日記
いくつになっても
街を歩くとさつきの花全盛期で、あっという間に初夏ですね。
急に暑くなったり寒くなったりで年々春と秋が短くなっていくように思います。
春らしいジャケットやブラウスの出番がないし、
春や秋の景色や匂いが短くなっていって寂しいなあ。
そうそう、街を歩いている時に〇〇年生きてきて初めて気づいたことがあります。
「うすい」と書いてあるマンホール、ご存知ですか?
そして意味わかります?
暫くすると「おすい」と書いてあるマンホールに遭遇し、
「汚水の「お」が欠けているのかっ!」
と思ったりしたのですがそうではなく
「うすい」と「おすい」のマンホールがほぼ交互にあることがわかり、
早速ネットで調べましたとも!(便利になったものだ)
「うすい」は「雨水」でしたっ!
漢字になると「なぁんだ!」なのですが、
音読みと訓読みがある漢字、奥深し。
そして、近所(堺市内)のマンホールには府のシンボル百舌鳥が描かれており、
ちょっと興味が湧いてマンホールをネット検索してみたら、
あるはあるは色々なデザインのマンホール!
「路上の美術館」なるホームページもあり、マンホールの世界は深かった。
いくつになってもこの世に知らないことが沢山あるって
なんて素敵なんでしょう。
一時嵌っていた村上春樹の小説を再び読み始めました。
本当に遅ればせながら、
2013年発行の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を今読んでいます。
これが、時間がかかる。
若いときはすっと読めた言葉がいちいち引っかかり、
なんといいますか、言葉を噛みしめて、味わって読んでいます。
その中で、リストの「ル・マル・デュ・ペイ」が出てくるのですが、
これはリストの「巡礼の年」というピアノ独奏曲集に収められており、
この本がきっかけてリストにも嵌りかけています。
今の私の心にほんと沁みる。
同じ光景であっても、
同じ環境にあっても、
人は見たいものだけを見るけれど、
何を感じるか、
見える景色は年代によって、
経てきた年月によって変わるもので、
少し目先を変えるだけで世界は広がり、
私の世界を美しくするのも、醜くするのも、
住み易くするのも、住み辛くするのも
すべては私次第だなあとしみじみ思う今週でございました。
豊かな日本を享受する
今週末は桜が満開で、
私も近所の浜寺公園やら家原大池公園やら行って参りました。
トップページの写真を2年前の大阪城公園と今年の浜寺公園、
そして家原大池公園では桜を背に椿の花が咲いていたので
一枚、入れ替えてみました。
椿は花ごとぽとりと落ちるので
江戸時代の武家の間で打ち首を連想したため
椿を嫌う風潮が生まれたようですが、
寒さが厳しい冬の中でも凛として咲き誇る様子から、
「忍耐」や「生命力」の象徴とされ、
縁起が良い花ともされています。
「邪気を払う」力があるとされてもいるので、
今回掲載いたしました。
どの写真もそうですが、
写真ではなかなか実際目の当たりにした美しさは伝わらないですね。
やはり「本物を見る」こと、大切です。
中之島美術館でモネの「連作の情景」展が開催されているので、
行って参りました。
私、何故かモネとフェルメールが大好きで、
関西で展覧会があるといそいそと出向くのでございます。
今回開催期間が2月10日から5月6日までで、
そろそろ落ち着いているだろうし閉会までにはまだ日にちがあるし、
結構余裕があるのではないかい?
と思ったのですが、
いやいや、甘かった。
えらい人でした。
私がちょっと驚いたのは
何度か若い男性グループに遭遇したこと。
いずれの方々も静かに熱心に鑑賞していました。純粋にモネの世界に浸っているような..。
美術系の学生なのかな。
男性に関わらず若い女性も多く、
なんだかいい。
私がモネを好きになったきかっけは、
「ヴェトウィユの画家の庭園」(1881年)という画でした。
ひまわりいっぱいの庭の奥には家があり、
そこから庭へと続く階段に、女性一人小さな男の子二人が描かれており、
夏の強い光を感じるとても明るい絵なのです。
この絵を描いた2年前に彼の妻カミーユは次男出産後の産後の肥立ちが悪く亡くなっており、
その頃モネは極貧状態で満足な看病を受けさせることができなかった悔恨もあり、
人生で最も苦しかった時期であったとされています。
そしてこの絵を描いた頃はようやく生活困窮から抜け出し、
モネが再び立ち上がった時だったそうで、
ここに描かれた人物は顔がはっきりと描かれておらず、
(カミーユ死後人物の顔をはっきり描かなくなりました)
絵画を鑑賞したときの音声ガイドでは
「亡くなったカミーユ夫人と二人の子供」
とされており、
絵が明るいが故にモネの哀しみが際立って伝わってくるように当時の私は感じ、
モネの独特の筆使いとともに当時の彼の息遣いや思いが感じられて
心が震えたものです(なんと感受性が豊かだった私!)
(この絵のモデルはカミーユ夫人生前から不倫の噂のあった女性(のちに再婚)とその子供という説もあります)
今回75点のモネの絵画、特に睡蓮に代表される連作がいくつか展示されており、
見ごたえがありました。
そして、いくつかの絵画が写真OKだったので、撮りました!
やっぱり写真となると色々伝わりませんわね..。
それにしてもこれだけのモネの作品を揃えられる日本は豊かな国だと
あらためて思いますし、
それを享受できる幸せをしみじみ感じます。
そして中之島美術館は開業以来黒字が続いているのだとか。
国内初の民間が主導する美術館だそうで。
だってあの盛況ぶり。
大人一人2500円で何人入っているのや!
と下世話なことを考え美術館を後にする私が何語ってるのや!
と無性に恥ずかしくなって参りましたので、
そろそろ失礼いたします。
ブランドの価値
はるか昔私が若かったころ、
ブランドのバッグや時計や欲しくて、
背伸びして頑張って買っていました。
先日若い女性と話した時に「ブランドのバッグがほしいです」
というので何故?と聞くと
「だって、まわりの同級生はどんどん結婚して、私は全く予定がなくて。
だから「私はこんなに高いものが買えるほどの仕事をしてるんだ」と言いたいじゃないですか!」と。
..。わかる。わかるで!
振り返ってみるとかつて私も似たような動機だったような(←はるか昔のことなので覚えてないという。。ははっ)
でも確かに自分のステータスを高く見られたいが故に頑張っていたような。。
実は先日、
もう30年近く愛用しているエルメスのクリッパー(一世を風靡しました!ご存知の方も多いはず!)が動かなくなり、
エルメスのアフターセールスカウンターに行ってきたのでございます。
幸い電池交換だけで済んだのですが、
時計を預けて1時間ほどで返ってきた時計はピカピカになっていて新品のようで。
「うわっ!ピカピカですね!」と思わず言うとにっこりして
「洗っておきました」とのこと。
時計と同時にウォッチクイックサービスカードを渡されたのですが、
そこには時計のモデル名やシリアルナンバーや修理日が書かれているので
(それもフランス語と英語で)世界のどこのエルメスでもこのカードさえ見せれば
スムースに修理してくださるのでございます(はずです)。
実は修理前に「どこかのエルメスに登録されていますか?」とおっしゃるので
辛うじて数年前に高島屋のエルメスブティックで針の修理をしてもらっていたので
その話をすると、
PCで名前と電話番号のみで過去の修理履歴を検索され、
「部品交換と内部洗浄も行われていますね?」と。
こんな風に正規のエルメスでメンテナンスを行っているとスムースに修理されるのですが、
一度でも正規店以外で修理をすると取り扱わないのだとか。
(修理状態を見ればすぐにわかるのだそう)
私の前にいらっしゃった方はバッグの持ち手近くの金具が外れてしまったようで
「数年前から気になっていたのだけれどもなかなか機会がなくて」とのこと。
とスタッフの方が奥に入り、
各々の専門の職人さんが常駐されているようで、
数分で出てこられ「元に戻りましたよ」と。
とても喜ばれて「あのう、修理代は?」と恐る恐る聞かれていましたが、
「費用は結構でございます」とのこと。
「ええ!?いいんですかっ!」とおっしゃると同時に思わず「ええ!?」と心の中で叫び振り向く私。
そうするとスタッフの方が
「はい、結構でございます」とにっこり。
私がこの時計を買ったのは、
ブレスレットがエルメスのHのマークになっていて、文字盤が丸くて黒くてかっこいいからという理由からだったのですが、
つまり、見た目に惹かれて買ったわけですが、
30年経ってもなお新品のように輝き続ける我が左手の相棒。
エルメスのというブランドのこだわり、愛情や情熱がようやくわかるようになってきたかなあ。
やっと身につけるに相応しくなってきたのかななんて、勝手に思っています。
だから、ブランドの価値はその人にとって、年代によって、様々で、違ってていいんだなあと思います。
どこに価値をおくのか
どう付き合っていくのか
歳とともに変わっていくのも乙なものです。
しつらえ
最近読み終えた本の中で、金沢の「鈴木大拙館」の話が出てきて
そちらの「水鏡の庭」の「思索空間」に主人公が座って物思うシーンがあるのですが、
その佇まいに惹かれて「鈴木大拙館」のHPを覗いてみました。
今は修繕工事の為3月中旬まで閉館されているようですが、
落ち着いたら是非訪ねようと思っています。
「鈴木大拙館」は展示されているものが少なく、館内はものが少ないのだそうです。
わざとそうしているとのこと。
物が少なければ、入ってくる情報量も少ないので、
来訪者が余計な事で頭をいっぱいにするのではなく、
より考えを深められるようにそうされているのだとか。
本の中では「鈴木大拙館」の佇まいから「しつらえ」の話になります。
「しつらえ」とは「空間や部屋の演出方法」
ネットで調べたら出てきました。
ちなみに余談ですが。
ChatGPTで調べると
「しつらえ」は「整える」や「配置する」などの意味を持つ言葉で、
一般的には物事を整理したり、配置を調えたりする行為をさすことがある
とのこと。
...。
なるほど。
ChatGPTは便利だけれども、
知っている言葉について聞いてみるとおいそれと鵜呑みにしてはいけないことがよくわかります。
(どんどん成長していきますが)
私達日本人が大切にしている「しつらえ」は
例えばお客様をおもてなしするときに
お客様が心地よく過ごされるよう
空間や部屋を演出することではないでしょうか。
そして「しつらえ」は
しつらえた人ののセンスを問われますわね。
そこにはその人が今まで培ってきた教養やものの見方や思考、
色々なものが写しだされるわけで。
怖くもありますが、
その背景にあるのは
日本人が大切にしている「おもてなし」の心であり、
誇れる日本の文化なのだから
「しつらえ」
大切にしていきたい。
そう思うと知りたいこと、学びたいことが山のようにあり。
私の興味のあることは茶の湯に通じる事が多いので
茶の湯の世界をもっと探求したいし。
ほんま世界はまだまだ知らないことで溢れていて
知りたいことで溢れていて
そしてそれらは私次第でいずれ知ることが出来る。
かも知れない。
この有難い世界が無くならないようにと切に願います。
走る
早いもので1月も後半になりました。
10日は10日戎で、西宮のえべっさん西宮神社では今年の福男さん決まりましたね。
知り合いのSさんが昨年から挑み続けていらっしゃり、
これがもう、なかなかのドラマなんですわ。
まず、9日22時からくじを引くための受付が始まるらしく、
これが人数制限があり先着1500名までがくじを引けるらしいです。
そしてなんとっ!
Sさん間に合わず今年は無念の中帰ったそうです。
なぜ、間に合わなかったのかっ!
昨年は電車で向かったSさん。
受付に間に合い1500名の中に入ったものの
くじ引きが始まるのが10日0時で、
近所に暖をとるようなお店もなく
それまで寒い中待機しなければならず、
あまりにも昨年寒すぎた上に
くじ引きが0時からで外れたので家に帰るにも
その頃は終電もなくなっているので始発まで待ったらしく。
とほほな有様だったそうです。
今年は車の中で待機しようと、かなり遠くの駐車場でもええわ!
と覚悟を決めて車で結構早くに神社近くに着いたらしいのですが、
結構遠くの駐車場までも満車で、
ようやく見つけて急いで駆けつけたけれども時既に遅くだったらしく。
「やっぱりみんな考えることは一緒ですわーっ。
来年はやっぱり寒い中耐えることにしますわーっ」
とのこと。
もし受付に間に合ってくじを引けても走れる人は
赤いくじに当たった108名、青いくじに当たった108名だけで、
門の前にまず赤いくじ1番を引いた人から順番に並び、
その後ろに青いくじの108名が並ぶとか。
「まずは赤!赤をひくことが目標ですわ!」とSさん。
うんうん!
「でも赤の一番くじを引いたからと言って門の端から並ぶので1番優位かというとそうでもなく、
やっぱり真ん中位がベストポジションみたいですわ。未知の世界やから知らんけど」とSさん溜息。
..うんうん。
ちなみに赤いくじに当たった人はその後注意事項など説明を受け解散後4時に集合、
青いくじに当たった人は3時に集合、で、実際の福男選びは午前6時から始まります。
..。
走るまで長っ!
「でも知ってます?一番福になった人ってその年結構不幸なめに遭うことが多いらしいですわ。
振られたり、不倫がばれたり、離婚したり、バイク盗まれたり、新車傷つけられたり。。」
なるほどっ。
なんだかわかる気がする。
だって一番福に到達するまでにどれほどの運を使ったことかっ!
「でも福男は自分が幸せになるのではなく周りに幸せをもたらすんだそうです!」
ほっほー!
「それでも走りますか?来年」と私。
「勿論走りますとも!」とすかさずSさん。
「不幸になるかもしれませんよ?」と言うと
「ええんですっ!まわりに福がくるなら!」とにっこり。
眩しいぜっ!その笑顔!
ちなみにSさん大阪マラソンにも挑んでいるらしく
今まで1回も当選したことがないそうです。
「今年も挑戦しますでーっ!」
おーっ!!
日本はまだまだ大丈夫。
貴方のような人がいる限り。