日記
平等とは(その1)
今日JR関西空港線ので電車内で3人の方が切りつけられたとの事。
昨日丁度同じ路線の電車に乗っていたのでぞっとしました。
いつ何が起こるかわかりません、ほんまに。
「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」をご存知でしょうか。
特定の社会的・経済的グループや少数派(マイノリティ)の人々に対して、過去の差別や不平等を補正するために取られる積極的な政策や措置のことで、
「少数派(マイノリティ)が過去に受けてきた教育などの差別を改善する」措置です。
特にアメリカでは、黒人系やヒスパニック系アメリカ人は大学入試や雇用において優遇処置がとられていますが、
この6月末にハーバード大学とノースカロライナ大学の入学選考をめぐる裁判で、連邦最高裁判所が「大学の入学選考において人種を考慮に入れてはならない」としそれぞれのアファーマティブ・アクションを憲法違反だとしたことが大きな議論を巻き起こしていることは日本でもニュースになっていたのでご存知の方もいらっしゃるかと思います。
入学選考における裁判の原告は保守派の団体で「黒人やヒスパニック系の受験者を優遇し、アジア系や白人アメリカ人受験者を差別している」と主張し大学を訴えました。ハーバード大学は人種差別を禁止している「公民権法」に違反しているというのです。
今まで何度も人種による入学選考優遇措置については裁判となり、都度「人種を意識した選考は“合法”」とされてきましたが、今回これが覆ったわけです。
あなたはどう思われますか?
因みにこの判決に携わった判事9名のうち6名は保守派(うち3名はトランプ政権下で任命)で。、だからこそのこの判決といえます。
ここに、大学入学に対する優遇措置として理解されるきっかけとなったジョンソン大統領の演説を紹介します。
「『あなたはもう自由なのだから、好きなところに行けるし、好きなことができる。好きな指導者を選ぶこともできる』と言うだけでは、何世紀にわたって黒人が負ってきた傷を拭い去れるものではない。『これからは他の人と自由に競争ができる』と言うだけでは、何年も鎖に繋がれ、よろよろと歩いてきた人を同じ競争のスタート・ラインに立たせることはできない。このことは、公民権の闘いの次の、さらに重要な段階である。私たちが求めているのは自由だけではなく、機会である。単に法的な平等だけでなく、人間の能力の機会である。権利や理論としての平等だけでなく、事実として、また“結果としての平等”である」
アメリカの大学進学率は現在も、是正されてきているものの白人とアジア系に比べ黒人やヒスパニック系が低く、その背景にあるのが収入格差です。
大卒の平均年収が約700万、高卒では約400万、高卒未満では約300万と言われているので、高等教育を受けていない黒人やヒスパニック系アメリカ人は学費を工面できず子供を大学に行かせることは難しく(教育ローンを組んでも払えず破産する人も多いとか)結果、何代たっても貧困から抜け出せないわけです。
「平等」とは。
私達はグローバルな世界に生きている(追記)
前回投稿した「私達はグローバルな世界に生きている」で伝えたいことが見事に集約された動画を見つけたので僭越ながらご紹介いたします。
(話題になったのでご覧になったかたもいらっしゃるかと思いますが)
「とにかく明るい安村」がイギリスのTV番組「ゴットタレント」に出演したときの映像です。
(35) 【和訳と英語字幕付き】とにかく明るい安村:審査員の興奮が止まらない!#とにかく明るい #安村 #bgt - YouTube
やる気が出ないときに是非ご覧になってください!
私達はグローバルな世界に生きている
今日11時ごろグランフロント大阪2階南館から北館を通り抜けたのですが
入り口のエスカレータ前に行列ができていて警備員が誘導しているほどだったので
受付の方に「なにかのイベントですかっ?!」
と尋ねたところ、「あ、いえ、11時開館なので、並んでいた開館待ちの方が一斉にいらっしゃるので。。最近土日はいつもこんな感じです。」とのこと!
ほんと誰か有名人のイベントでもあるのかっと思うほどの混雑ぶりでした。
コロナ前の活気が戻ってきましたー!!。
今日は美容室に行ったのですが、
観光で来られる海外の方がいらっしゃることがコロナ前と同じ位に増えてきたそうで、
「韓国や中国の方が多いんですが、今日は西洋の方がいらっしゃったんですよー。」
とのこと。
「会話はどうするのっ?!」と聞いたところ、
「翻訳機に頑張ってもらいます!」とのこと(あ、なるほど。便利な世の中になったものです)。
その西洋の人を接客した美容師さんがたまたま私のサブ担当に入ってくれたのですが、
「いやあ、セレブでしたよーっ。すんごく綺麗な人でした!」とのこと。
「えっなんでセレブとわかったの?」と聞くと
「アメックスのプラチナカードだったんですわ。めっちゃ重かったすわーっ」
「きゃーっ!!」と私。
「ヘアケア商品を「あれもこれもお願い!」ってびっくりする位買っていかれましたわーっ」
(この美容室のヘアケア商品、100mlで約1万円なんて商品がずらっと並んでいるのです)
「ひゃーっセレブやね!!!」(セレブとは)
大変失礼いたしました。
アメックスのプラチナカードはメタル製でかなり重いということを
お陰様でこの年にして知ることが出来た私。
なんでもその店を利用した方のヘアースタイルを見て、「日本に行ったらその美容室でカットしてくるっ」という方が来店されるらしく評判が評判を呼び、特にホテル近くにある店舗は海外の方でえらい繁盛しているとのこと。
その美容室は着実に業績を伸ばし、浮き沈みの激しい業界にあって店舗をどんどん増やしこの5月には件の「グランフロント大阪」に出店されるそうで。
私の好きな言葉の一つに「チャンスは掴むもの。でもそのチャンスが来たときに掴める自分でいないとチャンスは逃げる。」があるのですが、まさにチャンスを掴めるかどうかは、本当に自分が得たいチャンスをものにするために、毎日どう生きているかなのだと思います。
もし今砂をかむような生活だったとしても、諦めずに自己研鑽を重ねていくと「あのとき諦めなかったから今の自分があるんだ」と思う時がきっと来る。
私達はグローバルな世界に生きている。
世界の誰かが、何かをきっかけに貴方を知って、認めてくれて、友人に語り、世界に広がる。
その可能性は確実にある時代なのです。
人間万事塞翁が馬
今日、たまたま堺市立総合医療センターの前を通ったら法被姿の若者がうろうろしていて、
「今日だんじり祭りなのっ???春にっ???」と頭の中が?でいっぱいになっていたのですが、
補修後のお披露目で今日引き回しがあり、
横倒しになる事故があったのですね。
11人負傷で3人が重傷だとか。
例年30~50人程度で引くところ、今回はお披露目ということもあり他からの応援もあり100名程度で引いてたとかで、
交差点で曲がり切らずバランスを崩して倒れたの事でした。
こんな時、「いつもより倍以上の人数で引くって、最初から無理やと思ってたんや!」と後だしジャンケンのようにおっしゃる方がでてくることが多いのですが(今回はいらっしゃらないかもです、あくまでも一般論として)
無理やと思った時点できちんと意見しなはれー!!!
はあはあ。。失礼しました。(私、あとだしジャンケンがほんま嫌いなんです。すみません)
岸田首相の演説先での事件があり、黙秘している犯人は24歳の若者なのですね。
どんなことが語られるのかこれから明らかになっていくでしょうが、
安倍元首相を銃撃した山上被告に対する減刑署名は1万3千を超えているらしく、英雄視している人やファンレターを書く人もいるのだとか。
色々な思いが交錯し、やるせない思いです。
安倍さんもまさか自分の命が絶たれることになるとは数時間前まで夢にも思わなかったでしょうし、
本当にいつなにが起こるかわからないですね。。
このタイミングで私の話をするのは甚だ僭越ではございますが、
昨年7月のある朝、海鮮粥を呑気に食べていた私は、その数分後に痛みにのた打ち回り、数時間後には救急車で運ばれ腸閉塞の緊急手術をすることになるなんて、夢にも思いませんでしたもの。。
ほんまに人間、塞翁が馬。
幸不幸は予測がつきません。
手術後麻酔から覚めてベッドから天井を見ながらはたと気づきました。
「たまたま今回は運よく助かったけれども、もしあの時救急車を呼ばなかったら意識を失って腹膜炎になってそのまま死んでいたかも。。」
「自分でコントロールできるうちはいいけれども、認知症になったらどうするの?」
「動けなくなったらどうするの?」
いざという時の準備が何もできていないわ、私!
ということで、退院後「終活」について真剣に考え、勉強するようになったわけです。
いざというときにどこに連絡すればいいの?
誰も居ないところで意識がなくなった場合、どうやったら発見してもらえるかな?
終末医療はどうするの?相続は?死後整理は?お葬式やお墓は?
自分の意識がしっかりしているうちに、
リビングウィル(人生の最終段階における事前書)や死生観をきちんと伝えるためのエンディングノートを作っておかなければっ!
等々。知れば知る程、今から準備しておくべきことがでてきてそわそわします。
貴方はいかがですか?
「色々不安はあるけれども、何を準備したらよいのかわからないっ」
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そんな貴方のために安心できるネットワーク作りをしようと今色々準備しております。
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宜しくお願いいたします。
報道の自由と重み
前回の「捉え方の背景にあるもの」で人各々基準が違うというお話をしましたが、
基準が違うことを考慮したコミュケーションのとり方を
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12年前の3月11日は東日本大震災が発生した日であり、多くのメディアで報道特集が組まれていたので
当時の映像を再度目にした方も多かったと思います。
大切な人を失うと
時間とともにその人を思い泣く時間は日々の営みの中でだんだん減っていくけれども
心にぽっかり穴が開いたような喪失感は何年たっても埋まらず
ふとした時に思い出すと、なんとも言えない悲しみに圧し潰されそうになるということはありませんか?
慟哭のような悲しみは薄れていくけれども、心に負った深い喪失感は本当に癒えないなあと思います。
安否が確認できない家族がいらっしゃる場合、心の置き場所が定まらず、本当に辛いことだと思います。
震災は過去のものではなく、まだまだ復興途中ですね。
流れている当時の映像を正視できない方もいらっしゃったのではと思います。
実際当時の映像にはお亡くなりなった方の映像も沢山あったそうですが、
遺族の方の心情を考慮し一切報道しなかったと聞きました。
これに対し、今回の震災被害を正確に報道したことにはならず、
どれだけ悲惨な被害を人類に齎したのかを後世に正確に伝えるためにも
報道自粛はするべきではないという意見もあったようです。
今、放送法の政治的公平性が話題になっていますが、メディアの中でテレビの比重がどんどん少なくなっていく今の時代の論点としてどうなのか?と思います(あくまで私の個人的意見です)。
が、報道により本来私達が知るべき「事実」が簡単に捻じ曲げられることも事実で、
その監督を総務省が担っている日本においては時の政権に都合の良い報道がなされる可能性を拭い去れない
ことは大きな問題だと思います。
ロシアのウクライナ侵攻の中、
ウクライナがロシア国内を攻撃したときインタビューを受けたロシアの住民が
「ウクライナは自国が攻撃されることがどんなに酷いことなのか知るべき!
一度攻撃されてみるとわかるわよ!どんなに酷いことなのか!」
と話していてぞっとしました。
「事実」はひとつなのですが、「真実」は時の権力者や時代背景、受け手の捉え方によって違ってきて
目の前にある事実には何の意味も持ちませんが、真実はその人の捉え方によって意味づけがなされますよね。
人は同じ事実を目の当たりにしても見たいものだけを見るので、
その人にとっての真実はその人から語ってもらわないと分からない
ですよね。
で、「事実」がある権力者によって都合がよいように捻じ曲げられていて
そのことに気づかないとしたら。
簡単にコントロールされていますよね。
そういうことは平然と繰り返されていることは歴史が証明しているし、
結構身近でも「フェイクニュース」のように巷に溢れています。
こう考えてくると時の権力者の縛りをいけない「報道の自由」は本来あるべき姿だけど、
フェイクに踊らされないようにするためには
正しい規制は必要とも思います。
新型コロナの感染者が各県で確認され始めた時、
岡山県で初めて感染者となった女性が報道により苦しめられ、自殺したそうです。
メディアの力は人を幸せにもするし、殺しもする。
本当は今日、対話型組織開発の背景理論にあるアドラーの目的論の話をしたかったのですが
昨日東日本大震災の当時の映像を改めて目の当たりにし、
心がざわざわしていたのでこのような内容になってしまいました。
次回、本屋さんの心理学書コーナーで平積みされているほど人気の「自己啓発の父」アドラーの目的論についてお話したいと思っております。
宜しくお願いいたします。
