日記

2023-03-25 22:18:00

劣等感

いやあ、WBC!

感動をありがとう!!

映画のようでしたね。

でも映画にしたら出来すぎていて、逆に現実味がないのかも。

侍ジャパンのマインド、ほんともう!なんてすごいんだ!

どれだけの人を勇気づけたことかっ!

 

アメリカ戦の前の大谷選手の言葉

「憧れてしまったら超えられないんで。僕らは今日、超えるためにトップになるために来たんで。。」 

この言葉を聞いた少年野球選手が

「僕は憧れるのはただなので、いっぱい憧れて頑張ってきたけど、憧れたらその人を超えられないんだなって気づきました。」

とテレビ番組で言っていて、とても感動しました。

  

大谷選手のプレーを真近でみた山川選手が「マジで野球辞めたいっす」と言っていましたが

生きていく中で色々な人と出会い、勉強や仕事やスポーツや容姿や。。

色々な局面で「どうころんでもこの人には叶わないなあ」と思ったり

「私ってなんて劣っているのだろう」と劣等感に打ちひしがれること。

ありますよね。。

それこそその人に素直に憧れ、その人をロールモデルにして頑張ればよいのですが

嫉妬して僻んだり、自分のそんな醜い感情に自己嫌悪に陥ったり。

前回お話したアドラーは

「人間であるということは劣等感を持っているということである」と言っています。

完璧な人間などこの世にはいないし、「劣等感」は主観的なもので、

どんなに優秀に見える人でも劣等感はある。

例えば「勉強ができない」とか「鼻が丸い」(私?)とか「家が貧乏」とかいう事実があったとしても、

それを劣っていると思えば「劣等感」になるし、思わなければ「劣等感」にならないわけです。

 でも「劣等感」を抱くからこそ、人は成長できるのかもしれません。

「劣等感」を言い訳にして逃げなければ、諦めなければ、

「劣等感」をバネに想像以上の実力を発揮できて、

子供のころに抱いていた夢を叶えることができたり

「目標」を達成できるかも知れません。

間違いなく言えるのは

「どうせ私なんかが頑張っても無理」(劣等コンプレックス)と

「劣等感」を言い訳に諦めてしまうと夢は叶わないということです。

 

劣等コンプレックスの強い人は「自分はむしろ人より優れている」と俗にいう「マウントを取る」態度にでる人がいますが、これを「優越コンプレックス」とアドラーは定義しています。優越コンプレックスを持つ人は「自分が強く見えるような努力」をします。

 

思い当たる人いますか?

かつて私もそうだったような気がします。いや、そうだった。

 

まずは自分の持っている「劣等感」を認めて、それをバネに「強く見える」努力ではなく「夢を叶える」努力を始めなきゃ。

 

今更遅いよ!

と思われるでしょうか?

でも人生は一度きり。悔いのない人生を送りたいのです。

 

 

2023-03-19 16:40:00

自分の意思で選択する

気が付いたら3月も半ばを過ぎ、もう下旬に突入しますで!

びっくりです!

 

イトーヨーカドーで礼服20%OFFになっていたので

最近体型が益々成長期にある私、いざという時にもしやえらいことになるのでは?

と思い覗いてきました。

色々試着したところ2サイズアップしていることがわかり

おばちゃん、ショーック!!!

スーパーの試着室は一瞬にして「現実」の厳しさを私に教えてくれました(T-T)

自分自身の本当の姿は自分だけではわからないもの。

1人で鏡を見るだけではなかなか気づかず、となりに誰かが居るとその人と比較したり、

服のサイズのような断固たる基準のあるものと比較することで自分を知ることが出来るのですね(←)。 

 

はるか昔大学の教養学部時代に心理学を履修したのですが、

教材は「フロイト精神分析物語」で、その頃心理学と言えばフロイト、もしくはユングの研究者が圧倒的に多かったと思います。

心理学に興味がない方でもフロイトやユングの名前はご存知だと思います。

が、最近本屋の心理学コーナーに行くとアドラーに関する著書が圧倒的に多く、

フロイトやユングに関する著書はなかなかお目にかからなくなりました。

 

まさにアドラー心理学は「現代の心理学」ですが、実際には彼はフロイトやユングと同じ時代に生きた人なのです。

 

そのことに驚愕します。

 

フロイトは「感情や行動は過去の原因から生み出される。」(原因論)と言っています。

これに対しアドラーは「感情や行動は目的を達成するために生み出される。(つまり、人は目的により行動を自分で決めている。)」(目的論)

と言っています。

 これだけの言葉でも目的論は

「未来の目的のために行動を自分を決めているのだから、自分の意思で自分を変えることが出来る。」

というポジティブな考え方であることがわかります。

「過去を変えることはできないじゃん。

でもね、自分の意思で目的は変えられるんだよ!未来は変えられるんだよ!

選びなおせばいいんだよ!」

 

なんと当たり前のことを言っているのでしょう。

 

でも、この当たり前のことがとても大切な事なのだと多くの人が気付いているからこそ、これほどアドラーが今愛されているのかも知れません。

 

彼は多くの言葉を残していますが、その一つをご紹介します。

 

健全な人は、相手を変えようとせず自分がかわる。

不健全な人は、相手を操作し、変えようとする。

(「アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる100の言葉」(小倉広著)からお借りしました))

 

 これは対話型組織開発を学ぶ中で、私が影響を受けた言葉の1つです。

何か問題が発生した際、仕事でも家庭でも原因論的な考え方で行くと

「何が悪かったのか?」から「誰が悪かったのか?」に移行した結果、関係の質の悪化に繋がりがちです。

それより「今、自分にできること」を考え、問題の解決(目的)に労力を費やす方がはるかに生産的です。

例え明らかに誰かに非があったとしても、「今、自分にできること」を考える。

もし相手に気づいてほしいことがあれば、気づかない相手を責めるのではなく自分の伝え方を変える努力をする。

相手の悪口を言い、自分が被害者だと考え自分では行動を起こさない人と

もしかすると今は差を感じないかもしれませんが、

5年後、10年後、どちらが幸せな日々を送っているかは明らかだと思います。

(自らの人生を振り返りしみじみ実感します。あ、私は相手の悪口を言い、自らは行動を起こさなかった方です。)

 

原因論と目的論、どちらが良い悪いはありません。

各々特性があり、原因論は問題解決のための「分析」にとても適しているし、

目的論は「目標達成」のためにとても有効です。

 

「遺伝や育った環境は単なる材料でしかない。

その材料を使って住みにくい家を建てるか、住みやすい家を建てるかは、あなた自身が決めればいい」

(アルフレッド・アドラー)

 

あ、人に何かを伝えたいときにどうやって伝えたらいいの?

と悩まれている方、弊社コミュニケーションスキル向上セミナー「ラベリング」、お薦めです!

 

ところで私の現象「2サイズアップ」ですが、原因論でいくと、

「食べ過ぎ」「運動不足」だったから

「太った」

目的論で行くと

「太っても良いぜっ美味しいものを好きに食べて嫌いな運動するよりは、楽しく楽に生きる!」という目的があってそれに基づき行動してるから。。。

あ、なるほど。

これを「痩せて格好良くなりたい!メタボになって健康を害する前に何とかしたい!」という目的のために行動すれば良いのか!

 

わかっているのよ。

2023-03-12 15:10:00

報道の自由と重み

前回の「捉え方の背景にあるもの」で人各々基準が違うというお話をしましたが、

基準が違うことを考慮したコミュケーションのとり方を

弊社コミュニケーションセミナー「ラベリング」でたっぷり実習しますので

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12年前の3月11日は東日本大震災が発生した日であり、多くのメディアで報道特集が組まれていたので

当時の映像を再度目にした方も多かったと思います。

 

大切な人を失うと

時間とともにその人を思い泣く時間は日々の営みの中でだんだん減っていくけれども

心にぽっかり穴が開いたような喪失感は何年たっても埋まらず

ふとした時に思い出すと、なんとも言えない悲しみに圧し潰されそうになるということはありませんか?

慟哭のような悲しみは薄れていくけれども、心に負った深い喪失感は本当に癒えないなあと思います。

安否が確認できない家族がいらっしゃる場合、心の置き場所が定まらず、本当に辛いことだと思います。

震災は過去のものではなく、まだまだ復興途中ですね。

 

流れている当時の映像を正視できない方もいらっしゃったのではと思います。

 

実際当時の映像にはお亡くなりなった方の映像も沢山あったそうですが、

遺族の方の心情を考慮し一切報道しなかったと聞きました。

これに対し、今回の震災被害を正確に報道したことにはならず、

どれだけ悲惨な被害を人類に齎したのかを後世に正確に伝えるためにも

報道自粛はするべきではないという意見もあったようです。

 

今、放送法の政治的公平性が話題になっていますが、メディアの中でテレビの比重がどんどん少なくなっていく今の時代の論点としてどうなのか?と思います(あくまで私の個人的意見です)。

が、報道により本来私達が知るべき「事実」が簡単に捻じ曲げられることも事実で、

その監督を総務省が担っている日本においては時の政権に都合の良い報道がなされる可能性を拭い去れない

ことは大きな問題だと思います。

ロシアのウクライナ侵攻の中、

ウクライナがロシア国内を攻撃したときインタビューを受けたロシアの住民が

「ウクライナは自国が攻撃されることがどんなに酷いことなのか知るべき!

一度攻撃されてみるとわかるわよ!どんなに酷いことなのか!」

と話していてぞっとしました。

 

「事実」はひとつなのですが、「真実」は時の権力者や時代背景、受け手の捉え方によって違ってきて

目の前にある事実には何の意味も持ちませんが、真実はその人の捉え方によって意味づけがなされますよね。

人は同じ事実を目の当たりにしても見たいものだけを見るので、

その人にとっての真実はその人から語ってもらわないと分からない

ですよね。

で、「事実」がある権力者によって都合がよいように捻じ曲げられていて

そのことに気づかないとしたら。

簡単にコントロールされていますよね。

そういうことは平然と繰り返されていることは歴史が証明しているし、

結構身近でも「フェイクニュース」のように巷に溢れています。

こう考えてくると時の権力者の縛りをいけない「報道の自由」は本来あるべき姿だけど、

フェイクに踊らされないようにするためには

正しい規制は必要とも思います。

 

新型コロナの感染者が各県で確認され始めた時、

岡山県で初めて感染者となった女性が報道により苦しめられ、自殺したそうです。

メディアの力は人を幸せにもするし、殺しもする。

 

本当は今日、対話型組織開発の背景理論にあるアドラーの目的論の話をしたかったのですが

昨日東日本大震災の当時の映像を改めて目の当たりにし、

心がざわざわしていたのでこのような内容になってしまいました。

 

次回、本屋さんの心理学書コーナーで平積みされているほど人気の「自己啓発の父」アドラーの目的論についてお話したいと思っております。

宜しくお願いいたします。

 

 

 

 

2023-03-05 20:57:00

捉え方の背景にあるもの

春が近づいてきましたが、

三寒四温、温度差に体調を崩しやすい時期です。

くれぐれもご自愛ください。

 

アメリカの俳優ウィル・スミスが昨年のアカデミー賞授賞式で、

同席していた妻であるジェイダ・ピンケット・スミスの丸刈り姿を茶化したコメディアンを平手打ちにした事件をご存知でしょうか?

ジェイダが丸刈りにしているのは脱毛症のためで公表されていたそうです。

ウィル・スミスは罰として今後10年間アカデミー賞に関わる全てのイベントや番組に出席できなくなりましたが、

この時の日米の反応の違いが興味深いものでした。

勿論暴力をふるったことに対して容認できることではありませんが、

貴方はウィル・スミスのとった行動をどう思われますか?

日本のSNSでは

「奥さんを守ってかっこいい」「男はこうじゃなくっちゃ!」

等とウィルに対し好意的なコメントが少なくなかったようです。

ですが、アメリカではウィルに対し否定的なコメントが多く、

その中に

「なんでジェイダが茶化されたことに対し、ウィルが対応してしまったのか?

ジェイダの人格を軽んじている」というコメントも少なからずあったようです。

ジェイダが自分の意思を示す機会を、ウィルが奪ったというわけです。

 

なんとっ!

このコメントを読んだとき私はもう、目から鱗でした。

 そんなこと1ミリも思いませんでしたもの。

それどころか「ウィル・スミス、素敵!」とすら思っていましたもの。

勿論暴力はあかんのです。

力で解決しようとする発想はとても恐ろしいことです。

でも「大切な人を守るために頑張った」彼はなんて素敵なんだろうと思っていましたもの。

 

で、この件をネットで色々検索してみると「有害な男らしさ」という言葉がでてきました。

ウィル・スミスのとった行動は、「男なら女を守るべき」という古い価値観にとらわれていて、

それは突き詰めていくと「俺の女に手を出すな!」のような「女は男に従属している存在」と言っているに等しい

というわけです。

 

なるほど。

でも、私は男とか女とか言う前に、

「大切な人が侮辱されていたら自分が侮辱されたように憤る」ことは愛がないとできないし、

そんな風に人を愛することができる人を羨ましくも思うのです。

 

こんな風に1つの出来事に対し、捉え方は様々ですよね。

それは自分の中に判断基準があって、

その基準は今まで生きてきた環境や、経験してきたこと、そして人種や性別や国籍等、様々なものが影響しあって作ってきたものなので、人と違って当たり前なのですが、そのことに気づかず自分の基準、価値観を押しつける人のなんと多いことか(〇コちゃんに叱られてください)。

勿論、人それぞれ意見があって、それを議論しあうことはとても建設的なことです。

 

が、忘れてはならないのは「人それぞれ基準や価値観は違う」ということです。

 

仕事の中で

例えば部下に「できるだけ早く〇〇さんにアポイントをとってほしい」と指示したとします。

ところが部下は10分経っても20分経っても〇〇さんに連絡を取った気配がありませんし、報告もありません。

業を煮やして「アポイントとれたの?」と部下に尋ねると、

部下は「できるだけ早くということでしたので、急ぎの仕事を片付けてからすぐに〇〇さんに連絡するつもりでした」

と言います。

むかむかむかっ

「できるだけ早くと言われたら、すぐに連絡するやろうっ普通!」なんて声を荒げてしまうかも知れません。

 

 でも指示するときに例えば「今から10分以内に〇〇さんにアポイントの連絡をしてくれ」と数字という共通の基準を使うとこんな風に余計なストレスを感じる必要はなくなりますよね。

 

貴方の「普通」は私の「普通」とは違うのです。

違って当たり前なのですが、

その背景にあるものはとても深い。

その背景にあるものをお互いに尊重できれば、もっと生きやすくなると思います。

 

2023-02-24 18:20:00

ワークライフシナジー

ワークライフバランスという言葉はかなり前から耳にされたことがあると思いますが、ワークライフシナジーはどうでしょうか?

 

そもそもワークライフシナジーとは?

 

はい、お察しの通り仕事だけではなく私生活も充実させることで、

私生活で得た経験や知識を仕事に活かすという相乗効果を生み出し、

組織にとっても個人にとっても良い結果をもたらす、というものです。

 

私のお話で恐縮ですが、

企業に入社したての頃はリゲインのCMのキャッチコピー「24時間戦いますか?」に代表されるように

とにかく猛烈に働くことを良しとする時代でした。

実際、その頃はよく会社に泊まり込んで仕事をする位猛烈に働いておりました。

 

CMソング、リンク貼っておきますね。

(1) 【CM 1989-91】三共 Regain 24時間戦えますか 30秒×7 - YouTube

しっかりバブルのころのCMだったんですね。

確かキャラクターの時任三郎モデルのリゲイン人形もあって、

手許にひとつあったはずなのにどこへ行ったのか。。

 

とにかく日本は元気がありました。

 

バブル崩壊した1991年以降に生まれた今まさに働き盛りの人達は

あのイケイケどんどん(死語?)の時代を知らず、

またスマホが大きく普及し始めたのが2007年ころなので

幼少のころから当たり前のようにスマホがある時代だったわけで、

そりゃ価値観違いすぎて当然。

ダイバーシティ の重要性をつくづく感じます。

 

と、話は逸れましたが、

当時私はこのCMに励まされてもいたし、当然のように受け入れていました。

今や、考えられないですね。

「働き方改革」という言葉が浸透して久しく、ここ数年で長時間労働や育児や介護のための休業制度も整備され、労働環境は著しく改善されたように思います。

ですが、私の場合その環境に意識がついていかず、

「猛烈に働くことが善」という気持ちがどこかにあって、

また、「働かないと仕事が追いつかない」という強迫観念のようなものがずっとありました。

完全にワーカホリックでした。

「朝5時に起きて会社に8時には入り、深夜残業ぎりぎりの22時まで働き、土日のうち1日は出社して仕事をしている」という状態でした。

 

人間の脳は起きてから14時間以降は眠る準備に入るためまともに機能しないらしく、

私は毎日3~4時間程度まともに機能しない頭で机に向かっていたわけで

とても効率の悪い働き方をしていたのですが、

当時の私はそれでも仕事が追いつかないので、とにかく出来る限り頑張るしかないという思いだけで過ごしていたように思います。

 

でも振り返ると休日は登山やロードバイクや趣味に没頭していたり、退勤後にジムに通っていたりという人もいて。

睡眠時間も「7時間以上は必ず寝る」とおっしゃる。

そういう人こそ仕事の評価が高く要職につかれていたという記憶があります。

 

まさに「ワークライフシナジー」です。

今は超過勤務時間に対する法規制だけではなく、勤務間インターバル制度(1日の勤務終了後翌日の出社までの間に一定時間以上の休息時間(インターバル)を設けることで、働く方の生活時間や睡眠時間を確保する)が努力義務になっていますね。

素晴らしい制度ですが、この制度が生まれた背景を充分理解して労働環境を整えてこその有効な制度だと思います。

形だけ取り入れると悲惨な結果になるので、様々な働き方をする社員一人一人の成長を支援するためのセミナー等、組織全体が自律した働き方が出来るような取り組みをしていく必要があります。

勤務間インターバルの間に、趣味や地域貢献、自己研鑽のための勉強、それこそ育児や介護に携わることで知識や技術力が向上しモチベーションがあがったり、社外の人と交流することで今まで思いつかなかったアイデアが生まれたり人脈が広がり営業力が向上したり。結果、企業、個人ともWin-Winな関係となり得るわけです。

例えばですが、育児をしながら家事をこなす方は決められた時間の中でやらねばならないことが盛りだくさんなのでタイムマネジメントのスキルがとてつもなく高い。

朝起きて洗濯して朝ごはん作ってお弁当作ってお子さんの支度をして、なんてことを限られた時間の中でやらないとまわらないので必然的にタイムマネジメント能力が身につきますよね。

これが仕事に活かされないわけがありません。

 

「ワークライフシナジー」

これからの時代、とても重要です。