日記
「この人には強く出ても大丈夫」
相手によって態度を変える人、いますね。
そういう人を見ると、私は嫌悪感を感じるし腹立たしくも思う。
「この人には強く出ても大丈夫」と判断したときに攻撃的になる。
でも、これは必ずしも本人が意識しているとは限らないんですよね。
私自身も無意識に相手によって態度を変えているかもしれない。
いや、正直言ってあります。
なぜ私達は「弱いものいじめ」をしてしまうのか?
私達、ついつい自分と人を比較してしまいますよね。
一歩家をでると色々な局面で他人と比較して自分の立ち位置を確認しませんか?
例えば職場では
自分より仕事ができる人には敬意を払い、
自分より仕事ができないと感じる人には強く出る。
「仕事ができること」を自分の価値の中心に置いている人は
相手との上下関係を利用して自分の優位性を確認して安心しているわけです。
そして
仕事のできない人に対して厳しくなることがあります。
正義感が攻撃性に変わることがありますね。
ミスをする同僚や後輩に「正しいやり方を教えているのは自分」であり、
自分の指摘が間違っているとは思っていない場合、
「ミスをしたのは相手」
「迷惑をかけられたのは自分」
「正しいやり方を教えているのも自分」
こうした認識が積み重なると、いつの間にか、
「自分は正しいのだから、多少きつい言い方をしても構わない」
という心理につながることがあります。
正しい指摘であることと、相手を傷つけてよいことはまったく別なのですが。
でも一人の人が職場で「困った人」という評価を受け始めると、
その人への厳しい態度が周囲から容認されやすくなります。
最初は一人が不満を口にしていたのに、次第に皆が同じような態度を取る。
こうなると、本人への配慮を示すことさえ難しくなる場合があります。
集団心理の怖いところです。
「あの人にはあの態度でいい」という暗黙の了解ができてしまう。
さらに相手が反撃しないと、行動がエスカレートすることがあります。
人は、相手の反応によって自分の行動を調整します。
相手が反論しない、周囲も止めない、上司からも注意されない。
その状態が続くと、強い言い方が習慣になってしまうことがあります。
では弱い立場の人は反論すればよいのか?
反論すれば状況が悪化することもありますよね。
止める責任は、弱い立場の人だけにあるのではないのです。
そして。ここが肝要なのですが。
私達もまた同じ構造に入りかねない。
これは、加害的な行動を容認するということではありません。
行動は厳しく評価する。でも、人間としての価値まで否定しない。
「腹が立つのは仕方ない。でも、その感情で相手の人格までは裁かない」
です。
本当の意味での強さとは、自分より弱い立場の人にどう接するかに表れますよね。
能力の高い人が、能力の低い人を見下さずに接する。
それは単なる優しさではなく、自分の力をどう使うかという成熟の問題です。
人の本質は
自分に利益をもたらす人への態度より
自分が優位に立てる相手への態度に表れる。
