日記
昔たこ焼き今ベーカリーなのか!
三連休いかがお過ごしですか?
私は暑くて溶けそうです(ほんま溶けへんかな下腹あたり)
自宅の散歩圏内に住居の軒先で細々と開業されている小さなベーカリーが2件ありまして。
いずれも女性のオーナーが一人で切り盛りされていらっしゃいます。
2件とも本格的なパンで本当に美味しいのにあまりにも安い。
先日2件のうち1件にお邪魔し、
「枝豆としらすのオープンサンド」(120円だったか)のビジュアルに
「なんて美味しそうな!」というと
「これは地元の○○さんの枝豆でシラスは。。」と一つ一つのパンのこだわりが半端なく。
それにしても120円て。
「あまりにも商売気無さすぎです!」
と思わず叫んでしまった私。
「あ、いえ。ご近所の皆さんが喜んでもらえたらそれで良いんですよ」
ととてもよい笑顔でほほ笑むオーナー。
「きゃーっ」とても幸せな気持ちでついつい買いすぎたことは言うまでもありませんっ!
「あ、この明太子フランス、他より小さいから60円でええですわ!」てあなた。。
ほくほくと店を後にして、家路を急ぎながらどんどん冷静になっていく頭でよくよく考えてみると
私がもしオーナーの立場でも、同じような価格設定にしたよな。
と。
例えばコーヒー、
今やマクドで100円でまずまずのコーヒーが飲めるのに
ホテルのラウンジでは1000円位しますよね?
ホテルで何かの行事に参加した後、
「コーヒーでも飲んで一息ついてから帰ろう!」
と気軽にラウンジに行ってコーヒーを頼もうとメニューを見て
「うおおおおっつ」と思いつつも後には引けなくなった日本人のなんと多いことか(私見です)。
でもね、この1000円。
ようやく最近私納得できるようになりました。
ホテルの空間を含めた洗練されたサービスを受けながら、つかの間贅沢な時間を過ごすためには相応なんですよね。
住宅街の小さな軒先で、趣味が高じて始めたパン屋。
「美味しいのよ、私のパン。
でもそのことを誰も知らないから
まずは美味しいのだと知ってもらいたい。
実績がないから裏打ちされた信用もない。」
となると、低い価格設定で勝負するかなあ。
でもね、「私の作るパンは世界一美味しいし、材料も吟味しているのだからこの位の価格設定で行こう」
と高い価格設定から始める人もいますよね。
その人にとっての適正価格、需要と供給それぞれの背景があって面白いなあと
枝豆シラストーストを食べながら思いました。
私の小さなころは自宅の軒先で大阪のおばちゃんが始めるお店というと、
「たこ焼き屋」さんが定番だったのに、今や「ベーカリー」。
こじゃれた街になったもんや。
ありがとうございます。
1週間のご無沙汰でした。玉置宏です(違います)。
(このフレーズで懐かしいと思われている貴方、同世代ですね)
このHPの来訪者が延べ1万人を超えましたっ
ありがとうございます!
こんな拙いページにお付き合いくださり、
感謝感謝でございます。
日記を始めた時に、
「来訪カウントが延べ1万人になるまで週に1回は更新する」というささやかな目標を作りました。
なんとか達成できて密かに喜んでおります!
実は小さなころから、私は「コツコツ何かを継続する」
という事が苦手ですぐに飽きてしまい、
習字やピアノやそろばん(その頃のはやり習い事ベスト3です。懐かしいっ)、習い事という習い事はなったく続かずで、
幼心に「これじゃ私、ろくな大人にならんのではなかろうか。頑張らなきゃっ。」
と思いながらも、目の前にある楽しい出来事の魅力に抗えず、
優先順位がどんどん下がっていきやがてやめてしまう
という感じでしたでしょうか。。
ですがある時から、「コツコツ何かを継続する」ことが私にとってとても重要なことになりました。
それは早逝したある先輩の姿を目の当たりにしてきたことが大きいのだと
今振り返ると思います。
その方は有名女子大卒業後銀行に就職されていたものの、
研究者の道に進むためすぱっと銀行をお辞めになり
大学院から私の通っていた大学に入学され、
私が3回生になり卒業論文のためとある研究室のお世話になった時に助手としていらした方です。
毎日夜遅くまで研究室でご自身の研究に没頭されていらっしゃいました。
どんな人にも平等に笑顔で接して下さるので、
毎日の実験は研究室に何度か泊まるようなハードなものでしたが
学ぶことが多く充実した日々でした。
怠け者でなんとか楽に生きたいと思っていた私は
毎日精いっぱいご自分の出来る限りを尽くし研究に没頭されているその先輩の凛とした姿に「私もこんな方になりたい」と憧れ、
少しずつ変わっていったような気がします。
大学を卒業して数年たったころでしたか。
就職後疎遠になっていましたが、突然その先輩から「最近どう?」とお電話をいただきました。
その頃の私は日々仕事に忙殺されており、その時は転寝をしていて電話の音で目が覚め、
寝ぼけてきちんとした会話が出来なかったことを覚えています。
それから間もなく(ご病気で)他界されたので、最後の挨拶をされるためにお電話くださったのだと後でわかり、
ただただ後悔しました。今も後悔しております。
短い研究者生活の中で何本も論文をお書きになり、それは今もしっかり残っていて
幸運にも近くで彼女の生き様を見ることが出来た私の心の中に
今も白衣をきている彼女が居ます。
「毎日諦めずに続けたら、きっとええことあるで、ゆかさん」
そう言ってくれた彼女に恥しくないよう、
愚直にコツコツ頑張ろうと思うのです。
これからもお付き合いいただければ
とても嬉しいです。
宜しくお願いいたします。
アサーションその2
自分の気持ちや考えを表現しなかったり(できなかったり)、
あいまいな言い方になったり、言い訳がましくなったり、消極的な態度をとったり。
特に上司や自分より社会的地位の高い人に対してはノンアサーティブになりがちではないでしょうか?
これらは、一見、相手に配慮しているように見えるかもしれません。
しかし実際には、自分を大切にしていないし、
自分の気持ちには不正直になっているので、ノンアサーティブに人と接したときは
なんだか卑屈な気持ちになったりもやっとしませんか?
だからこそ、その結果、自分の中に劣等感や諦めの気持ち、相手に対する恨みがましい気持ちやわかってもらえなかったといった、傷ついた感情も残ります。
では相手はどうでしょう?
貴方がノンアサーティブな対応をされた場合、どういう気持ちになりますか?
なんだかへんな優越感がわきませんか?
あるいはもしかすると、憐みや罪悪感や、「なんでそんな風に卑屈に接するの?自分が嫌にならない?」と苛立ちすら感じるかもしれません。
両者にとってあまり後味の良いものではないですよね。
では「攻撃的(アグレッシブ)」な対応をしてしまう場合はどうでしょう?
ノンアサーティブとは逆に、後輩や部下、自分より立場の弱い人、それこそノンアサーティブな人に対しつい高圧的になってしまっていませんか?
アグレッシブな対応をするとしっかり自己主張できる反面、
相手の言い分や気持ちを無視・軽視して、大声で相手を責めたり怒鳴ったりするだけではなく、自分勝手な行動をたり、不当に非難や侮辱をしたり。
結果的に相手の気持ちを害したり、相手を不当に見下したり支配したりすることにもつながります。
ハラスメントの臭いがぷんぷんしますね。
ただ、こうした言動は、実際には空威張りや防衛的であることが多く、後になって行った本人も後悔をすることがあります。
攻撃的な対応をされた相手は傷つき、恐れや怒りといった感情が残ります。
どうして私達は状況や相手によって攻撃的になったり、非主張的になったりするのでしょうか?
全ての人が相互尊重や対等な関係性(アサーティブ)の中で生きていけたら、争うこともなく、いじめの問題もおこらず生きやすくなるのに!と思いませんか?。
でもね、これ、本当に難しい。
「だってさあ。私一人がアサーティブに接しようと頑張っても、周りの人がそうじゃなければだめじゃん!」
と思われた方。
そう思いますよね?
でもね、職場や家庭、自分の置かれている環境の中で 貴方1人が根気よくアサーティブに接することを続けていると、
まわりはどんどん変わっていきます。
これ、間違いなく本当です。
1人の力がダイナミックに組織を生返らせることは色々なシーンで見て来ました。
例えば新入社員や配置異動で新しい人が入ってくると少し組織に変化が生まれませんか?
私達はお互いの影響をしっかり受けています。
貴方が部下や後輩をもつ立場にある人なら効果は覿面です。
是非、貴方から始めてみてください。
次回はアサーティブな接し方を掘り下げていきます。
また是非お付き合いください。
アサーションその1
前々回、ちらっと書きましたアサーション。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
アサーションとは「相手の立場や権利を侵すことなく、自分の意見、感情、権利を抑圧せずに適切に表現する行動」
であり、自己と他者を公平に尊重することが前途となるものなので
「角が立たないように自分の意見を伝えたいけれどもどう言えばいいの?」
「部下に注意したいけれど、どう言えばいいだろう」
等々、対人関係に悩んでいる方、ぜひ一読ください。
Assertionを直訳すると「主張」「断言」を意味する名詞で、
「アサーション権」なるものがしっかり定義されています。
「アサーション権」は誰しもが持っている権利です。
多岐にわたるのでいくつか抜粋します。
•「アサーション権」抜粋
うん?「責任を持つ権利」?
そうです。アサーションは責任を持つ権利を伴うのです。
紫陽花
凄い雨でしたね。
被害にあいませんでしたか?
私の住んでいる地域は避難勧告がでている世帯もあり、
何度もスマホからアラームがでて、どきどきしながら過ごしていました。
(なんとか無事でおります)
被害にあわれた方、謹んでお見舞い申し上げます。
小さいころ、近所に住む従兄妹の家が川の水位より低い場所にあって、
大雨になり川が氾濫すると、
青年団の方々や村の有志の方々が駆けつけてくれて皆で従兄妹の家を守ってくれて、
母をはじめ親戚のおばちゃん達はうちの台所で大きな丸いおにぎりを一生懸命握って
いりごまをふって餅箱いっぱいにしていたことを覚えています。
普段は結構仲の悪い(え?)人達も、こういう時は必死に助けあっていて、
今思えば、わからないながらもこういう姿を折に触れ見てきたから
「生きる力」を無くすことなく今までやってこれたのかもと思います。
数年前他界した母は紫陽花が好きで、時折投稿していた短歌の雅号は紫陽花でした。
「母は紫陽花が好きだった」という話をご近所にお住いの人生の先輩Tさん(男性)にふと話したことがあり。
それ以来、Tさんはご自宅で育てている紫陽花が咲くと「お母さんに」と
ペットボトルを半分にきって花瓶にしてくれて持ってきてくださるのです。
若いときはわかったつもりになっていたことが、歳を重ねると何もわかっていなかったことに気づき、
老いてはいきますが、本当に、歳をとらないとわからないことが沢山あって。
見える景色もいっぱいあって。
だからね、どんな事があっても、ぎりぎりまで踏ん張って生きていこうと思います。