日記
日本人の良いところ
先日、とあるお店の責任者と話していたら
「最近日本人の良いところがなくなっていくような気がします」
とおっしゃる。
その方はオーナーではなく、
数多くのお店のうちの大店2店舗を任されているのですが、
「何か問題が起こったら、幹部を集めてミーティングをするのですが、
営業時間中は難しくてどうしても営業終了後になるのですが、
一部の幹部から「その時間がもったいない」と言われます」
と。
「「店をよくするためには必要な事だと思うし、店をよくすることは貴方の幸せにつながるんだよ」と話しても
人によって受け止め方は様々で、
「なんでそんな受けとめ方するの?」と驚くことがあります。」
と。
「所謂「タイパが悪い」いうやつですね?」と私。
「そうなんですよ!「タイパが悪い」いうんです!そんな事をいうお前の時給いくらやねん!思いますわ!」
「みんなの時給あげるためには店を良くしていかなあかんねん!」と。
この話「最近よく電車が遅延する」という話がきっかけとなったのですが、
「「電車は遅延することもあるから、それを見込んで早く家を出る」ということを考えない従業員が増えた」という話になり、
「「私は定時に着くように家を出ているのに遅れたのは電車が遅延したせいなので仕方がない」言う事なんでしょうね」と。
「今は「電車は遅延することもあるから、それを見込んで早く家を出るもんやろう!」なんて言えませんものね」と私。
「特に新人の頃は、仕事を早く憶えたくて、誰よりも早く出勤したもんですけどね」と遠い目の店長。
「最近日本人の良いところがなくなっていくような気がします」はこの後に出た言葉でした。
勿論、この話は店長の現状の捉え方であって、「タイパが悪い」「定時ぎりぎりに出勤する」従業員の話を聴くと、
また違った捉え方を聴くことになると思います。
「事実はひとーつ!」ですが、「真実はひとーつ!!」ではなく捉え方によって様々です。
ですが、私も最近店長と同じように感じる場面に遭遇することが多く、
なんだかもやもやする日々を送っておりました。
昨日テレビを見ていたら、従業員が78歳~88歳のおばあちゃん中心の「おばあちゃんビジネス」の現場にスタンフォード大学の教授が訪れているところが取材されており、ご覧になった方もいらっしゃったかと思います。
その会話の中でそのものずばりの英訳がなく通訳が難しかった言葉が二つあり。
それは「生きがい」と「ピンピンコロリ」。
輝くような笑顔で「人の役に立っていること、誰かに必要とされること」が「生きがい」で、
生涯働いて「ピンピンコロリ」が理想とおっしゃる。
この会社は「うきはの宝」という会社で手作りの「蜜な干し芋」は県知事受賞し、
他にも「ばあちゃん新聞」や「ばあちゃん飯」など、
ばあちゃんの知恵がいっぱい詰まった事業を展開しており、
そこにはばあちゃんたちの「働く喜び」が溢れています。
「生きがい」と「ピンピンコロリ」。
おばあちゃんたちの笑顔は
店長との会話を引きずっていた私の心を軽くしてくださって、
「日本人の良いところ」の原点に触れたような気がします。
言葉の中に隠れているもの
先日大阪城公園近くで用事があったので
散歩がてら公園内を歩いてきました!
9時30分頃でしたが、海外からの観光客多し。
新緑が綺麗でした。
前回発達障害のセミナーの話の中で多様性について少し書きましたが、
多様性を理解し、自分とは異なった特性を持つ人と共存していくために
まず何をすればいいか?
を考えると
やはりその人の「話を聴く」事に尽きるなあとそのセミナーでも学びました。
転職に悩む若者と話をした時のことです。
高校時代にやんちゃをして退学になり、
別の高校に再入学したので一年だぶって、
やっと高校を卒業して、就職できたけれども
会社を辞めたいとのこと。
入社して、わずか2カ月後の事です。
何故なのか?
色々話していくと
「会社の人達とは人種が違う」と言います。
終日デスクワークの仕事に就いたのですが、
周囲の同僚に対し
「なんであんなに偉そうやねん」と
座っているだけで「腹が立って」
気持ちを落ち着かせるためにトイレに籠ってしまう
と言います。
これだけ聞くと、
「なんて幼く堪え性のない子なんだろう。」と思うかもしれません。
私はそう思いました。
ですが、話をしていくうち、
彼の印象がどんどん変わっていきました。
「ええ子」(良い子)なんです。
幼いときはまわりの大人たちが見えず、
どれほど自分は愛情を注がれてきたのか分からず、
高校を退学になった時に、
どんなときにも味方でいてくれるお母さんに気づいたときに
「このままではあかん」と思い、
別の高校に入学して、年下達にタメ口を叩かれながらも
いい仲間を作っていくことができた。
と、まっすぐな眼で一生懸命話してくれます。
彼はちゃんと愛を知っている子なんです。
高校を卒業したとき、「おじいちゃんが泣いて喜んでくれて」
就職して卒業した高校にスーツ姿で訪ねたら
先生が「とても喜んでくれて」
だから、なんとか続けたいのだけれども、
「毎日がとてもしんどい」のだと言います。
学生から社会人になる。
全く違う世界ですから、そりゃしんどい。
社会人になりたてだから、慣れないこともいっぱいあり、
新しい環境に適応するのは誰だってしんどい。
でも辛いことから逃げずに日々悪戦苦闘していく中で
経験を重ねていく中で
「働く」ということがどういうことなのか、
「自立する」とはどういうことなのか、
「お給料をもらう」とはどういうことなのか、
学び、知っていくことになり、
いつか会社になくてはならない存在になるのだと思うのだけれども
これは私の経験から得た価値観から出た考えで
この考えを頭ごなしに押し付けてしまいがちになる自分を意識しながら
彼と向き合っていました。
「会社の人達とは人種が違う」と彼は何故言うのか?
「何故腹が立つのか?」を丁寧に聴いていくと
その言葉に隠れている、
環境に馴染めない彼の焦りや不安や
ただ指示ばかりして自分を見てくれていない(と彼は思っている)上司や同僚に対しての寂しい気持ちが見えてきました。
そして「「高校を一度退学になった」ことで周りが自分に偏見を持ち、正当に評価されていない」
と「高校を一度退学になった」ことが彼の負い目になっていることが、その言葉の背景にあることもわかってきました。
「でも君の履歴書を見た上で採用されているんやで!面接で今の君を見て採用されているんやで!」
と言ったとたん、ポロポロ泣きだし。彼の中で何かが変わった瞬間でした。
それから積極的に周りの同僚と話すようになり「楽になってきた」と話してくれるようになりました。
「「受け入れてもらえる」かどうかとても不安で、怖かったんだと思う」と今は元気に働いている彼から後で聞いた言葉です。
もし「あいつのことがわからん!」「あいつが仕事を辞めそうで怖い!」と悩んでいたら、
是非、話をするのではなく話を聴くことから始めて頂ければと思います。
雇用される力
前回お話したアメリカのギャラップ社の調査では
仕事への熱意や職場への愛着を示す社員が一番多い国は
アメリカでした。
アメリカがトップである背景には
やる気を見せない社員はレイオフされることがあるようです。
なるほどですね。
同調査で仕事への熱意や職場への愛着を示す社員が一番少ない国日本。
厚労省調査による会社を辞める一番の理由は「給与・報酬が少なかったから」で、40.7%。
2位は事業または会社の将来に不安を感じたから(31.7%)
3位は労働時間が長かった、休暇が少なかったから(30.9%)と続きます。
よく相談される「人間関係」での退職は7位で13.8%で、
体感的にはもっと上位にあるかと思ったのですが
「明日の米」の前では「人間関係」は「耐えるに値するもの」という方が多いということでしょうか。
ちなみに
2023年の日本の完全失業率は2.6%、
有効求人倍率(一人当たりの求人件数)は1.31倍で
アメリカの失業率は3.7%、
2023年の有効求人倍率を見つけられなかったのですが
2022年10月の有効求人倍率は1倍で
この数字だけで判断すると日本よりアメリカの労働環境は厳しく
「レイオフ」を前にしては
ワークエンゲージメント(活力、熱意、没頭によって特徴づけられる仕事に関連するポジティブで充実した心理状態)は死活問題なのかもしれません。
ところで
エンプロイアビリティ(働き手が雇用され得る能力)という言葉をご存知でしょうか。
他国と比べると日本はまだまだ1社に留まる(終身雇用される)方が多いように思いますが、
それでも仕事や会社を変える事は珍しくなくなりつつあります。
即ち、1社のみで通用する能力だけでなく、企業を超えて適用する能力を身に着けることが、
今後のキャリア形成において重要になるということです。
もし貴方が消極的な理由でその場に留まっているのであれば
そしてそんな自分が嫌だと思っているならば
前へ進むための1つの手段として
一度厚生労働省の「エンプロイアビリティチェックシート(総合版)」
で自分のエンプロイアビリティを知ることから始めてみてはいかがでしょうか。
後悔しないために。
耐えるに値するもの
大谷選手のご結婚、びっくりしましたなあ。
お相手とされている(巷の記事を信じるならば)のお写真などを拝見すると、
なるほど!と妙に納得した私。
WBCでの名言「憧れるのはやめましょう」や、
今回の結婚会見にしても
彼の言動に触れる度、
なんてまっとうに生きている人なんだと思います。
大谷翔平、かっこいいが過ぎます!
(て日本中が思ってるか)
はるか昔の話ですが、
大学でとある研究室の助手をしていた知り合いが、
しばらくアメリカの有名な大学教授のもとで1年ほど留学したことがあったのですが、
帰国したときにポツンと話したことが印象的で今でも覚えています。
「優秀な人が人格者だとは限らない」
その教授は周囲の人に対し、かなり独裁的で感情的だったようで
極東からきたアジア人である彼に対してはもはや「人間として」扱ってはくれず、
かなり屈辱的な日々だったようです。
それでも留学生活を全うしたのは、
自分ではどうしようもない事で理不尽な扱いを受けてもなお、
耐えて留まるに値する何かがあったのでしょう。
その何かは
「自分が情熱を注いできた研究にとって確実にプラスになる」事だったのかもしれないし
「ここで成果を出さなければ研究者としてのキャリアアップは望めない」という思いだったのかもしれない。
何より「そんなつまらない奴に負けるような自分ではない」というプライドだったのかもしれない。
あるいはその全てが、
留まった理由だったのかもしれません。
「1年なんとか頑張ればよい」と先が見えていたことも大きいですよね。
留学中その教授に対してどんな気持ちでいたのか聞くと
「可哀そうな人だなあと思っていた」と涼しい顔で一言。
勿論腹の立つこともあったでしょうし、色々な思いをしてきたでしょうが、
その一言でやり過ごした彼に痺れました。
そして「成功する人はこういう人なんだ」
とも思っていました。
何でも日本の従業員は「世界一やる気がなく」
また年々「やる気度」が下がっていると最近いくつかのメディアで取り上げられていて
実際、アメリカのギャラップ社の調査では
仕事への熱意や職場への愛着を示す社員の割合は2022年で5%で、
調査した145ヵ国の中でイタリアと並び最低だったそうです。
テレビのインタビューでは
「実際の仕事量に見合った賃金を貰っていない」
「部下の作成した提案書を自分の名前に書きかえて
報告した上司が評価されているのを目の当たりにして「こういう人が出世する会社なんだ」と思ったとたんやる気が失せた」
「高卒で8年一生懸命やってきて課長補佐になったが、自分の給料が大卒の入社したての初任給と変わらないことを知った時に愕然とした」
等々、様々な理由が語られていましたが、
私には全ての人が言っている事は同じで
「頑張っても報われない」から「頑張っても仕方がない」のだと聞こえました。
だけど「留まっている」理由はなんでしょうか?
「会社を辞めた途端安定した収入がなくなり
次に安定した収入を得ることができるのか分からず不安。」
多くの方の一番の理由はこれに尽きるかと思います。
(次週につづく)
前を向くために(その4)
前回私の新人時代のお話をしましたが、
何故おかしいと思ったことを言えなかったかというと
一番大きく心を占めていたのは
「どうせ言っても無駄」という気持ちだったと思います。
「電話をとるのは女の子の仕事」で
お昼休みは自席でお弁当を食べている「女の子」がとるのが当たり前という風土の会社で
(同じ所属で同じ職種であっても男性社員の社外の人に対する同僚の女性の固有名詞が「うちの女の子」という時代でもありました)
言ったところで「仕方がない」と思っていたわけです。
言ったところでまわりの共感を得られなければ仕方がない。
それからは違和感を感じつつも、日々の仕事に忙殺され、
いえ、仕事をしていると余計な事を考えずに済むのでむしろ仕事に没頭し、
「考える」ことを止めていったように思います。
もし私が遠慮なく自分の考えを「主張」していたらまわりの先輩はどう見たでしょう?
「仕事もろくに覚えていないくせに権利ばっかり主張して。」
「扱いづらそう。こんな女苦手。」
「仕事ができるようになってから言え!」
なんて思う人もいるかも知れません。
もし貴方が当時の私の先輩や上司だったらどうでしょうか?
どう接しますか?
私の話を聴いて下さいますか?
今回の事例とは関係なく(時代も違いますし)
話を聴いてご自分の価値観と合わない場合、どうされますか?
ご自分の価値観は今まで貴方が生きてきた環境、時代や今まで経験したこと、
その中で色々感じてきた思いから培われたもので
私は私の価値観を持っていて、
例えば私の考え方や行動が
自分の価値観からは到底許し難いことや、理解しがたいことであった場合、
不快に思うし認めることはとても難しいですよね。
多様性の理解と言うけれども
人との違いを受け入れることは本当に難しいです。
ですが、「人は違って当たり前」なのだから
「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をやみくもに否定せずしっかり聴くことが出来る人、
まわりに居ませんか?
そういう人の存在に気づくことができたら、
その人に自分の考えを話してみたら、その考えに率直に向き合ってくださるかもしれません。
そうして、どんどん息がしやすくなるかも。
そういう人がまわりに居ないと思うなら、
もう自分がやるっきゃない。
もう既に貴方自身が、そういう方なのかも知れません。
そうであれば、きっと周りの方は幸せだろうなあ。
自分の話を聴いてくれる人が居るだけで、
どれだけ救われる事か。
そのことに、会社を辞めて独立して色々な人と接する中で
やっと気づくようになり、遅ればせながらようやく
「自分の考え」をきちんと話して「相手の考え」をしっかり聴くことが
少しずつできるようになりました。
そうすると、私を取り巻く環境が少しずつ変化して、
世間が私に優しくなってきて、だんだんと息をするのが楽になってきましたもの。
遅すぎるって?
そうかもしれませんが、でも気づけてよかったと思います。