日記
捉え方の背景にあるもの
春が近づいてきましたが、
三寒四温、温度差に体調を崩しやすい時期です。
くれぐれもご自愛ください。
アメリカの俳優ウィル・スミスが昨年のアカデミー賞授賞式で、
同席していた妻であるジェイダ・ピンケット・スミスの丸刈り姿を茶化したコメディアンを平手打ちにした事件をご存知でしょうか?
ジェイダが丸刈りにしているのは脱毛症のためで公表されていたそうです。
ウィル・スミスは罰として今後10年間アカデミー賞に関わる全てのイベントや番組に出席できなくなりましたが、
この時の日米の反応の違いが興味深いものでした。
勿論暴力をふるったことに対して容認できることではありませんが、
貴方はウィル・スミスのとった行動をどう思われますか?
日本のSNSでは
「奥さんを守ってかっこいい」「男はこうじゃなくっちゃ!」
等とウィルに対し好意的なコメントが少なくなかったようです。
ですが、アメリカではウィルに対し否定的なコメントが多く、
その中に
「なんでジェイダが茶化されたことに対し、ウィルが対応してしまったのか?
ジェイダの人格を軽んじている」というコメントも少なからずあったようです。
ジェイダが自分の意思を示す機会を、ウィルが奪ったというわけです。
なんとっ!
このコメントを読んだとき私はもう、目から鱗でした。
そんなこと1ミリも思いませんでしたもの。
それどころか「ウィル・スミス、素敵!」とすら思っていましたもの。
勿論暴力はあかんのです。
力で解決しようとする発想はとても恐ろしいことです。
でも「大切な人を守るために頑張った」彼はなんて素敵なんだろうと思っていましたもの。
で、この件をネットで色々検索してみると「有害な男らしさ」という言葉がでてきました。
ウィル・スミスのとった行動は、「男なら女を守るべき」という古い価値観にとらわれていて、
それは突き詰めていくと「俺の女に手を出すな!」のような「女は男に従属している存在」と言っているに等しい
というわけです。
なるほど。
でも、私は男とか女とか言う前に、
「大切な人が侮辱されていたら自分が侮辱されたように憤る」ことは愛がないとできないし、
そんな風に人を愛することができる人を羨ましくも思うのです。
こんな風に1つの出来事に対し、捉え方は様々ですよね。
それは自分の中に判断基準があって、
その基準は今まで生きてきた環境や、経験してきたこと、そして人種や性別や国籍等、様々なものが影響しあって作ってきたものなので、人と違って当たり前なのですが、そのことに気づかず自分の基準、価値観を押しつける人のなんと多いことか(〇コちゃんに叱られてください)。
勿論、人それぞれ意見があって、それを議論しあうことはとても建設的なことです。
が、忘れてはならないのは「人それぞれ基準や価値観は違う」ということです。
仕事の中で
例えば部下に「できるだけ早く〇〇さんにアポイントをとってほしい」と指示したとします。
ところが部下は10分経っても20分経っても〇〇さんに連絡を取った気配がありませんし、報告もありません。
業を煮やして「アポイントとれたの?」と部下に尋ねると、
部下は「できるだけ早くということでしたので、急ぎの仕事を片付けてからすぐに〇〇さんに連絡するつもりでした」
と言います。
むかむかむかっ
「できるだけ早くと言われたら、すぐに連絡するやろうっ普通!」なんて声を荒げてしまうかも知れません。
でも指示するときに例えば「今から10分以内に〇〇さんにアポイントの連絡をしてくれ」と数字という共通の基準を使うとこんな風に余計なストレスを感じる必要はなくなりますよね。
貴方の「普通」は私の「普通」とは違うのです。
違って当たり前なのですが、
その背景にあるものはとても深い。
その背景にあるものをお互いに尊重できれば、もっと生きやすくなると思います。