日記
前を向くために(その3)
前回、ストレス反応のお話で終わっておりました。
新たに組織(学校でも、職場でも)に加わった当初は
色々なところに目が行き、色々な事を感じるかと思います。
それぞれの組織には「文化」「風土」があり。
それは自宅ではないお宅に招かれた場合、
そのお宅独特の匂いを感じるのだけれども、
しばらくするとその匂いになれて
いつのまにか違和感を感じなくなるように
最初は感じていた違和感もだんだん感じなくなり
馴染んでくる。
私達が例えば温暖な環境から砂漠へと移動した場合、
最初はとても辛く死ぬ思いをするものの
1週間ほどで
環境条件の変化を相殺する体内の調整が行われて、
新しい環境に自然に順応するからこそ
順応しなければ
本来は死んでしまうであろう環境での生存が可能となるそうで
人は環境に順応するからこそ生きていけるので
違和感を感じなくなるのは自然の摂理なのかもしれません。
そうすることで、
知らず知らずのうちに「ストレス反応」を緩和できている。
ですが、
組織においては
「違和感を感じた」ことが大切で
それが当たり前になる前に提言出来たら
それはとんでもない組織改革に繋がる可能性がありますよね。
私が以前勤めていた会社に入社したての頃
お昼休みに鳴る電話をとるのは
自席でお弁当を食べている「女子」で、
これは誰が決めたわけではなく
自席でお弁当を食べている「女子」が好意で行っており
電話が鳴ると急いでご飯を飲み込んで
進んで電話に出ていました。
「なんで当番を決めないの?」と思いましたが
「女子」達は「それが当たり前」と違和感なくやっておられるように見えたし
「おかしいと思っているのは私だけなのかな。」
「おかしいと思っている私がおかしいのかな。」
「新人の私が言ったら「生意気な女」と思われるかな」と思ったりで
結局誰にも言わずじまいでやり過ごしてしまいました。
「たかが電話」と思われるでしょうが
私は「好意」に甘える組織の有様や
「女子」がとることが当たり前になっていることに
腹が立って仕方なかったのです。
にもかかわらず、
何もアクションを起こせなかった。
いや、起こさなかったわけです。
その後も「自分がどう思うか」ではなく
「周りの人がどう思うか」を優先した私は
「自分の価値観で考える」ことを
忘れていきました。
あの時「私はおかしいと思います」と言えていても
状況は変わらなかったかもしれませんが
言えた私は「ありたい自分」の姿だったわけで
大袈裟ですが
その後の私の生き方は大いに変わっていたのではないかと
思うのです。
もしかすると「風通しが悪い」「言っても仕方がない」
と思っていた組織は
実は「話せばわかる」「柔軟性のある」組織であったのかもしれず
それは実際に声をあげてみないと分からないですね。
次週このシリーズ最終回です。
(の予定です)
もう少しお付き合いくださいませ。
「前を向く」ために(その2)
3連休如何お過ごしですか?
私は確定申告やら仕事やらであっぷあっぷしております>_<
そんな中でも今話題のケーキをがっちり購入するために大混雑のデパ地下に出向く私。
はい、あほですっ!
戦利品のケーキがこれですっ!
下にお皿がなかったら勘違いしそうな籠型ケーキで、
がばっと割るとこんな感じで、
座布団型やミトン型ケーキを販売している「マサヒコオズミパリ」の
「チーズケーキシトロン京檸檬」(1個901円也)というケーキで
ついこのあいだまで阪急百貨店本店でおひとり様1個限りで予約販売していたのですが、
今は予定個数に達したため予約販売していないらしいです。
「形が珍しいだけで901円てっ!高っ!」
と思っていた私ですが、これがっ!かなりの美味で、うんまいっ!
ええ仕事してはるんですわ。
ちなみにボタンは抹茶味のチョコレートで、持ち手はタルト生地のような食感。
3Dプリンタを駆使する関西大学建築学科出身マサヒコオズミシェフ。
世の中になかったものを生み出したマサヒコオズミシェフ。
こういう才能ある方を知るだけで、私自身のモチベーションがかなりあがります。
なぜ?
反対に
「あんな風になりたくない。」と思う人に接すると気分が悪くなり、関わりたくないと思う。
なぜ?
今回の本題は職場の中で「自分らしく」あることの話なのですが
まずは今週ストレスの話をちょこっとしたいと思います。
私達は家族や学校や職場で様々な人間関係の中、
様々なストレスを抱えて生きているわけですが
ストレスは
ストレッサーと呼ばれるストレスの原因(個人にとって負担となる出来事等)と
ストレス反応(ストレッサーによって引き起こされた反応)とが合わさった総称で、
ストレッサーに対し人は様々なストレス反応を起こします。
で、このストレス反応に大いに関係するのが
「闘争・逃走反応」(fight-or-flight response)で
これは動物が示す恐怖への反応で、
「危機的状況におかれた場合、戦うか逃げるか、身動きを止める方法で生き延びてきたため備わったと考えられている」
でも肝心なのは「この際通常は発揮できない力を発揮するので、
緊急時に使用しない内臓への血流が絞られたり判断力が低下するため、
ストレスを受け続けると心身に影響が出る」(byウィキペディア)ので
メンタルへルス不調につながるわけです。
動物だもの。
最初はストレッサーに対し一生懸命撥ねつけていても
徐々に力、気力がなくなり撥ねつける力がなくなりメンタル不調となる
というと実感がわくのではと思います。
心が目に見えたら良いのですが、
人の心はもとより自分の心の中にあるもの
「知らず知らずに溜まっていく自分の心にあるもの」にも
気づくことは難しく、ふとした時に気づき、愕然とする事、
ありませんか?
そしてそれは人を介してこそ気づきませんか?
(次週へつづく)
「前を向く」ために(その1)
以前お話したように
「キャリアオフィス YBTY」のYBTYは
You Blong To You.
の頭文字で
貴方の人生は貴方自身のもの、他の誰のものでもないんだよ。
という思いを込めてこの屋号を決めました。
そこには「ありたい自分」のまま生きてほしい。
貴方らしく生きてほしい。
という願いがあり、私自身にも問いかけている言葉です。
でも自分らしく「ありたい自分」のまま生きる事はとても難しいと思います。
だからこそ敢えて、です。
家庭の中で、学校で、職場で、地域活動の中で、ご近所づきあいの中で
「不本意ながら従わざるを得ない」という状況に陥ること、ありますよね。
特に会社勤めをしていると
大小の違いはあるものの
「不本意ながら従わざるを得ない」状況は常にあり、
でも「生活のため、家族のため、お金のため」我慢されている方は多くいらっしゃると思います。
もしかするとそのために「会社を守る」ことが最優先事項であり、使命であり、
そのためには「自分らしく」生きる事なんて二の次だと考えている方もいらっしゃるかと思います。
なぜかこの1週間、
アメリカの心理学者マズローの欲求5段階説を取り上げるメディアに触れる機会が多かったので
ここでちょっとご紹介します。
①~④までが欠乏欲求、⑤が成長欲求で、低階層の欲求がある程度満たされると、より高度な欲求を求めるとマズローは提唱しています。
マズローはのちに自己超越欲求を加え、利他的で精神的なものへの欲求を最も高次な欲求と提唱しています。
ただ、個人や社会や文化によって何が優先されるかは異なり、絶対的ではないという説明も添えられています。
堅苦しくなってしまいましたが、「ありたい自分」でいることは⑤の「自己実現」の欲求であり、
安全に生活でき、社会に参加できかつ承認欲求がある程度満たされてこそ求められる欲求と考えると
「そりゃ難しいわな」と実感できるのではないかと思います。
だって、水がなく食料もなくお金もなく家もなく、明日生き延びられるかどうかわからない
という状況の中では「まず生きていくこと」で精いっぱいで、
「ありたい自分とはどんな自分だろう」と内省する余裕はなく
就職先がなく食べることが出来ない時には
「「ありたい自分」が活かされる職場で働きたい」
ではなく
「どんな職場でも働けて収入を得られるだけで有難い」
になりますよね。
だから企業に雇用されている人は
「ここを辞めたらここより良い職場に就職できる保証はないし、たちまち安定を失うのは怖い」
が常に頭にあるのは当たり前です。
ですが、どんな環境でも自分を見失わない人はいらっしゃるし、自分を見失わない人は
「前を向いて」生きられますよね。
ということで、
次回は特に組織の中で自分を見失わないとはどういうことなのか?
を考えたいと思います。
もって生まれたもの
先日高校生のお嬢さんをもつお母さんと色々話をしたときに
お嬢さんが小さかった頃の話になり。
お嬢さんには物心ついたときから同じように成長してきた同い年の仲良しさんが居て。
その仲良しさんのご一家はお母さんが京大を出たりと優秀な方々なのだそうです。
同じように育ってきたはずが、「何もやっても」お嬢さんはその仲良しさんに「敵わず」
お母さんはなんとも辛かったそうです。
小学生になったお嬢さんは不登校となり、暫く学校にいけない日が続いたのだそうです。
(暫くして乗り越え登校するようになり、今は元気に高校生ライフを楽しんでいるようです)
その頃お母さんは悩み苦しんだのですが、
でも心の中には「これで〇〇ちゃんと比べられなくて済む」
というほっとした気持ちが正直あったと、
当時のことを思い涙ぐまれるのでした。
その頃のお嬢さんはどんな感じだったのか?
とお聴きすると
「あまり気にしていないように見えた」そうで、
仲良く一緒に遊んでいたそうです。
お母さんが感じていたコンプレックスは
お嬢さんはそれ程感じておらず
それよりも〇〇ちゃんと一緒に遊んだり、笑ったりすることが
楽しかったのかも知れません。
ですが、成長していく中で
「頑張っているのに選ばれるのは〇〇ちゃんばかり。なんで??」
と泣くこともあるかも知れません。
そうやって
悔しさを憶え
色々なコンプレックスを抱え
痛みを知っていくわけで。
ああ、この子もこれから私が経験してきたような痛みを抱えて生きていくのかと。
不憫に思うかもしれません。
でもね、「痛み」を知ることは
生きていく上でとても重要なことだということを
私達は知っていますよね。
そうやって作っていくお子さんの世界はお子さんのものであって
親のものではない。
「もって生まれたもの」は人それぞれ違うわけで、
自分が「もって生まれたもの」で勝負するしかないし、
その時その時にやるべきことをやっていくしかない。
そうやって「気づき」を増やしていくことが
人生の醍醐味ではないかと思います。
居心地の良い場所
3連休如何お過ごしでしたか?
以前話題にした「自分を表現することが苦手」な青年は
この4月に入社した会社を先週末に退職し
キャリアトランプを通じて色々楽しくお話して下さった素敵な女性も
別の道に進むべく今居られる場所から離れようとされています。
今までのように会えなくなるのは寂しい限りですが、
前に進むための決意です。
これからのお二人の幸せを願ってやみません。
かく言う私も数年前長年勤めていた会社を退職して
今の仕事を始めたのですが、
何故なのか?を改めて考えると
「私にとって居心地の良い場所」を常に探しているのではないか?
と思います。
同じ場所に居ても
ある人にとっては居心地はよく、ある人にとってはとても居心地が悪い。
あるいは、
今の場所はそこそこ居心地は良いのだけれども
もっと居心地がよい場所があるのではないかと思う。
だって人生は一度きりで、
「ああ、いい人生だったな」と思って終わりたいですもんね。
でも毎日のように不平不満を口にしながらその場所に留まる人も沢山いらっしゃる。
企業に勤めていると、
辞めてしまうとたちまち収入を、安定を失うわけですから、
それ程簡単にはいかないですよね。
私も被扶養者が居るうちは思いきれませんでした。
その場に留まるのは何故か?
少し考えてみてください。
もし貴方が企業にお勤めになっていて
「仕方なく」留まっているのだとしたら
何故「仕方なく」なのかを考えてみてください。
「別の場所に行きたいけれども、会社が私の事を必要としているしなあ。
今居なくなったら色々な人が困るからなあ、仕方ないなあ」
「完全に閑職に追いやられた。会社は辞めてほしいと思うけれど、ここで辞めたら行くところ無いしなあ。
8時間我慢したらお金貰えるし、仕方ないなあ」云々云々。
経営者側から見るとどうでしょうか?
「あいつはもまともに仕事できないのに文句ばっかり言って。
辞めてほしいけど人手不足で人材確保できるかどうか不安やし仕方ないなあ。」
「なんであいつはあんなに高圧的なんやろうか。大きな声で同僚に文句言うから職場の雰囲気悪いなあ。
でも仕事はできて貴重な労働力だから仕方ないなあ」云々云々。
「仕方なく」居るのは勿体ない。
「居心地が良いから」居る方が絶対良い。
「仕方なく」留まっているのなら
今居る場所を「居心地が良い」場所に変えることを考えてみるのも良いかと思います。
自分にとって居心地が良い場所とはどんな場所なのか?
私にとって居心地が良い場所は
「人として成長できる場所」で、
私にとって「人として成長できる場所」とは
「この人と接していると色々な良い刺激を受ける」人が居る場所で
「この仕事をしていると色々なことが学べる」仕事がある場所で
私にとって「良い刺激を受ける」とは。。
というように考えていくと、そのために私は今何をすればよいのか?
が見えてくるのではないかと思います。
そうして見えてきたものを実行するか否かは
貴方の価値観次第だと思います。
「実行するのは果てしない労力がいるし、上手く行くかどうかわからない。
費用対効果、いえ、労力対効果を考えると
それよりは違う居場所を探したほうが良いもあり」だと思うし、
「今の砂を噛むような生活から抜け出せるのなら試す価値はある。」もあり。
貴方のとっての正解は私にとっての正解とは限らない。
貴方が幸せだったらそれでいい。
「自分を表現することが苦手」な青年は、
私に手書きの手紙を残してくれました。
拙いながらも一生懸命考えて書いてくれたのが伝わる手紙で
寂しいながらもとても有難い気持ちになりました。
青年、家宝にするよ。
ありがとう。