、

自知者明(自らを知る者は明)。

勝人者有力(人に勝つ者は力有り)、

自勝者強(自ら勝つ者は強し)。

知足者富(足るを知る者は富み)、

強行者有志(強めて行う者は志有り)。

不失其所者久(その所を失わざる者は久し)。

死而不亡者壽(死して而も亡びざる者は寿し)。

という孟子の言葉が由来とされているようです。

 どういう意味かと言うと、

 「他人をよく知っている者は智恵がある人であるが、

自分自身を知る者は、賢明な人である。
他人に勝つ者は力があるが、
自らに勝つものには及ばない。
足るを知り、満足することを知っている者は本当に豊かな人であり、
努力する者には志がある。
自分の本来の居場所を見失わなければ長生きし
死に捉われず、志が滅びなければ寿(命)は長い。

 (この漢文の解釈は様々で特に最後の「死而不亡者壽(死して而(しか)も亡びざる者は寿し)」の解釈が難しく色々な解釈が出ていますが、私なりの解釈にしています)

 という事。

 

またこの孟子の言葉とともに

仏教の世界での「足るを知る」の解釈に違う点があり、

この言葉ひとつにも様々な解釈があり、

世界の深みを思います。

 

今世界はAIによる恩恵を様々なところで受けていますが、

AIはかなりの電力を消費するのだそう。

ビッグデータを24時間検索するのですから、

そりゃあかなりの電力が必要なんでしょうね。

そのことも影響しているのかAI先進国アメリカは

世界で最も原子力発電所があり、

事故を起こしたあのスリーマイル島の原発も再稼働させ、マイクロソフトに供給しているのだとか。

 

 

日本の2025年度国家予算案は

115兆5415億円で過去最大だとか。

税収見込みは78兆4400億円であとは国債発行等で補填されるわけですが、

この発行額が28.6兆円で17年ぶりに30兆円を下回ったという記事をよく目にしますが

結局毎年国の借金が増えているわけです。

 

私達は生きていく上で色々な局面で選択する必要に迫られますが、

その判断のもとにあるのは「自分にとってより良い明日を迎えられるか」ではないでしょうか。

明日笑っていられても遠い将来につけがまわって後悔しないために

意味のある選択ができるかどうか。

果てしない欲望を満たすために頑張ることが成長につながるからこそ邁進するのか

「満足することを知る」ために自己研鑽を重ねていくのか

どちらが本当に豊かな人生なのか。

 

これは本当にその人の価値観によるし、「豊かな人生」の捉え方は様々だと思います。

 

私達は今AIや膨大な国家予算により便利で快適な生活を享受しているのは事実で

この生活を手放すことが出来るのかとも思います。

 

それでも「足るを知る」事が出来るように私は生きたい。

それが私の「ありたい自分」だからです。

 

 

今年、貴方が「ありたい自分」で過ごせますよう。

 

2024-12-29 20:00:00

Paypay!

あと2日で2024年も終わりますが、

如何お過ごしですか?

今年は27日仕事納めの方が多かったのではないかと思います。

毎年お正月準備に大晦日までバタバタ走り回っている私。

とにかく大晦日の除夜の鐘を聞くまで

大掃除にお正月準備に..とバタバタしております。

 

 

バタバタの中、美容院に行ってきた私。

美容師さんとの会話も年越しの話に。

「知ってます?最近Paypayでお賽銭納められる神社やお寺があるらしいですよ」

とおっしゃる。

 

な。。なんと!

 

衝撃を受けたものの、「賽銭泥棒防止には良いよな」とも思い。

でもなんだかなあ..。

だって、厳かであろうお参りの場で

あの「Paypay!」という楽し気な音が鳴り響くわけですよ!

それとも厳かな別の音に変えているのかな?

と美容師さんにお聞きすると、

「いえ、私が見たニュースではあの「Paypay!」でしたっ」と。

 

うーん..。

そもそもお賽銭は神様や仏様に御礼のために納めるのではないの?

Paypayで伝わるの?私の感謝の気持ちがっ!

とそこまで考えてふつふつと疑問がわいてきました。

「そもそもお賽銭は御礼なの?」と。

「そもそもお賽銭は何のために納めるの?」

 

で、調べましたとも。

やはり神仏に「感謝の気持ちをお伝えするため」に納めるものなのですが、

何に感謝するのかというと

「神仏から受けた福」に感謝するためで、

決して「お願いごとを成就して頂くための対価」ではないので、

だからお賽銭の金額は自由で、

「感謝の気持ちの分」だけ納めればよいのだと。

だから語呂合わせで例えば500円玉の場合、

硬貨の中で一番高額なので「これ以上の効果はない」→「今以上に良くはならない」

と避ける人もいるようですが、

お賽銭は「感謝の気持ちをお伝えするため」なので気にする必要はないとのこと。

ふーむ、なるほどっ!

で、Paypay。

導入を決めたお寺のお話によると

「お賽銭は「欲を手放す」という趣旨もあり、「現金でやるからこそ」の意見もあったが、

「賽銭したい「気持ちに違いはない」と導入を決められたとの事。

背景にはインバウンドの外国人観光客や若い世代で現金や小銭をほとんど持っていない人が多く

「お賽銭をしたくてもできない」、「しづらい」という声があったからだとか。

 

そして送金の仕組みを使うので、手数料は発生しないが法人向けのPaypayビジネスアカウントの手数料は寺院側が負担するとのこと。

 

そりゃそうかあ。

 

 

お賽銭に電子マネー。

とうとうそんな時代になった2024年暮れ。

 

良いお年をお迎えください。

2024-12-22 20:35:00

専門性

今週末はとある研修に参加していました。

 

講師として「師匠」と仰ぐ方が講師の研修で、

約1年ぶりの受講でしたが、

益々ブラッシュアップされていて、

学びの多いとても有意義な時間を過ごすことが出来たと同時に

講師としての自分の専門性をあらためて問い続けた時間でもありました。

 

専門性。

かつて勤務していた企業では

自分の専門性を追求して高度なスキルを身につけていくスペシャリストか

さまざまな事に対応できる管理職を目指すジェネラリスト

どちらの方向性でキャリアアップしていくのか

選択する機会が与えられていました。

 

当時はかつてヒラリークリントンが言った「ガラスの天井」を痛感する日々で

管理職へのハードルが高すぎて

自ずとスペシャリストを目指して黙々と突き進んでいたのですが、

有難いことにその専門性が退職後の今の私を救ってくれております。

  

ただ、「私は○○の分野で専門性を追求していくんだ!」と

言ったところで、○○の分野で高度な専門知識やスキルを身につけていって

それなりの成果をあげていかないと評価されないわけで、

それよりは「幅広い分野で多様な知識や経験を積んでいきマネジメントスキルを高めて管理職を目指す方が性に合っている」

という方もいらっしゃいますよね。

自分自身の特性や持っているスキルに応じたキャリアップを目指す事は

自分自身が幸せでいるためにとても大切なことだと、

過去を振り返ると私自身痛感しております。

貴方はいかがでしょうか?

 

大抵の企業や組織の場合、

特性に応じたスペシャリストとジェネラリスト両方の人材が必要であり、

それらの人材を適所に配置する「適材適所」が機能している組織は上手く行くのでしょうが、

いずれにしても常に自分がスキルアップしていかないことには

組織にとって必要な人材、なくてはならない人材にはなり得ないことを

また、頑張って身につけたスキルがいずれ自分の身を助けることを

忘れたらあかんですね。

日々の業務や生活に忙殺されて、諦めたらあかんですね。

明日、笑っているために。

 

2024-12-15 15:00:00

虹とスニーカーの頃

先日TVをつけながら家事をしていたらチューリップのライブが始まり、

なんと懐かしかったことかっ!

「チューリップ?」とご存じない方もいらっしゃるかも知れませんが、

「心の旅」や「サボテンの花」など、数々のヒット曲を飛ばした音楽バンドでございます。

高校時代、よく聴いていたなあ..。(遠い目)

「青春の影」、よく歌っていたなあ..。(遠い目)

当時はまだCDもなかったような..。

友達にレコードを借りて、

指紋をつけたりジャケットを汚さないように細心の注意を払いながら

カセットテープに録音して。

勿論今のように音源から簡単にプレイリストを作るなんてことは

考えもしない時代だったので、

好きな曲を手作業で組み合わせて自分だけのカセットテープを作って

ダビングして友達と交換したりしてたっけ..。(遠い目←もうそろそろやめます)

 

何故私がチューリップに嵌ったかと言いますと、

当時仲の良かった地元の友達と一緒に電車通学していたのですが、

その友達が

同じ電車に乗る大学生に一目ぼれしまして、

勇気をふり絞って二人で声をかけて

そこからその方と交流するようになり。

 (交流といっても、今思うとその方は大学卒業とともに警察官になったほどの

正義感溢れる良い方でとても健全なお付き合いでした。)

 

今思うと友達にとっては私、完全なおじゃま虫だったよなあ..。

(その時はまったく悪気がなかったような。。いや、あったのかも)

その大学生の方がよく聴いていたのがチューリップだったわけです。

くうーっ甘ずっぱい!

 

プレイリストを作る作業は、

今と比較すると異常に時間がかかる作業だけど、

わくわく、楽しかったなあ。

 

今はダウンロードした音源から簡単に自分好みのプレイリストが作れるし、

そもそも「運動する時」とか「仕事する時」とか

自分の状況や気分によって既成のプレイリストを選択できるし

遥か昔に流行った曲も音源さえ残っていれば

時代を超えて簡単に入手できるしで

手に入れるまでわざわざレコード店を巡る必要もなし。

随分と「効率的に」「簡単に」自分の欲しいものが手に入る時代になりました。

 

でも今の若者はレコードやカセットテープの独特の音質に惹かれ

あの無駄で愛おしい時間を過ごしている人もいるとか。

 

また退社後のいわゆる「飲みにケーション」も、

一時は敬遠されていたし、実際に今も敬遠している社会人は多いと思うけれども

「上司の思いや人となりを深く知ることにもなるし、もっと気軽に上司や同僚と話したい」

と希望する新入社員が増えてきているとか。

 

多様性が認められ選択肢が広がる今、

私達が感じていた蟠りはもはや存在しないのかも知れません。

 

2024-12-08 22:00:00

乾く前のセメントに落とされるもの

今日公園の前を通ったら、小学生低学年と少年たち数人が遊んでいて、

そのうちの一人が一人の少年に向かって

「〇〇がおらんとおもしろないわ!」

と嬉しそうに話している場面に偶然遭遇しました。

〇〇君と思われる少年はそれを聞いて嬉しそうににっこり。

どんな状況だったのかはわかりませんが、

久しぶりに一緒に遊んだのかな?

「〇〇がおらんとおもしろないわ!」と言える少年、

良い育ち方をしているなあと思います。

 

 

私の愛読書でドラマ化された「ミステリと言う勿れ」の主人公久能整君の名台詞

「子供って乾く前のセメントみたいなものなんですって。

落としたものの形がそのまま跡になって残るんですよ」

をふと思い出しました。

「〇〇がおらんとおもしろないわ!」と言われた少年は、

自分の居場所がちゃんとあることを刻みましたね、きっと。

 

今回の韓国非常戒厳令から解除までの市民の動きで

韓国がかつては軍事独裁国家で、民主化宣言がなされたのは1987年。

つい最近のことだったことを忘れていたことに驚きます。

発令後国会前にどんどん市民が集まり「戒厳令を解除せよ」と叫ぶ姿に

「民主主義は自分達で守る」という確固たる意志に私は心震える思いでした。

 

 

非常戒厳令で軍が軍の兵士が国会に入ろうとした際、

市民は鎖になって銃を持っている兵士達の前に立ち塞がり阻んだと言います。

まさに命がけです。

 

1980年の光州事件のように市民や学生が多くの犠牲を出しながらも民主化のために戦ってきた歴史を見てきた国民一人一人に

「自分たちが人権や民主主義を守らなくて誰が守るのか」という強い意思が根づいているということに

冷水を浴びせられたような思いがします。

 

国会に向かう親や家族、大人達の背中を見て韓国の子供達は何を思い、

乾く前のセメントにどんなものが落とされ、どんな形になるのか。

 

これからの韓国の未来で証明されるのだと思います。

 

そして私達大人の生き様を見て

日本の子供達は何を思い、

乾く前のセメントにどんなものが落とされ、どんな形になるのか。

 

これからの日本の未来のために、

私達は私達の信じる正義を全うするしかないのではないかと思います。

 

子供達のセメントに修復できない歪な形の傷をつけないために。

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