日記

2024-04-28 20:10:00

見なくてはならないもの

早いものでなんとゴールデンウィーク!!

如何お過ごしですか?

この円安の中、ハワイ行き飛行機搭乗者は過去最高だそうで。

多い人は10連休だそうで。

 

そしてわたくし。

ずっとぱっとしない天気が続く中、

毛布を仕舞うために

洗濯するチャンスを狙っていたわたくし。

今日やっっと毛布が干せてほんと、幸せ―っ!

 

ええんやええんや。

細いなことで幸せになる自分、我ながらかわいいやつ。

GWは溜まっている家事が片付いたら、

いつか読もうと溜めている本を読みながら家でまったり過ごす予定のわたくし。

 

ええんやええんや。

 

さて、先週お話した村上春樹「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

読み終えました。

そして今更ながらこの本が世界的に大ベストセラーになっていたことを知った私。

 (ほんとすみません..。)

内容や感想については色々な考察がでているので、

ちょっと齧っただけの私如きが何を語るかっ!

と思いますので、ここでは小説の中にでてきて、

文庫本の帯にもなっている

「自分が見たいものを見るのではなく、

見なくてはならないものを見るのよ」という言葉について、

少しお付き合いください。

 

先週も触れましたが、

同じ環境に居ても人は見たいものを見ます。

更に言うと、人は見たいものしか見ません。

そして、

自分を守るために無意識に、あるいは意識的に「見たくないものは見ない」です。

でも、見たくないものの中には、

「見なくてはならないもの」も混じっていることがあり。

この「見なくてはならないもの」を見るのはとても勇気のいることです。

 

だって、折角塞がっている瘡蓋をはがすようなことだから。

きっと、少しからず血が出ることを知っているから。

 

でも私達は知っていますよね。

 

何のためにわざわざ見たくないものを「見なくてはならない」のかというと、

それはもう、これからの自分のためであることを。

 

「ありたい自分」になるためには、見なければならない。

そして、きちんと向き合って対峙しないと前に進めないのだということを。

 

勿論、見なくても誰からも責められたりしません。

だって、「見なければならない」と決めているのは、

自分だけだから。

ですが、「見なければならない」ものを逃げずに見てきた人は本当に強いことを、

私達は知っていますよね。

 

だけど、「見なければならない」けれども「どうしても見られない」こともあり。

見ると自分が壊れそうで、怖くて見られないことがあることも、

私達は知っています。

 

人間だもの。

 

それでも「見なければいけない」と貴方の事を思って言ってくれている人がいたら、

そんな幸せな事はないのではないかと思います。