日記
泣ける
とうとう12月です。
先生も走る師走です。
先日19時ごろ自宅マンションのエレベーターを待っていると
荷物をいっぱい積んだ台車を押しながら宅配便の女性ドライバーがやってきて
同乗しました。
「時間指定があるから大変やね」
というと、
「そうなんですよ、今日は荷物が多くて実は間に合っていないんですよ」
と笑顔を見せながらも焦っている様子。
私のほうが先に降りることになったので
降りる瞬間「がんばりや!」と自分でもびっくりするくらい大きな声でいってしまい。
そうすると彼女も大きな声で「はい!ありがとうございます!」
と元気いっぱい答えてくれたのですが、
そのあと顔をくしゃくしゃにして泣き笑いの顔になって。
私も泣けてきて、お互いくしゃくしゃの泣き笑い顔になってエレベーターのドア越しにお別れしたのでした。
そしてさきほど。
同じく自宅マンションのエレベーターでたまたま同乗した高齢の女性。
「寒くなりましたねえ」とお声がけすると
「ほんとにねえ」とその方。
「同じ階の方?」とおっしゃるので軽く自己紹介をすると
「あ、そうなの!私あなたのおかあさんと仲良かったのよ!」とおっしゃる。
「母と仲良くしてくださっていたのですね。ありがとうございます。」
と言いながらもだんだん涙声になってしまい。
私は親不孝で、母の生前どんな方と仲良して頂いていたのか
何を考え、どんな風に過ごしていたのか
何もわからず。
こんな風に母を知って下さり、覚えてくださる方にお会いすると
「ああよかった」と思うのです。
母はちゃんと母の人生を生きていたと。
ありがたい。
今週はなんだか泣ける週でした。
ヘアドネーション
なんと11月もそろそろ終わります。
焦る焦る。
やらんとあかん事は山のようにあるというのに。
このあいだ「おめでとう」言うてたのに
あっという間に年末ですわ。
昨日若者達と話していたら、
「このあいだこの子ヘアドネーションしたんですよ!」
と一人の若者が後輩の男子のことを語り。
「あ、そうなの?」と私。
すると、「あ、知ってます?ヘアドネーション」
と若者。
「いやあ、なんのことやら!バレたかっ!はははっ(//∇//)」と私。
「失礼ながら知らんやろなというリアクションでしたで!」
ははははっ!恥ずかしい(//∇//)
ヘアドネーションて病気等でウィッグな人の為に役立てる為に髪の毛を寄付する事らしいですね。
31cm以上無いと寄付出来ないらしく、
寄付した男子は高校1年の時になんとなく長髪にしたく伸ばしはじめたらしいのですが、
ヘアドネーションを知って、
「こんな僕にも少しでも人の役に立てる事がある」と知り、それから5年間頑張って伸ばしたそうです。
きゃーっおばちゃん感動したわーっ
だって髪の毛伸ばした事のある方なら誰しも経験するとてもとても面倒な事の数々。
特に夏に髪の毛乾かす時の辛い事辛い事。
更に男子と女子では髪質が違うから、余計大変やったと思います。
実はその男子、横は刈り上げて耳にはピアスと如何にも「やんちゃしてます」ふうな見た目なのですが、話してみるとしっかり敬語が話せるナイスガイ。
おかげさまで仕事や日常で色々な若者と話す機会があるのですが、話していると純粋だからこそ一つ間違えるととんでもない方向に進んでいくであろう危うさを感じつつ、彼らがありたい方向が見えた時に現れる輝くような笑顔を見ることが出来た時になんとも言えない幸せを感じます。
日本はまだまだ捨てたものではない。
そうしていく為には、私達大人かやるべき事がいっぱいあると思います。
焦る焦る。
昨日は若者に教えてもらう機会に恵まれたよい日でした。
生き方間違ったかなと思う時
有難いことにご縁があって終活セミナーのご依頼があり、
今週は資料作りをしておりました。
最後に過ごしたい場所や
会っておきたい人や
自分らしい人生の締めくくり方を考えることは
今までの自分の生き様と向き合う事に他ならず
これが私にとってはとてもきつい作業で。
「ああ、私の生き方間違ってたかな」と
何度となく思う事しきりです。
ではなぜ私が終活に拘るかというと
「いざ」という時に
自分の意思をしっかり伝えられる手段がなかったら
自分らしい締めくくり方は望めないのだなと
思う機会があったことと
自分の望む締めくくり方をするためには
今何をするべきか?
と考えることはこれからの私の人生にとってとても重要な事だからです。
「For the rest of my life.」
今何をするべきか?です。
資料作りをしながら、
自ら命を絶つ人たちのことや
ウクライナのことや
中東のことや
色々な「命」についつい思いを馳せてしまいます。
「命」の重みを実感することが難しい世の中だなあと思います。
数年前他界した母は厳しい人で
実は私はあまり可愛がられた記憶がありません。
笑顔もあまり見せませんでした。
ですが、
幼いとき、夜中に高熱を出した私を負ぶって病院まで一生懸命走ってくれた母の背中や
仕事で残業続きだった私がとうとう過労で寝込んだときに
心配して電話をくださった会社の先輩に泣きながら「このままだったら娘が死んでしまいます」と何度も訴えたという話を
先輩から聞いたときのことや
そんな記憶はしっかり残っていて
私の「命」をそんなふうに紡いでくれた母の事を思うと
今までの生き方間違ったかも知れないけれども
なんとか修正しながらこれからは私の望む生き方を貫いて
天寿を全うしないと申し訳ないと思うのです。
そんな「根っこ」があるうちはこの世界の片隅で
なんとか前を向いて生きていける気がします。
間違いに気づいたら、そこからやり直せばええんや。
時間はまだ充分あるで。
と母に言われている気がします。
スタバを選ぶ理由
昨日大阪駅周辺で色々用事を済ませていたら、「祭りかっ!」と思うほど人が溢れていて
どうも阪神の優勝で百貨店や商業施設が優勝セールやらポイント5倍デーやらで
いつもよりかなりの人出だったようで。
帰りに阿倍野ハルカスに寄ったらオリックス優勝セールで色々なお店で行列が出来ており。
電車に乗ろうとしたらB’Zのコンサートがヤンマースタジアム長居であるらしくかなり混んでおり。
...。
大阪はなにやらとても活気づいております!
街中で一息つきたいとき、私はスターバックスに入ります。
今や街中に溢れているということもありますが、
スタバを選ぶ最大の理由は「どの店に入っても嫌な思いはしない」ことにあります。
よほど接客に対する教育が行き届いていないと、
なかなかここまでできないだろうなあといつも感心します。
(あくまでも個人的感想です)
例えばこれから年老いて、どこかの施設に入らないといけなくなったとき
例えばお子さんを保育園などどこかの施設に預ける必要ができたとき
何を基準に選びますか?
需要と供給の問題で選択は限られてくるかもしれませんが、
もし自由に選ぶことが出来たら
私は属人によるものではなくシステムがしっかりしていて
どの介護福祉士や保育士が担当してくださっても同じようなサービスを提供してくれるところを選びます。
ただ、カフェやレストランのように「どの店に行っても誰が接客しても均一のサービスが受けられる」かどうかは見分けがつきやすいですが、
介護施設や保育園はなかなか難しいですね。
色々な施設を見学し、しっかりと自分の目で判断することがとても大切ですが、
色々な人の話を聴いて違った視点で考える事も重要な選択をするためには必要な事だと思います。
そのためには話しやすい人でなければなかなか難しい。
「この人と話してよかった」と思う人でなければ、なかなか本音の話はできませんもの。
賢く生きていくためにもコミュニケーションスキル、
本当に重要!
とにこやかに「今朝は過ごしやすくていい朝ですね!」とコーヒーを出してくれるスタバのイケメンスタッフにぼーっとしながらしみじみ思う秋の始まりでございます。
よろしければこんな私と是非コミュケーション技法、一緒に学びませんか?
興味のある方、是非ご一報くださいませ!
敬う
ジャニーズ事務所の一連の報道を見てきて
ずっともやもやが続いていますが、
ネスレ日本元社長の対応に少し心が晴れました。
「20年以上前から噂としてジャニー喜多川氏の性加害については知っていたので社長在任中は一度もCMにジャニーズ事務所のタレントを起用しなかった」
これに尽きるのではないかと思います。
「たられば」はありませんが、
ジャニーズ事務所に関連する全てのステークホルダーが、同じような姿勢であれば、状況は大きく変わっていたと思います。
明日は敬老の日ですね。
私が長く居たビジネスの世界、そして今お付き合いいただいている方々の世界では
「敬語」を使うことは当たり前で、
そういう世界に生きてこられたことは幸せな事だとつくづく思います。
なにもわからない子供のころは
自分の知っていることが話題に出ると自分の知識を衒らかし得意になるのですが、
いつしかそれを黙って聞いている人たちのほうがずっとよくわかっていてレベルが高いことを知り、
恥しい思いをして「自分はなんて愚かなのだ」ということを思い知る。
自分の愚かさを知り、世の中には自分より優れている人はいっぱいいることを知ると
おいそれと「ため口」で人に接することの愚かさを身をもって知ることになる。
だからこそ敬語を使うことは自分のリスク管理の上でもとても重要な事だと思い知る。
そういう世界に生きてこられたことは幸せな事だと思うのです。
歳をとると心身ともに衰えていき
見た目「弱者」として映り、
だからこそ「子供な」人は自分より何十年も色々なことを経験してきた敬うべき人達に「不遜」に接しがちですが、
自分より一日でも先に生まれた人はその分「一日之長」があるということを
やはり歳を経て色々なことを経験すると分かってくる。
人生の先輩を敬う事を当たり前と思う自分は幸いだと思います。