日記
桜花爛漫月朧
4月になりました。
進学したり進級したり、そして入社したりと、新しい時の始まりです。
この始まりの時に咲く桜を日本人はとても愛しますね。
先日大阪城公園に朝お花見にいきましたが、
見事な桜の下、海外からの観光客も多く朝から賑わっていました。
白無垢の花嫁、羽織袴の花婿が写真撮影していたり、
桜の下で笑顔が溢れ、良い時間でした。
春になると、当たり前のように桜が咲き、当たり前のようにお花見をする。
と思っていましたが、
綺麗に桜の花を咲かせるために精魂込めて手入れをされている人がいらっしゃって
健康でいるからこそ桜の下に歩いていけるのだということを
思うようになったのはいつからだったのか。
儚いからこそ愛おしいということを身に染みて思うようになったのはいつからだったのか。
京都の保津川下りで痛ましい事故がありましたね。
幼いころ体験しましたが、
急流でも上手く乗り切るプロフェッショナルな船頭さんに乗船していた誰しもが全幅の信頼を寄せていたように思います。
報道によるとライフジャケットの装着の仕方の説明もなく、
前につけていたり、後ろにつけていたりと各々が好きに着けていたと。
死亡した船頭さんのライフジャケットも膨らんでおらず用を成さず
また、電波環境の悪い中無線機の携帯もなかったとのこと。
なんでしょうか、このリスク管理は。
「当たり前のように安全」だと思っていることは
「当たり前のように安全でいられるよう日々努力する人が居るからこそ成り立っている」事を常に思い、まず疑うことから始める必要があるのかもしれません。
「当たり前」はないのではないかと。
そして、いつどんな災難が降りかかるかわからないので、いつ死んでもいいように、行きたいところに行き、逢いたい人に会い、と毎日を悔いなく過ごさなきゃね。
日日是好日。
無の境地に達すれば、どんなにいいことがあった日でも、どんなに災難に見舞われた日でも、どんなに悲惨なことがあった日でも違いはないだろうという禅僧の言葉が由来のようです。
であれば、来る日も来る日もよい日が続くのです。
「毎日を大切に、ありがたく生きていく」心構えを説いているのだとか。
そのように生きていければ良いのだけれども、
なかなか難しいものです。
今回のタイトル「桜花爛漫月朧」は、桜を見る度思い出す言葉です。
母校の応援団が歌う逍遥歌を遠い昔一度聞いたことがあるのですが、この一節が妙に心に残っていて、
ネットで検索すると歌を聴くことが出来、
熱いものが込み上げてきて、泣けました。
歳をとるということはこういうことなのかと思います。
写真では実際の半分くらいしか伝わらないなあ。