日記
美しい雨
今日は雨。
20世紀を代表する指揮者の一人、フルトヴェングラーをご存知でしょうか?
ナチス政権下のドイツでベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者を長く務めてきた方です。
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団にはユダヤ人が数名いて、コンサートマスターもユダヤ人であったため、本来ならナチスの迫害対象でしたが、ヒトラーが彼の才能を高く評価していたため免れていました。
当初はナチスを批判し続けていましたが、締めつけがどんどん厳しくなり、ナチス主催の公式な場での演奏を拒み続けていた彼もついにはゲッペルズ主催のヒトラーの生誕前夜祭でベートーベン第九を指揮します。
その時の演奏は歴史に残る名演で「ヒトラーの第九」と呼ばれており、ネット検索すると演奏が聴けます(凄い時代になったものです)。
演奏の後、ゲッペルズが握手を求め応じた写真が全世界に広まり彼は親ナチスと印象づけられ、批判を浴び続けます。
その間海外の友人から何度も亡命を勧められるもドイツに留まり続けました。
彼が公職に留まる限りベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーは徴兵されない、聖域だったのです。
当時を振り返り語った彼の言葉です。
「亡命しようと思えばできただろう。そうすれば国外からナチスを批判することもできただろう。しかし、私の使命はドイツ音楽を生き延びさせることだと考えた。ドイツの演奏家達とドイツ人のためにドイツ音楽を演奏し続ける事。これを前にしては、演奏がナチスの宣伝に使われるという懸念は後退していった」
「あのような時期に立ち去ることは恥知らずな逃亡でした。所詮私はドイツ人なのです。およそ、ナチスのテロのもとで生きていかなければならなかったドイツ人ほどベートーヴェンによる自由と人間愛の福音を必要とし、待ち焦がれた人々はいなかったでしょう。
外国でどう考えられようと、私は自分がドイツ国民のためにした事を悔やんではいません。」
(NHK「映像の世紀」からお借りしました)
敗戦後「親ナチス」として裁判を受けています(無罪になりました)
坂本龍一。
憧れの人でした。
YMOを知った時の衝撃は忘れられません。
かっこいいなあ。日本にこんな人がいたんだ。
彼はあれほどの才能の持ち主でありながら、
日本在住当時様々なメディアで接している限り、変な驕りや衒いもない
純粋に音楽や文学、そして人をとても愛している人という印象でした。
だからこそ、晩年癌に苦しみながらも、脱原発や被災地支援など、様々な活動を続けてきたし、
断固して貫いている信念があったのだと思うのです。
著名な音楽家や小説家、芸術家は時として時代に利用され、翻弄されます。
彼の訃報を伝えるニュースがあふれる中、偶然観たテレビ番組でフルトヴェングラーが取り上げられていて、なんとも感慨深く思いました。
坂本龍一は多くの音楽を生み出しましたが、
映画「ラストエンペラー」の中の音楽は、清朝最後の皇帝愛新覚羅溥儀の生涯とその時代を映し出す中で当時の私の心を大きく揺さぶるものでした。
「ラストエンペラー」とフルトヴェングラーと坂本龍一。
私の中では妙にシンクロナイズされているのです。(坂本龍一は時代に翻弄された訳では無いのですが)
なぜ私達はこれほど芸術を必要とするのか。
音楽を聴いて、本を読んで、どうしてこれほど魂が揺さぶられ、感動するのか。
「芸術」と呼ばれる人が創り出すものに接することで、私は人として辛うじて生きていられるような気がするのです。
それが、今の私なりの答えとして漠然と思っています。
坂本龍一は絶対音感の持ち主で、世の中の騒音や雑音、多すぎる音に悩まされていたと聞いたことがあります。
その中で、彼はご自分の娘さんに「美雨」という名前をつけ、「Rain」という曲も作っています。
雨音は彼にとっては心地よい音だったのかも知れません。
静寂の中唯一の音、「雨の音」を聴きながら、大好きな本を読んでいる。
そんな彼が思い浮かびます。
美しい人でした。