日記
仕事の質(その1)
とあるセミナー講師の方からお誘いを受けて、来週アシスタント講師として某企業の組織内研修に参加させていただく事になりました。
SE時代の仕事を評価いただきお声をかけて頂くのもとても嬉しく有難いのですが、
退職後挑んだキャリアコンサルタントという職業分野で同業者の方に評価いただく嬉しさは格別です。
有難い!
普段はユニクロの服とスニーカーで走り回っている私ですが、
せっかくなので、スーツと靴を新調する事にしました。
で、先日いそいそと阪神百貨店の私の好きなブランドの靴売り場へ。
店員さんに「スーツにあう靴を探している。」
と伝えると私の足元を一目見てすぐに
「お客様は普段23.5だけど、靴によっては23ですね」とおっしゃり。
ひえー、その通りなんですけどっ
で、好みの靴をフィッティングしほぼ決まったのですが、皮素材のスニーカーが眼に止まり試しに履いてみることに。
「紐を結ぶ前に手前から二つ目を締めて1番手前は締めずに結んでお履きください。」
とおっしゃっるので片方だけその通りにして、もう一方を普段通り結んで歩いたら、履き心地が全然違うのです!
「少しの事ですが、足の疲れ具合が全然違いますよ」とのこと。
私の足は二つ目を締めると良いらしいのですが、足の形と靴の種類によっては締める場所が違うのだそうで、
「この靴は踵の皮が硬いので2つ目ですが、違う靴だとまた違ってきます」との事。
きゃー!プロフェッショナル!
こんな接客、一朝一夕に出来る訳がなく、
長い間の接客経験、そして長い時間をかけてご自分の仕事に関する知識を身につけてこられたからこそ出来ることだと思います。
もう私は嬉しくて、靴のお手入れの仕方などしっかりお聞きして結局スーツ用の靴とスニーカーの2足を購入してしまいましたσ(^_^;)
ここぞ!という買い物をする時は
私はよく百貨店を利用します。
それは例えば傘ひとつにしても、
どんな傘がほしいのかを伝えると、
私がどんな服を普段着るのか?
とか、顔写りはどうか?
とか。傘選びに必要な事を接客の中で教えてくれるから。
(勿論専門店に行けばより上質の接客が受けられるかも知れませんが、選択肢が狭くなるので^^;)
百貨店は長年培われた接客技術がシステム化され教育されているので、
どの店員さんに対応いただいてもサービスの質が保たれているという安心感がありますよね。
「行く川の水は絶えずして、しかももとの水にあらず」で、
長く続く企業は同じ顔をしているように見えても、何代も世代交代をし、働く人は変わっているわけですが、
その中で上手く新陳代謝出来ている企業、
大切に守るべきものは守りつつ、時代の流れを見極め変えるべきところは変えていく企業が生き残っていくことは歴史が証明しています。
今回スーツも、若い時に憧れていたブランドで新調しました。
店員さんが私に合ったものを色々見繕ってくれたのですが
「このスーツに使われている生地は創業以来大切にしているもので、糸から丁寧に作っているもので。。」
などと各々の商品の特徴とお勧めポイントを一生懸命説明してくださり、ご自分が売っている商品に誇りを持っている事がひしひしと伝わってきました。
説明している彼女の顔もキラキラしています。
自分が働いている会社のブランドが大好きなんだなあ。
様々な年代が参加したあるセミナーで
「働く上で一番大切なモチベーションは何か?」という問いに
「お金!」と答えた人は圧倒的に20代の若者が多く驚いたことがあります。
確かにお金は大切なんだけど。
私にとっては「承認欲求が満たされること」な気がします。
そういう意味では金銭報酬が高くなることもひとつの承認欲求が満たされることですね。
昇進昇格もそうですよね。
今回私が体験した靴売り場では
靴に関してお客様に役立つ情報を伝える→
喜ばれた!靴も売れた!(自分が承認された!)
ということが起こっており
結果、「モチベーションが上がりより質の高い仕事をするために努力する。」
というようにきっとよい循環が続いていくに違いありません!
カウンセリングでよく聴くのが
「私はこれだけ能力があるのに正当な評価を与えられていない。
私の能力はこの会社にはもったいない」
ということです。
そのように相談される方はほとんど、上司や同僚からの評価の低い方々です。
評価が低いので勿論自分の承認欲求が満たされず、
そのような発言になるのですが
ではどうすれば彼らのモチベーションを仕事の質を向上させることができるのでしょうか?
続きは次週、「仕事の質(その2)」をお楽しみに!
自由と責任
明日成人の日ですね。
成人の皆様おめでとうございます。
2022年4月から18歳以上が成人になったのですね。
18歳かあ。
高校卒業して社会に出る人、進学する人、丁度人生のひとつの節目を迎える歳ですね。
私には遠い昔の話ですが18歳というと、
ガチガチに管理されていた女子高からとても自由な大学に入学したての頃で
今思うとまったく子供で不安定だったなあと思います。
ですが、振り返ると今の私の礎を築いてくれた大切な時期だったと思います。
大学入学したてのオリエンテーションで学部の教授が色々話をしてくださった中で
今でも覚えているのが
「自由であることは責任を伴うこと」
という言葉です。
「私達には選択の自由があり、これから貴方たちは数えられないほどの選択をすることになる。
その選択は貴方自身が望んで選んだものなのだから、そのことに責任を持たなければいけない」
みたいなお話をされたように記憶しています。
同回生(大学では何年生ではなく何回生というも当時の私にはカルチャーショックでしたがこの呼び方は関西だけのようで)はみんな優秀で、ずっと劣等感の中過ごしていたような気がします。
優秀というのは学力だけではなく、ものの捉え方や思考、行動力や話し方、その人の持つ素養が私より数段優れている、というような感じでしょうか。
だからこそ大いに学び、色々な事を吸収できる絶好の機会で恵まれた環境だったのに
その頃はそのことに全く気付かず、色々な事に向き合えず逃げていたように思います。
それでも周りから受けた知的刺激はしっかりと私の中に根付き、社会に出てからの指針になっているように思います。
自由であることを謳歌した時期でもあり、その責任について一生懸命考えた時期でもありました。
社会に出て、組織の中で過ごしているうち、自分の価値観からすると「おかしいんじゃないの?」と思う事でも飲み込むようになり、いつの間にか考えることを忘れるようになっていったような気がします。
自由は責任を伴うけど、自分でコントロールが出来ない環境では自由はないですが責任は伴わず楽なんですよね。
なにかあれば自分以外の「誰かのせい」に出来るので。
最初はコントロールが出来ないことに抗って苦しいのですが、だんだん慣れてしまい楽な方に流れてしまうようになっていったように思います。
「これではいかん」と思いつつ安定している今の生活を捨てる勇気を持てず、
日々の忙しさの中にいつの間にか考えることをやめてしまっていました。
が、あるとき何故か「えいやっ!」と後先を考えず会社を辞めてしまいまして今日があります。
組織内開発について学ぶと「おかしいんじゃないの?」と思った時に行動を起こすと、
1人の行動から始まってもその企業の文化を変える好機になり得るので
「私なんかが行動を起こしてもなあ」と思わず行動を起こしていればとも思いますが
今は自由に色々な事を考え行動するのでとても私らしく生きているなあと思います。
私らしさって何だろう?と思われている方、
是非ご一報ください。
一緒に自分探しを始めましょう!
大学を卒業してすぐ、私は誰にも言わず、父にも言わず、母と住み慣れた故郷を離れました。
両親は離婚し、私はその後故郷に足を踏み入れたことはありません。
故郷は私にとっては孤独で辛い思い出が詰まった場所でした。
ですが、つい先日、ひょんなことから昔よく遊びに行っていた幼馴染のおうちが素晴らしい場所に生まれ変わっており、
その立役者が幼稚園時代から仲良くしてもらっていた幼馴染だと知りました。
ホームページに写っている彼女の写真を見た途端
懐かしさとともに彼女と遊んだ楽しい思い出がいっぱい蘇ってきました。
ああ、私は独りではなかったし、いっぱい笑っていたなあ。
小さいころから彼女は音楽を愛し、ピアノや声楽を頑張っていましたが初志貫徹して素晴らしい音楽家になっていました。
すごいなあ。彼女を誇りに思います。
敷居が高かった故郷ですが、懐かしい顔を見に久しぶりに訪ねてみようと今は思っています。
生まれ変わった幼馴染のおうちはこちらです。
HOME | 河野邸Kawanotei Art Gallery & Laboratoire 和泉市にあるアートギャラリー、ショップ
近くには久保惣記念美術館もありますので、興味のある方は是非お立ち寄りください。
私の自慢の幼馴染は佐古(旧姓河野)純子さん。
かわじゅん、辛い思い出しかなかった故郷を懐かしい故郷に変えてくれて ありがとう。
For the rest of your life.
新年明けましておめでとうございます。
今年も何卒宜しくお願い申し上げます。
お正月なので、未来のことを書こうと思います。
「未来のために」を英語で訳すと「For the future」ですが、
年齢のせいか私にとっては「For the rest of my life.」がしっくりきます。
「何のために生きているのかわからない」
「毎日が楽しくない」
「生きていても仕方がない」
カウンセリングに限らず、今までよく聴いてきた言葉です。
そして「自分が嫌いなんです」という言葉も。
未来は今日の続きで、今日は昨日からの続き。
「当たり前のことやん!」ですが、
恥ずかしながら私がこの事を私の中に落とし込めたのはついこのあいだです。
今日生きていくだけで精一杯という状況でも諦めずに愚直に頑張っていると
明日は変わらないかも知れないけど、
5年後、10年後に「あの時頑張ったから今がある」という時がきます。
「こないこともあるんじゃないの?」と思うかも知れませんが、
今日諦めてしまうと「あの時頑張ったから今がある」はまず来ない。
それでも、わかっていても頑張れないときがありますよね。
頑張れないほどの悲しみを抱えた人に、
頑張ってもどうしようもないことが立ちはだかっている人に「頑張れ」とは言えないですが、
生きている限り明日は必ず来ます。
当たり前の事だけど、そう思う事すら出来ない時もあるんですよね。
でも生きていれば明日は必ず来て、明日は笑えるかも知れない。
明日は笑えないかも知れないけれど
明後日は笑えるかも知れない。
生きていきましょうよ。
For the rest of my life.
これからどんなふうに生きていこうか?を考えるとき
あるドラマのワンシーンを思い出します。
結構前ですが「すいか」というテレビドラマがあって
街中で高校生位の男の子が、
歩いている同い年位の女の子に向かって
叫び声をあげてナイフを振りかざし走り寄るシーンがあって
それを見つけたともさかりえ扮する主人公の一人が止めに入るのですが、
その時に彼女はその男の子を抱きしめて
「人は刺すものじゃなく抱きしめるものなんだよ!」
と叫ぶんです。(かなり前のドラマなので実際とは違うところもあるかもしれませんがご容赦ください)
死ぬ前に自分の人生を振りかえった時
「いっぱい人を抱きしめたなあ」と言えるように生きていきたいと思います。
でもその前に自分自身を愛さなきゃ。
まずは欠点も失敗も何もかもひっくるめたまるごとの私を愛することから始めないとね。
まずは
Love Yourself!
2023年
全ての人にとって良い年になりますように。
イマジン
もうすぐ2022年が終わりますね。
今年の2月にロシアがウクライナに侵攻してもうすぐ1年になります。
今年は衝撃的な出来事が多かったですが、その多くを映像で見る事ができる時代となりました。
安倍元首相の映像も衝撃的でしたが、
私が一番心を動かされたのは、雪が降る中戦地に向かう20歳位のウクライナの軍服姿の若者と見送りに来たお母さんとの無言の別れのシーンでした。
戦地に向かうバスの窓からお母さんを見つめる息子とお母さんの距離はそれほど近くないのです。
お母さんは駆け寄る事もしませんが、
そして泣き崩れもしませんが、
これが今生の別れになるかも知れない
じっとお互いを見つめる二人の眼に、
覚悟と行き場のない悲しみが滲み出ているようでした。
バスが去ってからもお母さんは立ち去ろうとせず
ぽつんと佇んでいました。
その姿がなんとも。。泣けて泣けて。
これが戦争なんだと思いました。
ウクライナへの侵攻が始まった頃
あちこちでウクライナ支援のための募金活動が行われていて、その時によく流れていたのがジョンレノンのイマジンでした。
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
Nothing to kill or die for
And no religion too
Imagine all the people
Living life in peace
You may say I’m a dreamer
But I’m not the only one
I hope some day you’ll join us
And the world will be as one
想像してみて国なんて存在しないって。
ジョンレノンは
難しい事じゃないでしょ?
と歌っているけど
そこに彼の切実な思いが詰まっているよなぁ
なんて思って
街中に響くイマジンを聴きながら
何故か涙が止まらなくなって困った事を思い出します。
当たり前のように平穏に過ごしていた日常が
突然失われる事があり、
それがどんなに理不尽なことでも
それは起こり得る事なんだと
思い知った1年でありました。
来年のことを言うと鬼が笑うというけれど、
来年みんなで温泉行こう!とか、
せっかくだから海外に行こう!とか。
そんな話ができるって
とても幸せな事なんだなあ。
良い年をお迎えください。
痛みを聴くこと
皆様、メリークリスマス🎄
如何お過ごしですか?
今週火曜日夕方、心斎橋を歩いていたら
エルメスブティックに若い男女の行列が出来ていました。
御堂筋のイルミネーションも綺麗で
コロナ前と変わらぬ光景に感慨深く。
頼もしいぜっ若者よっ!
カウンセリングをしていると
痛みの受け止め方に悩むことがあります。
この夏に私腸閉塞で救急車で運ばれたのですが、
救急隊員の方から始まり退院までに幾度となく聞かれたのは「今の痛みは10段階でいうとどの位?」
でした。
手術を受ける前は「10です!10!こんな痛み初めてです!」を連呼し、
心の中では「あんたの10と私の10は違うんちゃうん!意味あるん?いたたたっ」と叫んでおりました。
容態が落ち着いて、看護師の方と痛みの話をしていた時
「そうなんですよね。患者さんが痛い痛い言うけど、自分はその病気に罹ったことないから、その痛みがどんなものかわからないんですよね。」とぽつりとおっしゃいまして。
痛みに限らず人によって基準は違うから、
例えばもうすぐ着きます!
を10分後に着きます!
と数字を使うと話手聞き手の基準は統一されるわけで。
私の場合、「10です!10!」を連呼していたら、
「今まで経験した事の無い痛みなんやろな、きっと」
の判断にはなりますもんね。
カウンセリングで最初は無表情で話していらっしゃる方が、何かの言葉をきっかけに感情が湧き出るように、激しく泣かれる事があります。
それまでは感覚が麻痺していたけど、
とても痛かった事に気づいた
そんな感じです。
でも痛みの因は何処にあるのか。
なんとなくはわかるけど、確かじゃない。
どの位の痛みなのか。
耐えられないほどの痛みなのか。
あなたにとって耐えられない痛みはどの位の痛みなのか。
わからない。
数字で測れるものではない。
だからこそ聴く。一生懸命傾聴する。
共感する。受容する
協働作業をする。
養成講座で学んだカウンセリングの基本中の基本が今更ながらとても響いています。
共に考えましょう。
一生懸命考えましょう。
(誰に言うてるねん(-_-))
よい週末をお過ごしください。
(パエリア頑張りましたっ映え写真が撮れず恐縮です)