日記

2024-04-14 20:26:00

インポスター症候群

「インポスター症候群」をご存知ですか?

Impostor=詐欺師で、別名「詐欺師症候群」です。

インポスター症候群とは、自分の能力や実績を認められない状態を指します。

能力があることを示す外的な証拠があるにもかかわらず、

自分は詐欺師であり、成功に値しないという考えを持ち、

自分の成功は「単なる幸運やタイミングのせい」、

あるいは「実際より能力があると他人を信じ込ませ、周囲を欺いている」

という感覚に陥っていて、非常に自己肯定感が低い傾向があります。

(女性に多いとも言われています)

 

今回の水原容疑者の事件で、

私がまず頭に浮かんだのがこの「インポスター症候群」でした。

(彼がそうだというわけではありません。誤解なきよう)

 

学歴も詐称していたのだとか、

運転中の大麻所持で裁判沙汰になった過去があっただとか

色々出てきていますが、

大谷選手からの信頼が厚くなればなるほど

周囲の評価があがるほど、

怖くて怖くて仕方なかったのではないかと思います。

(本当に周囲を欺いていたわけですから、尚さらです)

だから、

今世間が下している彼への評価をみて

これから下される刑罰も含め、

「周囲を欺ていた自分に値する正当な評価」を得たと

どこかでほっとしているのではないかと思います。

(あくまでも私見です)

 

「インポスター症候群」でもなく

「ダニングクルーガー効果」(自分を過大評価する認知バイアス)の影響を受けず、

本来実力があり、また努力を惜しまなかったが故に「成功」していて

自分自身を過大評価、過小評価することなく

正当に評価できる人でも

「この成功がいつまでも続くはずがない」

手に入れたものが多いほど、失うことの恐怖

高みに登れば登るほど、墜落する恐怖はつきまとうものだと

想像に難くありません。

 

人の心は厄介です。

 

あ、もし「インポスター症候群」だと思う人が周囲にいたら、

例えば失敗したら

過度な責任を感じないよう

「学びの機会」だと捉えられるような空気にしてあげてください。

 もしあなた自身が「インポスター症候群」だと思うなら、

是非「失敗は学びの機会」と

捉え方を変えることからはじめてみてください。

 

その先の行動がかわりますで。

 

2023-11-19 22:30:00

伝わるもの

母の命日には毎年高野山参りをしますので、今年も行って参りました。

トップページのスライドショー最初の数枚を高野山の写真にしました。

最初の2枚は奥の院、

次の2枚は霊宝館近辺の写真です。

紅葉が終わりかけでしたが、

冬の訪れを感じる高野山はとても空気が澄んでいて、とてもよい時期でした。

 

開業したときに「どんな屋号にしようか?」

考えた時にふと頭に浮かんだのが「I blong to me.」という言葉でした。

これは実はミュージカル「エリザベート」の中の1つの楽曲の題名です。

日本では和訳されて「私だけに」という題名がつき、英語圏では「I blong to me.」となります。

 

私がこの曲に出会ったのは同僚が貸してくれた宝塚歌劇雪組公演「エリザベート」のビデオで

今やミュージカル界の大スター花総まりさん扮するエリザベートが

ハプスブルク家に嫁ぎオーストリア王妃となり

今までのように自由に生きられなくなった事を身をもって知ったときに

この「私だけに」を歌い上げるのですが、

「たとえ王家に嫁いだ身でも

命だけは預けはしない

私が命委ねる それは 私だけに 私に」と歌い上げたときに

熱い感情がこみ上げてきて号泣してしまったのでした。

 

英語の歌詞ではこの部分は

I'm here when you need me.
I live and I die with you.
I'll share all your troubles.
I'll laugh and I'll cry with you.
You can blame me and bless me.
But you cannot possess me.
'Cause I belong to me.
To me.
あなたが必要とするとき、わたしはここにいましょう。
あなたと共に生き、そして死にましょう。
あなたが抱えている問題を分かちあいましょう。
あなたと共に笑い、そして泣きましょう。
わたしをとがめたっていい。あがめたっていい。
でもあなたは私を所有することはできない。
わたしはわたしのものだから。
わたしの。

となり、あとでこの歌詞を知りより深く私の心に沁みたのでした。

 

この雪組公演は世界のいたるところで上演されている「エリザベート」が

初めて日本のキャスト、演出で上演されたもので

初演に対するプレッシャーは相当のものだったようでしたが、

初演を観た友達の話によると

上演後あまりの感動で「拍手が鳴りやまなかった」そうで、

宝塚歌劇で何度も再演されているものの

未だに「初演は超えられない」と今では伝説になってしまいました。

 

それから何度となく宝塚大劇場に通い、

束の間現実の世界から離れ、美しい夢の世界へ誘っていただきました。

 

特に初舞台生のラインダンスは

 親戚でも家族でもないのに泣けてくるのでした。

疲れた心と体に沁みるのです。

 

舞台を見終わった後、

「ああ、明日も頑張ろうっ!」と何度と思ったことか。

宝塚は荒んだ私の心を何度となく癒してくれました。

 

この感動的な舞台を見せるために

どれだけの練習を重ね、努力しているのかと思います。

 

 

 最近の宝塚歌劇団の報道にふれる度、

 胸が痛みます。

 

 実際に劇団の中で何が起こっていたのか

無責任な想像で語ることはできません。

 

これから先は長らく組織の一員として働いていたものとして

今感じていることを書きます。

 

組織の一員として「世間」の期待を裏切らないよう「見せる」姿

「見せる」姿を保つために、「見せる」姿になるために

努力は必要だし、

 乗り越えないと見えない世界もある。

 

ですが、その「見せないといけない姿」のために

「私が頑張るしかない」

「私が頑張らないとまわりに迷惑がかかる」

と無理を重ねてしまう

何もかも自分で引き受けてしまう社員に「甘え」

「好意の搾取」をしていることが

当たり前すぎて気づきもしない組織は

「事が起こらない」とどれだけ今の組織が危うい状況にあるのか気づかない。

「事が起こってしまった」時にはもう遅いのに。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023-10-08 21:45:00

呪文なのか

3連休ですが、大阪は雨。

金曜日にコロナワクチンを接種した私。今回は結構熱も出て倦怠感もあり土曜はほぼ1日臥せっておりました。

今日も少し怠くファイザー製のワクチンでしたが今までで一番副反応が強く出ているような。

 

先日「ミステリーと言う勿れ」という映画を観てきました。

私は原作本からのファンで、主人公久能整君が紡ぎだす言葉の数々に心が救われることもしばしばです。

今回も胸を打つ言葉の数々に溢れていました。

まだご覧になる方もいらっしゃると思うので内容については敢えて触れませんが、

この映画に限らず日々色々な事に接する中で最近強く思っていることがあります。

  

まだ固まっていない子供は、絶対的な力を持つ大人次第で簡単に傷つきます。

抱きしめてもらえず傷けることしかされてこなかった子供は 

傷けることしか知らないから傷つけることでしか人とつながることが出来ない。

それが正しいと信じているので、自分が間違っているとも思わない。

あるいは、これではいけないと頭では分かっていても、自分ではどうしようもない。

傷つける事でしか自分を守る術を知らないのです。 

 

もしまわりにまだ固まっていない子供が居たら

人は刺すものではなく抱きしめるものなんだよと

どうか、抱きしめてほしいと切に思います。

 

映画の中で少し引っかかったのが

「(家庭に入り子育てするのが)女の幸せ」を言い出したのは多分おじさんで

女の人から出た言葉じゃきっとない。女性をある型にはめるための呪文です」

というセリフがあり、「世の中に残っている言葉はおじさんが言った言葉がほとんどで

そこには趣味と都合が隠されている」

「自分の中から出た言葉を使ってください」と続きます。

 

私が小さなころは両親共働きで日中子供だけしない家は珍しい時代で、

「お母さんが家に居て子供の面倒を見る」のが当たり前の時代で

学校を卒業したら花嫁修業をする人は「家事手伝い」という肩書を持ち

「就職したとしても2,3年のうちにいい人を見つけて結婚すること」というのが

既定路線でした。

この路線から外れると

「みっともない」ことになり、

「早く嫁に行って幸せになってほしい」とやいやい言っていたのは

父親ではなくむしろ母親でした。

 

皆さんの御家庭ではどうでしたか?

 

勿論そういうふうに「良妻賢母」と言われることがそれこそ「女の幸せ」だと

小さいころから言い聞かされてきて(教育されてきて→洗脳されてきて)いたのでしょうが、

 

そしてその価値観はおじさんたちが作ってきたものなのかも知れないのですが

そのように言ってきた女性たちは

自身の経験から「自分の中から出た言葉」で語っていたのではないでしょうか?

 

ここにその時代の教育がもたらす価値観の怖さがあると思うのです。

どう思われますか?

 

機会があれば是非ご意見を聞かせてください。

 

 

 

 

2023-10-01 15:00:00

なりたい自分とありのままの自分と見せている自分

まだまだ油断できませんが朝夕は過ごしやすくなり、しっかり秋の足音を感じるようになりましたが、

夏のお疲れはありませんか?

最近南瓜やさつま芋がとても美味しく、

今日は久しぶりの休みなのでさつま芋ご飯や

最近嵌っている5分ほどレンジでチン→少しのお砂糖とごま塩で味付けするしてバターで炒める南瓜のソテー(これほんま一生食べ続けられる)をはじめ

 沢山沢山作りおきをしました。

やっぱり私食欲の秋なんですよねー。。

やっぱりねー。

つい昨日「太ったね」としみじみ言われたばっかりで

人生何度目かのダイエット宣言したばかりなのに。。

...。

やっぱりね。。やっぱりね。。

 

今の自分は好きですか?

まだ固まっていない頃は不安定だけれども、可能性がいっぱいあって

吸収することもいっぱいあるのですが、

「なりたい自分」と今の自分とのギャップに圧し潰そうで

不安でいっぱいだったなあと今振り返ると思います。

 

なりたい自分と見せたい自分と見せている自分。

自分自身の姿はどうやって見るか?というと

姿に関しては鏡に映したり、写真や動画を見たりでしょうか。

それにしても鏡に映る自分と写真に写る自分はどうしてあんなにギャップがあるのか??

玄関の鏡の中の自分を見て「お!今日はまんざらでもないかも!」とご機嫌で外出しても、

ふとショーウィンドウに映る自分を見て

「なに?!!このもっちゃりしたダサいおばさんっあ、私かっ!」となり

なんとも切ない気持ちになることがしばしばございます。

 

何故なのかっ!

玄関の鏡には私しかおらず、比較するものがないので自己満足の世界に留まって居られるのですが、

外の世界に出ると私よりセンスのいい人、スタイルのいい人、綺麗な人がいっぱい溢れていて

嫌でも自分の現実と向き合うことになるわけです。

そして人と話をしたり仕事をしたり遊んだりすると

「世の中にはなんて自分より優秀な人がいっぱいいるんだ!」

ことを知り何とも切ない気持ちになるわけでございます。

 

でもかの心理学者アドラーが言っているように

人は「こうなりたい自分」があり、今の自分はそこに到達していないからこそ劣等感をもつわけで、

むしろ劣等感を持つことは人としてはとても健全だし必要な事だと思います。

 

と、これは私の価値観で言っていることで

だから自分の価値観と合わない(コンプレックスなんて微塵もないわ。私の言うことは絶対正しい。だから教えてあげないと!)という人と接するとものすごーく嫌な気持ちになります。

だからその人を敬遠するようになり

「あの人が居るから会社に行くのが嫌っ!」の「あの人」になってしまうわけですが。

そして「あの人」は人によって違うわけです。

 

でも「あの人」が「見せている自分」は本当に「あの人」が見せたい自分なのか。

もしかするとずっと認めらたいのに認めて貰えてこなかったから

あんな風に虚勢を張ってしまうのか。

と考えて「あの人」を見るようになると

「ついつい自分の意見を押し付けてしまう」のは親切心から言っており

その表現の仕方が下手なだけなのかもしれない

なんて気づき

「まあ鼻につくけど許したるか!」

と思えるようになるかも知れません。

 

「なりたい自分」と「ありのままの自分」と「見せている自分」

そしてもしかすると「見せたい自分」

 

ギャップがありますか?

 

「そもそもなりたい自分もありのままの自分も見せたい自分も見せている自分もよくわからない!」

という方、是非キャリアトランプ🄬でまずは「自分さがし」から始めてみませんか?

(私はキャリアトランプ🄬で人生が変わったので突き詰めたいと思い講師になりましたの)

 

興味のある方是非ご一報ください!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2023-05-07 20:08:00

チョコレートとカレーライス

早いものでもうGWも終わりますね。

なんて早いんでしょう!まったく!

 

今日、若者数人と雑談していたのですが、

チョコレートの話になり、

「あ、僕チョコレート駄目なんすよ。

匂いがするだけで駄目で、バレンタインデーは地獄です。」

という男子。

すると、

「あ、私も駄目なんですよ。ビスケットにかかっているチョコは辛うじて食べられるようになりましたけど。」

という女子。

ひええっ!長い間生きてきましたが、チョコレートが苦手な人に初めて遭遇した私。

それも二人!

だって、甘いもの苦手な人でも、チョコレートは大丈夫とおっしゃる方が多いような。。

すると、「あ、僕はカレーライスが嫌いで、合宿とか何かにつけてカレーライスがでてきて、地獄でした。」

と高校時代サッカーをしていた男子。

おお。。

「あ、ラーメン嫌いな友達もいますよ!」

な。。なんとっ!

 

私の中の無難な贈り物ベストワンチョコレートがっ

私の好きな食べ物ベストスリーに入るカレーライスがっ

 

おっ!「自分の好きなものが他の人も好きやと思ったら大間違いやでっ!」

とつぶやいた貴方。

そうです、その通りなんです。

勿論そんなことは百も承知。

でもね、「人は違って当たり前」って頭では理解していても、

どこかで「こんなに美味しいのだから、みんな好きに違いないっ」

と思っているところがあって。

 

これが食べ物ではなく、

自分の価値観についてはどうかな?

知らず知らずのうちに自分の価値観を押しつけてこなかったか?

と思いめぐらすこととなったGW最後の夜でございます。

 

さあ、明日からまた頑張ろう!

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