日記
未だに
テレビをつけながら家事をしていると、
「平均初年度年収(新卒者の初任給ではなく新人社員や新卒者が就職初年度に得る平均的な年収)が
男性は〇〇万円で、女性は〇〇万円で、男女間で大きな差がみられます(だったか)」
とニュースで言っていて肝心の年収額がよくわからなかったので
ネットで調べてみるとマイナビキャリアリサーチのレポートでは
2025年男性の初年度年収は587万円で女性は333万円で254万円の差。
前年比男性は3.2%、女性は5.5%増加で増加率は女性のほうが高いものの
もともとの分母が違いますものね。
平均年収も約250万円の差があるとのこと。
この格差の原因は産業構造や職種の違い、
管理職比率の違いなど複合的な要因によるものと考えられているとのこと。
確かに。
こうやって具体的な数字を突きつけられると
日本のジェンダーギャップ指数が148カ国中118位であり、
G7の中では最下位であることの意味を考えさせられます。
新卒で就職した際の初任給に差がないのに
キャリアを重ねるにつれて男女間の年収格差が拡大されやすいというのが現実ではないでしょうか。
そしてこの背景にあるのが
「男性は仕事、女性は家庭」という言葉に代表される
性別による役割分担を当たり前とする価値観で、
女性に対しては
「家庭を優先すべき」
「仕事より育児」
という無言の期待が働き
この価値観を前提に設計されてきた組織においては
育児休業制度や時短勤務制度を取り入れているものの
そのことが差を正当化、維持する構造につながるのだと思います。
また男性においては「稼がなくては」という重圧を受けて
制度があっても育児休業をとりづらく、
取れても短期間で終わってしまい、
長時間勤務や夜勤。出張を任されがちになり
女性は能力や実績があってもなかなか昇進できない。
そうやって初任給段階では大きな差はなくても
「男性は仕事、女性は家庭」に象徴される性別役割観が
時間をかけて格差を育てている。
若者と話をすると
「男性だから」「女性だから」ということにとらわれず
「人として」どう生きたいかを尊重している発言が多く
頼もしくもあり、羨ましくもあります。
今教育現場ではジェンダー問題についての取り組みが活発に行われているようですが、
まだまだ実践が浅く生徒自身もジェンダーの固定観念を感じていて
「自分の可能性を制限している」というケースも少なくないとか。
まだまだ発展途上にありながらもそうやって気づきを得ていくことで
確実に前進していることがわかります。
そういう「変化の芽」が大きく花開くことを祈りつつ
「現実は思った以上にすすんでいない」
とがっかりする前に
私自身が
「男だから」「女だから」という
アンコンシャスバイアス(無意識の思い込みや偏見)をかけていることに
気づき
まずは「人として」
まわりの人、そして自分自身に接していかねばと思います。
理想を現実にするために
小さなことからコツコツと。
砂をかむような日々
6月に仕込んだ梅酒が飲み頃になりました。
わーい!
仕込んだ直後ほんと綺麗でぴかぴかですが
6か月後熟成された梅酒、琥珀色でこれまたいい味だしています。
まるで人生のようだ。
親しい人にお裾分けしようかどうか悩んでいます。
口に入る自家製のものをお持ちするのはなかなか勇気がいるものです。
認知症予防対策のひとつに回想法があり、
自分の過去を回想して話すことで精神を安定させ認知機能の改善が期待できる
というものですがこの回想支援をしたときに
小さかった頃の思い出や
学生時代、若かりし頃の思い出は活き活きと目を輝かせてお話になるのですが、
支援後アンケートを頂いたときに
一言
「あの頃はあんなに楽しかったのに今は勤め先と家との往復だけで砂をかむような日々です」
と添えられていらっしゃる方がいてうっと胸が詰まりました。
私もつい最近までそうだったなあ。
今でも時々生きていくうえで「やらないといけないこと」が多すぎて
「やりたいこと」がなかなかできずうううっ!と声をあげたくなることがありますが、
勤め人の頃特に終盤は「やらないといけないこと」が消化できず、
いつしか自分の「やりたいこと」が何だったのか思い出せなくなっていました。
私の「やりたいこと」は何だったのか。
今「やりたいこと」は何なのか。
そして今までやりたいと思ってやってきたことは
本当に自分のやりたいことだったのか。
そう考えたときに
自分が「やりたいこと」は
まわりの価値観
例えば親やまわりの大人達や友達が
「いい」と言っていることを投影してきただけではないかと
「人の目を気にしながらの」やりたいことだったのではないかと
ふつふつと自問自答しだし
なんとももったいない人生を送ってきたなあと思います。
この私という人生は一度きりなのに。
だからこの「砂をかむような日々です」書いてこられた方に
返す言葉が見つからず
「回想支援」を発案された方に助けを求めたところ
「今はそのような日々を送っておられても、
毎日そうやって懸命に頑張っている今は
後から振り返った時に「あの頃があったから今の自分があるんだ」
という日がきっと来ます」
との返事をいただき私自身が救われたように思いました。
振り返ると「やりたいこと」を見失いながらも
懸命に生きていた日々の中で培ってきたことが
今の得体のしれない自信の源なのかもしれません。
全ての経験は全て自分の中にある。
琥珀色の梅酒を眺めながら
思います。
やるせないこと
前回お話した「生さんま」、大ぶりで脂がのっている上に豊漁で卸値は昨年の3分の1ほどだとか。
「奇跡のさんま」と言われているんですね。
でも豊漁すぎて詰めるための氷や発泡スチロール資材が不足するなどで
漁港の処理能力を超えたり漁獲枠超過の恐れから
自主的に休漁期間を設ける漁港もあるとか。
10月以降はこんなに大ぶりなさんまは手に入らないという話もあり
まだ食されていない方は
今のうちに是非「奇跡のさんま」堪能してくださいませっ!
早いもので9月も半ば。
万博閉幕まであと1か月ほどになりました。
開幕前は否定的な意見が多かった万博。
そしてミャクミャク!
この大人気を誰が予想したでしょう!
しっかり黒字で閉幕するようですね。
一方で今各メディアでも大きく取り上げられている
「海外パビリオンの建設費未払い問題」
コロナによって前回開催のドバイ万博延期による
工事着工の遅れや
ロシアのウクライナ侵攻等による原料費の高騰で
開幕まで突貫工事にならざるを得ず、
大手建設業者が手を引く中で
手を挙げた中小の建設業者が
費用面でも作業面でもかなり無理をして頑張って開幕まで間に合わせた挙句
外資系イベント会社の日本法人である元請会社が支払してくれないがゆえに
倒産せざるを得ない会社も出てきているという現実。
未払金は突貫工事の最中に発生した追加工事の費用であり、
時間がない中であったので、契約書なしの口頭による受注が多く含まれているとのことで
「契約書がない工事費用について外資系の企業が支払うとはまずない」
ということ。
実際に支払いを求めての訴訟を起こしている会社はありながらも、
未払元請会社である外資系企業は「債務が存在しないことの確認を求める訴訟を起こしているのだとか。
海外と日本の商取引の違いによるリスクを
長い歴史の中で辛酸を舐めながらも知り尽くしてきた大手企業ならともかく
(リスク案件となった当工事に対し大手、中堅が参入せず)
過剰な負担を強いられることを承知で「腹をくくった」中小の建設業者はにとっては
「開幕までになんとか工事を間に合わせる」ことが最優先事項であり
「あのパビリオン、俺がつくったんやで!」と家族に胸を張る姿を夢見て
また、勿論会社が潤うことを信じて
そして何よりも自身のプライドのために
おそらく過度の重労働の中、ただただ頑張ってやり抜いたことは
想像に難くありません。
黒字化したのなら、
請求元が勝訴しても時間がかかるでしょうから、
是非その利益を未払金に充当してもらいたいと思うのですが
そんな単純にはいかないものなのでしょうか..。
今回のような「やるせないこと」
私たちの日常であるのかと問われると
大小の差はありますが
ごろごろ転がっていますよね。
ただそのあなたにとっての「やるせないこと」が
他の人にとって「やるせないこと」
なのかどうかわからず、聞いて拒否されるのも辛いから聞くこともできない。
だから一人でもやもやを抱えてしまう。
今回のことはひいては「人の生死」にかかわる大きな問題で
多くのメディアが取り上げているわけですが、
こうやって問題が顕在化しないことには
解決することは決してないのだから
「声をだす」ことは勇気がいることだけど、
まずはAIではない誰かにそのもやもやを
自分の言葉で語ってください。
生きている中では算数のように
「これが正解だ」という唯一の答えはなかなか見つからないものだけど
「なにが正解」なのかを一緒に考えてくれる人を見つけることはできます。
「当たり前」のすごさ
昨日スーパーに行ったら、
ぴかぴかの北海道産生さんまが2尾で360円で売られていて
思わず購入しました。
グリルを汚すのが嫌でいつもなら手を出さないのに
相変わらずの猛暑の中秋の気配を感じさせてくれる上に
新鮮を絵にかいたようなビジュアル。
その上このご時世に1人前メインディッシュが180円!
買わずにいられましょうか!
炊きたての御飯と
先日北海道紋別市のふるさと納税返礼品「帆立」のお刺身とともに
並んださんまの塩焼
新鮮でうんまい!
帆立もとろけるような美味しさ!
大阪に居ながら北海道で採れた海産物を新鮮なまま頂ける幸せを
しみじみ噛みしめながら
そもそも北海道で捕れた生さんまが
どうして大阪のスーパーに鮮度が落ちず並ぶのか?
ということに疑問を持ちちょっと調べてみました。
なんでも最近は水揚げしたさんまをすぐに滅菌海水と氷、
あるいは殺菌冷却海水とともに
発砲スチロールのケースに入れて配送するのが一般的なのだとか。
で、生食用帆立。
なんでも帆立は冷凍すると乾燥しやすく、
どの食材でもそうですが酸素に触れると酸化が進むので、
それを防ぐために
冷凍前に水や氷水で瞬間的に覆って表面に薄い氷の膜(グレーズ)を作るのだとか。
なるほど!
きっと其々の専門分野の研究者が日々の研究の中で
発明し開発してきた数多くのものは
こうやって知らず知らずのうちに
私たちの生活を便利に快適なものにしてくれているんですよね。
おそらく夜明けに水揚げされ詰められたさんまは
すぐに様々な輸送手段で各地に迅速に届けられるのでしょうが、
温度管理を徹底しなければ鮮度を保てないため、
携わる人の苦労が偲ばれます。
漁をする人、海水殺菌装置を開発した人、
温度を一定に保つ冷凍冷蔵車を開発した会社の中の人。
配送する人。
スイッチをひねれば簡単かつ安全に魚が焼けるグリルを開発、製造した会社の中の人。
毎日安全に安定してガスを供給してくれる会社の中の人。
各々の立場で、各々しかわからない苦労がある。
貴方の立場で、貴方しかわからない苦労がある。
それを当たり前に毎日頑張るあなたのおかげで、
日々生活できています。
「仕事だから当たり前」と貴方は思うでしょうか。
そうだとしたら、
日本は本当に世界に誇れる国なんだと思います。
抱きしめるもの
8月も終わりますね。
焦る。。
毎月言っているような気がしますが、今月は特に焦っています。
なんせ9月1日から値上げするものが多すぎる!(そこ?)
お茶漬けやアイスクリームやカレーやら、
ついつい買いだめしてしまった私。
今もトイレットペーパーやらカレーやらを詰め込んだ
無印良品の荷物をそわそわ待っております。
8月の初めに「発達障害」について書きましたが、
「発達障害」ではなく
「神経多様性」(ニューロダイバーシティ)という言葉がふさわしいことに気づきました。
学びが浅かったなあとお恥ずかしゅうございます。
「障害」というと、どうしても疾患や病気、欠陥と結びついてしまいますが、
脳や神経の働き方の違いは人間が持つ多様な特性のひとつであり、
「能力の欠如」ではなく「自然な変異」であり、
自閉スペクトラム症やADHDなどの特性を持つ人は
「ニューロマイノリティ」であると捉えるこの「神経多様性」という言葉が
しっくりくるなあとしみじみ思います。
生きづらい特性を抱えながらも「強み」もありその特性を理解することが
これからの企業、そして私達個人の成長に欠かせない視点かと思います。
話は変わりますがっ!
私、551蓬莱のアイスキャンデーが大好きで
昨日帰宅途中にいそいそとあべのハルカス近鉄百貨店地下入口前の売り場で購入したのですが、
その横でさつまいものスィーツを一生懸命販売している私より年上であろうお姉さまが目に留まり。
「おねえさん!、日持ちどの位?」と
アイスキャンデー清算中にお姉さまに声掛けした私(大阪のおばちゃんあるあるですよね?ね?)
そこからおねえさまの売り場に移動、意気投合し歌まで歌ってくれました。
(ポテトもとてもとても美味で4パック買ってしまいました。「はちみつとさつまいも工房」という期間限定出店のお店です)
帰り際、「ありがとう!またね!」と私の手を握ってくださり。
その手と私を見つめてくれるおねえさまの目がなんとも。
母を思い出し、帰りの道すがら泣けて泣けて困りました。
神戸で恐ろしい事件があり、
「人は刺すものではなく、抱きしめるものだよ」
という「すいか」というドラマのセリフに感動したと
以前書きましたが、その言葉の虚しさを今思っています。
海外のドラマや映画を観ると、ハグする場面がよく出てきますが、
日本では、特に私のような世代では難しいですね。
実際によほど親密な関係にない限り
人を抱きしめるのは難しい。
母が亡くなった時、もっともっと触れ合っていればよかったと後悔しました。
手を握るだけでも良かったんだ。
それだけで伝わるものがいっぱいある。
「そこに愛はあるんか?」
あります。間違いなく。


