日記
劣等感
いやあ、WBC!
感動をありがとう!!
映画のようでしたね。
でも映画にしたら出来すぎていて、逆に現実味がないのかも。
侍ジャパンのマインド、ほんともう!なんてすごいんだ!
どれだけの人を勇気づけたことかっ!
アメリカ戦の前の大谷選手の言葉
「憧れてしまったら超えられないんで。僕らは今日、超えるためにトップになるために来たんで。。」
この言葉を聞いた少年野球選手が
「僕は憧れるのはただなので、いっぱい憧れて頑張ってきたけど、憧れたらその人を超えられないんだなって気づきました。」
とテレビ番組で言っていて、とても感動しました。
大谷選手のプレーを真近でみた山川選手が「マジで野球辞めたいっす」と言っていましたが
生きていく中で色々な人と出会い、勉強や仕事やスポーツや容姿や。。
色々な局面で「どうころんでもこの人には叶わないなあ」と思ったり
「私ってなんて劣っているのだろう」と劣等感に打ちひしがれること。
ありますよね。。
それこそその人に素直に憧れ、その人をロールモデルにして頑張ればよいのですが
嫉妬して僻んだり、自分のそんな醜い感情に自己嫌悪に陥ったり。
前回お話したアドラーは
「人間であるということは劣等感を持っているということである」と言っています。
完璧な人間などこの世にはいないし、「劣等感」は主観的なもので、
どんなに優秀に見える人でも劣等感はある。
例えば「勉強ができない」とか「鼻が丸い」(私?)とか「家が貧乏」とかいう事実があったとしても、
それを劣っていると思えば「劣等感」になるし、思わなければ「劣等感」にならないわけです。
でも「劣等感」を抱くからこそ、人は成長できるのかもしれません。
「劣等感」を言い訳にして逃げなければ、諦めなければ、
「劣等感」をバネに想像以上の実力を発揮できて、
子供のころに抱いていた夢を叶えることができたり
「目標」を達成できるかも知れません。
間違いなく言えるのは
「どうせ私なんかが頑張っても無理」(劣等コンプレックス)と
「劣等感」を言い訳に諦めてしまうと夢は叶わないということです。
劣等コンプレックスの強い人は「自分はむしろ人より優れている」と俗にいう「マウントを取る」態度にでる人がいますが、これを「優越コンプレックス」とアドラーは定義しています。優越コンプレックスを持つ人は「自分が強く見えるような努力」をします。
思い当たる人いますか?
かつて私もそうだったような気がします。いや、そうだった。
まずは自分の持っている「劣等感」を認めて、それをバネに「強く見える」努力ではなく「夢を叶える」努力を始めなきゃ。
今更遅いよ!
と思われるでしょうか?
でも人生は一度きり。悔いのない人生を送りたいのです。