日記

2025-06-22 06:13:00

ジェンダーレス

6月12日にジェンダー・ギャップ指数の順位が公表され、

日本は148か国中118位で、

教育と健康の値はトッププラスですが、

政治、経済参画の値が低く、特に政治参画値は圧倒的に低いため

この順位となっているようです。

 

折しも最近女性の経営者、

そして企業の要職にある女性と(別々に)話す機会がありました。

 

お二人とも私とは旧知の仲ですが

共通している印象は

物腰は柔らかいながらも

強靭なコアがあり信念があって、

そこを侵されそうになると

 攻撃の手を緩めないこと。

 

お二人にどんな印象を持たれるでしょうか?

「すごいなあ」「頼もしい」

「おっかないなあ」

でしょうか?

あるいは「可愛げがない」かもしれません。

そしてその言葉の頭には「女性なのに」がつきますか?

つきませんか?

 

お二人が男性だったらどうでしょうか?

「物腰は柔らかいながらも

強靭なコアがあり信念があって、

そこを侵されそうになると攻撃の手を緩めない」

 人は

経営者や企業の意思決定をもつ重役に求められる資質を持つ人

として違和感なく受け入れられるのではないかと思います。

  

以前書きましたがアメリカの俳優ウィルスミスが

アカデミー授賞式で

脱毛症に悩んでいる妻ジェイダをからかった司会者を平手うちにした事件で

(何よりも暴力事件を起こしたことでアカデミー協会から退会しましたが)

日本では「奥様を守ったジェントルマン」とウィルスミスに肯定的な意見が多かったですが、

(私もそう思っていました)

アメリカでは

「ジェイダは自分で自分の面倒を見られる人で、夫に守ってもらう必要なない。

ウィルが事件を起こしたために自分で自分の名誉のために発言するチャンスが奪われてしまった」

という意見が増えていったそうです。

 

この背景には

「女性は弱いから守ってあげないといけない」

という好意的差別についての問題提起があり、

勿論そう思って行動を起こしている人は相手を思いやっているのですが、

実際にはその人の能力や可能性を勝手に決めつけてしまっていて、

そのことは相手の自己肯定感をさげたり

行動を制限することに繋がり、

やがて見えないガラスの天井になるのではないでしょうか。

 

 怖いのは好意的差別は本人も無意識のうちに気づかずやっていて、

もしかするとそのことで相手を傷つけているかも知れないことです。

そしてその根底にあるのは優位性。

「この人は私より優れていると思っている」事が透けて見え、屈辱感をも伴います。

  

そのことを気づかせてくれる象徴的な事例だったので

 あえてまた書きました。

 

ウイルスミスは愛する家族が侮辱されて、

守ってあげないといけないなんて意識はなくただただ憤慨し咄嗟に手が出てしまったのだと思います。

そしてジェイダは傷つくというよりは逆に彼の愛情を感じ幸せな気持ちになったのかもしれません。

ジェイダの痛みを間近で見たウィル・スミスのとった行動に対し

「好意的差別というよりは愛する人を傷つけたことに対する当然の行動」と捉える人も多いのではないでしょうか。

(暴力を振るったことは決して容認できませんが)

 

ただ、こういう議論が起こったことの背景にあるのが好意的差別であり、

ジェンダーレスな世界にはまだまだ至っていないということに気づくことが非常に大切なのだと思います。

 

私の心の中にも固定概念や偏見、アンコンシャスバイアスがあり、

貴方の心の中にもきっとある。

そのことを認めて、

今やろうとしている行為が差別につながらないか

その人のためになっているのか見極めることが、

今とても大切なのだと思います。