日記

2024-03-03 22:30:00

耐えるに値するもの

大谷選手のご結婚、びっくりしましたなあ。

お相手とされている(巷の記事を信じるならば)のお写真などを拝見すると、

なるほど!と妙に納得した私。

WBCでの名言「憧れるのはやめましょう」や、

今回の結婚会見にしても

彼の言動に触れる度、

なんてまっとうに生きている人なんだと思います。

大谷翔平、かっこいいが過ぎます!

(て日本中が思ってるか)

 

はるか昔の話ですが、

大学でとある研究室の助手をしていた知り合いが、

しばらくアメリカの有名な大学教授のもとで1年ほど留学したことがあったのですが、

帰国したときにポツンと話したことが印象的で今でも覚えています。

「優秀な人が人格者だとは限らない」

その教授は周囲の人に対し、かなり独裁的で感情的だったようで

極東からきたアジア人である彼に対してはもはや「人間として」扱ってはくれず、

かなり屈辱的な日々だったようです。

それでも留学生活を全うしたのは、

 自分ではどうしようもない事で理不尽な扱いを受けてもなお、

耐えて留まるに値する何かがあったのでしょう。

その何かは

「自分が情熱を注いできた研究にとって確実にプラスになる」事だったのかもしれないし

「ここで成果を出さなければ研究者としてのキャリアアップは望めない」という思いだったのかもしれない。

何より「そんなつまらない奴に負けるような自分ではない」というプライドだったのかもしれない。

あるいはその全てが、

留まった理由だったのかもしれません。

「1年なんとか頑張ればよい」と先が見えていたことも大きいですよね。

 

留学中その教授に対してどんな気持ちでいたのか聞くと

「可哀そうな人だなあと思っていた」と涼しい顔で一言。

勿論腹の立つこともあったでしょうし、色々な思いをしてきたでしょうが、

その一言でやり過ごした彼に痺れました。

そして「成功する人はこういう人なんだ」

とも思っていました。

 

何でも日本の従業員は「世界一やる気がなく」

また年々「やる気度」が下がっていると最近いくつかのメディアで取り上げられていて

実際、アメリカのギャラップ社の調査では

仕事への熱意や職場への愛着を示す社員の割合は2022年で5%で、

調査した145ヵ国の中でイタリアと並び最低だったそうです。

テレビのインタビューでは

「実際の仕事量に見合った賃金を貰っていない」

「部下の作成した提案書を自分の名前に書きかえて

報告した上司が評価されているのを目の当たりにして「こういう人が出世する会社なんだ」と思ったとたんやる気が失せた」

「高卒で8年一生懸命やってきて課長補佐になったが、自分の給料が大卒の入社したての初任給と変わらないことを知った時に愕然とした」

等々、様々な理由が語られていましたが、

私には全ての人が言っている事は同じで

「頑張っても報われない」から「頑張っても仕方がない」のだと聞こえました。

 

だけど「留まっている」理由はなんでしょうか?

「会社を辞めた途端安定した収入がなくなり

次に安定した収入を得ることができるのか分からず不安。」

多くの方の一番の理由はこれに尽きるかと思います。

 

(次週につづく)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-02-25 22:15:00

前を向くために(その4)

前回私の新人時代のお話をしましたが、

何故おかしいと思ったことを言えなかったかというと

一番大きく心を占めていたのは

「どうせ言っても無駄」という気持ちだったと思います。

「電話をとるのは女の子の仕事」で

お昼休みは自席でお弁当を食べている「女の子」がとるのが当たり前という風土の会社で

(同じ所属で同じ職種であっても男性社員の社外の人に対する同僚の女性の固有名詞が「うちの女の子」という時代でもありました)

言ったところで「仕方がない」と思っていたわけです。

言ったところでまわりの共感を得られなければ仕方がない。

  

それからは違和感を感じつつも、日々の仕事に忙殺され、

いえ、仕事をしていると余計な事を考えずに済むのでむしろ仕事に没頭し、

 「考える」ことを止めていったように思います。

 

もし私が遠慮なく自分の考えを「主張」していたらまわりの先輩はどう見たでしょう?

 「仕事もろくに覚えていないくせに権利ばっかり主張して。」

 「扱いづらそう。こんな女苦手。」

「仕事ができるようになってから言え!」

 

なんて思う人もいるかも知れません。

 

 

もし貴方が当時の私の先輩や上司だったらどうでしょうか?

どう接しますか?

私の話を聴いて下さいますか?

今回の事例とは関係なく(時代も違いますし)

話を聴いてご自分の価値観と合わない場合、どうされますか?

 

ご自分の価値観は今まで貴方が生きてきた環境、時代や今まで経験したこと、

その中で色々感じてきた思いから培われたもので

私は私の価値観を持っていて、

例えば私の考え方や行動が

自分の価値観からは到底許し難いことや、理解しがたいことであった場合、

不快に思うし認めることはとても難しいですよね。

多様性の理解と言うけれども

人との違いを受け入れることは本当に難しいです。

 

 ですが、「人は違って当たり前」なのだから

「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をやみくもに否定せずしっかり聴くことが出来る人、

まわりに居ませんか?

そういう人の存在に気づくことができたら、

その人に自分の考えを話してみたら、その考えに率直に向き合ってくださるかもしれません。

そうして、どんどん息がしやすくなるかも。

 

そういう人がまわりに居ないと思うなら、

もう自分がやるっきゃない。

もう既に貴方自身が、そういう方なのかも知れません。

そうであれば、きっと周りの方は幸せだろうなあ。

 自分の話を聴いてくれる人が居るだけで、

どれだけ救われる事か。

そのことに、会社を辞めて独立して色々な人と接する中で

やっと気づくようになり、遅ればせながらようやく

「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をしっかり聴くことが

少しずつできるようになりました。

そうすると、私を取り巻く環境が少しずつ変化して、

世間が私に優しくなってきて、だんだんと息をするのが楽になってきましたもの。

 

遅すぎるって?

そうかもしれませんが、でも気づけてよかったと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-02-18 22:00:00

前を向くために(その3)

前回、ストレス反応のお話で終わっておりました。

 

新たに組織(学校でも、職場でも)に加わった当初は

色々なところに目が行き、色々な事を感じるかと思います。

それぞれの組織には「文化」「風土」があり。

それは自宅ではないお宅に招かれた場合、

そのお宅独特の匂いを感じるのだけれども、

しばらくするとその匂いになれて

いつのまにか違和感を感じなくなるように

最初は感じていた違和感もだんだん感じなくなり

馴染んでくる。

私達が例えば温暖な環境から砂漠へと移動した場合、

最初はとても辛く死ぬ思いをするものの

1週間ほどで

環境条件の変化を相殺する体内の調整が行われて、

新しい環境に自然に順応するからこそ

順応しなければ

本来は死んでしまうであろう環境での生存が可能となるそうで

人は環境に順応するからこそ生きていけるので

違和感を感じなくなるのは自然の摂理なのかもしれません。

そうすることで、

知らず知らずのうちに「ストレス反応」を緩和できている。

 

ですが、

組織においては

「違和感を感じた」ことが大切で

それが当たり前になる前に提言出来たら

それはとんでもない組織改革に繋がる可能性がありますよね。

 

私が以前勤めていた会社に入社したての頃

お昼休みに鳴る電話をとるのは

自席でお弁当を食べている「女子」で、

これは誰が決めたわけではなく

自席でお弁当を食べている「女子」が好意で行っており

電話が鳴ると急いでご飯を飲み込んで

進んで電話に出ていました。

「なんで当番を決めないの?」と思いましたが

「女子」達は「それが当たり前」と違和感なくやっておられるように見えたし

「おかしいと思っているのは私だけなのかな。」

「おかしいと思っている私がおかしいのかな。」

「新人の私が言ったら「生意気な女」と思われるかな」と思ったりで

結局誰にも言わずじまいでやり過ごしてしまいました。

 

「たかが電話」と思われるでしょうが

 私は「好意」に甘える組織の有様や

「女子」がとることが当たり前になっていることに

腹が立って仕方なかったのです。

にもかかわらず、

何もアクションを起こせなかった。

いや、起こさなかったわけです。

 

その後も「自分がどう思うか」ではなく

「周りの人がどう思うか」を優先した私は

「自分の価値観で考える」ことを

忘れていきました。

 

あの時「私はおかしいと思います」と言えていても

状況は変わらなかったかもしれませんが

言えた私は「ありたい自分」の姿だったわけで

大袈裟ですが

その後の私の生き方は大いに変わっていたのではないかと

思うのです。

 

もしかすると「風通しが悪い」「言っても仕方がない」

と思っていた組織は

実は「話せばわかる」「柔軟性のある」組織であったのかもしれず

それは実際に声をあげてみないと分からないですね。

次週このシリーズ最終回です。

(の予定です)

 

もう少しお付き合いくださいませ。

2024-02-11 22:08:00

「前を向く」ために(その2)

3連休如何お過ごしですか?

私は確定申告やら仕事やらであっぷあっぷしております>_<

そんな中でも今話題のケーキをがっちり購入するために大混雑のデパ地下に出向く私。

 

はい、あほですっ!

 

戦利品のケーキがこれですっ!

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下にお皿がなかったら勘違いしそうな籠型ケーキで、

がばっと割るとこんな感じで、

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座布団型やミトン型ケーキを販売している「マサヒコオズミパリ」の

「チーズケーキシトロン京檸檬」(1個901円也)というケーキで

ついこのあいだまで阪急百貨店本店でおひとり様1個限りで予約販売していたのですが、

今は予定個数に達したため予約販売していないらしいです。

 

「形が珍しいだけで901円てっ!高っ!」

と思っていた私ですが、これがっ!かなりの美味で、うんまいっ!

ええ仕事してはるんですわ。

ちなみにボタンは抹茶味のチョコレートで、持ち手はタルト生地のような食感。

3Dプリンタを駆使する関西大学建築学科出身マサヒコオズミシェフ。

世の中になかったものを生み出したマサヒコオズミシェフ。

こういう才能ある方を知るだけで、私自身のモチベーションがかなりあがります。

 

なぜ?

 

反対に

「あんな風になりたくない。」と思う人に接すると気分が悪くなり、関わりたくないと思う。

 

なぜ?

 

今回の本題は職場の中で「自分らしく」あることの話なのですが

まずは今週ストレスの話をちょこっとしたいと思います。

 

私達は家族や学校や職場で様々な人間関係の中、

様々なストレスを抱えて生きているわけですが

ストレスは

ストレッサーと呼ばれるストレスの原因(個人にとって負担となる出来事等)と

ストレス反応(ストレッサーによって引き起こされた反応)とが合わさった総称で、

ストレッサーに対し人は様々なストレス反応を起こします。

 

で、このストレス反応に大いに関係するのが

「闘争・逃走反応」(fight-or-flight response)

これは動物が示す恐怖への反応で、

「危機的状況におかれた場合、戦うか逃げるか、身動きを止める方法で生き延びてきたため備わったと考えられている」

でも肝心なのは「この際通常は発揮できない力を発揮するので、

緊急時に使用しない内臓への血流が絞られたり判断力が低下するため、

ストレスを受け続けると心身に影響が出る」(byウィキペディア)ので

メンタルへルス不調につながるわけです。

 

動物だもの。

 

最初はストレッサーに対し一生懸命撥ねつけていても

徐々に力、気力がなくなり撥ねつける力がなくなりメンタル不調となる

というと実感がわくのではと思います。

 

心が目に見えたら良いのですが、

人の心はもとより自分の心の中にあるもの

「知らず知らずに溜まっていく自分の心にあるもの」にも

気づくことは難しく、ふとした時に気づき、愕然とする事、

ありませんか?

そしてそれは人を介してこそ気づきませんか?

(次週へつづく)

2024-02-04 15:30:00

「前を向く」ために(その1)

以前お話したように

「キャリアオフィス YBTY」のYBTYは

You Blong To You.

の頭文字で

貴方の人生は貴方自身のもの、他の誰のものでもないんだよ。

という思いを込めてこの屋号を決めました。

そこには「ありたい自分」のまま生きてほしい。

貴方らしく生きてほしい。

という願いがあり、私自身にも問いかけている言葉です。

 

でも自分らしく「ありたい自分」のまま生きる事はとても難しいと思います。

だからこそ敢えて、です。

 

家庭の中で、学校で、職場で、地域活動の中で、ご近所づきあいの中で

「不本意ながら従わざるを得ない」という状況に陥ること、ありますよね。

特に会社勤めをしていると

大小の違いはあるものの

「不本意ながら従わざるを得ない」状況は常にあり、

でも「生活のため、家族のため、お金のため」我慢されている方は多くいらっしゃると思います。

もしかするとそのために「会社を守る」ことが最優先事項であり、使命であり、

そのためには「自分らしく」生きる事なんて二の次だと考えている方もいらっしゃるかと思います。

 

なぜかこの1週間、

アメリカの心理学者マズローの欲求5段階説を取り上げるメディアに触れる機会が多かったので 

ここでちょっとご紹介します。

マズロー.png

①~④までが欠乏欲求、⑤が成長欲求で、低階層の欲求がある程度満たされると、より高度な欲求を求めるとマズローは提唱しています。

マズローはのちに自己超越欲求を加え、利他的で精神的なものへの欲求を最も高次な欲求と提唱しています。

ただ、個人や社会や文化によって何が優先されるかは異なり、絶対的ではないという説明も添えられています。

 

 堅苦しくなってしまいましたが、「ありたい自分」でいることは⑤の「自己実現」の欲求であり、

安全に生活でき、社会に参加できかつ承認欲求がある程度満たされてこそ求められる欲求と考えると

「そりゃ難しいわな」と実感できるのではないかと思います。

だって、水がなく食料もなくお金もなく家もなく、明日生き延びられるかどうかわからない

という状況の中では「まず生きていくこと」で精いっぱいで、

「ありたい自分とはどんな自分だろう」と内省する余裕はなく

就職先がなく食べることが出来ない時には

「「ありたい自分」が活かされる職場で働きたい」

ではなく

「どんな職場でも働けて収入を得られるだけで有難い」

になりますよね。

だから企業に雇用されている人は

「ここを辞めたらここより良い職場に就職できる保証はないし、たちまち安定を失うのは怖い」

 が常に頭にあるのは当たり前です。

 

 ですが、どんな環境でも自分を見失わない人はいらっしゃるし、自分を見失わない人は

「前を向いて」生きられますよね。

 

 ということで、

次回は特に組織の中で自分を見失わないとはどういうことなのか?

を考えたいと思います。

 

 

 

 

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