日記

2024-06-30 18:18:00

きりがない

「見た目は大切」

最近よく思います。

「でも見た目が全てではない」

最近よく思います。

今、特に若い世代で整形に対してのハードルがかなり低くなっているようです。

 

「見た目は大切」

私達は第一印象でその人の印象をだいたい決めてしまいますわね。

その人を知っていくうちにつれ、印象は変わっていくけれども

「こう見られたい」と思っているものとは違う

印象を周りの人にもたれていると感じているのだとしたら

髪型や服装や立ち居振る舞いを見直すべきだと私は思います。

(自戒を込めて)

 

ではもって生まれた容姿についてはどうでしょう。

 

悲しいかな私達は容姿でその人を評価してしまいがちです。

これはもう人、いや動物しての本能ですもの。

 

だからこそ、容姿に拘り、涙ぐましい努力をするわけですが、

「見た目」に支配されて、

特に若い世代で

「瞼を二重にしなければ外を歩けない。学校へも行けない」

「今の醜い顔のままで生きていけない」と

メンタルに不調をきたす人が増えていると聞きます。

 親からすると、

整形も立派な手術だし、身体にメスを入れることになるし

施術する病院を間違えるととんでもないことになるのではないか?

という心配や

「生まれ育ってきてくれたそのままの顔では駄目なのか」

という寂しさや。

複雑な心境であると思います。

だけど、整形をすることで、

瞼を二重にすることで、我が子が健康な心を取り戻せるならと

整形に同意し費用を出す親御さんも多いと聞きます。

 

でも一度整形をすると、次から次へと欲が出て、

「鼻を削って高くしたい」

「頬骨を削って小顔にしたい」

「〇〇ちゃんのような顔になりたい」

と「きりがなくなる」と言います。

人の欲望は一度捉われるときりがないという典型的な見本です。

 

だけど特に成長過程にある10代の若者が、

例えば鼻をいじった場合、

鼻はまだまだ成長していくので、

とんでもなく変形してしまう可能性もあるということで、

綺麗になりたいが故に整形したのに結果、とんでもなく醜くなってしまうこともあるそうで。

 

 「今私(僕)が不幸なのは、顔のせいだ。整形をして顔が良くなれば幸せになれる」という考えに捉われて、

心を病んでいたら、あるいは親しい人がそういう考えに捉えられているとしたら

信頼のおける形成外科医のいる病院を見つけて整形する、あるいは整形をすすめることは

或る意味トリアージと考えると仕方ないように思います。

その結果、自分に自信が持てて前向きになれるならとも思います。

 

ですが、「見た目が全て」ではなく

見た目よりも大切な事、「見た目を磨く」ことより価値があることが

世の中にはいっぱいあることを

その子たちが自分で気づくような世界を目の当たりにしたら、

その子たちの「自分の容姿」についての捉え方も随分変わるのではないかと思います。

とても難しいのだけれども、

せっかくこの世界に生きているのに、この世界は広くて色々な価値観がある世界なのに、

ひとつのことに捉われ、それで苦しむことはなんてもったいない!

そのことに気づくと、もう少し呼吸のしやすい世界になるのにと

伝えることはとても大事な事だと思います。

 

顔の質ではなく、心の質が人生の質を変えると思いませんか?

機会があれば、是非貴方の考えをお聴かせ下さい。

 

2024-06-09 20:00:00

心のバリアフリー

先週日曜、発達障害関連のセミナーを受けておりまして、

いくつかのケース検討がありました。

どの事例も「こんな人いるよなあ」というもので、

発達障害の特性は強弱はあるものの、

誰の中にもあるものだと思いました。

 

だからこそわかりづらいし、

もし自分が「障害がある」と診断されたとしたら、

認めたくないし、ましてや公表するとなると、かなり勇気がいるよなあ。

と思います。

 

障害に限らず、自分が「できないこと」を認めることはかなりしんどい。

 

例えば「聞いて理解する」ことが難しいAさんがいたとします。

 

職場でAさんの上司が口頭で仕事の指示をしたとします。

Aさんは仕事の内容について質問するでもなく

「わかりました!」と仕事にとりかかるものの

何をやればよいかわからないのか、考え込み仕事が進まない。

あるいは間違った内容の仕事を一生懸命する。

なんてことがあった場合、

貴方がAさんの上司だとしたらどう思いますか?

「仕事が出来ないやつ」とジャッジして、

「どうすればいいんだろう」と困ってしまいますか?

 

でもAさんは聞いて理解するのが苦手なだけで、

書いて指示すると理解できて、

理解するととてもよい仕事をする人かもしれません。

 

Aさんがもし「自分が聞いて理解する事」だけが苦手な学習障害があり、

そのことを認識していて

それを貴方に伝えることが出来、

「書いて指示してください」と言えていたとしたら

貴方は「書いて指示する」という所謂「合理的配慮」をすることができますよね。

その結果、Aさんは貴方の部署にとってなくてはならない人になるかもしれません。

 

そうするとAさんの障害は障害でなくなるわけで。

 

そのためにはAさんがきちんと自分のことを話せるような周りの環境であることが

重要なのだと思います。

 

難しいことです。「心のバリアフリー」って言うのは簡単だけど本当に難しい。

 

ですが、Aさんが居ることは、

Aさんの周りにいる人が成長できるチャンスであり、

真の意味で「多様性」を受け入れるきっかけになるかもしれません。

 

「多様性」という言葉が無くなることが真の「心のバリアフリー」なのかもしれませんね。

 

 

 

2024-04-28 20:10:00

見なくてはならないもの

早いものでなんとゴールデンウィーク!!

如何お過ごしですか?

この円安の中、ハワイ行き飛行機搭乗者は過去最高だそうで。

多い人は10連休だそうで。

 

そしてわたくし。

ずっとぱっとしない天気が続く中、

毛布を仕舞うために

洗濯するチャンスを狙っていたわたくし。

今日やっっと毛布が干せてほんと、幸せ―っ!

 

ええんやええんや。

細いなことで幸せになる自分、我ながらかわいいやつ。

GWは溜まっている家事が片付いたら、

いつか読もうと溜めている本を読みながら家でまったり過ごす予定のわたくし。

 

ええんやええんや。

 

さて、先週お話した村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

読み終えました。

そして今更ながらこの本が世界的に大ベストセラーになっていたことを知った私。

 (ほんとすみません..。)

内容や感想については色々な考察がでているので、

ちょっと齧っただけの私如きが何を語るかっ!

と思いますので、ここでは小説の中にでてきて、

文庫本の帯にもなっている

「自分が見たいものを見るのではなく、

見なくてはならないものを見るのよ」という言葉について、

少しお付き合いください。

 

先週も触れましたが、

同じ環境に居ても人は見たいものを見ます。

更に言うと、人は見たいものしか見ません。

そして、

自分を守るために無意識に、あるいは意識的に「見たくないものは見ない」です。

でも、見たくないものの中には、

「見なくてはならないもの」も混じっていることがあり。

この「見なくてはならないもの」を見るのはとても勇気のいることです。

 

だって、折角塞がっている瘡蓋をはがすようなことだから。

きっと、少しからず血が出ることを知っているから。

 

でも私達は知っていますよね。

 

何のためにわざわざ見たくないものを「見なくてはならない」のかというと、

それはもう、これからの自分のためであることを。

 

「ありたい自分」になるためには、見なければならない。

そして、きちんと向き合って対峙しないと前に進めないのだということを。

 

勿論、見なくても誰からも責められたりしません。

だって、「見なければならない」と決めているのは、

自分だけだから。

ですが、「見なければならない」ものを逃げずに見てきた人は本当に強いことを、

私達は知っていますよね。

 

だけど、「見なければならない」けれども「どうしても見られない」こともあり。

見ると自分が壊れそうで、怖くて見られないことがあることも、

私達は知っています。

 

人間だもの。

 

それでも「見なければいけない」と貴方の事を思って言ってくれている人がいたら、

そんな幸せな事はないのではないかと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024-04-14 20:26:00

インポスター症候群

「インポスター症候群」をご存知ですか?

Impostor=詐欺師で、別名「詐欺師症候群」です。

インポスター症候群とは、自分の能力や実績を認められない状態を指します。

能力があることを示す外的な証拠があるにもかかわらず、

自分は詐欺師であり、成功に値しないという考えを持ち、

自分の成功は「単なる幸運やタイミングのせい」、

あるいは「実際より能力があると他人を信じ込ませ、周囲を欺いている」

という感覚に陥っていて、非常に自己肯定感が低い傾向があります。

(女性に多いとも言われています)

 

今回の水原容疑者の事件で、

私がまず頭に浮かんだのがこの「インポスター症候群」でした。

(彼がそうだというわけではありません。誤解なきよう)

 

学歴も詐称していたのだとか、

運転中の大麻所持で裁判沙汰になった過去があっただとか

色々出てきていますが、

大谷選手からの信頼が厚くなればなるほど

周囲の評価があがるほど、

怖くて怖くて仕方なかったのではないかと思います。

(本当に周囲を欺いていたわけですから、尚さらです)

だから、

今世間が下している彼への評価をみて

これから下される刑罰も含め、

「周囲を欺ていた自分に値する正当な評価」を得たと

どこかでほっとしているのではないかと思います。

(あくまでも私見です)

 

「インポスター症候群」でもなく

「ダニングクルーガー効果」(自分を過大評価する認知バイアス)の影響を受けず、

本来実力があり、また努力を惜しまなかったが故に「成功」していて

自分自身を過大評価、過小評価することなく

正当に評価できる人でも

「この成功がいつまでも続くはずがない」

手に入れたものが多いほど、失うことの恐怖

高みに登れば登るほど、墜落する恐怖はつきまとうものだと

想像に難くありません。

 

人の心は厄介です。

 

あ、もし「インポスター症候群」だと思う人が周囲にいたら、

例えば失敗したら

過度な責任を感じないよう

「学びの機会」だと捉えられるような空気にしてあげてください。

 もしあなた自身が「インポスター症候群」だと思うなら、

是非「失敗は学びの機会」と

捉え方を変えることからはじめてみてください。

 

その先の行動がかわりますで。

 

2023-11-19 22:30:00

伝わるもの

母の命日には毎年高野山参りをしますので、今年も行って参りました。

トップページのスライドショー最初の数枚を高野山の写真にしました。

最初の2枚は奥の院、

次の2枚は霊宝館近辺の写真です。

紅葉が終わりかけでしたが、

冬の訪れを感じる高野山はとても空気が澄んでいて、とてもよい時期でした。

 

開業したときに「どんな屋号にしようか?」

考えた時にふと頭に浮かんだのが「I blong to me.」という言葉でした。

これは実はミュージカル「エリザベート」の中の1つの楽曲の題名です。

日本では和訳されて「私だけに」という題名がつき、英語圏では「I blong to me.」となります。

 

私がこの曲に出会ったのは同僚が貸してくれた宝塚歌劇雪組公演「エリザベート」のビデオで

今やミュージカル界の大スター花総まりさん扮するエリザベートが

ハプスブルク家に嫁ぎオーストリア王妃となり

今までのように自由に生きられなくなった事を身をもって知ったときに

この「私だけに」を歌い上げるのですが、

「たとえ王家に嫁いだ身でも

命だけは預けはしない

私が命委ねる それは 私だけに 私に」と歌い上げたときに

熱い感情がこみ上げてきて号泣してしまったのでした。

 

英語の歌詞ではこの部分は

I'm here when you need me.
I live and I die with you.
I'll share all your troubles.
I'll laugh and I'll cry with you.
You can blame me and bless me.
But you cannot possess me.
'Cause I belong to me.
To me.
あなたが必要とするとき、わたしはここにいましょう。
あなたと共に生き、そして死にましょう。
あなたが抱えている問題を分かちあいましょう。
あなたと共に笑い、そして泣きましょう。
わたしをとがめたっていい。あがめたっていい。
でもあなたは私を所有することはできない。
わたしはわたしのものだから。
わたしの。

となり、あとでこの歌詞を知りより深く私の心に沁みたのでした。

 

この雪組公演は世界のいたるところで上演されている「エリザベート」が

初めて日本のキャスト、演出で上演されたもので

初演に対するプレッシャーは相当のものだったようでしたが、

初演を観た友達の話によると

上演後あまりの感動で「拍手が鳴りやまなかった」そうで、

宝塚歌劇で何度も再演されているものの

未だに「初演は超えられない」と今では伝説になってしまいました。

 

それから何度となく宝塚大劇場に通い、

束の間現実の世界から離れ、美しい夢の世界へ誘っていただきました。

 

特に初舞台生のラインダンスは

 親戚でも家族でもないのに泣けてくるのでした。

疲れた心と体に沁みるのです。

 

舞台を見終わった後、

「ああ、明日も頑張ろうっ!」と何度と思ったことか。

宝塚は荒んだ私の心を何度となく癒してくれました。

 

この感動的な舞台を見せるために

どれだけの練習を重ね、努力しているのかと思います。

 

 

 最近の宝塚歌劇団の報道にふれる度、

 胸が痛みます。

 

 実際に劇団の中で何が起こっていたのか

無責任な想像で語ることはできません。

 

これから先は長らく組織の一員として働いていたものとして

今感じていることを書きます。

 

組織の一員として「世間」の期待を裏切らないよう「見せる」姿

「見せる」姿を保つために、「見せる」姿になるために

努力は必要だし、

 乗り越えないと見えない世界もある。

 

ですが、その「見せないといけない姿」のために

「私が頑張るしかない」

「私が頑張らないとまわりに迷惑がかかる」

と無理を重ねてしまう

何もかも自分で引き受けてしまう社員に「甘え」

「好意の搾取」をしていることが

当たり前すぎて気づきもしない組織は

「事が起こらない」とどれだけ今の組織が危うい状況にあるのか気づかない。

「事が起こってしまった」時にはもう遅いのに。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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