日記
ローズマリー
NHK連続テレビ小説「虎に翼」、ご覧になっていらっしゃいますでしょうか?
私、5月10日放送回の寅子さんの演説に胸がいっぱいになりまして。
泣きましたとも!
何故泣いてしまうのか、いくらでも分析できそうですが、
それは後付けで、
理屈じゃないんですよね、泣くことは。
自分自身の記憶の彼方に押し込んで、
すっかり記憶にないことも、
全て自分が経験してきたことなので、
「なんかわからんけど泣ける」のは、
ちゃんと理由はあるけれども、
理屈じゃないんですよね。
私は女性として生まれ、勉学の世界では誰しもが平等で、
努力した分報われ、怠けたらそれは自分に跳ね返ってくることを、
経験して学びながらも、
生活の場では「女の子がそんなことしては駄目」
「男の子はそんなことで泣いたら駄目」
「男の子のくせに女々しい」
「女の子のくせにはしたない」
という世界でも生きてきて、
社会に出たら会社では「うちの女の子」という称号で呼ばれることに驚き.。
という経験をしてきた世代ですが、
同じ時代に生きてきた男性は
「男がこれ位耐えられずにどうする」と
「男はこうあるべき」
「長男なのだから。次男なのだから」と育ってきて、
その価値観の中で生きてこられたのではないかと思います。
もう10年以上前になりますか。
友達が単身イギリスに渡り、そこを生涯生きる場として選択しました。
何故イギリスかと聞くと、
以前イギリスに短期留学した時に
ランジェリーショップで
結構年配の女性がTバッグのパンティを購入されているのをみて
驚いていたら、
その女性が「あら、なんで驚くの?素敵でしょ?私が身に着けたいのよ!」
ととても満足そうににっこり笑ったらしく、
そういえば、と街行く人の装いを見ると、
ショッピングパンツのスパッツを履いてさっそうと歩く男性や
髪の色を真っ赤に染めている人や、
思い通りに自分を表現する人に溢れていて、
今までそのことに気づかなかったのは、
あまりにもその景色が当たり前だったからということに気づいたときに衝撃を受けたから
だったそうです。
それからイギリスでの滞在中誰かにどう見られるかではなく、
自分が着たい服を思いっきり楽しんで、
日本に帰国し、
いざスーツケースの中の服を着ようとしたら、
「そんなチンドン屋みだいな恰好してみっともない!」
と家族に怒られ、
どれもこれも、日本では着られないことに気づき、
「なんて窮屈なんだろう」と思ったそうです。
「それがイギリスに行く理由なのよ」と。
5年前、私がキャリアコンサルタントの勉強を始めた頃よく耳にした言葉が
「ダイバーシティとインクルージョン」
多様性と包括。
特にビジネスにおいての「インクルージョン」は、
企業内の全ての従業員が尊重され、個々が能力を発揮して活躍出来ている状態。
その頃は勉強しながら「絵空事のような虚しい言葉」と思っていました。
ですが今、
2023年日本のジェンダーギャップ指数は146ヵ国中125位ですが、
それでも私が生まれてから今日までにはかなりジェンダーに関しての垣根が低くなってきたなあと感じます。
声を出した時にはあまりにも夢のようで現実味がないと思っていた言葉も、
意思を持って声にしていくことで、いつかは叶えられるのだと、
寅子さんの演説を聴きながら泣けてきたのは、
それに気づいたからかもしれません。
(以下、一部引用します)
「生い立ちや、信念や、格好で切り捨てられたりしない。
男か女かでふるいにかけられない社会になることを、私は心から願います。
いや、みんなでしませんか?しましょうよ!
私はそんな社会で、何かの一番になりたい。
そのためによき弁護士になるよう尽力します。
困っている方を救い続けます。男女関係なく!」
今日マンションの1階エレベーター前に
「よかったら好きなだけ持って行ってください」
という札と一緒にかごいっぱいにローズマリーが置かれていて、
お言葉に甘えて沢山頂いてきました!
気分を落ち着かせるとても良い香り。
ローズマリーには「悪魔を寄せ付けない力を持つ」と古来より重宝されており、
抗菌・抗酸化や血流改善の作用もあり、香りは集中力を高めるとか。
ありがたいっ!
ハーブティーにしてそのあとは入浴剤と致します!
お名前を書かれておらずこうやって匿名で何かを提供したり、
誰かを助けたりする方がいらっしゃり。
そうやって「名もなき人達」の好意や努力やあるいは戦いで、
私達は今の生活を手に入れることが出来ていて、
そして
世界は良い方向に向かうのだと信じることができる今週でした。
かしわ餅
今日はこどもの日。
祝日法ではこどもの日は
「「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨としている。」
となっているらしいのですが、昭和23年に出来たこの法律、
「母に感謝する」というところに時代を感じます。
先日、久しぶりに赤ちゃんを抱かせて頂く機会がありました。
暖かくて重い。
命の重みをひしひしと感じ、無垢な笑顔に思わず泣きそうになる私。
私には子供がおらず、
子供を育てている皆さんを無条件に尊敬します。
古今東西、自分の子供を育てていくことは「当たり前」。
だけど「当たり前」にする事がどれほどしんどい事なのか
徐々に認知されつつあるけれども、
今から76年前に出来たこの法律の文言が未だ違和感ないのだとしたら、
まだまだ「育児は母親が担うもの」という意識が染みついているのだなあと思います。
勿論、生んでくれたのは母親で、母乳を与えて命を守ってくれたのは母親で、
そのことに対し「感謝する」のはとても大切な事ですが、
「母に感謝する」が「親に感謝する」となることに違和感がないくらいに
「育児は親が担うもの」が当たり前、
いえ、「育児は周りにいる全ての大人が担うもの」が当たり前になればと願い、
まだまだワンオペで頑張っているおかあさんの力になることが出来ればと
おかあさんだけでなく
サイボウズ社のこの動画を見て泣く女性が居なくなればと
https://www.youtube.com/watch?v=0iru7nKQbcw
それが私がキャリアコンサルタントを生業にしたいと思った理由です。
今日は端午の節句でもあるので、毎年かしわ餅を頂くのを楽しみしている私。
柏の葉は、新しい芽が出るまで落ちない、というところから、“子孫繁栄”の縁起を担ぐとされています。
落ちないように持ちこたえるのは大変だけれども
どうか、新しい芽が育って次の新しい芽が出るまで必ず落ちずに見届けてやってください。
いくつになっても
街を歩くとさつきの花全盛期で、あっという間に初夏ですね。
急に暑くなったり寒くなったりで年々春と秋が短くなっていくように思います。
春らしいジャケットやブラウスの出番がないし、
春や秋の景色や匂いが短くなっていって寂しいなあ。
そうそう、街を歩いている時に〇〇年生きてきて初めて気づいたことがあります。
「うすい」と書いてあるマンホール、ご存知ですか?
そして意味わかります?
暫くすると「おすい」と書いてあるマンホールに遭遇し、
「汚水の「お」が欠けているのかっ!」
と思ったりしたのですがそうではなく
「うすい」と「おすい」のマンホールがほぼ交互にあることがわかり、
早速ネットで調べましたとも!(便利になったものだ)
「うすい」は「雨水」でしたっ!
漢字になると「なぁんだ!」なのですが、
音読みと訓読みがある漢字、奥深し。
そして、近所(堺市内)のマンホールには府のシンボル百舌鳥が描かれており、
ちょっと興味が湧いてマンホールをネット検索してみたら、
あるはあるは色々なデザインのマンホール!
「路上の美術館」なるホームページもあり、マンホールの世界は深かった。
いくつになってもこの世に知らないことが沢山あるって
なんて素敵なんでしょう。
一時嵌っていた村上春樹の小説を再び読み始めました。
本当に遅ればせながら、
2013年発行の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を今読んでいます。
これが、時間がかかる。
若いときはすっと読めた言葉がいちいち引っかかり、
なんといいますか、言葉を噛みしめて、味わって読んでいます。
その中で、リストの「ル・マル・デュ・ペイ」が出てくるのですが、
これはリストの「巡礼の年」というピアノ独奏曲集に収められており、
この本がきっかけてリストにも嵌りかけています。
今の私の心にほんと沁みる。
同じ光景であっても、
同じ環境にあっても、
人は見たいものだけを見るけれど、
何を感じるか、
見える景色は年代によって、
経てきた年月によって変わるもので、
少し目先を変えるだけで世界は広がり、
私の世界を美しくするのも、醜くするのも、
住み易くするのも、住み辛くするのも
すべては私次第だなあとしみじみ思う今週でございました。
豊かな日本を享受する
今週末は桜が満開で、
私も近所の浜寺公園やら家原大池公園やら行って参りました。
トップページの写真を2年前の大阪城公園と今年の浜寺公園、
そして家原大池公園では桜を背に椿の花が咲いていたので
一枚、入れ替えてみました。
椿は花ごとぽとりと落ちるので
江戸時代の武家の間で打ち首を連想したため
椿を嫌う風潮が生まれたようですが、
寒さが厳しい冬の中でも凛として咲き誇る様子から、
「忍耐」や「生命力」の象徴とされ、
縁起が良い花ともされています。
「邪気を払う」力があるとされてもいるので、
今回掲載いたしました。
どの写真もそうですが、
写真ではなかなか実際目の当たりにした美しさは伝わらないですね。
やはり「本物を見る」こと、大切です。
中之島美術館でモネの「連作の情景」展が開催されているので、
行って参りました。
私、何故かモネとフェルメールが大好きで、
関西で展覧会があるといそいそと出向くのでございます。
今回開催期間が2月10日から5月6日までで、
そろそろ落ち着いているだろうし閉会までにはまだ日にちがあるし、
結構余裕があるのではないかい?
と思ったのですが、
いやいや、甘かった。
えらい人でした。
私がちょっと驚いたのは
何度か若い男性グループに遭遇したこと。
いずれの方々も静かに熱心に鑑賞していました。純粋にモネの世界に浸っているような..。
美術系の学生なのかな。
男性に関わらず若い女性も多く、
なんだかいい。
私がモネを好きになったきかっけは、
「ヴェトウィユの画家の庭園」(1881年)という画でした。
ひまわりいっぱいの庭の奥には家があり、
そこから庭へと続く階段に、女性一人小さな男の子二人が描かれており、
夏の強い光を感じるとても明るい絵なのです。
この絵を描いた2年前に彼の妻カミーユは次男出産後の産後の肥立ちが悪く亡くなっており、
その頃モネは極貧状態で満足な看病を受けさせることができなかった悔恨もあり、
人生で最も苦しかった時期であったとされています。
そしてこの絵を描いた頃はようやく生活困窮から抜け出し、
モネが再び立ち上がった時だったそうで、
ここに描かれた人物は顔がはっきりと描かれておらず、
(カミーユ死後人物の顔をはっきり描かなくなりました)
絵画を鑑賞したときの音声ガイドでは
「亡くなったカミーユ夫人と二人の子供」
とされており、
絵が明るいが故にモネの哀しみが際立って伝わってくるように当時の私は感じ、
モネの独特の筆使いとともに当時の彼の息遣いや思いが感じられて
心が震えたものです(なんと感受性が豊かだった私!)
(この絵のモデルはカミーユ夫人生前から不倫の噂のあった女性(のちに再婚)とその子供という説もあります)
今回75点のモネの絵画、特に睡蓮に代表される連作がいくつか展示されており、
見ごたえがありました。
そして、いくつかの絵画が写真OKだったので、撮りました!
やっぱり写真となると色々伝わりませんわね..。
それにしてもこれだけのモネの作品を揃えられる日本は豊かな国だと
あらためて思いますし、
それを享受できる幸せをしみじみ感じます。
そして中之島美術館は開業以来黒字が続いているのだとか。
国内初の民間が主導する美術館だそうで。
だってあの盛況ぶり。
大人一人2500円で何人入っているのや!
と下世話なことを考え美術館を後にする私が何語ってるのや!
と無性に恥ずかしくなって参りましたので、
そろそろ失礼いたします。
ブランドの価値
はるか昔私が若かったころ、
ブランドのバッグや時計や欲しくて、
背伸びして頑張って買っていました。
先日若い女性と話した時に「ブランドのバッグがほしいです」
というので何故?と聞くと
「だって、まわりの同級生はどんどん結婚して、私は全く予定がなくて。
だから「私はこんなに高いものが買えるほどの仕事をしてるんだ」と言いたいじゃないですか!」と。
..。わかる。わかるで!
振り返ってみるとかつて私も似たような動機だったような(←はるか昔のことなので覚えてないという。。ははっ)
でも確かに自分のステータスを高く見られたいが故に頑張っていたような。。
実は先日、
もう30年近く愛用しているエルメスのクリッパー(一世を風靡しました!ご存知の方も多いはず!)が動かなくなり、
エルメスのアフターセールスカウンターに行ってきたのでございます。
幸い電池交換だけで済んだのですが、
時計を預けて1時間ほどで返ってきた時計はピカピカになっていて新品のようで。
「うわっ!ピカピカですね!」と思わず言うとにっこりして
「洗っておきました」とのこと。
時計と同時にウォッチクイックサービスカードを渡されたのですが、
そこには時計のモデル名やシリアルナンバーや修理日が書かれているので
(それもフランス語と英語で)世界のどこのエルメスでもこのカードさえ見せれば
スムースに修理してくださるのでございます(はずです)。
実は修理前に「どこかのエルメスに登録されていますか?」とおっしゃるので
辛うじて数年前に高島屋のエルメスブティックで針の修理をしてもらっていたので
その話をすると、
PCで名前と電話番号のみで過去の修理履歴を検索され、
「部品交換と内部洗浄も行われていますね?」と。
こんな風に正規のエルメスでメンテナンスを行っているとスムースに修理されるのですが、
一度でも正規店以外で修理をすると取り扱わないのだとか。
(修理状態を見ればすぐにわかるのだそう)
私の前にいらっしゃった方はバッグの持ち手近くの金具が外れてしまったようで
「数年前から気になっていたのだけれどもなかなか機会がなくて」とのこと。
とスタッフの方が奥に入り、
各々の専門の職人さんが常駐されているようで、
数分で出てこられ「元に戻りましたよ」と。
とても喜ばれて「あのう、修理代は?」と恐る恐る聞かれていましたが、
「費用は結構でございます」とのこと。
「ええ!?いいんですかっ!」とおっしゃると同時に思わず「ええ!?」と心の中で叫び振り向く私。
そうするとスタッフの方が
「はい、結構でございます」とにっこり。
私がこの時計を買ったのは、
ブレスレットがエルメスのHのマークになっていて、文字盤が丸くて黒くてかっこいいからという理由からだったのですが、
つまり、見た目に惹かれて買ったわけですが、
30年経ってもなお新品のように輝き続ける我が左手の相棒。
エルメスのというブランドのこだわり、愛情や情熱がようやくわかるようになってきたかなあ。
やっと身につけるに相応しくなってきたのかななんて、勝手に思っています。
だから、ブランドの価値はその人にとって、年代によって、様々で、違ってていいんだなあと思います。
どこに価値をおくのか
どう付き合っていくのか
歳とともに変わっていくのも乙なものです。