日記
私達はグローバルな世界に生きている(追記)
前回投稿した「私達はグローバルな世界に生きている」で伝えたいことが見事に集約された動画を見つけたので僭越ながらご紹介いたします。
(話題になったのでご覧になったかたもいらっしゃるかと思いますが)
「とにかく明るい安村」がイギリスのTV番組「ゴットタレント」に出演したときの映像です。
(35) 【和訳と英語字幕付き】とにかく明るい安村:審査員の興奮が止まらない!#とにかく明るい #安村 #bgt - YouTube
やる気が出ないときに是非ご覧になってください!
私達はグローバルな世界に生きている
今日11時ごろグランフロント大阪2階南館から北館を通り抜けたのですが
入り口のエスカレータ前に行列ができていて警備員が誘導しているほどだったので
受付の方に「なにかのイベントですかっ?!」
と尋ねたところ、「あ、いえ、11時開館なので、並んでいた開館待ちの方が一斉にいらっしゃるので。。最近土日はいつもこんな感じです。」とのこと!
ほんと誰か有名人のイベントでもあるのかっと思うほどの混雑ぶりでした。
コロナ前の活気が戻ってきましたー!!。
今日は美容室に行ったのですが、
観光で来られる海外の方がいらっしゃることがコロナ前と同じ位に増えてきたそうで、
「韓国や中国の方が多いんですが、今日は西洋の方がいらっしゃったんですよー。」
とのこと。
「会話はどうするのっ?!」と聞いたところ、
「翻訳機に頑張ってもらいます!」とのこと(あ、なるほど。便利な世の中になったものです)。
その西洋の人を接客した美容師さんがたまたま私のサブ担当に入ってくれたのですが、
「いやあ、セレブでしたよーっ。すんごく綺麗な人でした!」とのこと。
「えっなんでセレブとわかったの?」と聞くと
「アメックスのプラチナカードだったんですわ。めっちゃ重かったすわーっ」
「きゃーっ!!」と私。
「ヘアケア商品を「あれもこれもお願い!」ってびっくりする位買っていかれましたわーっ」
(この美容室のヘアケア商品、100mlで約1万円なんて商品がずらっと並んでいるのです)
「ひゃーっセレブやね!!!」(セレブとは)
大変失礼いたしました。
アメックスのプラチナカードはメタル製でかなり重いということを
お陰様でこの年にして知ることが出来た私。
なんでもその店を利用した方のヘアースタイルを見て、「日本に行ったらその美容室でカットしてくるっ」という方が来店されるらしく評判が評判を呼び、特にホテル近くにある店舗は海外の方でえらい繁盛しているとのこと。
その美容室は着実に業績を伸ばし、浮き沈みの激しい業界にあって店舗をどんどん増やしこの5月には件の「グランフロント大阪」に出店されるそうで。
私の好きな言葉の一つに「チャンスは掴むもの。でもそのチャンスが来たときに掴める自分でいないとチャンスは逃げる。」があるのですが、まさにチャンスを掴めるかどうかは、本当に自分が得たいチャンスをものにするために、毎日どう生きているかなのだと思います。
もし今砂をかむような生活だったとしても、諦めずに自己研鑽を重ねていくと「あのとき諦めなかったから今の自分があるんだ」と思う時がきっと来る。
私達はグローバルな世界に生きている。
世界の誰かが、何かをきっかけに貴方を知って、認めてくれて、友人に語り、世界に広がる。
その可能性は確実にある時代なのです。
人間万事塞翁が馬
今日、たまたま堺市立総合医療センターの前を通ったら法被姿の若者がうろうろしていて、
「今日だんじり祭りなのっ???春にっ???」と頭の中が?でいっぱいになっていたのですが、
補修後のお披露目で今日引き回しがあり、
横倒しになる事故があったのですね。
11人負傷で3人が重傷だとか。
例年30~50人程度で引くところ、今回はお披露目ということもあり他からの応援もあり100名程度で引いてたとかで、
交差点で曲がり切らずバランスを崩して倒れたの事でした。
こんな時、「いつもより倍以上の人数で引くって、最初から無理やと思ってたんや!」と後だしジャンケンのようにおっしゃる方がでてくることが多いのですが(今回はいらっしゃらないかもです、あくまでも一般論として)
無理やと思った時点できちんと意見しなはれー!!!
はあはあ。。失礼しました。(私、あとだしジャンケンがほんま嫌いなんです。すみません)
岸田首相の演説先での事件があり、黙秘している犯人は24歳の若者なのですね。
どんなことが語られるのかこれから明らかになっていくでしょうが、
安倍元首相を銃撃した山上被告に対する減刑署名は1万3千を超えているらしく、英雄視している人やファンレターを書く人もいるのだとか。
色々な思いが交錯し、やるせない思いです。
安倍さんもまさか自分の命が絶たれることになるとは数時間前まで夢にも思わなかったでしょうし、
本当にいつなにが起こるかわからないですね。。
このタイミングで私の話をするのは甚だ僭越ではございますが、
昨年7月のある朝、海鮮粥を呑気に食べていた私は、その数分後に痛みにのた打ち回り、数時間後には救急車で運ばれ腸閉塞の緊急手術をすることになるなんて、夢にも思いませんでしたもの。。
ほんまに人間、塞翁が馬。
幸不幸は予測がつきません。
手術後麻酔から覚めてベッドから天井を見ながらはたと気づきました。
「たまたま今回は運よく助かったけれども、もしあの時救急車を呼ばなかったら意識を失って腹膜炎になってそのまま死んでいたかも。。」
「自分でコントロールできるうちはいいけれども、認知症になったらどうするの?」
「動けなくなったらどうするの?」
いざという時の準備が何もできていないわ、私!
ということで、退院後「終活」について真剣に考え、勉強するようになったわけです。
いざというときにどこに連絡すればいいの?
誰も居ないところで意識がなくなった場合、どうやったら発見してもらえるかな?
終末医療はどうするの?相続は?死後整理は?お葬式やお墓は?
自分の意識がしっかりしているうちに、
リビングウィル(人生の最終段階における事前書)や死生観をきちんと伝えるためのエンディングノートを作っておかなければっ!
等々。知れば知る程、今から準備しておくべきことがでてきてそわそわします。
貴方はいかがですか?
「色々不安はあるけれども、何を準備したらよいのかわからないっ」
ということはありませんか?
そんな貴方のために安心できるネットワーク作りをしようと今色々準備しております。
またご案内しますので、
宜しくお願いいたします。
美しい雨
今日は雨。
20世紀を代表する指揮者の一人、フルトヴェングラーをご存知でしょうか?
ナチス政権下のドイツでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を長く務めてきた方です。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にはユダヤ人が数名いて、コンサートマスターもユダヤ人であったため、本来ならナチスの迫害対象でしたが、ヒトラーが彼の才能を高く評価していたため免れていました。
当初はナチスを批判し続けていましたが、締めつけがどんどん厳しくなり、ナチス主催の公式な場での演奏を拒み続けていた彼もついにはゲッペルズ主催のヒトラーの生誕前夜祭でベートーベン第九を指揮します。
その時の演奏は歴史に残る名演で「ヒトラーの第九」と呼ばれており、ネット検索すると演奏が聴けます(凄い時代になったものです)。
演奏の後、ゲッペルズが握手を求め応じた写真が全世界に広まり彼は親ナチスと印象づけられ、批判を浴び続けます。
その間海外の友人から何度も亡命を勧められるもドイツに留まり続けました。
彼が公職に留まる限りベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーは徴兵されない、聖域だったのです。
当時を振り返り語った彼の言葉です。
「亡命しようと思えばできただろう。そうすれば国外からナチスを批判することもできただろう。しかし、私の使命はドイツ音楽を生き延びさせることだと考えた。ドイツの演奏家達とドイツ人のためにドイツ音楽を演奏し続ける事。これを前にしては、演奏がナチスの宣伝に使われるという懸念は後退していった」
「あのような時期に立ち去ることは恥知らずな逃亡でした。所詮私はドイツ人なのです。およそ、ナチスのテロのもとで生きていかなければならなかったドイツ人ほどベートーヴェンによる自由と人間愛の福音を必要とし、待ち焦がれた人々はいなかったでしょう。
外国でどう考えられようと、私は自分がドイツ国民のためにした事を悔やんではいません。」
(NHK「映像の世紀」からお借りしました)
敗戦後「親ナチス」として裁判を受けています(無罪になりました)
坂本龍一。
憧れの人でした。
YMOを知った時の衝撃は忘れられません。
かっこいいなあ。日本にこんな人がいたんだ。
彼はあれほどの才能の持ち主でありながら、
日本在住当時様々なメディアで接している限り、変な驕りや衒いもない
純粋に音楽や文学、そして人をとても愛している人という印象でした。
だからこそ、晩年癌に苦しみながらも、脱原発や被災地支援など、様々な活動を続けてきたし、
断固して貫いている信念があったのだと思うのです。
著名な音楽家や小説家、芸術家は時として時代に利用され、翻弄されます。
彼の訃報を伝えるニュースがあふれる中、偶然観たテレビ番組でフルトヴェングラーが取り上げられていて、なんとも感慨深く思いました。
坂本龍一は多くの音楽を生み出しましたが、
映画「ラストエンペラー」の中の音楽は、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の生涯とその時代を映し出す中で当時の私の心を大きく揺さぶるものでした。
「ラストエンペラー」とフルトヴェングラーと坂本龍一。
私の中では妙にシンクロナイズされているのです。(坂本龍一は時代に翻弄された訳では無いのですが)
なぜ私達はこれほど芸術を必要とするのか。
音楽を聴いて、本を読んで、どうしてこれほど魂が揺さぶられ、感動するのか。
「芸術」と呼ばれる人が創り出すものに接することで、私は人として辛うじて生きていられるような気がするのです。
それが、今の私なりの答えとして漠然と思っています。
坂本龍一は絶対音感の持ち主で、世の中の騒音や雑音、多すぎる音に悩まされていたと聞いたことがあります。
その中で、彼はご自分の娘さんに「美雨」という名前をつけ、「Rain」という曲も作っています。
雨音は彼にとっては心地よい音だったのかも知れません。
静寂の中唯一の音、「雨の音」を聴きながら、大好きな本を読んでいる。
そんな彼が思い浮かびます。
美しい人でした。
桜花爛漫月朧
4月になりました。
進学したり進級したり、そして入社したりと、新しい時の始まりです。
この始まりの時に咲く桜を日本人はとても愛しますね。
先日大阪城公園に朝お花見にいきましたが、
見事な桜の下、海外からの観光客も多く朝から賑わっていました。
白無垢の花嫁、羽織袴の花婿が写真撮影していたり、
桜の下で笑顔が溢れ、良い時間でした。
春になると、当たり前のように桜が咲き、当たり前のようにお花見をする。
と思っていましたが、
綺麗に桜の花を咲かせるために精魂込めて手入れをされている人がいらっしゃって
健康でいるからこそ桜の下に歩いていけるのだということを
思うようになったのはいつからだったのか。
儚いからこそ愛おしいということを身に染みて思うようになったのはいつからだったのか。
京都の保津川下りで痛ましい事故がありましたね。
幼いころ体験しましたが、
急流でも上手く乗り切るプロフェッショナルな船頭さんに乗船していた誰しもが全幅の信頼を寄せていたように思います。
報道によるとライフジャケットの装着の仕方の説明もなく、
前につけていたり、後ろにつけていたりと各々が好きに着けていたと。
死亡した船頭さんのライフジャケットも膨らんでおらず用を成さず
また、電波環境の悪い中無線機の携帯もなかったとのこと。
なんでしょうか、このリスク管理は。
「当たり前のように安全」だと思っていることは
「当たり前のように安全でいられるよう日々努力する人が居るからこそ成り立っている」事を常に思い、まず疑うことから始める必要があるのかもしれません。
「当たり前」はないのではないかと。
そして、いつどんな災難が降りかかるかわからないので、いつ死んでもいいように、行きたいところに行き、逢いたい人に会い、と毎日を悔いなく過ごさなきゃね。
日日是好日。
無の境地に達すれば、どんなにいいことがあった日でも、どんなに災難に見舞われた日でも、どんなに悲惨なことがあった日でも違いはないだろうという禅僧の言葉が由来のようです。
であれば、来る日も来る日もよい日が続くのです。
「毎日を大切に、ありがたく生きていく」心構えを説いているのだとか。
そのように生きていければ良いのだけれども、
なかなか難しいものです。
今回のタイトル「桜花爛漫月朧」は、桜を見る度思い出す言葉です。
母校の応援団が歌う逍遥歌を遠い昔一度聞いたことがあるのですが、この一節が妙に心に残っていて、
ネットで検索すると歌を聴くことが出来、
熱いものが込み上げてきて、泣けました。
歳をとるということはこういうことなのかと思います。
写真では実際の半分くらいしか伝わらないなあ。